奥野卓司先生
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▼ピコ太郎とトランプ大統領
ただ今ご紹介いただきました、関西学院大学の奥野です。本日は、お寒い中をたくさんお集まりいただき、また、国際宗教同志会70周年の記念すべき年の第1回目の会合でお話をさせていただけるということで、大変有り難く思っております。ただ、私は先ほどご紹介いただきました公益財団法人山階鳥類研究所で副所長を務めておりますが、4月からは所長ということで、現在はむしろ、長年奉職しておりました関西学院大学よりも、そちらでの活動に重点がかかっております。
この山階鳥類研究所は元皇族の故山階芳麿博士が設立した研究所ですが、現在は秋篠宮殿下が総裁を務めておられます。皆さん、本日のお題である「アニメや漫画と全然関係ないじゃないか」と思われるかもしれませんが、例えば手塚治虫の『火の鳥』をはじめとしてアニメにも様々な形で鳥は取り上げられています。また、先ほどもちょっとお話しさせていただきましたが、こういうところへ参りますと、少し改まった部屋になりますと「松に鶴」といった立派な絵画や襖絵が飾られていますね。そういうことにつきましても、むしろいろいろとお話をさせていただきたく思っていました。
山階鳥類研究所は、約7万点の標本を持っていますが、これはヨーロッパの伝統ある本格的な研究所に匹敵する規模で、アジアでは最大の鳥類研究所であると同時に、日本の鳥類研究所の特徴は、生物学の研究所に止まらず、もともと江戸時代からの文書や絵図、さらには宮内庁が持っております伊藤若冲をはじめとする鳥に関する芸術作品も預からせていただいていますので、文化系、あるいは博物館的な意味合いも持っています。ですので、鳥と日本人や日本文化はどういう風に関係があるのか…? 古事記でも天岩戸が鶏の声で開きましたように、非常に密接な関連を持ってきた訳です。今日はそういった話をさせていただきたいと三宅善信先生にお願いしたのですが、「今日はクールジャパンの話をお願いします」と言われました(会場笑い)。という訳で、本当は鳥も関連があるのですが、今日はクールジャパンについてお話しさせていただきたいと思います。
今、その背景としまして日本文化が世界で注目されているということですが、最近の例を挙げますと、ピコ太郎さんも決して最初からマスコミに出てきた訳ではありません。ユーチューブという動画配信サイトで『PPAP』という妙竹林な彼の歌と踊りが配信されたのですが、ユーチューブには国境がなくインターネットを通じて世界中の人が見ることができますから、海外の有名人が見て「これは凄いな」と書き込みます。それを受けて今度はその有名人の日本のファンが書き込み、ブームに火が点き、最終的には日本のマスコミが報じていく…。先ほどのご挨拶で、ツイッターでバンバン発信するトランプ大統領の話がありましたが、トランプさんに限らず、数年前の「アラブの春」にも見られたように、SNSを通じた個人の情報発信が、世界の政治や文化を揺るがしていくことが当たり前になっています。日本においてもさまざまな無名の人々が日々発信しており、そのひとつがピコ太郎さんのような形で展開しているということであります。
▼エヴァンゲリオン以降
次に、昨年大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』ですが、これも実は、『君の名は。』を製作した新海誠という監督は、もともとプロの映画監督ではなく、彼の初期の作品は、ユーチューブあるいはニコニコ動画というネット媒体から出てきたクリエイターです。その意味では、アマチュアなんですね。ですので、映画『君の名は。』は、商業作品として作られた彼の最初の作品なのですが、ユーチューブやニコニコ動画時代の新海誠作品は一般のマスコミにはまったく取り上げられていなかったにもかかわらず、映画になった途端に大ヒットしました。しかし、それは配給会社がこの映画を大々的に宣伝したからではなく、映画を見た人たちによってインターネットのフェイスブックなどで盛んにコメントが書かれることによって広がっていきました。それが中国へも伝わり、日中関係がこれだけ悪い中でも「良いものは良い」ということで、中国の若者層の間でも広がり、日本映画としては過去最大の観客数を動員しているという現実があります。昨日入りましたニュースによると、『君の名は。』は惜しくもアカデミー賞には選ばれませんでしたが、ノミネートはされましたし、さらにスタジオジブリが製作した作品が選ばれています。
