国際宗教同志会 平成23年度総会 記念講演
『日本外交に戦略はあるか?』

大阪大学大学院国際公共政策研究科・
国際安全保障政策研究センター 教授
星野俊也

2月23日、神徳館国際会議場において国際宗教同志会(村山廣甫会長)の平成23年度総会が、各宗派教団から約50名が参加して開催された。記念講演では、国際安全保障論の研究で著名な大阪大学大学院国際公共政策研究科・国際安全保障政策研究センターの星野俊也教授を招き、『日本外交に戦略はあるか?』と題する講演と質疑応答を行った。本サイトでは、この内容を数回に分けて紹介する。  


星野俊也教授

▼日本外交に点数をつけたら?

ただ今ご紹介に与(あずか)りました大阪大学の星野と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。まず始めに、伝統と格式のある国際宗教同志会の場にお招きいただきましたことを大変嬉しく光栄に思っております。事務局長の三宅善信先生とは、さまざまな場で顔を合わせる機会があるのですが、私も先生からいろいろと刺激を受けております。本日は、村山廣甫先生が会長にご就任されたことに最初にお祝いを申し上げたく思います。また、昨夏カナダで開催されたG8宗教指導者サミットにおかれましては、三宅先生が主催者のフルパートナーになられたとのこと、もちろんこれまでも国際的に活躍されていたと思いますが、ますます幅を広げ飛躍をされるお話を聞き、大変嬉しく拝聴させていただいた次第でございます。この会の益々のご発展を、冒頭にお祈りしたいと思っております。

本日は、三宅善信先生から特に「国連代表部での経験談を」と承っているのですが、私自身、日本外交の中でもマルチ―つまり多国間の―外交の現場で仕事をさせていただいたということもございますので、そういった国連関係のお話もしたいと思っているのですが、もう少し幅広く捉えて、日本外交全体にも少し思いを巡らせてみたいと思います。今し方、山田隆章議長からのお話にもありましたように、このところの日本外交は、かなり覚束ないところがありますね。私も日々ハラハラドキドキしながら見ておりますが、これからはただドキドキしなから見ているだけではなく、われわれがしっかり意見を述べたり、考えを表明したりしなければいけないのではないかと思っております。今日はこの場をお借りしまして、日本外交の戦略について、あらためて考えを巡らせてみて、皆さまとも意見交換させていただければと思います。

冒頭で西田多戈止先生が平和の祈りの際にご指摘されたように、本当に世の中は、日々動いております。例えば、昨日から今日にかけても日本はテストされていると思います。それは何かと言いますと、この度のニュージーランドの震災に対して、日本政府はどういう対応を取ったのか? そして、リビアで起こっている民衆の蜂起を受けて、日本は何をするのか―石油を考えるのか、平和を考えるのか―ということだと思います。

私は、ニュージーランドでの震災への対応に関しては「B+」と捉えています。これは、政府専用機の派遣や国際緊急援助隊の派遣がすぐに動こうという思いがあったと思います。何故、Aにしなかったかというと、こういう時には、最初の72時間が如何に大事かということを、阪神淡路大震災を経験した、特に関西に住むわれわれにとっては身に染みて感じることでございます。ニュージーランドとの距離を考えれば、日本は第一報が入り次第、出発しても良いぐらいじゃないかと思います。もちろん、それが可能なのかという問題はあっても、少なくともそういう初動の部分のもどかしさを感じざるを得なかったからです。しかし、結果的には意味のある行動をされてますので「B+」を付けておりますけれども、こういった震災あるいは災害時に日本が真っ先に世界に先立って機敏に動けるように、日本の政策や戦略の中に位置づけるべきなのだろうと思っております。

では、リビアに対してはどうすれば良いのか? 私は昨日の夜中、この講演の準備をしながらも気になっていたのは、「カダフィ大佐が国営テレビに出て演説をする」というニュースが入ったため固唾を呑んで見ていました。「民意に応えて、退陣という風な話をしてくれるんだろうか」と思いながら、もちろん、すでに300人ものいのちが失われたことに対しての憤りもありますけれど、「今後の展望が聞けるのか?」と思いながらCNNを見ていました。しかし、英語の通訳が入って話をして、時折解説が入るという演説が滔々(とうとう)と1時間以上にわたって放送された訳ですが、なんのことはない「私は殉教者になって、ここに居残る」ということで、かなり多くの人を失望させた結果になったであろうと思います。

これに対する日本政府の対応を何故私が「C−」と評価しているかと申しますと、私は日本政府は真っ先に声明を出すべきだと思うんです。談話でもなんでも良いんです。「日本政府は、今、リビアで起こっていることを容認できない!」という強いメッセージを―たとえ、アフリカから遠く離れた東アジアの外れにある国だとしても―発信することが必要だったと思います。自国の民間人を戦闘機が撃つなんてことがあって良いのか? そういった感覚に対して、何か言わなきゃいけない。「日本が言えば世界は聴くんだ!」というぐらいの自信を持っていただきたいというもどかしさがありました。

