上田重晴博士
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▼ウイルスという不思議な生き物
皆様、こんにちは。本日は伝統ある国際宗教同志会の例会にお招きいただきまして、誠に有り難うございます。私は、こういう席でお話をさせていただくのはまったく初体験なんですが、非常に光栄に存じております。今日は、インフルエンザについてお話しさせていただきますが、皆様も、テレビや新聞で新型インフルエンザや鳥インフルエンザに関する報道を見聞きされる機会が多いと思いますので、ご存知のことも多々あろうかと思いますが、系統的にお話をさせていただきまして、今後、皆様方がご自身の身を守るお役に立てれば、これ以上の幸いはないと思っております。
懸念される新型インフルエンザは、今や「来るか、来るか」と、まるで狼少年の話のようですね。おそらく皆様方は、長い人生の間にインフルエンザに何回も罹られたと思いますが、インフルエンザは、ウイルスという病原体が原因で起こる呼吸器の感染症です。現在は、先ほど三宅善信先生のお話にも出ました1918年に大流行した「スペイン風邪」以来、A型のインフルエンザが主流で、中でもH1やH3という亜型が流行っております。
ですから、それ以外の型が出てきた場合は、すべて新型となり、地球上の六十数億人の誰も免疫を持っていませんから、新型インフルエンザには、誰もが罹る可能性があります。それも、普通の風邪のように軽く済めば良いんですけれども、現在、世界中で騒がれている新型インフルエンザは―後ほどスライドもご覧いただきますが―非常によく肺炎を起こします。しかも、致死率は60パーセントを超えています。毎年、冬に流行るような通常のインフルエンザですと、致死率1パーセント以下なんです。そこがまったく違います。では、スライドを交えてお話をさせていただきます。
私どもの体に寄生して病気を起こしてくる小さな生物が微生物ですが、一概に「微生物」といっても、小さい順にウイルス、マイコプラスマ、クラミジア、リケッチヤ、細菌、スピロヘータ、真菌、原虫、寄生虫といったものがございます。今日お話しさせていただくインフルエンザは、この「ウイルス」の仲間です。ウイルスは、地球上で一番小さな生き物で、遺伝子の核酸を保護しているタンパクの殻(エンビロープ)だけしか持っておりません。そのため、私たちの体を構成する生きている細胞の中に侵入して、殖えることになります。スライド中央に「細菌」とありますが、これは食中毒の原因になったりする細菌です。これは、例えばコップの中の牛乳に入れますと、そこで勝手に殖え、自分で生きていく力(エネルギー代謝)を持っています。横の写真は、電子顕微鏡で見たらこのように見えるということで、次へまいります。
図表1:微生物の仲間 |
ウイルスは「その遺伝子、それを保護しているタンパク質の殻だけで構成されている」と申しましたが、個々に見てゆきますと、結構複雑な構造をしています。中央の写真が、今日の主題となっているインフルエンザウイルスで、直径は150ナノメートルくらい(ナノメートルは10のマイナス9乗メートル)、すなわち10億分の1メートルですから、少し想像するのが難しいかもしれませんが、ものすごく小さくて、エイズウイルスの1・5倍ぐらいの大きさを持っています。
図表2:ウイルスはどのようにして細胞を見分けるのか |
そのウイルスが細胞の中に入って殖えていくという時に、どんな細胞でも良いかというと、そうではなく、インフルエンザのウイルスですと気管支や肺の細胞、エイズウイルスですと血液の中に入ってリンパ球の細胞に入っていきます。では、「それぞれのウイルスが自分が殖えることができる細胞をどうやって見分けるか?」といいますと、細胞は、細胞膜の表面に細胞が生きていくため、あるいは活動するための情報や栄養分をキャッチするための突起(アンテナ)をいろいろ出しているのですが、そのアンテナを構成している高分子の形状をウイルスが適当に見分ける訳です。実際には「化学結合」と言われています。そういったアンテナが出ているか? ウイルスがそれを利用できるかどうか? といったところから、感染ができるかどうかということになります。私たちは、細胞表面のアンテナの役目をしている分子を「レセプター(受容体)」と呼んでいます。
▼インフルエンザは何故、重症化するのか?
本題に入らせていただきます。インフルエンザに罹ったご経験のある方は、重々この病気のいやらしさに辟易なさっていると思いますが、インフルエンザのウイルスは、先ほどお話ししたように、気管支あるいは肺の細胞で殖え、患者さんの咳やくしゃみと一緒に体外に出て、空気中に漂っています。それをまた別の人が吸い込みますと、その人の体に入って、気管支や肺の細胞で殖えていきます。この呼吸を介して次から次へと伝染していくことを「気道感染」といいます。
上田博士の講演には多くの宗教関係者が集まった |
「潜伏期」とは、病原体が体に入って殖えだして発病するまでの時間を指しますが、これがインフルエンザの場合、平均2日間と非常に早い。去年から今年にかけて、中高生の間ではしか(麻疹)が流行する事例がありましたが、はしかの場合、潜伏期間は10日かかります。それに比べると、インフルエンザはいったん流行し出しますと猛烈なスピードで拡がります。
どのような症状が出るかといいますと、突然の高熱、筋肉痛や頭痛…。中でも特徴的なのは「もうあかん…」といったような重症感です。この重症感が何故起こるか? というのは、なかなか判りにくかったのですが、免疫を担当している細胞が、何か黴菌(ばいきん)やウイルスと出逢った時に防御反応として分泌される「サイトカイン」というホルモンのようなタンパク質が大量に産生されます。そのために、二次的に毛細血管の破壊などが起こり、正常な細胞まで攻撃されることによって重症感が出ます。
それからもうひとつ。高齢の方がインフルエンザに罹りますと、もともと長年生活されてきたことで弱っている気管支の細胞をウイルスが破壊するため、非常に二次的な細菌感染を受けやすくなります。そのため、細菌性の肺炎が起こり、遂には、いのちを落とすということになります。また、インフルエンザが流行りますと、小さなお子さんが年に100人、200人単位でインフルエンザ脳症になりますが、この脳症も、「サイトカイン」という物質が異常に産生されて、脳の中の毛細血管が破壊されることから脳症が引き起こされていることが、だんだん判ってまいりました。こういう怖い病気がインフルエンザでございます。
▼ウイルスの特殊な構造
図表3:ウイルスの構造 |
これを起こすウイルスが、電子顕微鏡で見ますと図表3のような形。それを図解したものが図表4になります。丸い球体の表面にHAあるいはNAといった突起が出ております。このHAという突起で細胞のアンテナを見分けて、細胞に食らいつき中に入っていきます。球体内部の線が遺伝子で、遺伝子は8本入っています。通常のウイルスですと、長い1本の遺伝子の中で別の機能が繋がっているんですが、インフルエンザの場合は機能毎に1本ずつ分かれています。これは非常に特徴的な部分です。
図表4:インフルエンザウイルスの構造と遺伝子
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このHAあるいはNAと書かれている髭突起は、免疫学的に少しずつ型が違います。それから、遺伝子はRNA(リボ核酸)という核酸なんですが、タンパク質の小さな粒がその周りを取り囲んで保護しています。それの抗原性といいますか免疫原性によって、インフルエンザウイルスはA型、B型、C型と大きく3つに分かれます。このうちのB型とC型は人間が本来の宿主で、ヒト以外の動物には感染しません。A型というのは本来、鳥類の中でもカモの類が持っているウイルスですが、先ほどの話にあった1918年に大流行したスペイン風邪の時に、人間社会に定着いたしました。それから100年近く、連綿と人から人へと世界中を渡り歩いている訳です。
このA型のウイルスには、HA(ヘマグルチニン)という髭の抗原性が少しずつ異なる、H1からH16までの型があります。そして、NA(ノイラミニダーゼ)という髭のタイプにはN1からN9までの組み合わせがあります。このHAの16種類とNAの9種類の掛け合わせで、144通りも型の異なったインフルエンザが存在することになります。実際の人間社会では、H1N1あるいはH3N2の2種類しか、これまで流行ってこなかったのですが、鳥の世界では、この全144種類ほとんどすべてが知られております。
昨日ノーベル化学賞を受賞された下村脩(おさむ)先生は、緑色に光るタンパク質(GFP)を何十万匹ものクラゲを獲って抽出したという話でしたが、鳥の世界のウイルス144種類を全部集めようとしている先生が、日本人で居ります。北海道大学の喜多宏教授という獣医の方ですが、鳥の糞を綿棒で掻き集めて持ち帰り、培養して集めておられます。この方も将来何か賞を貰われるかもしれませんが(会場笑い)、とにかく地道な研究を続けておられる方は、世の中にたくさんおられます。そういう特徴を持っているのが、このインフルエンザです。
図表5:インフルエンザウイルスの増殖過程
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図表5は、左上方に細胞に食らいついたウイルスが書いてありますが、それがくっつくと細胞がそれを取り込むような形で細胞内に引きずり込みます。そうしますと、遺伝子RNAが細胞内に入り、核の中で8種類がバラバラに複製され殖えていきます。殖えた遺伝子の情報を元に、細胞質の中でいろんなタンパク質が作られ、それらのタンパク質と遺伝子が一番下に書かれている細胞膜のところで組み立てられ、新しいひとつのウイルスとなって外へ出て行きます。細菌などは、細胞分裂によって、1匹が2匹に、2匹が4匹になる殖え方をするのですが、ウイルスは侵入した細胞内で一度バラバラになり、いろんな部品が別々に作られ、最後にアッセンブリー(集合組立て)されます。自動車や電器製品の組み立て工場と同じようなものですね。
「インフルエンザは非常に早く殖える」というのは、この細胞に入っていったん殖え出しますと、24時間で1,000個ぐらいになります。その1,000個が再び1,000個の細胞に感染したとすると、1,000×1,000=1,000,000といったように、ネズミ算どころではなくなってしまいます。そのため、潜伏期が2,日間と短い訳です。高速で大量に殖え、かつ遺伝子がバラバラに複製されていきますので、もし、型の変わったウイルスが2つ同時に細胞の中に入って殖え出しますと、ウイルスAの遺伝子とウイルスBの遺伝子が入り混じって取り込まれ、新型雑種のウイルスができやすくなります。