同様の例で、こちらはアニメではなく実写版の『シン・ゴジラ』という怪獣映画がございました。東宝のゴジラシリーズの最新作でありますが、もう何回目の最後のゴジラが創られたか判りませんが、新たに『シン・ゴジラ』が作られました。この「シン」にはそれなりに意味があります。この映画を作られた庵野秀明さんという方は、もともと映画監督ではなく、アニメの監督です。若い方たちはよくご存知ですが、『新世紀エヴァンゲリオン』の作者です。われわれはよく「エヴァ(ンゲリオン)以降」という表現を使いますが、エヴァンゲリオンとコラボした新幹線も実在するくらいですからね…。このアニメの監督が『シン・ゴジラ』を作った。今まではアニメ作品を実写化するとか、実写化したものをアニメ化することはありましたが、今回はアニメの監督が実写を撮られた…。SF的なものを撮るんだったら、むしろそういう人たちのほうが解ります。しかも、エヴァンゲリオンの世界観を知っている人たちには、その意味がよく解るんです。
『エヴァンゲリオン』はそれまでのアニメと何が違うのか? 何故、「エヴァ以降」と言うのか? それまでは『鉄腕アトム』以後、半世紀にわたって作り続けられたアニメは全て、「なんとか地球を守ろう」、「人類を守ろう」というのが主たるテーマでしたが、『エヴァンゲリオン』では既に地球は終わっています。ジブリ作品(註:『風の谷のナウシカ』)にもございますが、それ以降の作品ではいったん世界は滅亡している…。その後に続く社会とは、いったい何なんだろうか…。そこから現代を振り返る訳です。合衆国大統領に就任したトランプさんが人類滅亡までのカウントダウン時計をかなり進めてしまいましたが、しかし私たちはまだこうして生きています。そんな今日を『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように振り返るとどうなのか、ということを私たちに考えさせてくれる監督さんです。庵野監督は、「では、東日本大震災による原発事故を経験した日本でゴジラを今、設定したならば、日本はどうなるのか」ということを伝えたために、大ヒットへと繋がりました。
ゴジラシリーズは代々私も子供の頃から見てきましたが、今までの実写のゴジラを見てきた方々、つまり、われわれの世代は、当然、新作のゴジラ映画を見に行きます。われわれだけでなく、「ゴジラなんてもう古いぜ」と思っていた若い世代の人たちも庵野作品だということで映画館へ足を運びました。昔、円谷さんが作った着ぐるみの怪獣がミニチュアの街をブッ壊すウルトラマン的なものは、今のSFX(特撮)の段階から振り返れば、もの凄く古い訳です。スピルバーグ以降のアメリカのSFXの流れは、圧倒的に変わっています。ところが、そうしたものを見て育ってきた人たちも同じように『シン・ゴジラ』を見に来る。つまり、新旧世代が揃って「日本というものが他の所から脅威を受けた時にどうなるのか?」ということを考えさせるきっかけになったということであります。
▼神社や寺への外国人の関心
また、神社やお寺に奉職されている皆様はお気付きだと思いますが、最近はやたらと外国人観光客が多い。彼らは「観光客」であって「信者さん」ではないですし、仏教に帰依されている訳でもありません。しかし、だからと言って、以前のように彼らがただ単に物見遊山に訪れている訳ではないということにお気付きだと思います。例えば、訪れる外国人の中には、神社へお参りする際に、手水を使った後に二礼二拍手一礼の作法でちゃんとお参りしている人もいます。もちろん、そうでない人もいますが…。いずれにしても、日本の宗教文化になんとなく関心がある。彼らから見た日本の仏教や神道は何か不思議なものを呼び覚ますものであり、それを伝える役目をアニメや漫画が担ってきた訳です。
その証拠に、今一番外国人観光客が増えている場所が京都の伏見稲荷大社です。ここには韓国人や中国人や台湾人が大勢押しかけてきています。ここを訪れる観光客のお目当てである千本鳥居も、まさにアニメに出てきたからです。ジブリの作品を見ていても、例えば『千と千尋の神隠し』には道後温泉や台湾の九彬の街並などが場面に組み入れられています。そこには日本文化のスピリチュアルな精神文化が流れています。それに対して彼らは非常に関心を持ち、その絵のモデルになった場所が何処にあるのかを探した結果がSNSに流れるので、そこに外国の方々が集まる現象が起きています。次に「神社、寺への関心」ですが、かつては欧米人にとって「聖地巡礼」というと、キリスト教(カトリック)のものでしたが、今や日本のアニメで取り上げられた日本の神社やお寺を巡ることを指す国際語になっています。
少し話が変わりますが、日本食、とりわけ寿司が世界中で人気があります。現在、東京都内のレストランと同じ数だけ、世界中に日本食レストランがあります。そういう意味で、今では世界の主要都市に行けば、どこでも日本食を食べることができます。しかし、実際に現地を訪れると判りますが、寿司といっても、日本人の板前が握っている訳ではありません。たいていアジア系の調理師です。少なくとも経営者の8割は韓国人ですから、それが「本物の日本文化」と言えるかという問題はあるのですが、とりあえず日本食や日本酒が世界中に広まっていると言えます。