総理としては、どうしても厳しいことを言うよりは、まず「情報収集」という名の様子見をして、欧米各国政府の見解の潮流を確かめてから…。ニュージーランド地震の時にも、菅総理が真っ先におっしゃったのは「情報収集」と「邦人保護」―邦人保護をちゃんと挙げてくださったのは良かったのですが―でした。後でお話しするヨンビョンド(延坪島)の砲撃事件も同じです。今、目の前で北朝鮮による武力行使が起こっているのに、何の情報収集をするというのか…?それよりも前に「世界に対して何か言うことがあるだろう」と思うのです。もし「日本の総理が何か言ったところで世界が聴く訳がない」と思っているのだとしたら、それは大間違いです。やはり、日本が毅然とした態度で世界で起こっていることに対して、逐一「これは正しいことで褒めるべきだ」とか「これは決して容認するべきではない」といった態度を明白にすることが、いつも問われているということを、政治のトップに立つ日本の指導者の方には心がけてほしいと思います。ですから、私はいつ声明が出るのかを見ているのですが、もし、政府が出さなかったのならば、例えば、心ある皆さまが国際宗教同志会として意見を述べたり、声を上げることが、ある意味で行動のひとつだと思います。


▼為政者の責任の重さ

私がリビアの情勢を見て頭に真っ先に浮かんだ言葉は「保護する責任」です。レジュメにも書かせていただきましたが、この「保護する責任」という言葉は、今、国際社会や国連で非常にホットな話題です。この「保護する責任」あるいは「Responsibility to Protect (R2P)」という言葉をこれまでにお聞きになったことがある方はいらっしゃいますでしょうか? (会場の挙手を見て)有り難うございます。

これは、基本的には2つの部分からなっており、ひとつ目は「国家というものは、国民の生命を保護する。これは当然の責任である」ということですが、まるで当たり前のことを言っているように思われる方も居られるかもしれませんが、それは、われわれがまだ幸せな日本に住んでいるからであって、政府が自国民を抑圧したり、さらに、殺害したりする国もあるんですね。例えば、ソマリア政府の場合、統治機構が機能しておらず、政府が自国民を保護したくてもできない。政府が意図的に国民を抑圧する、殺害するということは、国民を保護する責任を放棄していることになる訳ですね。


解りやすい講演をされる星野俊也教授

政府が機能しないから、仕方なく国民は厳しい状況を迫られている。そういった場合にどうすれば良いのでしょうか?国際社会は放っておいてもいいのかというと、そうではないんですね。(伝統的な「国際社会は内政に干渉してはいけない」という考え方ではなく)「たとえ他国の国民であったとしても、国際社会がその保護する責任を譲り受けて、(無能な当該政府に代わって)国際社会が保護する」という考え方があっても良いじゃないかということです。これは2000年頃から議論されてきた考え方なんですが、例えば今、リビアでカダフィ大佐がやっていることは、「国民の保護」では全くなく、自らの「政権の維持」や「体制の存続」ですよね。そういうことで人々が犠牲になっているのだとしたら、カダフィ大佐は国民を保護する責任を放棄している。だから「それに代わって、国際社会はリビア国民を保護する責任を持つ」ということを考えてもいいんじゃないかという議論をしてみることも重要ではないかと思います。例えば、カダフィ後、「いつ」、「誰が」、「どうやって」出てくるのかについて、私はこの場(国際宗教同志会)でも議論していただいて良いんじゃないかと思います。

おそらく、日本外交はこのように日々試されているんだと思います。しかし、聞こえてくる声というのは、とても寂しいものばかりです。「日本は衰退してしまっているのではないか?」あるいは、「衰退の道を歩んでいるんじゃないか」とか…。日本は42年間守ってきたGDP世界第2位の座を中国に抜かれて第3位に転落したという話もありますし、日本国債の格付けが下がったという議論もあります。また、そもそも「日本は(世界の中心ではなくて)辺境なんだ」という日本辺境論も出てきて、「その地位に甘んじろ」という意見も出てきている訳です。

しかし、「これで良いのか」という思いを持つべきなんじゃないかと思います。私は今日の講演で、日本をどう位置づけるかと思った時にふと頭に浮かんだのが『存在の耐えられない軽さ』という、小説でもあり映画にもなった作品です。私自身がじっくりと読んだり映画を見た訳ではないので、偉そうなことを言うのは申し訳ないんですが…。これは、チェコ出身のミラン・クンデラさんという方が書かれた極めて哲学的な小説ですが、冒頭はニーチェなんです。宗教者の皆様を前にして、やや反宗教的な哲学者といわれるニーチェを出すことは極めて躊躇する部分もあったんですが、この『存在の耐えられない軽さ』という言葉を考えるにあたっては、やはり出さざるを得ないかと思いました。それは何かと申しますと、クンデラさんは、ニーチェ思想の根幹をなす「永劫回帰」の話をしている訳なんです。(註:世界はユダヤ・キリスト教思想の根幹である「(神による)創造で始まり、(神による)終末と救済に終わる」という世界認識とは真逆の)永劫回帰の世界では、われわれの一つひとつの動きに耐え難い責任の重さがあるんです。永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、人生というのは逆に非常に軽いものだと言っているんです。

このストーリーは、実は1968年の「プラハの春」と呼ばれたチェコの動乱の時代を駆け抜けた、ひとりの若い医師の話なんです。彼は極めて軽い生活をしており、プレイボーイでいろんな女の人と関係を持ちます。そこで作家のクンデラさんは、「人生とは重いものなのか? 軽いものなのか?どちらが良いのか?」と問うているのだと思います。冒頭で「重さというものは本当に恐ろしいことで、軽さというものは本当に素晴らしいことなんだろうか?」ということなんです。何が言いたいかというと「軽い思いで人生を暮らすことも良いかもしれないけれど、それが本当に幸せかというと、そうでもないかもしれない。人生の中には責任の重圧というものもあって、それは重く苦しいものかもしれないけれど、それも大事なものだし、まんざら悪いものでもないんだ」ということを小説の中で描こうとしていたんじゃないかと思います。