もうひとつは「遺伝子がRNAである」点ですが、これは非常に変わり者ができやすい。一般的な生物の遺伝子ですと、DNA(デオキシリボ核酸)という二重らせん構造状の2本の核酸の鎖が捻れて入っていますから、たとえ一方の鎖に突然変異が生じても、殖えていく過程で、対になるほうの塩基はもとのままですから、変異箇所は自動的に修復されて元に戻ってしまいます。ところが、RNAは鎖が1本だけなので、どこかに突然変異が入ると、その間違いが子々孫々まで受け継がれていき、結果的に変わり者ができやすくなります。これは2004年に山口県で鳥インフルエンザが流行った時に撮られた写真(図表6)ですが、ニワトリの細胞から細胞表面に黒い丸がプツプツと出ていますが、このような形でインフルエンザは細胞表面から飛び出していきます。
図表6:山口県のトリインフルエンザウイルス
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A型のインフルエンザは、野生の水鳥であるカモが宿主です。インフルエンザウイルスは、ヒトの場合は気道―気管支や肺の細胞―で殖えますが、カモの場合は腸管内で殖えます。だいたい1週間ぐらい殖え続けますが、その後、糞便と一緒に外へ出ます。鳥類の糞は固形でなくベシャッとしていますが、この時、水と糞とウイルスが一緒に排泄されています。カモは、冬場に本来の生息地である北のシベリアのほうが凍りますと、営巣地を求めて暖かいところへ南下してくる訳ですが、その途中で糞をする。営巣して子供を産んでいく。その際、汚染されている池の水を子ガモが飲むと、今度は子ガモへ感染する。カモはこうして「親から子」、「口から糞」とウイルスの感染を繰り返しながら、ずっと南へ下っていきます。
今では、カモから、ヒト、ブタ、ニワトリ、ウマ、アザラシ、クジラといった哺乳類へ感染することが判っています。去年でしたか、中央競馬会(JRA)の競走馬がインフルエンザに罹ったため競馬ができなくなったという事件がありましたが、あの時のインフルエンザはH3N8型でした。「鳥インフルエンザは病原性が強い」と言われていますが、ニワトリは感染すると、写真のように鶏冠(とさか)から出血したり、破壊されたり、顔面が内出血で腫れたり、足も内出血したりと、頻繁に出血が起こります。それと同じ様な病変が内臓に起こります。肺、肝臓、脾臓や腎臓に発生し、ニワトリは死んでいきます。もっと病原性が強くなりますと、出血などの表面的な変化が顕在化する前に、内臓がやられてニワトリは死んでいきます。これが高病原性の鳥インフルエンザです。
図表7:トリインフルエンザに罹った鶏
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▼鳥インフルエンザはどのように人間に感染するか
では「どうやってカモからニワトリへ感染が拡がっていくのか?」といいますと、カモから直接ニワトリへとは感染しないことが既に判っております。間にアヒルやウズラ、シチメンチョウが入り、これらがカモから感染を受けます。そういった家禽類が感染を受けた後、ちょっと遺伝子変化してニワトリに感染しやすくなったウイルスを伝染させていきます。そういった家禽類からニワトリに感染した当初は、病原性は弱いのですが、2カ月、3カ月と鶏舎の中でニワトリの間で感染が拡がっているうちに、病原性の強いやつが突然変異して生まれてくることが判っています。
図表8:中国の生鳥マーケット
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そうすると「カモ、アヒル、ウズラ、シチメンチョウなどの家禽がニワトリと一緒に飼われている所は何処か?」ということになりますが、ひとつ言われているのが、中国南部から東南アジアといった地域です。これらの地域では、食文化のひとつとして「生鳥マーケット(食用に生きた鳥を売っているマーケット)」があります。イギリスにR・G・ウエブスターというインフルエンザの研究における大家がいるのですが、これは、彼の論文の中の写真(図表8)ですが、中国のマーケットでアヒルとニワトリがこんな風にギュッと閉じこめられて売られています。こういった南部の暖かい国は貧しい国が多いため、先進国のような保冷設備がないので、新鮮な肉を食べようとすると、生きた鳥をそのまま買って帰って自分の家で調理するか、あるいは、そこ(生鳥マーケット)で絞めてもらい、肉を持って帰るのが食文化になっています。そういう食文化が根付いたところが、ちょうどインフルエンザが感染しやすい環境になっている訳ですね。ですから、このウエブスター先生は、「生鳥マーケットを潰せ」と言うのですが、さりとてそれも無理な話です。こういった人間の生きていく上での習慣と、病気が流行る原因とが繋がっている状況です。
図表9:鳥インフルエンザの公式発表に基づく分布
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2003年10月以降、世界中で新型(H5N1型)インフルエンザの患者さんが出てきました。この地図(図表9)はWHOが公表したデータを国立感染症研究所で分布図にまとめたものですが、最も色の濃いところが、トリインフルエンザに感染した人が出たところです。それから色の薄い赤いところは、ニワトリで病原性の強いインフルエンザが見つかっているところです。それから、グリーンのところがそれ以外の野鳥でH5型のウイルスが見つかったところです。イエローの丸は患者が出た国ですが、中央アジアからずっとトルコのほうまで書いてあります。真ん中下のほうにインドネシアがありますが、インドネシアでは今までに135人の感染者が出て、110人が死亡しています。
2003年の10月から、今年の7月25日まで集計しますと、右下に書かれていますように感染した方が391人、そのうち亡くなった方が243人と、実に、患者さんの致死率が62・1パーセントという高率でございます。先ほど言いましたが、通常のインフルエンザですと1パーセント、つまり100人に1人ぐらいしか亡くなりませんが、(新型インフルエンザは)100人中60人が亡くなるような状況です。ただし、これは主に発展途上国における事例でございます。インドネシアは何万と島があり、それぞれに暮らす人々が居ますから、患者が出てもジャカルタの病院へ連れて行くということがなかなかできず手遅れになるケースも多い。また、医療機関の数も少なく薬もないため、このような状況が生まれます。もし日本で流行った場合は、おそらくもっと数字(死亡率)は下がってくると思います。その他にも栄養状態も関連していますから、それらのことを勘案しますと、少しきついデータになっております。しかし、新型インフルエンザが怖いことは怖い。どう怖いかは、これからお話しいたします。
▼カモが運んでくるインフルエンザ
先ほど「カモがウイルスを運んでくる」と申しましたが、今度は「では、病原性が強くなったウイルスが何処へ行くか?」という話になった時に「Bar-headed
Goose(インドガン)」という頭に黒い班のあるガチョウが運んでいるのではないか? という話が出てまいりました。と申しますのは、2年ほど前に、中国の真ん中に青海湖という淡水湖があるんですが、そこで白鳥が3,000羽ぐらい死んだ。その後、このバーヘーデッドグースがバタバタと死に、そこから採れてくるウイルスがニワトリの病原性の強いH5N1というタイプでした。これからもっと研究が進みますと、どうやって世界がこういう病原性の強いウイルスで舐(な)められていっているかということもハッキリしてくると思います。
カモなどの野鳥の飛行路ですが、シベリア辺りに棲んでいる鳥が、寒くなると南へ渡ってきます。飛行路は大きく3つに分かれており、この図(図表10)では、ブルーとピンクとグリーンで描かれています。日本はこの飛行路の東端にありますので、East
Asian/Australasian flyway(東アジア・オーストラリア飛行路)と名付けられていて、東アジアを中心に、オーストラリアまでカモが飛んでいくわけです。カモは寒くなると、寒いところから暖かいところへ飛んで行き、そこで営巣しますが、シベリアの鳥がアラスカへ飛んで行くことはありません。同時期に寒くなりますからね。ですから、渡り鳥は、世界地図を横(東西)には移動せず、縦(南北)に移動する訳です。南北アメリカ大陸でしたら、カナダあるいはアラスカのほうからずっと南米のほうまで飛んでいくことになります。
図表10 渡り鳥の飛行路
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病原性の強いインフルエンザが鳥の世界で見つかったのが2004年のことですが、その時いち早く、『TIME』誌が2月9日号で「鳥のインフルエンザが次の(人間世界における)世界的大流行を起こすきっかけになるのではないか?」という特集を組みました。左横の写真は、タイで最初に犠牲になった子供さんですが、写真右下に「HELPLESS(助けようがない)」と書かれています。タイでは多くの患者さんが出たのですが、その症状である発熱、咳、鼻汁、咽頭痛、筋肉痛までは普通のインフルエンザと同じなんですが、次の「呼吸困難」は非常に特徴的な症状であります。
図表11 トリインフルエンザ特集を組んだTIME誌2月9日号
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呼吸困難の症状は発病感染者総数391名のほとんどに頻発しており、ほぼ100パーセントと言ってよいでしょう。肺のレントゲン写真でも、まっ白に写っており、肺炎がどんどん悪くなっていく様が見て取れると思いますが、その結果として、患者さんは呼吸不全や心不全、腎不全で亡くなります。ARDS(急性呼吸促進症候群)は、呼吸が逼迫(ひっぱく)して息ができなくなってしまう症状を指します。
「2003―2004年のベトナムのトリ(H5N1)インフルエンザ患者胸部レントゲン写真像」を見ますと、健常な人(A)ですと、肺には空気しか入っていませんから、向かって右側の肺のように空白の部分は黒く写ります。そこに肺炎が起こってきますと、白くなってきます。Aさん(8歳の女の子)は、ペットとしてアヒルを買ってもらったのですが、たまたま下痢をしていたそのアヒルは、鳥インフルエンザに罹っていたんです。この女の子は3日後に発病しましたが、幸い治癒しました。
図表12
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Bさん(16歳の女の子)は、病気のニワトリに接触し、5日後に発病して14日後に亡くなっています。その彼女の胸部写真(下段の3枚)ですが、5日目、7日目、10日目と日を追うごとに、両肺がどんどん白くなっていくのが判ります。こうなると、いくら酸素吸入しても駄目ですね。最後のCさん(24歳の男性)は、日本ではありえない話ですが、本来は処分しなければならない病気のニワトリを「どうせ殺してしまうのだから、食べてしまおう」と絞めた後に毛をむしったら、3日後に発病、6日後に亡くなりました。
こういった話はベトナムだとまだ現実にあります。以前、京都府の養鶏場で鳥インフルエンザが流行った時は、同じ鶏舎で生き残った何十万羽というニワトリも全て石灰をまぶして炭酸ガスで殺しましたが、ああいうことは他国でもやっているかというと、そうでもないんですね。
▼トリ型からヒト型へどのように変異するのか?