さらに現代のサブカルチャーだけでなく、江戸時代の絵画にも大変興味を持たれていますが、それも狩野派のような伝統的な作品ではなく、伊藤若冲をはじめとするさまざまな近世の絵師の作品が、ヨーロッパで非常に人気があります。これは日本でも同じで、昨年4月から5月にかけて東京都立博物館で開催された『生誕三百年記念 若冲展』では、連日、5時間待ち、6時間待ちという大人気だったことをご存知の方も居られると思います。その後、10月から12月にかけて京都市美術館でも『生誕三百年 若冲の京都 KYOTOの若冲』と題した展覧会が開催されましたが、こちらも入場者数がこれまでのベスト記録だったそうです。京都市美術館は建て替えなければどうしようもない状況なのですが、それでも最高の展示をさせていただくことができました。
▼政策としての「クール・ジャパン」
このように、われわれが思っている以上に今、日本の文化が世界から注目されています。「トランプさんの言うことならなんでも聞かなければ駄目…」あるいは、中国がいろいろと難癖をつけてくる。そういう中で日本の国際的地位の低下が懸念されるのは確かにそうなのですが、それらの諸分野の中で唯一、日本文化というものが世界中の人にとって非常に魅力を持って感じられていることは知っておいていただきたいと思います。クール・ジャパンとは、まさにこういうことなので、これでほとんど今日のお話が終わってしまいます(会場笑い)。
実は、この「クール・ジャパン」という言葉は政策の言葉で、海外で「クール・ジャパン」と言っても、通じません。以前には「ジャパン・クール」と言われていましたが、これは何かと申しますと、漫画、アニメ、あるいはゲーム、アニメのキャラクターを人形にしたフィギュア、あるいは日本の現代歌謡である「Jポップ」などです。例えば、この写真のフィギュアは大阪の海洋堂さんという大変クオリティの高いフィギュアを作っておられる会社の作品ですが、これらのものを総称して「ジャパン・クール」と呼ばれていた訳です。
では何故、それが「クール・ジャパン」になったのかといいますと、構想がそもそも政策だったからです。現在、日本政府が展開している政策のひとつに「クール・ジャパン」がありますが、政策であるが故に、アニメやゲーム以外に次のようなものが入ってきました。先ほど紹介した食文化や伝統文化はもちろんですが、その他に、棚田や里山といった日本の自然環境や、「ゆるキャラ」やご当地グルメといったものも含まれており、とにかく「日本のもので海外で売れそうなものはなんでも売ろう」という経済産業省の政策です。日本のものを売ることが目的ですから、対象がこれだけ広がってしまった訳です。広がることで良い面もありますが、本質を弁(わきま)えていないと間違った方向に行ってしまい、結局何にもならなかったり、誤解を生んでしまうこともあります。
何故そうなってしまったのか? ということを簡単に言いますと、結局は政権の功績になってしまったということです。最初はご存知のように、文化庁が2010年に設立した「クール・ジャパン室」で、麻生太郎さんが総理大臣だった時、リーマンショックへの経済対策のひとつとして国立メディア芸術総合センターというアニメの殿堂を作ろうという計画がもともとの発想ですが、「そんな阿呆なものに税金をつぎ込むのか?」というようなことを民主党から盛んに言われ、結果的にこれがひとつのきっかけとなり、自民党政権が潰れたのです。何故、麻生さんはそのようなことを言ったのかと申しますと、彼はアニメや漫画が本当に好きな方なんです。『ゴルゴ13』の大変なファンですし、いつもそれを踏まえていろんなことをやっておられます。
またこの計画をしていた役人たちも、当初は本当に好きな人たちが集まっていました。それまでは、経産省内で「アニメや漫画が好き」という話は、当時は自慢にもならなかった訳です。では、何故それが計画されたのかといいますと、「ジャパン・クール」というものとは全く別に、イギリスのブレア首相が1990年代後半に「クール・ブリタニア政策」を打ち出しました。1980年代は日本の経済力が最も良かった時代で、日本の自動車や家電メーカーがアメリカに進出してアメリカは一方的にやられている状況でしたから、今、トランプ大統領が怒っているようなことは、本当はこの頃に起こっていました。
これを巻き返したのがクリントン大統領です。彼が「情報スーパーハイウェイ構想」を作り、インターネットで世界中を席巻していくという状況を作ったため、1990年代、アメリカは急激に経済を回復させていきます。一方、「確かに、イギリスはアメリカに先端技術では負けているかもしれないけれど、アメリカには何も発信する内容(コンテンツ)がない。歴史や文化ならばイギリスはアメリカよりもっと凄い。イギリスこそクールなのだから、そこへ戻ろう」と言ったのがブレア首相です。ここで言う「クール」とはちょっと悪いところもあるのですが、1990年代のアメリカにおいて「クール」は、「涼しい」という本来の意味ではなく、「凄いね」、「ちょっと格好良いね」という意味のスラングですが、それを取り入れたのがイギリスの「クール・ブリタニア政策」です。