ニーチェの「永劫回帰」という言葉は、その「責任の重さ」という意味で使われており、永久に同じものが繰り返されるということは前世(あるいは来世)を否定する考え方もあるのではないかと思いますし、あるいは若干反宗教的であるという指摘もあるのですが…。しかし、日本を見ていると、この「耐え難い軽さ」というものを考えてしまいます。そして、責任の重さに対する自覚のなさということについて、何か思いを感じざるを得ないです。ですから、私は今回日本外交を立て直すとしたら、やはりこの辺の責任感の重みというものをしっかりと実感するということになるかと思っております。これが例えば「ニュージーランドで日本は何ができるのか?」ということにも繋がると思いますし、またリビアに対してどういうメッセージを出すのかということにもおそらく繋がってくる根本的なものではないかと考えた訳です。


▼国際社会における日本の信用

私が国連で仕事をしていた時に最も強く感じたことは、国連は世界192カ国が加盟しており、日本はその1カ国ですけれども、おそらく1カ国を除いて本当に尊敬され、信頼されていたと思います。「1カ国」とは北朝鮮なんですけれども、日本のことを敵対的に見ていますから、日本が何を言っても、いろんなところで批判発言をしてきます。国連の場では、日本はすぐに「right of reply(答弁権)」を発動して「今、北朝鮮代表部が言ったことはすべて無効である」と言わなければならない(註:国際社会では、沈黙は同意したとみなされる)という、ルーティーンのようなことをしょっちゅうやっています。しかし、ほとんどの国は本当に日本という国を尊敬してくれていますし、好きに思ってくれています。これは日本にとって大きな外交資産、目に見えない資産だと思います。

過去の戦争の歴史があるにもかかわらず、このような尊敬や信頼を勝ち得ているのは何故かと申しますと、戦後日本の復興の奇跡もそうですし、日本人の勤勉さへの評価とも思えますし、国際協力をいろんな形でしてきたということの証であると思うんです。皆さん、「日本は軽く見られている」と思われているかもしれませんが、国連の場では違うんです。私は、2006年から08年までの2年間、日本の国連代表部公使参事官を務めさせていただきましたが、日本は本当に多くの国から温かい目で、本当に近い気持ちで接してもらえたことが一番の喜びだったと思います。

こういう自覚が、現在、政府の外交を担っている人たちが感覚として持っておられるのかと心配になります。しかし、この国際社会からの尊敬や信頼の気持ちも、今のような現状が続けば、長続きはしないんじゃないか、賞味期限が切れてしまうんじゃないかと、今、本当に心配しております。これは決して「金の切れ目が縁の切れ目」で「日本のODA(政府開発援助)がなくなったから」という訳ではないんですが、日本のODAは2000年がピークでした。それ以降10年間ずっと下がりっぱなしです。それでも「日本にお世話になった」とか「日本は私たちのことを考えてくれている」という声が凄くあるんです。

しかし、今の状態が続いたら、お金の問題ではないと思いますが、世界各国の信頼を裏切るようなことがあるんじゃないかと思います。それは「発言をしっかりしない」、「行動がしっかり取れない」といった部分にも出てくるかもしれません。私はそういう意味で、今は、本当に大きな分かれ目だと思います。村山会長が「本会の設立主旨に戻って行動することの大切さ」をおっしゃいましたが、やはり、この「考えを行動に移すこと」を求められる時期になっているように思います。             

▼八方塞がりの日本外交

今、維新の話―「平成維新」とか「日本維新の会」といったような―が世間を騒がせていますが、エジプトやチュニジアやリビアで起こっていることを革命とするならば、この現象は日本にとっても他人事ではありません。日本も、本当の意味で革命が必要なのかもしれません。宗教者の皆様の前でこのような物騒な話をして申し訳ないんですけれども、私の申し上げる「革命」とは、決して暴力的な革命ではありません。しかし、平和を実現するための平和的手段による平和のための、市民が政府と一緒になって行う革命のようなものを起こすことが本当に必要な時期になっているんじゃないかと思います。そのためには、日本はどういう国になるべきなのか? あるいは、いったい日本はどういう国なのかという、国家観あるいは国のイメージをあらためてしっかりと持つ、しっかりと議論して考える必要がある気がしております。

そして、日本は「GDP第3位に転落…」と言われても、国際社会においては不可欠な国だと思います。また、非常に有益な役割を果たす国であるが故の責任の重さを、是非、宗教家の皆様にも実感していただきたいと思います。天皇陛下の話をすると、いろいろなところで語弊があるのかもしれませんが、ご病気を抱えながらも粛々と公務を遂行なされているお姿を見ると、日本の国のことや、国民のことを考えておられるからだろうと思います。政治政局のような、ある意味、俗世のことに煩わされていないようなところもあるのかなと考えております。このように、日本が世界から尊敬されて信頼されていることに対して、日本人は自信を持って欲しいと思います。

しかし、現在の日本外交を見回してみると、かなり八方塞がりの状況になってしまっているのではないかと思います。端的に言ってしまうと、北東アジアの緊張が高まっている気がするんですが―日本は決して戦略を持っていない訳ではないと思いますが―若干誤った戦略なのか、あるいは戦略に不備があるということなのかもしれません。現在われわれは、2008年から2012年の間にいる訳ですが、この時期は、最近の歴史の中でも大きな転換期だと思います。何かと申しますと、アメリカで2008年の大統領選挙によって、オバマ政権―正式に発足したのは2009年1月ですが選挙は2008年11月に実施―ができました。