少しややこしい話になりますが、従来は「鳥のウイルスは鳥しか罹らない。人間のウイルスは人間しか罹らない。それは何故か?」という風にある説明がされていました。先ほど言いましたように、細胞表面のレセプターが、トリウイルスが識別するレセプターと、ヒトウイルスが識別するレセプターとでちょっと違うからです。どちらもシアル酸とガラクトースという砂糖の仲間ですが、それが繋がった配列をウイルスは認識します。
図表13
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繋がる連結器のところが、下にあるシアル酸の炭素――1番から6番まで番号が付いていますが、その2番目のもの――と、ガラクトースの炭素の3番目の間が酸素で手を繋いでいますが、この繋がり方をトリインフルエンザのウイルスは認識し、見分けます。一方、ヒトインフルエンザのウイルスは、2と6の間の結合を見分ける。このようなちょっとした違いや微妙なところが、感染するかしないかの分かれ目でした。
ところが、これまで「ない」とされていたトリ型の2と3の間の結合のシアル酸とガラクトースの結合が、人間でも肺の奥のほうまで行くと、そういうレセプターがあるということが、今回の流行で判ってまいりました。これを発見したのは、東京大学の医科学研究所の川岡教授のグループです。鳥が糞をする。あるいは、鳥が羽ばたきをした時に糞が舞い上がり、それを吸い込んだり、病気の鳥と接触したりすると、糞を深く吸い込んでしまって、肺の奥のほうで鳥ウイルスが感染する。ですから、非常に肺炎が起こりやすい。
図表14
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もうひとつは、肺の奥のほうでウイルスが殖えるため、なかなか外へ出にくい。ところが、ウイルスが肺の奥で殖えている間に、もし変異が起こり、通常のインフルエンザと同じように、喉や気管で殖えるように変異しますと、咳やくしゃみで外へ出やすくなる。そうなると、人間から人間へと、ずっと拡がっていきます。これが世界的に大流行しますと、「パンデミック」になるということです。
では、いつその「変異」が起こるのかということが、世界中の心配なのですが、今までの患者さんのうちの210人ほどをWHOが調査しました。その結果がこちら(『H5N1症例の年齢群分布』省略)です。10歳以下、10歳代、20歳代、30歳代と分けますと、これまでは、主に若い人が発病しており、40歳以上のお年寄りは少ない。発展途上国では、お年寄りが遊んでいて、若い人が働いているという社会情勢も関係しているかもしれませんが、いずれにせよ、10歳以下の子供たちが非常に多く発症しているという事実がございます。
もうひとつは、発展途上国のことですから、発病してから入院するまでの日数が非常に遅れております(『H5N1症例の発症から入院までの日数分布』省略)。2日以内に入院した人はこれだけしかおりません。だいたい1週間かかっております。皆さんご承知のように、インフルエンザには「タミフル」という特効薬がございますが、この特効薬は感染後、48時間以内に服(の)まないと効きません。つまり、発症してから2日以上経過した後に入院してきた患者さんにタミフルを服ませても、もはや効かないんですね。だから死亡率が高くなるということも言えます。
もうひとつは「発病してから死ぬまでの日数」(『H5N1症例の発病から死亡までの日数』省略)ですが、だいたい1週間から10日ぐらいのところにピークが訪れます。(先ほどの例からみましても、)発症してから入院するまでに1週間かかるとしますと、実際は、ほとんどの方が入院してから2、3日で亡くなっているという状況が、このグラフから読み取れます。
しかし、これがもし日本ですと「熱が出てすぐ病院へ行き、処方してもらった薬を服めば、入院する必要はない(悪化しない)のだろうか?」あるいは「致死率はもっと下がるのではないだろうか?」といったことも考えられますし、日本政府もタミフルを3千万人分ほど備蓄していることからも、ずいぶん事情が異なります。表に出てくる「病原性が強い」という話は、そのまま鵜呑みにはできませんが、肺の奥で感染が起こり、肺炎を起こしやすいということは、気を付けるべき点でございます。
▼新型インフルエンザは中国から始まる
過去100年のうちに、A型インフルエンザ―これは世界的大流行を起こす病原性の強いウイルスです―が4回大流行しています。一番最初が1918年の「スペイン風邪」ですが、先ほど三宅善信先生もおっしゃいましたように、当時、世界中で2千万人ほどが亡くなったと言われています。
図表15
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実はこの「スペイン風邪」、スペインが発祥地ではありません。第一次世界大戦が勃発し、アメリカから大挙して新兵が船に乗せられてヨーロッパに送られました。当時、アメリカでインフルエンザが流行っていて、潜伏期の間に船に乗り込んだ新兵さんが船内で発病し、新兵さんたちの間で拡がった。それをそのままヨーロッパ大陸に持ち込んだのですが、ヨーロッパ各国は戦争をやっていますから報道管制が敷かれており、インフルエンザのことは報道されなかったんです。その中で、唯一スペインだけが報道を規制しなかったため、スペインからどんどん風邪の情報が出ました。このことから「スペイン風邪」と命名されましたが、実はアメリカ産です。
それから、中国から起きた1957年の「アジア風邪」、1968年の「香港風邪」、1977年の「ロシア風邪」―当時は「ソ連風邪」と呼ばれていましたが、現在は「ロシア風邪」と呼ばれています―は、いずれもH1N1やH3N2といった組み合わせの4種のカモのウイルスが、いったんブタに感染した後にブタからヒトへ感染が起こっています。「何故、ブタが感染するのか?」といいますと、ブタの体内には2―3の結合しているシアル酸とガラクトースのレセプターと、2―6の結合しているヒト型のレセプターの両方が気道にあります。
図表16
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ですから「ヒトの間にインフルエンザが流行していて、アヒルやカモが別の型のインフルエンザに感染している。そこにブタが一緒に棲んでいる」というような状況がありますと、「ブタがヒトとトリのウイルスに同時に感染して、ブタの気道の細胞内で間の子のインフルエンザウイルスが生まれ、トリのウイルスがヒトに感染できるようになる」ということが起こる訳です。そういった間の子が、上気道(喉)のほうで感染が起こるようなウイルスにもう一度変異しますと、この新型ウイルスがどんどん外へ排泄されて世界的な大流行が起こるということです。
ブタとヒトとアヒル、カモが渾然一体となって暮らしているところが中国南部で、これまで、世界的に大流行したアジア風邪や香港風邪といった新型インフルエンザはすべて、中国から出てきています。今、心配されている世界的大流行(パンデミック)について、WHOは警告ステージを1から6までに段階を分けています(『インフルエンザパンデミックに関するWHOの警告期分類』省略)が、1と2は「パンデミック間期」と呼ばれ、動物で新型ウイルスは見つかっているが、人の発症はないレベルですが、現在は3のところで、「パンデミック警告期」という「もうすぐパンデミックが起こるぞ」という時期で、新型ウイルスによる人感染が起こっている。ただし非常に限局されており、人から人にそんなに拡がっていないため、3に留まっています。これがもう少し人から人へ感染するようになるにつれ、4から5へと移行し、どんどん拡がるようになると、ついには6の「パンデミック期」となり、おそらく世界中がパニックに陥る時期でございます。
こういったことに対して「どういった対策を立てるか?」ですが、すでにWHOを中心に各国が対策を練っております。一番初めに「タミフルを備蓄する」そして「新型ウイルスに対するワクチンを開発して備蓄する」3番目に「対策行動の計画を立てて、ガイドラインを作っていく」の三本立てでいこうと進められています。タミフルはあらゆるインフルエンザに対する特効薬で、48時間以内に服むと、だいたいはざっと熱が下がり、翌日には平熱まで熱が下がる人もいます。ところが、中には、タミフルを服んでる患者さんの体内で耐性のウイルスができてしまい、薬が効かなくなる。このような耐性のウイルスが出てくると、患者さんが亡くなるといったことが起きます。これを警告する論文は、もう2、3年前に出たんですが…。