それを取り入れたのが麻生さんたちが考えた「クール・ジャパン政策」なのですが、これがひとつのきっかけとなって自民党政権が瓦解し、民主党が急激に台頭してきました。しかし、民主党政権になったからまったく新しいものになったかというとそうではなく、役人たちはすでに準備していますからメンバーは変わらず、「アニメの殿堂」は止めた上で、元からあったものを衣替えして、「クール・ジャパン室」が2010年末に開設されました。その後、2011年に東日本大震災が起こり、民主党政権はもろくも解体しました。
そして再び自民党政権が復帰した訳ですが、民主党政権が設置したクール・ジャパン室はどうなったのかと申しますと、自民党政権も結局は同じように「クール・ジャパン」ということになったのです。ただ、今度は「クール・ジャパン機構」と名前を改め、それまでのお役人や委員の方々は当然民主党の影響を受けていますから「要らない」ということで何処かへ追い出してしまいました。ただ、これはもともと経産省の中で関心のある人たちがやっていたものであり、政治家はそもそもそういうことに関心がある訳ではありませんから、「日本文化ならなんでもええわ」という話になってしまったのです。
なおかつ、角川グループ(ドワンゴ)以外は、アニメや漫画の重要人物が抜けてしまっています。何故なら、スタジオ・ジブリの方々の発言を見ていても、やはり映画やアニメを作るクリエイティブな方々は、どちらかというと反政府的なので、どうしても批判的になる。ですので、民主党から自民党に移った時に彼らはそのままくっついて行ったかというと、そうではなく、徹底的に批判し始めました。それ故にクール・ジャパン機構はクリエイターたちをほとんど結集できていない面があります。やはりオタクたちは、お役人たちが何を言っても「本当に好きな奴がやっているかどうか」ということをすぐに見抜きますね。
では、作品を作ることはできないのかといいますとそうではなく、例えば『君の名は。』あるいは『シン・ゴジラ』のように、むしろできあがった作品がインターネットで広まるなど、国の政策とは無関係に広がるという現状があります。これが巧く共鳴していくと良い訳ですが、実際は、実態と行政が行っていることが少し違っています。とにかく政権が代わる度に前政権の取り組みを全否定するため、ますます構想が曖昧になって、「取りあえず日本のものならクール・ジャパン」という話になってしまっています。
▼脱工業化社会の端緒となった大阪万博
何故、こういうことが重要になってくるのかと申しますと、先ほど三宅善信先生も仰ったように、製造業など日本の工業社会が巧くいかなくなってくると何処へ向かうかと申しますと、情報社会に向かう訳です。ある一定以上の年齢層の方々にはその変化が新鮮に感じられるかもしれませんが、今となっては当たり前のような話ですから、情報社会の中で育ってきた今の学生さんに同じことを言ってもあまり効果がありません。この変化の元を辿りますと、1960年代から70年代にかけて、公害の問題や大量生産した工業製品が売れなくなってくること、あるいはエネルギー資源が不足してくるため、「このまま工業社会は続いていかない」ということが盛んに言われました。これを最初に言ったのが、アメリカの社会学者のダニエル・ベルです。彼が著した『ポスト・インダストリアル・ソサエティ(脱工業化社会)』はベストセラーになりましたが、「工業社会が終わる」という有名な『成長の限界』をはじめ、当時の工業人にとっては大変な衝撃でした。その後、ローマクラブからも「あと30年で石油資源が枯渇する」など様々なレポートが出され、工業社会も認めざるを得ない流れになってきました。では、いったいどのような社会を目指すのか? 「工業社会は駄目になる」ということは確かに衝撃的でしたが、その時点ではまだ「脱工業化社会」までで、その先は何処へ向かって行くのかということは曖昧なままでした。その行き先を最初に示したのが、日本人、とりわけ関西の人々でした。