日本でも、長年続いた自民党政権から民主党政権へと大きな政権交代が行われました。そして2012年までの間に、いろんな形で次々と各国の政権指導者が交代するというある意味過渡期にあり、本当に重要な時期にさしかかっていると思います。これは、中国の胡錦涛政権が2012年に習近平政権になることも含まれますし、この年はアメリカでもロシアでも韓国などでも大統領選挙が行われるため、また次の指導者の顔が見えてきます。そして北朝鮮では、この間に金正日(キムジョンイル)体制から金正恩(キムジョンウン)体制に移行することもありえるんですが、世界的な指導者の交代や政権の動きが極めて激しく動く時期になると思います。

と同時に、2008年から2012年というのが、大きなレベルでの国のパワートランジション(国力の大きな変化)が見られた訳ですが、日本とアメリカは残念ながら若干停滞を余儀なくされている中で、中国やロシアやインドといった新興国がどんどん力を得てくる、南米でもブラジルなどが力を得てくるといった動きがあります。これにひとつ加えると、思ってもみないスピードで、中東や北アフリカで革命的な民主化のドミノ(連鎖反応)が起こっているということです。

民主化のドミノも、決して楽観はできなくて、民主主義が進むと逆に宗教的な原理主義やあるいはナショナリズムと呼ばれる感情が強まってきて、それが当該国民の多数派の意見になってしまうんです。これはこれで、情勢の安定よりも少し緊張をもたらすといった変化になりがちですから、様子を見ていかなければならないと思っています。私は本当に穏健な政治体制や宗教観が出てくれば良いと思うのですが、一方が穏健派になると他方が強行派になってしまい、なかなかそれが揃いません。エジプトもムバラクの政権は本当に腐敗していたのかもしれませんが、宗教的といいますか、政治的には穏健派でイスラエルと関係を維持できていたので、これがなくなることが非常に心配な状況です。


▼公共財としての日米同盟

ある意味で移行期といいますが、非常に不安定な時期にさしかかっていると思っております。北朝鮮は「2012年までに強盛大国の扉を開くんだ」などと過激なことを言っています。では、その中で日本の戦略は何だったのか? と言いますと、実はこれも多くの賛成や反対があるんですが「日米同盟を基軸にする」というものがあったんです。しかし民主党政権になって、これが一番見直そうとしてしまった部分なのではないかと思います。日米同盟は「日本の防衛のため」という部分ももちろんあるんですが、「公共財としての意味がある」―私は、北東アジアにおける公共財としての日米同盟はなかなか説明しづらいのですが―ということを皆さんもよくお聞きになられたことがあると思います。

「公共財」とは、誰もが納得して役に立っているものと考える「財」で、一人が使ったからといって他の人が使えなくなるようなものではないですし、「自分は使うけれどもあなたは使ってはいけません」といったような排除する考え方でもありません。これを「非競合性」と「非排他性」といいます。日米同盟が強くなることは、中国にとってマイナスになるんじゃないか? という考え方からすると、「公共財という意味がないじゃないか」と理論的、あるいはロジックとして考えられるかもしれませんが、中国でさえ、今は日米が安定していることは価値があると思っているのではないかと思います。

日米同盟の公共財としての役割を、もし批判をする国があるとすれば、それはたぶん北朝鮮だと思うんですが、それは北朝鮮がやっている行動のほうが悪いので、それを抑止するということは、北朝鮮にとってはマイナスですが、国際社会全体にとってはプラスになる話なので悪くはない。いろんなことを考えると、日米安保の公共財としての役割は、私は本当は4つぐらいの意味があって、それがまとまって公共財になっているのだろうという風に思っています。

それは何かといいますと、まず米軍の東アジア太平洋地域における維持を可能にしているという意味です。「米軍基地が日本になければ…」とか、日本が米軍基地の負担の一部を支払っていなければ、おそらくアメリカとしては日本に居るコストがかなり高くなってしまうので、いろんな別のことを考えるかもしれませんが、米軍のプレゼンスを維持する理由のひとつは日米同盟があるからです。2番目は、中国の影響が拡大傾向にある今、そこに対して牽制するという意味でもひとつの役割を果たしていると思います。3番目は、北朝鮮に対しては、明確に冒険的挑発的行動を抑止するという意味合いがあるんじゃないかと思います。横須賀から出て行ったジョージ・ワシントンという空母が、黄海あるいは日本海を動いていくという行為が持っている圧力を考えてみれば、お解りかと思います。さらに4番目は、日本が節度ある防衛力を維持するという程度で収まっていることを可能にしているのも日米同盟だと思います。

今までバラバラに議論されていましたが、この4つの側面をパッケージで考えると、おそらく地域の安全と安定に寄与しつつ、日本の安全保障にも寄与しているということだと思います。在日米軍の存在は、日本にとって国益でありつつ、地域やグローバルな意味での公共財になっているという意味があると思います。しかし、確かにこの日米同盟に問題はあります。沖縄の基地問題をなんとかしなければならないというのはあるんですが、鳩山政権が「アメリカ追随ではいけない」とか「ここにメスを入れてしまおう」という発想があったことによって、おそらく4つのファクターがすべて揺らいでしまった側面は否めません。

そのことによって、日本政府自体が不安定要因になってしまった。私は昨年から今年にかけて、尖閣諸島の問題ですとか、その前は韓国哨戒艦「天安」の撃沈、漁船の衝突事件、韓国のヨンビョンド(延坪島)への北朝鮮の砲撃、さらにはロシア大統領の北方領土訪問…。これは皆、偶然起こった訳ではないと思います。やはり民主党政権になって、ここに力の空白ができて、日本の行動に穴が開いたことが、一連の事態を呼ぶ環境を作ってしまったと思います。未だに日米合意の履行が困難な状況になっていますし、沖縄米軍基地の問題も停滞していることになるんだろうと思います。