これは13歳のベトナムの女の子のレントゲン写真(省略)ですが、お母さんがH5N1型の新型ウイルスに感染し入院していたのを看病していました。お母さんが亡くなった後にこの子が発病したんですが、この胸部X線像をご覧ください。入院時は発病して1日経った後ですが、順に見ていただくとよくお判りいただけると思いますが、どんどん肺が白くなっていくのが判ります。ドクターはこの子が発病した後すぐに、75ミリグラムと大人並みにタミフルを処方したのですが、効かなかった。こういった患者さんは結構たくさんおられて、日本で論文が出るほど耐性のウイルスができてきています。ですから「タミフルを服んでるから大丈夫」という訳でもなく、本当に流行ってきた時、医者としてはタミフルの使い方が難しいと思います。
▼プレ・パンデミックワクチンについて
今度はワクチンですが、新型インフルエンザに対するワクチンは、現在プレ・パンデミックワクチンと、パンデミックワクチンの2種類に区別されています。プレ・パンデミックワクチンは、パンデミック(人間同士の爆発的流行)が起こる前に患者さんから取ってきたウイルス(トリ→ヒト感染のインフルエンザ)を元にしてワクチンを作っています。ですから、本当に流行がドーンと起きた時(パンデミック期)には、実際にそれが効くかどうか判らない面があります。
パンデミックワクチンというのは、実際に大流行が起こった時に、大流行の波を浴びて発病した人からウイルスを取ってきて、それでワクチンを作るので、必ず効き目があるのですが、ウイルスを分離してワクチンを造るには、どれだけ最短で見積もっても6カ月かかります。ですから、世界のどこかで新型インフルエンザが流行り出した直後に、ウイルスを取ってきてワクチンを造ろうとしても、6カ月先までできない。しかも、100万人分だったら6カ月後にできるけれども、1千万人だったらとても無理という状況ですから、非常に難しい。そのため、現在はパンデミックが起こる前ですけれども、危険性が予測されているウイルスを種にしてプレ・パンデミックワクチンを備蓄しておこうという段階です。
今度は「どのタイミングでプレ・パンデミックワクチンを接種すれば良いのか?」という問題ですが、ワクチンは接種してから実効性が発揮されるまでに2カ月かかります。ワクチンは初回と1カ月半後の2回注射を行うんですが、2度目の注射から1カ月ほど経ったころから、ようやく予防効果が出てくるようになります。ですから、大流行する2カ月ほど前に接種しておかないといけない。
では「その時期がいつか?」ということですが、日本では「パンデミック警告期のフェース4(他国で流行が起こり出したが、日本ではまだパンデミックは起こっていない)の時期に至ったらワクチン接種を始めよう」ということになっています。日本では対策用のワクチンの準備を2004年からスタートさせましたが、これがいったいどのようなワクチンかと言いますと、厚労省、総合医療機構といった新薬の審査をする機関、国立感染症研究所、それから、私どものようなワクチンメーカーの四者が共同して、WHOと連絡を取りながら開発しました。
通常のワクチンですと、インフルエンザのウイルスを潰して表面の髭(HとNの型式を見分ける部分)のタンパク質だけを生成するんですが、それだと「効きが悪い」ということで、このワクチンはインフルエンザウイルスそのものをきれいに生成し、ホルマリンで感染性をなくしてワクチンにしています。しかし、それでもまだ効きが悪いため、幼児期に接種するDTPワクチン(註:ジフテリア・破傷風・百日せきの三種混合ワクチン)でアジュバント(註:薬物の作用を修飾(増強)するために加えられる試薬)として使われる水酸化アルミニウムを添加したワクチンになっています。
現段階で、私ども阪大微生物病研究会も含めて日本で2千万人分ぐらい備蓄されており、現在も継続して造られていますが、最終的には3千万人分ぐらいを備蓄する計画です。通常、ワクチンを薬として世に出す前には臨床試験をしなければなりません。このワクチンは一昨年から臨床試験を始めて今年認可されたんですが、国立病院の医療関係者の方々に臨床試験に参加してもらったため、データの母数が300人ぐらいの少人数の上、20歳から60歳前までの人しか試験に参加していませんでした。現在は、0歳から18歳までの子供でも臨床試験を行っています。
実際に承認を受けたのは私どものワクチンと、東京の北里研究所の2社だけですから、この2社で3千人ずつの大規模な臨床試験を行っております。実はこのワクチンには、ちょっと細工がしてあります。イギリスにある「National
Institute for Biological Standards and Control(生物学的基準と規制のための国立研究所)」という研究機関で細工を加えているんですが、それはどんな細工かと申しますと、新型インフルエンザウイルスをそのままでワクチンにするのは非常に危険ですから、トリインフルエンザウイルス―これはベトナムで2004年に亡くなった人から取ってきたウイルスですが―の遺伝子のうちで、表面のHとNの髭の遺伝子だけを取ってきます。それをDNAに転写し、大腸菌のDNAに入れてしまいます。
もうひとつは、1934年にプエルトリコで取れた弱毒性のウイルスがございまして、そのウイルスから残りの6種類の遺伝子を取ってきて、同じように大腸菌の遺伝子の中に入れてしまいます。このDNAを犬の腎臓細胞で培養しておき、ここに電気ショックをかけます。そうするとDNAが入るんですが、ウイルスが勝手に出てきます。そういう遺伝子操作をしています。
何故こんなことをするかと申しますと、ひとつはワクチンを作っている所で働く人の感染を防ぐということ。それから、ワクチンはニワトリの有精卵で作りますから、トリの病原性が強いウイルスを種にしますので、強いままのウイルスですと、ウイルスが殖える前に培地になる卵が死んでしまい、ワクチンにならない。そういったことがあったので、こういう手法を採っている訳です。
新型インフルエンザのプレ・パンデミックワクチン製剤 |
この写真が、私たちが作りました新型インフルエンザワクチンの外箱と中身です。普通のワクチンですと、1人分ずつ別パッケージで0・5ミリリットルの包装になるんですが、これは緊急用ですから一時に大量の人に接種することを考えて、10ミリリットル入りで20人分になります。このワクチンの認証試験の成績がどれぐらいあれば有効かといいますと、「免役がこれだけできれば感染が予防できるか」という率が70パーセントほどです。ですから、100人いれば70人は感染が防げるということですね。ただし、下の括弧内に記されているように、20歳から39歳までの若い人だけを抽出して計算しますと84パーセントという高い数値が出ています。歳を取って免疫力が落ちているお年寄りですと、60パーセントぐらいしか効かないだろうということが言えます。
しかし、発病を防げずとも軽い症状で済む可能性もありますので、やはり、事前の対策としてワクチンは有効だと思います。このように、私どものプレ・パンデミックワクチンは効くのは効くんですが、下に書かれているように「注射局所の発赤や疼痛」といった副反応(註:一般的な治療薬の場合、投与目的以外の作用は「副作用」と呼ばれているが、ワクチンの場合は、投与した外来物質の化学的作用を期待して投与するわけではなく、投与した外来物質に対する生体反応(免疫)を期待して投与するので、ワクチン投与に伴うものは副反応と呼ぶ)が見られます。
通常のインフルエンザワクチンですと、10パーセントも赤くなる人はいないと思いますが、この場合ですと、77パーセントもの人に発赤の副反応が見られます。先ほど申し上げたように、このワクチンはウイルス粒子をそのまま使っていることと、水酸化アルミニウムのアジュバントを入れているということがあるため、これぐらい副反応が出るのだと思います。通常のワクチンですと、これだけ高率(77%)の副反応が出た時点で認可が下りません。しかし、今回の場合、相手の病気が「生きるか死ぬか」という非常事態ですから、厚労省も少々の副反応があったとしても、認可することは止むを得ないのだと思います。外国のワクチンでも、同じぐらいの効き目で同じような副反応が出ていますから、日本のものが特に悪いという訳でもありません。
しかし、このワクチンを実際に使うかどうかについては、論争がありまして、慎重な先生方は「副反応のリスクが大きすぎるのではないか?」と言い、別の治験をやっている先生は「流行を抑える効果が期待できるワクチンを作るほうが良いだろう」と言っておられます。「リスクと効果の兼ね合いをどう考えるか?」という話です。