実は、1970年に開催された大阪万博の折にそのキーコンセプトについてさまざまな議論があったのですが、その直前に、アメリカが月面着陸したこともあり、最終的には『人類の進歩と調和』というテーマになりましたが、ベースにあるコンセプトを創ったのは日本人でした。先ほどご紹介にもありました国立民族博物館を創られました梅棹忠夫さんや、林雄二郎さん、加藤秀俊さん、SF作家の小松左京さんといった関西の知識人たちが考えたのです。その頃、梅棹先生が『放送朝日』という雑誌に書いた「情報産業社会」という言葉が、万博のコア・コンセプトになったことが始まりなのですが、まだ当時は「次の社会は情報社会だ」という考え方は、世界中どこにも存在しませんでした。現在は(「情報社会」を英訳した)「Information Society」という言葉が世界中で流れていて、当たり前のことになっています。残念なことですが、私たち社会科学の研究者にとって、日本発信の新たな言葉が学問の世界で共通語になることはほとんどありません。もちろん、日本文化については別ですが、テクニカルタームにおいて言えば、それが現実です。今は「情報社会」という言葉はそれぞれの国の言葉で世界中の人々が使っていますし、現在の情報社会という言葉を誰も疑わない訳ですが、そのコンセプトが日本の研究者によって生み出されたということは、画期的な出来事だった訳です。これは先ほど申し上げたような世界的な経済の流れの中で本当になっていきます。
現在、シャープやソニーやパナソニックといった日本の家電企業が厳しい経営状況に陥っていることは皆様もよくご存知だと思います。トランプさんはあのように怒っていますが、それは不当な競争によってアメリカの産業が駄目になったのではなく、西側先進国であったところはどこも製造業的には駄目になっており、情報社会に転換していきました。そういう意味では、トランプさんの国(アメリカ)は、日本やヨーロッパより巧く情報社会へ転換していると言えます。トランプさんがグーグルやアマゾンに対して「アメリカ企業なら雇用も国際化ではなくアメリカファーストで行わなければならない」と批判していますが、そこに矛盾がある訳です。トランプさんはそう思っておられるようですが、果たしてこれらの企業がアメリカの企業と言えるかどうか? 世界の中でこれまで先進国だと思われていたところは、どこも工業社会が行き詰まる―つまり、国家の運営が行き詰まる―現象をきたしていると言えます。ではどうすれば良いのか?
これはまさに、梅棹先生が1968年に示したところ、つまり工業社会から情報社会に転移すれば良いということです。ですから「日本車は輸入するな」と言われたら、輸出しなければ良いんです。「日本車は米国市場から出て行け」と言われたら、安倍さんのように謝って「入れてくれ」などと言わずに出て行ったって構わないんです。どっちみち、今のままでは日本の自動車産業に未来はありません。日本の自動車産業は、もはや単純なガソリンエンジンを使っていません。日本は電気自動車や自動運転車といった技術開発をすれば良いのであって、自動車メーカーも車体なんて造っていても意味がありません。グーグルなどと同じ情報産業として生き残っていかなければならない…。つまり、現在はモノの生産消費から、コトの生産消費に移っているのです。家電や製造業は文化産業に移っていくことによってこそ価値があるということになってきています。
▼モノからコトへ
確かに日本にも情報社会へ移行してゆく過程に「IT革命」がありました。阪神淡路大震災が起きた1995年には、まだ携帯電話はほとんど普及してはいませんでしたが、一応あの年が「インターネット元年」と言われており、阪神間に初めて光ファイバーが入りました。それ以降、さまざまなITを推進するためにやってまいりましたが、あれは本当の意味での「IT革命」ではなく、単なる「製造業の延命」に過ぎませんでした。何故なら、光ファイバーにせよ、コンピューターにせよ、車にせよ、あくまでもモノを作っている訳ですから…。モノを作っているのは工業社会であり、後にヒットしたハイビジョンカメラも、大型液晶テレビも、DVDも、ガラケーもスマホも、全部日本の工業社会が作ってきた訳です。日本はすべていったんは世界のトップになるのですが、何年か経つと全部駄目になってしまっている。つまり、いったんトップになったとしても、モノの生産を続けている間は駄目だということです。
情報革命らしいことはやっていたけれども、本当は製造業の延命だった。しかし、同時期に私たちが知らないところで、本当の意味での情報革命が進んでいました。今では当たり前ですが、ジブリの宮崎駿さんのさまざま作品が海外で評価されたり、皆さんはご存知ないかもしれませんが、押井守さんの作品(ゴースト・イン・ザ・シェル)や、あるいは任天堂のゲームが売れたり、さまざまなアニメや漫画が世界で評価されてアカデミー賞やカンヌの舞台に登っています。アカデミー賞の舞台にアニメーションが取り上げられたことは、ディズニーでもなかったんです。つまり、それまでは「アニメーションは映画ではない」という認識だったんです。それを映画作品として世界に認めさせたのは日本のアニメが初めてです。
これは決して日本政府が押し込んだからではなく、世界が認めてくれたのです。その結果、世界中で日本のアニメが無茶苦茶にされてしまうこともあるのですが…。左側の写真がスタジオ・ジブリの正規の作品、右側はジブリ作品の不正コピーが一杯詰め込まれたもので、中国の普通の書店で1枚7元(約110円)ぐらいで売られているものですが、インターネットで流れているものをDVDに収めているだけで、当然著作権料を払っていただいてませんから、日本には一銭も入ってきません。