▼呆れるほどちぐはぐな場当たり的対応

これはどうすればいいのかと言いますと、お配りした資料には「やや呆れるほどにちぐはぐ」と書いてしまったんですが、民主党政権の対応の拙(まず)さは否めない気がします。これをいったいどのように解釈したら良いのかと常々考えているんですが、ひとつは「自信と動揺のアンバランス」、そして「強硬な姿勢と抑制的な姿勢のアンバランス」がなんとなく見えてくる気がしています。

これは、日本で半世紀ぶりに選挙の結果によって本格的な政権交代ができたことで「総理大臣になれば何でもできるんだ」というひとつの自信、そして「自分が総理大臣になったのだから、世の中は良くなるに違いない」という確信があるんですね。しかし、そういう自信があるにもかかわらず、実際はどうかと言いますと、民主党内は分裂し、国会は捻(ねじ)れている…。「総理大臣の力って、本当にこんな程度なのか?」といった状況が見えています。ですので、一方には「自分が総理大臣になったのだから…」という自信があるにも拘わらず、その一方で、足下を掬(すく)うような動揺という組み合わせがあります。

もうひとつは、「自民党や公明党が政権を持っていた時代とは違うんだ」ということを打ち出そうと思ったがために、民主党は時には強硬姿勢を示し、時にはソフトなアプローチをしようとするんですけれども、残念ながら、私はこれが全部裏目に出ていると思います。つまり、抑制あるいは謙譲の気持ちで対応した相手―中国あるいは北朝鮮―に関して言うと、どちらかというと相手を増長させてしまう形になったんじゃないかと思います。そして、強行に出た相手―普天間基地移設問題における日米合意の翻意やロシア大統領の北方領土訪問に対して―は、「これは許し難い暴挙である」と言って却って拗(こじ)らせてしまいました。波風が立っていないところに波風を立ててしまい、波風を抑えるべき所で逆に揺れてしまうという、まったく裏目のパターンです。

私だったら、中国や北朝鮮に対して「何故、毅然とした態度を取らないのか」そして、アメリカやロシアに対しては―基地問題や領土問題はあるかもしれませんが―「ここは大人の対応をしよう」とやや抑制な対応を取るほうが良いと総理大臣にアドバイスをするんですが…。ちょっと筋の悪い人たちがアドバイスをしていたんじゃないかという気がいたします。このちぐはぐさはいったい何なんだろうということを、どうしても考えざるを得ない。本当のところの理由は解りませんが、民主党政権の存在理由が「今までの自民党政権とは違うんだ」というところから出てきたため、それまで「正統だ」と思われてきたことに対しては、どちらかというと、内容を吟味せずに、とにかくアンチ・オーソドックスなアプローチを取ろう―とにかく、従来の逆をすれば良い―という衝動がどうしてもあったのではないかと思います。

以前、この壇上に立たれた阪大の同僚である坂元一哉先生も、鳩山総理のブレーンに対して批判的なことをおっしゃってましたが、その方も含めて、菅総理もややアンチ・オーソドックスな考え方をする人々の声を聞いてしまい、政治主導ということですから「できるだけ官僚の言うことは聞かないようにしよう」というような形でいく。そうすると、官僚たちの間に蓄積されている過去の経緯を無視して、どうしても危なっかしい形になってきているような気がします。オーソドックスがいつも正しいとは言い切れません。オーソドックスだって、いろいろと改革の必要はあるけれども、しかし、アンチ・オーソドックスになればすべて解決するかというと、おそらくそうでもない。私は常々、多くの人々が「この考え方はオーソドックスだ」というふうに思っていた一定の根拠はあるんじゃないかと考えざるを得ないです。


▼外交と内政のアンバランス

もうひとつは、おそらく内政と外交のアンバランスなんです。菅総理は、はっきり申し上げて「外交には関心がない」と思います。経験もないし、関心もない。普天間基地の問題なども、菅総理は鳩山氏が総理だった当時―副総理だったんですけれども―ほとんどタッチしなかった。また、総理になられた当初は、鳩山前総理に特使などいろいろな形の役割を与えて、自分の代わりにやってもらうということをされていましたが、総理大臣になった以上、外交は逃げられない政府の専管事項です。にもかかわらず、やはり、頭の中では外交のプライオリティが低いんです。しかし、日本はいくら税制や福祉や経済政策をやったとしても、外交政策の中でしっかりした立ち位置を築くということ、そしてしっかりとしたメッセージを出すということがないといけないと思うんです。

この間、日中首脳会談がありましたが、これも外交のプロから見ると―言いにくいことではありますが―ある意味、「恥ずかしい」と思われていたとでも言いましょうか。これは、横浜で行われたAPECサミットの時の話ですが、われわれがテレビの画面を通して視ることができるのは冒頭の各国首脳がひと言ふた言述べるほんの30秒ぐらいのカメラ撮りのシーンなんですけれど、菅総理はこの時に、ずっと俯(うつむ)いてメモを読んでいるんですね。尖閣諸島問題をはじめとして、中国との関係では言わなければならないこと、やらなければならないことが山ほどある中で、相手(胡錦涛主席)と面と向かって目と目を合わせて日本の主張を訴えていないんです。通訳を介さざるを得ないのは仕方がないですけれど、一国の代表が、いろんな問題がある国との間で先方の首脳に日本の意思を伝えなければならない場面で俯いてメモを読んでおり、しかも、それがカメラで撮られている訳です。菅総理はそういうところが理解できていないと思うんです。「こういう場合、笑っちゃいけない」とか「乾杯してはいけない」といった、読まねばならぬ場の空気というものがありますが、空気を読めないのは決して前の総理大臣だけでないと思います。首脳外交は、首脳のパフォーマンスそのものが日本国としてのメッセージになる訳ですから、その点が欠落していたことが非常に残念でした。