▼もし、パンデミックになったら……
厚労省は、他にもこのようなガイドラインをいっぱい出しています。その内容は、医療機関から一般家庭に至るまで様々です。こちらは「感染を水際(みずぎわ)作戦で止めよう」という『新型インフルエンザ対策法』の記事ですが、例えば外国に駐在している日本人が、その国で新型インフルエンザが流行りだした場合、「健康な人は帰ってきなさい。熱を出した人は現地でしばらく帰国を待ってください」となります。また、国際線の発着している日本の空港(註:地方空港も結構、定期チャーター便が近隣のアジア諸国向けに飛んでいる)は、成田、中部、関西、福岡の4つの空港以外は発着禁止になります。港ですと、横浜と神戸と関門の3つだけ。
また、外国から帰ってきた人がSARS(註:2002年から2003年に流行した重症急性呼吸器症候群)の時にあったような形でチェック(註:入国者全員が赤外線センサーで体温検知され、38℃以上の人は精密な検査をされた)されます。感染の恐れのない人はそのまま自宅へ帰れますが、ちょっと熱が出ている人は、空港で足止めされ精密検査を受けることになるなどといったガイドラインが出ております。
それから、ワクチン接種についてですが、現在3千万人分ほど備蓄されているのに対し、日本人は1億2千万人ほどいますから、希望しても全員が接種できるわけではなく、優先順位がございます。どのような順番でワクチンを接種するかと申しますと、一番最初にワクチン接種を受ける人たちは、やはり医療機関の先生やスタッフ、あるいは保健所の職員です。いろいろ細かく決められておりますが、この表(2008年9月19日付日本経済新聞記事『プレ・パンデミックワクチン接種対象者』の新聞記事参照)のずっと下段へ下がるほど接種の優先順位が後になるんですが、それでも、一般市民はこの中に含まれてすらおりません。とにかく医療機関、治安維持関係、生活に必要なライフラインの仕事に従事している人が最優先になります。
また、亡くなる人が一杯(註:日本国内で最大64万人が死亡すると予測される)になりますから「おそらく火葬場が溢れかえるだろう」ということで、一番最後の行に火葬、埋葬業に従事する人たちもワクチンの接種対象者に挙げられています。残念ながら、皆様方宗教関係の方々は、この中には入っておりません(会場笑い)が、もう少しワクチンの量が増えてきたら、われわれ一般市民にも回ってくると思います。私はワクチンを造っている財団法人(阪大微生物研究会)に勤めておりますが、そこの職員もまだ接種できないんです。私共の倉庫の冷蔵庫にはワクチンがキチッと封印されて入っているのですが、「使ってよろしい」というお触れが出ません。
では、「仕方がないから、家籠もりしよう」という場合にも、ガイドライン(2008年9月11日付日本経済新聞記事参照)が出ています。「2週間分の食糧やマスク、常備薬等を確保して2週間自宅で過ごせば、何とかやり過ごせるのではないか?」ということですが、実際には家から外に出ないで生活するのは難しいでしょうね。それから企業に対してもガイドラインが出ていますが、最終的にはこのように様々な立場でシミュレーションし、流行が過ぎていくのを待つということになろうかと思います。
インフルエンザに罹ると咳が出ますが、その咳を人前でブワッとやりますとウイルスをまき散らすことになります。その時は、ティッシュで口と鼻を押さえ人様の顔を避けてする。そして、そのティッシュはビニールに入れ密封して持ち帰るようにする。SARSの時は多くの方が入院しましたが、その時のカナダの看護師さんが病室へ入る前の写真です。
病室前のナースのいでたち |
二重ドアの病室に患者さんを入れている訳ですが、その前の扉には「STOP」と大書きされたチェックリストが貼ってあります。看護師さんは、このようないでたち―ヘアーキャップ、マスク、エプロン着用―で、その都度、チェック項目を確認して室内へ入ります。チェックリストの横には「Both
doors be kept closed at all times」と書いてあり、両側の扉はいつでも閉めてあります。廊下側の扉を開ける時は内の扉は閉まっている状態で、次に廊下側の扉を閉めてから内側を開けます。このように「面会は絶対駄目」という状況が必要になります。
こういったキチッと感染を防げるような病室は、大阪では関空の地元にある泉佐野病院に2床と、堺市民病院にいくつかありますが、全部で10床あるかないかです。他は、国立大阪病院で入院しておられる患者さんを他病院へ移して、病院全体を開放してインフルエンザの患者専用の病院にするとか…。そういう対策でも取らない限り、実際、患者の受入れは不可能だと思います。
ここまで新型インフルエンザの話をさせていただきましたが、新型が流行っている時に、同時に従来型のインフルエンザも流行るかもしれません。その場合、どちらのインフルエンザに罹ったのか判りませんから、通常のインフルエンザも予防しておいたほうが良いです。一般的なインフルエンザ対策ですが、毎年、流行前にワクチンを打って免疫を作っておく。流行ってきたら、疑わしい患者さんには簡単に抗原診断ができますので、診断してインフルエンザと判ればタミフルを処方しておくのが良いかと思います。
今シーズン用の従来型のインフルエンザワクチン |
今年のワクチンは、表に書いてあるような株が含まれており、去年のワクチンに含まれていた株とはそっくり変わり、新しい株で作られています。今年のワクチン株は、2007年にオーストラリアのブリスベンで取れたH1N1型、南米のウルグアイで取れた香港型のH3N2型、そして2006年にアメリカのフロリダで取れたB型のウイルス。こういった株はすべて、WHOからの「今年はこういう株で造ると良いですよ」という推奨を受けて造られます。北半球と、南半球とでは、インフルエンザが流行する冬が半年ずれていますので、前の冬に南半球で流行ったインフルエンザのデータを元にして、今の北半球のウイルスの推奨を行う。そして北半球で流行ってきますと、次のシーズンの南半球用に…。このような準備を、WHOが中心になってやっています。
いろいろお話させていただきましたので、皆様にお解りいただけたか心配ですけれども、今日の資料の中に、割に細かく書かせていただいたものを入れておりますので、そちらもまたお読みいただければ幸いと思います。どうもご清聴有り難うございました。
(連載おわり 文責編集部)
国際宗教同志会 平成20年度第3回例会 記念講演 質疑応答
『懸念される新型インフルエンザのパンデミックに備えて』
大阪大学 名誉教授
阪大微生物病研究会 理事
上田重晴
2008年10月9日、金光教泉尾教会の神徳館国際会議場において国際宗教同志会の平成20年度第3回例会が、神仏基新宗教各宗派教団から五十数名が参加して開催された。記念講演では、(財)阪大微生物病研究会理事の上田重晴博士から、『懸念される新型インフルエンザのパンデミックに備えて』と題する講演を頂き、引き続き、三宅善信国際宗教同志会事務局長の司会進行で質疑応答を行った。
質疑に丁寧に返答される
上田重晴医師 |
司 会: ただ今は、上田先生から、われわれ(医学の)素人にも非常に解りやすいように、図表なども交えてインフルエンザが流行する仕組みについて説明をしてくださったご講演を聴かせていただきましたが、これから約30分間、質疑応答の時間を取らせていただきますので、ご質問のある方は、挙手をしてご所属お名前等をおっしゃってから、ご質問を頂けたらと思います。
私などは、厚労省の専門委員会の『プレ・パンデミックワクチン接種優先順位リスト』を見て、「火葬場関係者は接種してもらえるけれども、坊さんが居なかったら、亡くなった方々を誰が弔うんだ?」(会場笑い)と、素直に疑問に思ってしまいました。そういう訳で、是非、宗教家もワクチン接種の優先リストに加えてほしいものですけれども…。
国際宗教同志会では、毎回いろんな分野の第一人者の先生方を講師にお招きしてお話を伺っています。それでも、なかなか理科系の先生のお話を伺う機会は少ないですから、この際、どしどしご意見・ご質問どうぞよろしくお願い申し上げます。
西田多戈止: 一燈園の西田多戈止と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。司会の三宅善信さんは、善信さん流の言いまわしで、ワクチン接種順位の問題点を指摘してくれましたが、私たち宗教者は、なるべく「良いことは他の方へ先を譲り、われわれは後から行く」という立場だと思います。ですから、先ほど拝見した『プレ・パンデミックワクチン接種優先順位表』のカテゴリーに宗教者が入っていなくともやむを得ないと思いますけれども…。