ドラえもん、ポケモン、キティちゃんは、今やミッキーマウスを凌駕して、日本の三大キャラクターになっていますが、こういうことをキチッと評価してくれているのは、残念ながら日本ではなく海外の学生さんです。最初に評価してくれたのが、ダグラス・マクグレイ(Douglas McGray)という米国の経済学者や、ハーバード大学のジョセフ・ナイ(Joseph Nye)教授ですが、ジョセフ・ナイ教授はクリントン政権における国防次官補だった方ですが、すでに当時、ISのようなものの出現を予測されて、アメリカの中東政策を「これで巧く行くはずがない」と批判されて、ハーバード大学へ戻られて、再び同大学で教授になられた方です。
例えば、ダクラス・マクグレイさんは「GNC(Gross National Cool)」(国民総かっこよさ)という概念を提唱しておられます。GNP(Gross National Product、国民総生産)という言葉がありますが、1980年代には、本当にトランプさんが恐れなければならないような、日本がGNPでアメリカを抜こうとした時期がありました。1980年代の終わり頃には、ニューヨークのトランプタワーがある辺りも全部日本企業が買い占めていましたが、その後バブル崩壊が起こりました。それ以降、名目上GNPは世界第2位を守ってきましたが、2010年には中国に抜かれて第3位に転落し、事実上はOECD(経済協力開発機構)の中ではハンガリーのひとつ上ぐらいだという話になってきています。しかし、ダグラス・マクグレイさんは、「日本はGNP(国民総生産)においては世界ベスト10に入ってくることはないけれども、GNC(国民総かっこよさ)で言うならば、日本は今でも世界トップだ」と言われた訳です。これは日本の製品においても言えることです。
▼日本は物語づくりの国
(カーター政権やクリントン政権で政府の要職を務められた、ハーバード大学の)ジョセフ・ナイ教授は、「アメリカはハードパワーでは確かに凄い力を持っているが、日本のソフトパワーに学ばなければならない。日本のソフトパワーはとても魅力を持っていて世界から尊敬されているけれども、果たしてアメリカにそういったソフトパワーがあるだろうか?」と言われました。日本は当時、「1980年代よ、もう一度」と、もう一度物づくり大国として復活しようとしていましたが、よく考えてみたら日本はすでに「物語づくり大国」だったということです。つまり、トヨタや日産、ソニーの商品が1980年代に、アメリカで、あるいは世界中でよく売れたのは何故かというと、性能が良かったからというより、それがクールだったからです。その製品がいかに安いか、いかに性能が良いかというより、それを持っていることが格好良いという、個々の製品がちゃんと物語を持っていたということです。
そう言われてみるとよく解るのは、「歴史的に日本は物語づくりの国だ」ということです。『源氏物語』は世界最初の絵巻物ですし、『鳥獣人物戯画』は世界最初の漫画です。当時の世界中の文化を見渡しても、あんなレベルのものはどこにもありません。さらに近世になり、浮世草子にしろ、黄表紙にしろ、歌舞伎や人形浄瑠璃にしろ、庶民が創り、庶民が愛し、庶民に育てられてきた。こんな国は他にないんです。そこから今日のアニメや漫画、ポップミュージックに繋がっている訳で、今述べているサブカルチャー―いわゆる若者文化―は、決して日本の伝統芸能や絵画から切り離されたものではなく、むしろそうした伝統のもとにあるということです。ですから、韓国や中国がいくら真似しようとしたとしても、日本のポップカルチャーには伝統的な味わいがあるから真似ができない…。これがいったい何なのかを掴まない限り、クールジャパンを把握できないし、それを本当の意味で世界に広げていくことができないと思います。
では、世界にどのように広がっているかをザッと見ていきましょう。これは、アメリカで16年ぶりに大阪の文楽が上演されることになったのですが、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコの内、シカゴに適切な劇場がなかったため、イリノイ大学が会場に選ばれました。イリノイ州といえばオバマ大統領が上院議員を務めていたところですが、コーン畑の真ん中にある大学ですから、なかなか一般の方には来てもらえないだろうということで、できるだけ学生さんに足を運んでもらおうとなったのですが、アメリカの学生さんに文楽が解るのだろうかということで、私が現地に赴いて「日本のアニメや漫画を知るには、文楽を見ないと繋がりが解りませんよ」という話をさせていただきました。とはいえ、そもそも日本のアニメや漫画をどれほど知っているのかと思っていましたら、この(写真)ようにコスプレの衣装を着た人たちがたくさん集まってきてくれました。