講演に熱心に耳を傾ける国宗会員諸師

これはやはり、自分が総理大臣として一国を代表し、他国の首脳と会っているんだという意識が、多分あまりないからだと思います。これが、自分の関心がある子ども手当やマニフェストの話になると、途端に雄弁になるのは、人間誰しも得手不得手があるということで仕方がないのかもしれませんが、しかし、新世代の総理大臣になったということでしたら、自分の役割をしっかりと自認していただかないと困りますね。民主党政権の批判ばかりして申し訳ないのですが、そういう気がいたします。外交よりも内政、さらには小沢問題、政治と金の問題も含めた政局のことが、たぶん、頭の中で大部分を占めている政権なのだろうと思います。そういう中で外交戦略を求めて何ができるのかということになる訳ですが、どこから刷新してゆけば良いのか、いくつか私の考えを述べたいと思います。


▼日本外交の刷新に向けて

日本外交の刷新ということで、四本柱で話してみたいと思いますが、ひとつは「アメリカとの関係」です。日米の戦略的な関係を再構築していくことですが、これはどうみても出発点なんだろうと思います。実は、菅政権ができたことに対してアメリカは前向きに捉えた訳です。鳩山さんがあまりにもアメリカに対して―ネガティブとまでは言わないかもしれませんが―あまりはっきりしなかった部分があるので、このことを反省して冒頭から「アメリカとの関係が基軸だ」と言った菅総理を、アメリカは「大丈夫だろう」と思っていたと思います。日米関係を再構築することがとても重要だと思います。2番目は「アジアとの関係」、3番目は私の専門である「国連などのマルチ(多国間)の場をどのように使うか」、そして4番目は「日本自体が何をするのか?」ということです。1番から3番は相手のあることですが、4番は日本自身がどうするかということです。これが全部合わさって、ようやく日本の戦略の姿が見えてくるのではないかと思います。

まず「アメリカとの関係」ですが、いろんな問題があることがあることは判っています。普天間基地の問題もありますが、まず、日米関係を修復する。これが第一です。次に、「アジアとの関係」では、隣の国で難しい関係を持っている北朝鮮と中国に関しては、一方では毅然たる姿勢を貫き、あまり譲り過ぎないことが大切だと思います。しかし、だからといって対話の芽をすべて摘んでしまうというのは、おそらくやり過ぎだと思います。私は、北朝鮮でさえ、何か対話の糸口を掴めないものかと考えています。もし、政府のチャンネルが難しいのであれば―宗教者のチャンネルもあるかもしれませんが―民間の非公式のチャンネルなどいろんな形で北朝鮮の人々のためになるような策を探る。

現在、「金正恩(キムジョンウン)という人は金正日(キムジョンイル)のコピーに過ぎない」とか「拉致問題に希望はない」と言われていますが、われわれはまだ一度もあの人の声を聞いたことがないんですね。もしかしたら、あの人の代になったら北朝鮮が変わるかもしれない。もちろん、淡い期待など持ってはいけないのかもしれません。しかし、はじめから「何も変わらない」と決めつけずに考えたいと思います。とはいえ、喋る機会もなければ何もできない気がします。圧力だけでは駄目なので、何とか北朝鮮との対話のチャンネルを開くことはできないか考えたいと常々思っています。

中国とは、もっとオープンな形でいろんなチャンネルで交流することができると思います。一方で、抑止力を示すために黄海に原子力空母ジョージ・ワシントンを派遣するのも良いのですが、もう一方で、何かいろいろと考える。これは4番目の「日本自体が何をするか」と関わる話ですが、とにかく、一目置かせないと中国には相手にしてもらえないという寂しい状況ですので、ここが大事になってきます。中国と付き合う時には、私は次の5カ国との関係を特に重視していきたいと思います。ひとつは、お隣の韓国です。そして、―一般には経済力の小さい国、弱い国だと思われるかもしれませんが―モンゴル…。ですから、今日私は、国際宗教同志会様がモンゴルの仏典保護などの地道な努力をされていると聞き、実はとても嬉しく思ったんです。モンゴルは大事ですよ。何故大事なのかは後でお話しいたします。そして、ベトナム、インド、オーストラリアです。私はこの5カ国との関係をぜひ緊密にしていくべきだと思います。

韓国との関係は、去年(2010年)が日韓併合―韓国に言わせると韓国併合なんですが―から100周年という非常に大きな節目の年だったんですが、過去を見るだけでなく未来をしっかりと見つめるといった動きもいくつかありました。私も、自分なりにセミナーを開いて、日韓の将来を考えるということをやりました。先週は、韓国にある私立の慶煕(キョンヒ)大学校という非常に優秀な大学から35人の学生が私の居る大阪大学に来たので、防衛省に頼んで舞鶴の地方総監部を訪ねさせていただきました。つまり、韓国の学生たちに、海上自衛隊の日本海側の拠点である舞鶴の地方総監部に行って、最新鋭のイージス艦や護衛艦を外から見ていただきました。