トップを切って西田多戈止一燈園当番が質問 |
とはいえ、現状に甘んじている訳にもまいりません。そこで、予防を推進していくのに何が一番有効か? といいますと、どうもマスクをするのが一番有効なような感じがしますが、その辺り、何か特別なマスクなどあれば、早めに準備をしておいたほうが良いことなどありましたら、ひとつ教えていただけたらと思います。
上田重晴: 一番最後のほうでお見せしたスライドに「2週間、家に閉じ籠もれ」といった内容の新聞記事を紹介しましたが、あのスライドでもいくつか説明がありました。しかし、呼吸器を介して伝染していく病気は、予防することが非常に難しいです。とはいえ、人々に「息をするな!」と言う訳にもまいりませんから、今おっしゃったように「マスクを使う」ことになります。マスクと一口に申しましてもいろいろございまして、最も厳重に予防できるマスクとして「N95」というウイルスも通さない工業用の防塵マスクがあります。
これは、われわれがエイズの病原体を扱う実験を行うために特殊な実験室の中に入る際にするようなマスクですが、このマスクの欠点は、空気の通りも悪くなりますので息苦しい(会場笑い)。そこが問題です。おそらく1時間も装着したら、息苦しくて着けていられなくなると思います。もしもパンデミックになったら「医者もこのマスクを装着するように」と言われていますが、1時間交代で治療にあたるなど方法はあるかもしれませんが、実用的でない。そこで「これが良いだろう」と言われているのが、外科医師が手術を行う時に着ける外科用マスクです。こちらは比較的病原体を通さずに、呼吸も楽にできるということです。このマスクは薬局でも市販されていると思います。
もうひとつは、呼吸に限らず、患者さんの唾(つば)が落ちたりした時に、それをたまたま手で触り、汚染されたままの手で自分の鼻や口を触ったことが原因で、粘膜からウイルスが入ってくる可能性がありますので、手洗いも十分に行う必要があります。それから、やはり喉が最初の感染の場になりますから、外出から帰宅した際は、必ずうがいをすることですね。うがいは水道水だけでも良いんですが「イソジンガーグル」などの―あれはヨード剤で、色が茶色い間は成分が有効です―を適当な濃さに薄めて使うと良いです。このイソジンは、ウイルスも黴菌(ばいきん)もカビも殺しますから、他の病気も含めて、瀬戸際で侵入をストップさせることができます。
ですから、「外出時はマスクを着ける。帰ってきたらうがいと手洗いをする」といったことが基本になるかと思います。インフルエンザは食べ物で感染する訳ではありませんが、鶏肉は加熱することが推奨されています。今のところ、日本は大丈夫なんですが、アフリカなどでは鳥インフルエンザが流行って鶏の肉が手に入らなくなったということで、少し遠いところから輸入しようかとなってきます、やはり鶏肉が汚染されている可能性が高まります。今、アフリカでは、ブラジルから鶏肉を輸入している国もあるようですが、そういうこともありますので、鶏肉を生で食すことは控えたほうが良いでしょう。
それから、鶏を料理する時にはまな板や包丁を使いますが、このまな板や包丁が汚染されると、次の食べ物にも汚染が拡がっていきます。ですから、料理する時にも順番があります。今、仮に消毒したまな板や包丁が目の前にあるとします。まず、野菜から調理し、それから肉を使い、最後に消毒するなどすれば、たとえ汚染されていても熱をかけて食べれば心配要りません。そういった注意をしていただくということでしょうか。
司 会: 有り難うございます。ちょうど来週から、私はフィリピンへアヒルの養殖現場を視察に行くのですが、今日のお話を伺いますと、一番危険なコースを辿ることになりそうです。ですから、私の帰国後は、皆様しばらく近づかないほうが…(会場笑い)。
実は、新型インフルエンザに限らず、従来型のインフルエンザも、毎年ちょうど10月の中頃になりますと、今冬用のインフルエンザワクチンの予防接種が始まります。上田先生が先ほどおっしゃっていましたが、たとえ、今すぐ予防接種を受けたとしても、抗体ができるまでにしばらく時間がかかります。確か60歳以上は安く接種を受けることができるんでしたよね?
上田重晴: はい、自治体ごとによって多少条件は異なりますが、補助金が出たと思います。
司 会: ですから、まずは、せめて従来型インフルエンザに罹らないように、予防接種を受けておくことも大事ではないかと思います。他にどなたか質問はございますか?
文屋範奈: 文屋範奈と申します。私は普段ゴスペルシンガーとして活動しているんですが、それ以外にも近畿大学で英語を教えたり、ラジオで国際問題に関するコメンテーターをしたり、日本のいろいろな企業を海外に紹介するような仕事、特に安全保障関連の輸出入―別に兵器を売ったりしている訳ではないんですが―を手伝ったりしております。
宗教団体の対応について質問する文屋範奈氏 |
上田先生、本日は貴重なお話を有り難うございました。質問させていただきたいと思います。新型インフルエンザが拡大感染していく際、パンデミックが起こるまでにいくつかの段階があると思うのですが、その過程で専門の医療機関(病院)がパンク状態になり、学校の体育館やこういった宗教施設を借りて収容した患者に医療を施さなければならなくなる可能性があると聞いたのですが、宗教団体はそういったことに対して、どのような対策や心づもりをしておけば良いのでしょうか?
次に、一度に多くの方々が死亡された場合、先ほどもお話に出てきましたが、お葬式はできるんでしょうか? こういった場所(宗教施設)は不特定多数の人が集まる場所でもありますので、どういった対策をしておけば良いのか? どういう注意事項が出たらどうすれば良いのか等々、概略で結構ですので、お聞かせ願えたらと思います。
上田重晴: 今そういった細かい事柄において、どの分野でどういったことをすれば良いよいのか? といった行動対策に関して、厚労省が専門家間の会議を通じてまとめあげたガイドラインが作られ、ホームページでアップされています。厚労省のホームページを開いて、分野別の項目欄に「健康」欄がございます。ここへ入りますと、パンデミック時のあらゆるガイドラインがすべて出てきますので、そこをご覧いただくと良いです。実際にお葬式はどうするのか? 埋葬はどうするのか? といったことまでキチンと出ております。
ただ、ガイドラインを読んでいきましても「実際、こんなことができるのか?」とか「これで大丈夫なのか?」と感じる箇所も多々あります。しかし、「ガイドライン」とは、あくまで一応の取り決めですから、そこに各地域の特殊性や状況の特殊性を加味して、実際にどのようにしたら良いのかということは、現場、現場でやっていかなければならないと思います。
また、読んだだけですぐに実施できるものでもないと思いますから、シミュレーション(演習)してみることが大事ですね。例えば「患者さんが出た時、輸送をどうするのか?」ということでも、SARS(註:2003年に流行した重症急性呼吸器症候群。通称「新型肺炎」)の時を思い出していただければ、だいたい想像が付くかと思います。SARSの時は、患者さんの出した唾を介して汚染されていくため、あまり空中にばらまかれることはなかったんですが、インフルエンザのウイルスは患者さんの呼吸によってドンドン空中にばらまかれますから、その点は全く違います。
また、SARSの場合は、潜伏期間(病原体を吸い込んでから発病するまで)が1週間ぐらいありましたが、インフルエンザの場合はたったの2日ですから、流行の拡がるスピードが全然違います。そういうことから推察してみても、おそらくSARSの時以上に凄い状況が生まれてくると思います。ですから「どう対応するか?」という問いに関しては、現場、現場で集まってやってみないと仕方ないかと思います。
基本的に呼吸器を介して感染してゆきますから、人が集まるところが一番危険なところとも言えます。通勤電車も学校もそうです。だいたい通常のインフルエンザも、子供が学校でうつし合いをした後に家へ持ち帰り、次に家の中で拡がることになっています。ですから、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんと子供がいるような家庭で、現在子供が小中学校へ行っているような状況ですと、その家のお年寄りは非常に危険な状況になります。ですから「2週間閉じこもり」といっても、実際にはなかなか難しい話です。
司 会: 他にどなたか居られますか?