また、日本のポップカルチャーが堂々と入っているのは台湾です。ご承知の通り、台湾と日本は親密な関係にあり、アジアの中で日本文化を素直に受け止めてくれています。この(写真)人は実は香港のオタクなんですが、中国大陸では日本のアニメがそのまま放送されないので、中国人たちは台湾まで本を買いに来て―その時点で都合良く中国語に翻訳されてますから―、中国国内で写真の彼女たちが販売しています。実際は、中国でもファンが自分たちで同人誌を作っていますが、そこで取り上げられているのは『少年ジャンプ』や『少年マガジン』や単行本のような日本の商業誌に載っているものではなく、中国のマニアがネットから日本の最新のアニメを見つけ出して、それを再構成して雑誌にしているのです。
韓国でも同じような現象があり、正規の書店でも日本のアニメ本が並んでいますが、ただ残念なことに、韓国では「政治的に日本の大衆文化はそのまま出せない」ということで、日本の出版社がその理不尽な条件を了解してしまったから、日本の漫画が言葉だけが翻訳されてそのまま出版されている訳ではありません。日本語がハングルに置き換えられるのは当たり前ですが、背景の絵柄がすべてソウルの街になっていたり、酷いものになると作家まで韓国人の名前に変えられています。例えば『ヒカルの碁』という小学生が囲碁の名人になってしまうという漫画がありますが、あれは平安時代の天才棋士であった貴族(藤原佐為)が亡霊となって現代の日本に現れて子どもに囲碁を教える話ですけれども、韓国の漫画の中では『ゴースト囲碁王』というタイトルで韓国の両班(ヤンバン)として描かれています。「これで良いのか?」という話ですが、日本のオリジナルの漫画が読みたい韓国の若者は、ネットを検索さえすれば日本の原作漫画が読めます。しかし、正規の書店に行きますとこういう形で販売されているのが現実です。
これはパリで開催された「ジャパン・エキスポ」の写真ですが、皆様もよくご存知の三宅善信先生が写っています。コスプレをした人たちが日本の宗教家を迎えてくださるというおめでたい場面も現実にあります(会場笑い)。今では「オタク」や「コミケ(コミックマーケット)」、「コスプレ」といった日本語が国際語として、若者たちの間では普通に通じます。当然、日本のアニメも世界中の本屋さんで売られています。さらに、これがインバウンドの契機になりつつあります。台湾の日本びいきの若者のことを「哈日族」と呼ぶのですが、これは哈日恭子さんという方が『日本ガイド・マンガ』を作成してインターネットに流したことをきっかけに世界中に読者が広がっています。この中に日本のアニメや漫画に描かれた神社やお寺がたくさん登場しますが、こうしたものが日本文化の切り口になっています。これまではお茶やお華が日本を知るきっかけになっていましたが、今ではむしろ、漫画やアニメからお花を知ったり、畳や鯉のぼりに興味を持つきっかけになっています。私は国際日本文化研究センターに居たことがあるのですが、海外の小学生から、やたらと質問が来るのです。例えば、「鯉のぼりは何故空に浮くの?」といった質問も多いですが、これは『ドラえもん』に鯉のぼりがしょっちゅう登場するからです。これを単に「日本の習慣です」と言っても駄目です。「鯉の滝登り」の話をかんで含めるように紹介することで、初めて日本文化について理解いただくことができる訳です。それで「日本文化を学びたい」と、大勢の学生さんが日本に来てくれていますが、きっかけを尋ねますと、そのほとんどが「日本の漫画やアニメに関心を持ち、日本語を学びたいと思った」という答えが返ってきます。
▼江戸時代からクールだった日本
次に、日本のジャパン・クールの特徴として挙げられるのが、1つ目が「作り手と受け手の共振」です。漫画のプロフェッショナルと読者がいるのではなく、読者が漫画を描いている。2つ目は「地域と遊びの共振」です。そして3つ目の「情報技術の進展の支え(SNS)」があり、そこへ4つ目の「日本の物語づくりの伝統」がちゃんと生きていることが凄く重要であります。コミケ(註:コミックマーケットの略。年2回開催される同人誌即売会。毎回数十万人が訪れる)がその象徴ですが、コミケは決してプロの作家の集まりではありません。オタクの人々が自分で描いた作品を発表する場なのですが、ここが今、編集者たちが一番集まる場所です。彼ら自身は商業誌に載らなくても独自のネットワークを持っており、例えば、「まんだらけ」や「アニメイト」といった漫画専門店でしたら、出版社を通さない販売形態がありますし、もっと言えば、ネットならば直接買えてしまいます。けれども、コミケという場に世界中の若者たちが集まってくる現象が起きています。