これは何のためにここにあるのか? もちろん、日本のためでもあるんですが、同じ戦略的な目標を共有している韓国と一緒にいろいろ活動するためにも大事な拠点だということを若い世代に解ってもらいたいからだったんですが、防衛省は非常に理解を示してくださり、基地に入るパスも出していただけました。この訪問が可能になったので私も嬉しかったです。もちろん、韓国の学生たちは阪大にも来ていただいて意見交換や議論の時間も作ったんですが、こういった取り組みは大事だと思います。北朝鮮や中国関係といった狭い意味を超えて、韓国とはこれからもしっかり仲良くやっていかなければならないですし、それは日本にとっても大事なことだと思います。

モンゴルは、本当に情報の宝庫です。ロシアのことも解るし、中国のことも解るし、北朝鮮のこともよく解るんです。私は何人かモンゴル人の非常に親しい研究者と時折意見交換をして「北朝鮮は何を考えているんだろう?」あるいは「ロシアを理解するにはどうすれば良いだろう」といったようなことを尋ねますが、彼らは中国やロシアといった大国の狭間で生きていく処世術を心得ているんですね。その辺をわれわれは伝授してもらえる。中国やロシアはどういう時に強硬な姿勢に出て、どういう時に抑制的な姿勢に出るのかは、ある程度処世術なんですが、こういった事柄をモンゴルの皆さんと話をすると良いように思います。北朝鮮に関しては、非常に中立的な立場で情報が入ります。何故かというと、モンゴルは六者協議のメンバーではないため、時折モンゴルは気を利かせて「ウランバートルで会議をしませんか?」と言ったりします。しかし、モンゴルももともと社会主義国ですから、従前の友好関係から様々な情報が入るようです。

ベトナムは、長い中越関係の中で、歴史上、何度も攻め込まれた国です。1979年にも中国と実際に交戦し、厳しい経験をした国ですが、その国としての中国との付き合い方。隣に大国を置きながらも、越南(ベトナム)としてのいろいろな価値観を持ちながら生きていく処世術を持っている国として大事だと思います。経済関係ももちろん重要ですよ。自由化や改革(ドイモイ政策)をした後のベトナムは、日本が協力をすればもっともっと発展する国だと思います。

インドは、あらためて言うまでもないと思いますが、インドと日本がしっかり関係を結ぶと、中国は二正面作戦を余儀なくされるということです。要するに、東(日本)も見なければいけないけれども、西(インド)もしっかり見なければならない。北京の関心や圧力が東ばかりに行くのではなく、西にも分散されるということです。私はそこまで過激な考え方は持っていないんですが、「インドが核を持っていることは構わないんだ。何故かというと、中国の核を牽制させるというか、バランスさせるという意味で、むしろ日本にとってはプラスだ」といった意見を持つ方も居られます。私自身は核軍縮を進めたほうが良いと思っていますから、そこまで断言はしませんが、しかし、一理はある考え方だと思います。
        
いずれにしましても、中国とインドの関係を視野に入れて、日本がインドとしっかりとした戦略的な対話の機会を持つということが大事なのではないかと思っています。

オーストラリアは、その重要度からいくと、南半球にあって、やや遠い関係と思われるかもしれませんが、民主主義と自由経済という同じ価値観を共有している訳ですし、日本にはない天然資源を豊富に持っている国ですから、遠い国ではあっても、良い関係を持っていてもよいのではないかと思います。


▼国連の刷新と活用

次に国連の話に移りたいと思いますが、既にお話しした部分もございますので、かいつまんでお話をして、結論に持っていきたいと思います。私が最初に強調したいことは、国連の中において、日本は堅実で誠実で本当に真面目なメンバーなんです。国連も加盟国が192カ国もあると、中には国連で議論されていることにまったく無頓着・無関心で、ただそこに居るだけという国もあれば、自分のことしか考えない、自国の利益をいかにこの国連という場で主張するかということしか考えていない国もあるんですが、日本はそのどちらでもないんです。いろんな地球規模な問題に関して真面目に取り組む一方、日本の非常に中核的な価値や利益が関わる時―例えば、北朝鮮の核実験やミサイル発射実験の時―は、なんとかしてそれを阻止しようとします。

その中で言えることは、日本は全体的に信頼されている数少ない国のひとつだということです。あそこ(国連の場)でメッセージを発するということは、1対1ではなく、1対191ですから、本当に1回言うだけで、世界中に拡がるという価値があると思います。ですから、総理大臣が国連総会に来て、あるいは関連の会合に出て、日本の立場を説得力のある形で、アピール力のある形で話したならば、ずいぶん日本のイメージが変わるのかなと思います。でもこのところ、皆さんご存じのように、毎年9月ぐらいになると政局で自民党時代も総理が辞めて総裁選、民主党になっても総理が辞めて代表選…。毎年、9月の後半は、国連総会が開会する時期に当たるんですが、この10年ぐらいの間だけでも、日本の総理が2人ニューヨークに行けなかったことがありました。私は「勿体ないな」と思っています。実は、私が日本政府の国連代表部に出向していた時も、総理大臣が来ない国連総会でした。民主党政権になって、鳩山・菅両総理は、実はちゃんと来ているんですが、評価は「B−」ぐらいといったところでしょうか。本来ならば、国連総会という場をもっといろいろ活用できたと思います。

現在、国連は改革が必要だと思います。先ほど申し上げたように、わがままな国がたくさん出てきてしまったため、なかなか話がまとまらない状況が続いています。安保理なんかでもそういう状況がありますが、安保理の改革は大きな問題です。今日はちょっと立ち入りませんが、質問があれば後でお答えいたします。是非、日本がしっかりした場所を占める必要があると思っています。