山田 歌: 大本本部の山田歌と申します。貴重なお話を有り難うございました。いろいろ先生にお聞きしたいことがあるのですが、まずひとつ目が、専門家の方は「いつ襲来する」といった時期に関しては明言されませんが、先生のお考えとしてはだいたいいつ頃なのか? あるいは、時期が限定できないということであれば、現状は非常に危険な状態であるのか? ということをお聞きしたいです。
ワクチンの備蓄について質問する山田歌大本本部主事 |
それからもうひとつ、日本の厚労省が発表しています「死者数予想」として64万人という数が上がっていますけれども、さきほど先生がおっしゃったように、致死率が60パーセント以上という状況で、本当に犠牲者数64万人で済むのか? ということをお聞きしたいと思います。それから先生がお造りになっているワクチンはプレ・パンデミックワクチンと理解してよろしいでしょうか? このワクチンを何故国民全員分に相当する数(1億2千万本)を造らないのかお聞きしたいです。
上田重晴: 最初のご質問の「何時、パンデミックは起こるのか?」ですが、これは誰にも判りません。ただ少し前までは「果たして新型インフルエンザは来るか、来ないか?」という状況だったんですが、現状ではそれを通り越して「いつ来るか?」という状況になってきております。さきほどお見せしたスライドにもありましたが、鶏から感染したウイルスは肺の奥だけで増殖しており、そこで変異を起こしていないため助かっています。看病している人もたまには病気になりますが、その家族から拡がる要素はありません。
しかし、ウイルスのことですから、いつ変異が起こってくるか判りません。いったん気道の上のほう(喉)で感染できるような変異が起こりますと、これはもうあっという間に拡がっていくと思います。現在、WHOが指定した研究機関が世界中にあり、そういった機関が現場でウイルスのチェックを行っておりますが、今のところは遺伝子を解析しても変異がないため助かっております。しかし、そういう状況ですので、「現地で患者さんから採れたウイルスを遺伝子解析したところ、変異が認められた」というニュースが入ってきたら、これはもう危険信号です。それをひとつの目安にしないと、仕方がないのでは、と思います。
それから、2つ目の質問を最後にお答えするとして、3つ目の質問「何故、国民の数だけ備蓄しないのか?」ということですが、今、日本国内でインフルエンザのワクチンを通常に製造している4つのメーカー(註:阪大微生物病研究会、北里研究所、化学及血清研究所、デンカ研究所)があるのですが、いずれも規模はそんなに大きくありません。ですから、その4つのメーカーが一所懸命造ったとしても、半年で2千万人分ぐらいしか造れません。現在は、通常(従来型)のワクチンを半年かけて2千万人分造っておりまして、それが8月の終わりぐらいになると終わりになり、その後、備蓄用のプレ・パンデミックワクチンを2月ぐらいまで半年かけて、再び2千万人分ぐらい造る訳です。そういう状況ですので、1億人分造ろうとすると結構時間が必要(5年間)になるという、メーカーサイドの事情がございます。
ただ、先ほどのスライドでも説明しましたが、この新型インフルエンザ対応のプレ・パンデミックワクチンは副反応が結構出るため、のべつまくなしに注射するということはなかなか難しいです。おそらくワクチン接種による副反応で、重篤に陥るケースが起こる可能性もありますので、厚労省の役人も頭を悩ましていると思います。現在、6千人規模で、全国の国立病院機構のスタッフの方々に参加していただいて治験を行っていますが、6千人というと、相当な数になるんですけれども、やはり1千万人、2千万人の規模になりますと、副反応のほうももっと大変なことになります。ワクチンをすることによって、副反応のパニックが起こることも恐れているところなんですね。
ただ、いったんパンデミックになったらそんなことを言ってられませんから、先ほどのカテゴリーのように優先順位を付けてワクチン接種しようかということです。仮にワクチンが安全で、実際に流行が防げるということになれば、多分国民の皆様にも行きわたるような政策がとられると思います。しかし、まだまだ一般市民の方にはほど遠い話ですから、もし、パンデミックが起こったら、まずは人の集まるところには行かないで、なるべく家に必要な備えをしておき、必要以外の外出を避けることですね。
それから2つ目の致死率に関するご質問ですが、今の状況(高病原性ウイルスのまま)で新型インフルエンザが日本に上陸してきた場合、多分、私は64万人では済まないと思いますね。日本は医療機関が比較的整備されていますし、国民の栄養状況も良いです。「栄養状況が良い」ということは「抵抗力がある」ということですから、これまでに死者の出た途上国のようなあんなに高い致死率にはならないだろうと思いますが、64万人というのはちょっと少ないかもしれませんね。
上田重晴: これは、私の個人的な考えなんですけれども、これまでのところ、新型インフルエンザは肺の奥のほうでウイルスが殖えているため、肺炎が重症化します。重篤な肺炎が起こるため、60パーセントもの患者が呼吸困難で死んでしまう訳です。もし、このウイルスが変異して喉のほう、つまりもっと気道の上のほうで増殖するようになりますと、感染はし易くなりますが、逆に、そんなに簡単に肺炎は起こさないだろうと推測しています。ですから、大流行は起こりますが、そうなった場合、症状が軽くなる可能性があります。
スペイン風邪の流行時には4,000万人が亡くなっていますが、あれは100年近く前の話であり、なおかつ欧州では戦争(第1次世界大戦)もやっていましたから、状況が悪かった。それに比べると、現在はタミフルもありますし、「ひょっとしたら、もっと病原性が弱くなった形で流行するんではないか?」―これは私だけではなく、ウイルスを研究している学者には、そういうことを考えている人がかなり居ります―という説もあります。
もし感染しても、病気を起こす場所によって病気の重さは変わってきますから、「アジア風邪(註:1957年に香港で始まったH2N2型のインフルエンザ。犠牲者数はスペイン風邪の10分の1)が出てきた頃と同じか」といった楽観論を唱える人もおります。ですから、新型インフルエンザに罹ることは罹るんですが、今の予想ほど大流行にならないのではないかとも言われています。そうすると、「日本国内でも64万人も死なないかもしれない」という予測も出てくる訳です。今(高病原性)のまま流行(はや)れば、とても64万人という犠牲者数の見込みは少な過ぎるけれども、実際起こってくる時には、ウイルスが変異して弱毒になっているのではないかという期待も一方にある訳です。
インフルエンザは毎年々々ちょっとずつ変異していくのですが、ワクチンを造ったウイルスとはちょっと違ったウイルスが毎年インドネシアや中国で流行っております。そんなこともあって追っかけっこのような形です。新しいウイルスに応じてワクチンを備蓄しているんですが、動物実験をしてみますと、ちょっとぐらい変化していても、在来型のワクチンでもある程度感染を防御してくれるんですね。そういうこともありますので、近い将来、パンデミックするであろう新型インフルエンザが、同じH5N1型ウイルスだったら、今のプレ・パンデミックワクチンとして備蓄しているワクチンも結構効くのではないか? と期待が持てます。
司 会: 有り難うございます。そのパンデミックワクチンの製造についてお尋ねしますが、ワクチンは通常、鶏の有精卵を使って製造されますが、ヒトの新型インフルエンザは、まず鳥の新型インフルエンザの大流行から派生するわけですから、まずワクチン製造工場のための養鶏場の鶏が鳥インフルエンザで先に死んでしまうと、また、仮に生き残ったとしても、鶏小屋に残った鶏は2次感染を防ぐために皆処分されてしまいますから、ワクチンそのものが造れなくなる可能性はないのでしょうか?
上田重晴: 2004年に日本で鳥インフルエンザが問題になりましたが、私どもは香川県観音寺市にワクチン製造所を持っており、その近辺にある3つの養鶏所から有精卵を仕入れています。その養鶏所には私どもと養鶏所の双方がお金を出しまして、密閉した鶏舎を造りました。野鳥だけでなく、部外者も簡単に入れないようになっています。先日も厚労省の方から「卵の施設を見に行きたい」と申し出があったのですが、中に入れてもらえませんでした。それぐらい厳重に管理しています。もうひとつは、厚労省のほうも2年前に70億円ぐらい出して、全国のワクチンのために卵を作っている会社に手当を出しておりますので、日本のワクチンメーカーが委託している養鶏業者は、まず大丈夫だと思います。
司 会: 有り難うございます。それから「大流行がいつ起こるか?」という話ですけれども、過去100年の間に1918年のスペイン風邪をはじめとして、57年がアジア風邪、58年が香港風邪、77年がソ連風邪―最近はロシア風邪とも呼ぶそうですが―がありました。昔から「インフルエンザは60年に一度大流行する」と言いますが、どの流行も末尾に「7」と「8」が付く年に起きています。そう考えますと「今年(2008年)の冬はかなり流行る可能性があるのかな?」という気もいたしますが…。
上田重晴: 怖いですね。三宅先生もフィリピンまで行ってアヒル小屋を視察するなんて、一番危ない行為じゃないでしょうか(会場笑い)。
司 会: タミフルを忘れず持っていきますから…。
上田重晴: それが一番です(会場笑い)。
司 会: それから、現在、世界経済が非常に混乱しており、アメリカのAIG(註:アメリカ最大の総合保険企業。生保のアリコや損保のアメリカンホームダイレクト等を傘下に置く)も破綻(はたん)の危機に晒されていますよね。このような経済状況で、日本国内で64万人がいっぺんに死んで、その遺族の人たちが一斉に保険金の支払いを請求したら、生命保険会社も潰れてしまいます。アフラックなぞ、そもそもアヒルが企業のイメージキャラクターですから、「何だか験(げん)が悪いな」という気もしないでもないですが(会場笑い)。いずれにせよ、新型インフルエンザが社会にもたらす二次的、三次的な広がりはもの凄くダメージを与えると思います。
そういった状況で、国はどのように優先順位(プライオリティ)を設定するんでしょうか? 究極的な状況下で「この人は助けるけど、この人は見捨てる」といった政治的意思決定をする人には、当然責任が生じる訳ですが、現在の日本のように、「ねじれ国会」によって政治的な意思決定が迅速にできない時にパンデミックが起こったからといって、まさか厚労省の役人にその判断を任せる訳にはいきませんから、誰がその役割(最終責任者)を担うのか? そういった点が十分に機能するかどうかという点も非常に心配です。
上田重晴: そうですね。ガイドラインの中で優先順位を付けたのも、これは鳥インフルエンザの専門家会議を開きまして、その中で取れた合意を基に、あのガイドラインを作っております。
それから、今日はお話ししませんでしたが、今、三宅善信先生がおっしゃったように、社会的混乱と損失、経済に与える影響がもの凄いものになる訳です。他にも、感染者が亡くなった後、その家族が抱える精神的な痛手や損失も、計り知れないものがあります。ガイドラインは公衆衛生の専門家が集まって作られている訳ですが、そういった細かな配慮にまで行く余裕は、まだないんですね。
司 会: 阪神淡路大震災の時には6,400人の方が亡くなりましたけれども、あの時でも、神戸市の火葬場の処理能力がオーバーしてしまったため、大阪市内の火葬場にも遺体がどんどんと運ばれて来て、しかも、時間がないから(通常なら焼却炉に棺桶を入れる直前に僧侶があげる)「お経を読むのも止めてくれ」と言われて、流れ作業的にどんどん焼いた訳です。僅か6,400人でもそういうことが生じるのですから、インフルエンザでその100倍の64万人の方が亡くなった場合、当然、全国の火葬場が満杯になります。
震災で亡くなった方の遺体からは感染しませんけれども、伝染病で亡くなった方の遺体はそのままにしておく訳にはいかないと思われます。おそらく、焼き場の順番待ち等で一時遺体を安置するために、「お寺の施設を貸してくれ」とか「遺体を100人分ほど預かってくれ」などといったことが実際に起こると思うんですが、そういうことに関して行政はどのような対策を考えているんでしょうか?
上田重晴: そういったこともガイドラインに書かれています。とにかく火葬場が一杯になることは想定しており、亡くなった方を運ぶ際には専用のビニール袋に入れてチャックで封をして運ぶということです。もし流行が寒い時期なのであれば、遺体もそれほど傷まないと思うのですが、暑い時に起こると腐敗しないように遺体を冷やしておく必要もでてきます。こういった様々な対応を考えていきますと、パンデミックがもたらす社会的混乱は、阪神淡路大震災どころではないと思いますね。
司 会: 他にどなたか質問ございませんか? では、嶽盛先生、お願いします。
行政との関係について質問する曹洞宗の嶽盛俊光師 |
嶽盛俊光: 失礼いたします。曹洞宗南殉寺の嶽盛と申します。先ほどのお話の中で、「お寺も遺体の安置場所になる可能性がある」とありましたが、パンデミックが起こった場合、行政や厚労省からそういった要請があるのでしょうか? それとも個々の判断で受け入れて良いのでしょうか? 私たち宗教者が、どなたの指導を受けて対応するのか、お教えいただければと思います。
上田重晴: たぶん、日本の行政のシステムで考えますと、霞ヶ関(中央官庁)から各都道府県に指令が出ます。次に都道府県から市町村に指令が出て、たぶんそこから各地の担当者へ要請が行くと思われます。ですから、所在地の市町村の保健担当部署(保健所)が指令を出したり、お願いを出したりすることになるのではないかと思います。
司 会: おそらく、新型インフルエンザの流行は中国辺りで発生する可能性が高いと思うんですが、SARS(新型肺炎)の時も、当初、中国政府がなかなか本当の情報を出さなかったがために、中国国外にも流行が拡がってしまい、世界的に深刻な状況に至ったと記憶しています。ですから、今回の新型インフルエンザに関しても、先ほどお聞きした「成鳥マーケットから買う」という生活様式にしてみても、これは中国に多い訳ですから、再び中国からその感染が拡がる可能性は大いにあります。
しかし、中国政府が辺境地における少数民族問題などを含むその他の理由から、真相を発表をしないとなると、潜伏期間が2日間と言われる新型インフルエンザの発生する最初の時点で網を被せ損ねるようなものですから、対応に遅れが出て大変なことになってしまいます。その点、WHOや諸国は―少し言葉が悪いですが―中国政府に対してどのような「監視」を行っているんでしょうか?
上田重晴: WHOといえども、当該国の主権を飛び越えて行く訳にはいきません。私の友人にもWHOで働いた経験のある人が居りますが、現地までは出向けるけれども、実際に現地で活動するためには、当該国の許可を取らなければ医療行為はできませんから、確かに難しい問題だと思います。
司 会: 人口もそうですが「世界の家禽の5分の1は中国で飼われている」と言われていますから、場合によっては、非常に危険な状況が考えられると思うのですが…。
上田重晴: 鶏の飼い方が、日本ですと大きな養鶏場で飼われていて、大きなひとかたまりでやっていますが、中国や東南アジアは「バックヤード・プールトゥリー(庭先家禽=自家飼育)」と言いまして、私が子供の頃に祖父母の家に行くとよく見かけたような、庭に籠があって2、3羽飼われているといった類の小規模な飼い方をしています。発展途上国へは私もよく行っているんですけれども、インドネシアなどへ行きますと、高速道路を「ココココッ!」と鶏が駆け抜けていくのを見かけたりします。
ですから、鳥インフルエンザが流行しても、なかなか日本のように一括して処分することができません。加えて生活が貧しいですから、感染予防のため、生き残った鶏まで処分されてしまうと、そういった小規模な農家はお手上げになってしまいますから、隠れて飼育するものも出てきます。徹底していないんですね。では、農家が率先して処分した時に政府から損害の保証金が出るかというと、政府にもお金がないものですから、そこが中途半端になって、結果的に悪循環。どんどん拡がっているのが現状です。中国でも何億羽もの鶏が居ますが、結構な数がそうやって飼われているため、そこが問題ですね。
司 会: ですから、ただ単に、医学や公衆衛生の問題というだけでなく生活とか文化とか宗教に関わってくる。先ほどおっしゃったように、イギリスの人が「そういう飼い方を止めなさい」とか「そういう食べ方を止めなさい」と言っても、中国人は1,000年以上もそういう生活スタイルだったのだからどうしようもない訳ですよね。
渡り鳥によるインフルエンザの伝搬がいつ頃から確認されていたかという話をしたいんですが、平安時代の七草粥(がゆ)の歌―七草とは、旧暦のお正月ですから、今でいうと2月のはじめ頃、インフルエンザが一番流行る時期なんですけれども―で「七草ナズナ、唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先に、恵方(えほう)に向いて…♪」という歌があったそうです「唐土(中国から)の鳥が日本に来ないうちに、摘んだばかりの七草のビタミンのたっぷり入った粥を摂取しましょう」と歌っているんですが、これはつまり、昔の人は、経験則から渡り鳥が何か良からぬ病気をこの国へもたらしていることを感じたから、このような歌ができたのではないかと思います。
また、現時点で知られているインフルエンザウイルスは、16種類のヘマグルチニンと9種類のノイラミニダーゼの2種類のタンパク質の組み合わせで、全部で144とおりの型があります。鳥(カモ類)はそのほとんどを持っていますけれども、ヒトをはじめ、ウマ、ブタ、アザラシ、クジラなどの哺乳類には僅か10とおりほどしかありません。ということは、残り百三十数とおりの新型インフルエンザがある日、突然変異してヒトにも感染するように次々と襲ってくるわけで、その対応は完全に「イタチごっこ」なんですね。
上田重晴: しかも、そのうちに変わる可能性もあるんです。実は、2年前までは「ヘマグルチニンは15種類しかない」と言われていたのですが、16番目が見つかりました。形が変わるということは、体内に入った時にできる免疫が違ってくる訳ですから、ちょっと型が変われば「地球上の人類は皆、免疫がない新型ウイルス」となります。そうなるともうイタチごっこを通り越して「神のみぞ知る」世界になってきますね。
司 会: なるほど。新しいインフルエンザが次々と現れることは「神のみぞ知る」となると、「人間がどのように生きていくべきか?」といった、宗教界のあり方や人間の生き方の問題にも関わってきます。生命の長い長い歴史から考えますと、鳥は何千万年も前から自由に世界の空を行き来していた訳ですが、かつて人間は、自らの二本脚でテクテク歩いていくしか移動手段がなかった。しかし、21世紀の今日は、人間のほうが渡り鳥より早くかつ大量に移動―つまり、飛行機に乗って毎日世界を移動している―できるようになった訳です。加えて、ひとつの種で60億も個体のある生物はほとんどないですから、これからは、あらゆるウイルスは、ヒトに特化して、ヒトに感染したほうが、自らの遺伝子をバラまくためには絶対有利と言えます。その意味においても、ますます新型インフルエンザの危険は増していくのではないかという気がしますが、如何でしょうか?
上田重晴: おっしゃるとおりです。それからもうひとつ。これまでは人間が入っていかなかったようなジャングルなどの奥地へ、人間がどんどん入っていっていることが挙げられます。人類が殖えるためには物を作らなければならないので、森林などを開墾する訳です。そこで、未知のウイルスと出遭うことになる。
さらには、ゲテモノ―例えば猿とか―を食べることが趣味の人がいるなど、人間の生活様式が多様化しているという傾向です。例えば、エイズはもともとアフリカの猿の世界の病気だったのですが、人間が開墾してどんどん奥地へと入っていき、猿やチンパンジーを食べたことが発端となって、ヒトにも感染するようになり、さらにホモセクシャルといったような生活様式の人々の間で拡大再生産していった。それが、普通の人の間にもエイズが拡がる原因になった訳です。また、エイズウイルスは血液中に存在しますから、輸血などの医療行為をとおして感染することもあります。ですから、今、三宅善信先生がおっしゃったように、複合的な要因からわれわれは知らないうちにウイルスを拡げていると言えます。
司 会: 有り難うございます。先生からお話を伺って、人間のあり方を再考する必要性を感じました。考えてみますと、コンピュータのウイルスもそうですね。もちろん、コンピュータは生物ではないので、「コンピュータ・ウイルス」というのは比喩的な表現ですが、そのウイルスをばらまいている誰かがその背後にいる訳ですが、人というもののあり方が問われている点においては、インフルエンザと同じ様な気がします。
「万物の霊長」などといって、巨大なゾウよりも、鋭い牙を持ったライオンやトラよりもヒトが強い動物になる一方で、遺伝子とタンパク質の容れ物(エンビロープ)しかない最も小さくて単純な生き物(ウイルス)にその生命を脅かされている…。非常に皮肉なことだと思いますが、それは人類が神仏から与えられている試練とも感じます。上田先生には、本日はお忙しい中をお出まし、ご講演くださり、本当に有り難うございました。
(連載おわり 文責編集部)