では、「日本が国連の中で何をするか?」といった時にいくつかするべきことがあるんですが、国連外交の中でも日米協力は可能と私は思いますので、共通の戦略目標を立てて、「国連を一緒に使う」といったような議論もしたら良いと思います。今のアメリカは、ブッシュ政権のアメリカと少し異なり、オバマ政権になってから外交の刷新を図っています。特に3D(Diplomacy(外交)、Defense(防衛)and Development(開発))と言うんですが、ブッシュ政権の時は「軍事優先、開発は二の次、必要とあらば先制攻撃もしてしまう」という状態だったと思うんですが、オバマ政権になってから明らかに違うのは、軍事は大事だが、外交も重要。さらには、貧しい国々を発展させて富ませることも重要。これを3D政策と呼んでいるのですが、これは日本が前から言っていることなんです。日米の国連に対するアプローチが非常に似てきたため、そういうところを一緒にできたら良いなと思います。

先ほど申し上げたことと矛盾があるように聞こえるかもしれませんが、日本は国連の中で尊敬されたり好まれている国なんですが、自分の足場は何処にあるのかというと、ちょっとフラフラしているところがあるように私は感じました。それは何処かと申しますと、西側のグループにも入っているし、アジアのグループにも入っているけれども、どちらが本籍で、どちらが現住所なのか? といいますと、場合によっては西側の国々。場合によってはアジアの国々。安保理非常任理事国など国連内の各種役職の選挙に出る時は「アジア枠」の国として、けれども開発援助や人権問題などを主張する時は、西側の国々のひとつとして…。と、ちょっとフラフラしているんですね。ここはもう少し整理した方が良く、「アジアの一員なんだ」ということをもう少しはっきりと打ち出して足固めする。そこには、中国との関係、北朝鮮との関係もあるんですが、しかし、大多数のアジアの国々が日本に好意的ですから良いんじゃないかと思います。

「核軍縮」や「環境問題」などいろいろありますが、私の専門は「平和構築」といって、紛争が終わった国をいかに復興させて日本のような「平和国家」に作り替えるかというところに一番関心を持っています。できれば、この「平和国家」というものを、世界中の紛争を経験した国々に再生産していきたいと思っているんですが、こういう部分では、実は日本が非常に大きな力を発揮できるのではないかと思います。それを是非国連の場でやっていくと良いと思います。「人間の安全保障」という言葉もお聞きになられたことがあるかもしれませんが、そういった考えをプロモートしているのも日本だと思います。

そのためには、やはり、国連本部にもっと多くの日本人職員を配置し、PKO、自衛官、警官、あるいは文民専門家といった方々がどんどんと国連活動という枠組の中へ出て行くようになってほしいと思います。国連は、実はNGOあるいは宗教グループもたくさん集まって議論する場なんです。ですから、是非、G8宗教指導者サミットの集まりと共に、国連の場でもこの国際宗教同志会様が活躍していただく機会を作っていただければとても心強いと思います。


▼日米外交の課題

しかし、日本がアメリカとの関係、アジアとの関係、そして国連の中での関係を議論する時に、今のままの元気のない落ち目のイメージがつきまとった状態で、しかも「お金を渋る」という風な状況では、やはりイメージが悪い。ここは一目置かれる存在になるように奮起をする必要があると思います。では何なのか? というと、そこには国家観があると思います。「平和国家として日本は生きていくんだ」といったような、先ほどの国際宗教同志会の設立趣意書にあった「平和と文化の国家」といった言葉などは日本政府に聞かせても良いんじゃないかと思いますが、平和国家としての役割の自認・拡大が必要だと思います。

日本の防衛や北東アジア地域の安全に関しても、もう少し役割を拡大することですね。鳩山政権もアメリカに対していろいろと批判はしていても、何か天に唾をするような感情を否めなかったと思います。アメリカも思ったと思うんですが、「じゃあ、日本は何をするの?」ということなんです。「基地は要らない」とか「抑止力は大事」とかいろいろ言っているんですけれども、「じゃあ日本は何をするの?」と問われた時に、「代替施設は造れない」とか「お金は出せない」といった話なんです。「日本は何をするのか?」という話が出てきて、ようやくアメリカとも交渉ができるのに、その部分がなかったところがすごくがっかりした話だとよく言われます。

日本としての役割の拡大は不可避の問題だと思います。そして、外交予算やODAや防衛予算といった―節度あるということを私は強調したいと思いますが―予算に関して、私はここで「軍事大国になれ」と決して言う訳ではないんですが、しかし、ずっと「国内の税収の問題があるから」とか「財源がないから」あるいは「国内に貧しい人がたくさん居るのに、何故世界に貢献しなければならないのか?」といったような内向きの議論になっているのをなんとか変えたい気がしています。最後に拠るべき所は日本はなんと言っても技術立国ですから、技術力を磨いていくことがとても大事だということを、とりわけ大阪に居ると日々感じるような気がします。大阪が持っているものを活かせるような気がします。本当のことを言うと、農業問題をなんとかしなければならないというのがあると思います。

「2011年、今年は何の年?」ということを振り返る時、とても面白い年です。1911年の辛亥革命で清帝国が崩壊して中華民国ができた年でもあるんですが、そこから100年。1931年の満州事変から80年。1941年の日米開戦から70年。そして戦争が終わって、占領も終わって、1951年のサンフランシスコ講話から60年。少し跳びますが、1991年の湾岸戦争から20年。2001年の「9・11事件」から10年…。やはり、現在は過去の延長線上にあるんだなと思い、この節目の年に、日本のあり方、日本の戦略、日本の国家像を考える必要があるのかなということを問題提起させていただいて、今日のお話にさせていただきたいと思います。ご清聴どうも有り難うございました。
          
 (連載おわり 文責編集部)