次に「聖地巡礼」ですが、ご覧の通り、さまざまな神社の名前が挙がっています。このコスプレ若者たちが踊っている写真は、私が住んでいる場所に近い西宮市の公園で撮影したものですが、ここで取り上げられている『涼宮ハルヒの憂鬱』も、最初はまったく同人の漫画でした。それをローカルAM局のラジオ関西が声で放送したところ、本来なら阪神間の人しか聞くことができないはずですが、インターネットで流されてしまう。そこで、京都アニメーション―スタジオ・ジブリの次に大きなアニメーション会社ですが、最近は伏見稲荷を参拝した後、この京都アニメーションの会社の前で写真を撮って帰るのが聖地巡礼のコースになっていて、JR奈良線がやたら外国人で混んでいるという話です―がアニメ化して、独立系のUHF局であるサンテレビやKBS京都で流したところ、インターネットで世界中に拡散してしまいました。
最終的にカドカワ(角川書店)が版権を買ったんですが、ネットを通じて世界に拡がったのは、カドカワが版権を買う前でした。その理由のひとつがこちらの写真です。上は実際にアニメで流れているエンディングのシーンですが、彼らは私の大学の学生さんという訳ではなく、周辺の様々な学校からSNSを通じて集まってきて、コスプレをして皆が一緒に踊っています。そしてその様子がSNSを通じて流されることで、再び広まっていくのですが、そういったYouTubeなどの動画の共有サイトが、瞬く間に情報が広がる強力な要因になっています。
国宗会員諸師に熱弁を揮う奥野卓司教授
その元は何処かというと、実は近世の日本文化の中にあるということが言えると思います。近頃、江戸文化ブームということが盛んに言われますが、だいたい本屋さんに行くと各社とも月に3冊ぐらい出していますが、そのうち1冊は政治軍事の話ですが、1冊は江戸文化についての新書だったりします。かつては、江戸時代というと鎖国もしているし、宗教弾圧もあるし、士農工商という身分制度もあるしと、江戸時代は決して良いイメージではありませんでしたが、今の江戸のイメージはまったく様変わりしています。むしろ、自由で平和で安全で環境都市であったという風なイメージです。本当はここは検討していかなければならないところですが、一方で伊藤若冲を始めとする江戸文化は世界中で圧倒的な人気を受けていますことを考えると、現在のクール・ジャパンの流れは江戸時代にあったと言えます。つまり、日本にしかない絵物語の伝統があるからこそ、例えば、江戸時代の黄表紙や浮世絵があったからこそ現在のコミックがあり、総合芸術である歌舞伎がアニメへと繋がっている。
何故、Jポップが良いかというと、Jポップはリズムよりむしろ語りを大事にしているからなんです。邦楽には歌の流れと語りの流れがあり、語りには浄瑠璃のような流れがあります。中島みゆきさんにしてもそうですが、Jポップは先に言葉から創られていく。そこに日本の音楽のユニークさがあると思います。最近、ボブ・ディランがノーベル賞を受賞しましたが、何故ボブ・ディランが評価されたのかというと、そういう言葉の音楽が欧米にはないからです。同じことは日本ではずっと行われていました。コミケのような若者たちの集まりは、マニアとプロが地続きになっていますが、こういう流れは海外にはありません。芸術家は芸術家。これが王様や貴族に雇われて初めて芸術家という職業が成立する訳です。日本の場合は、漫画家にしてもアニメ―ターにしても、それをファンが支えています。なおかつそういったファンが漫画やアニメを創作する世界に入っていくんです。
▼侘、寂、粋、萌が日本文化の真髄
それを教える人たちがいますが、これは家元制度であったり、昔で言うならば数寄者―今で言うところのオタクです―や目利きがいることで成り立っている。それから「連」というものがありますが、これは現在のSNSと同じですから、日本は江戸時代からネットワークで繋がっていたと言えます。つまり、江戸文化の担い手というものは特権階級ではなく、町民の連でプロとマニアが一緒に芸や文化を育ててきたということが特徴として言えると思います。その中で「粋(いき)」の文化が生まれてまいりました。上方では「粋(すい)」と読みます。日本には昔から「侘(わび)、寂(さび)」の文化がありましたが、今のオタクにも「萌(も)え」の文化があります。実はこれらは本当は一連の流れにあり、私は「侘、寂、粋、萌」と呼んでおりますが、これが日本文化の真髄であります。
これは何かと言いますと、例えば、歌舞伎や文楽では大盗賊の石川五右衛門がヒーローになってしまうように、善と悪とか、勝者と敗者とか、幸福と不幸といったような二項対立を超えた多色刷りのモザイクとしての芸です。これは漫画やアニメにも見られます。果たしてゴジラは悪者でしょうか? ルパン3世は悪い奴で、銭形警部は良い奴なんでしょうか? 善し悪しは粋かどうかで決まる。そして、それがアニミズム(自然と人の一体感)へと繋がり、その背景に日本的神性がある。それらに触れたいということで、世界中の若者たちが聖地巡礼をするために日本を訪れる訳です。そしてこれをSNSで発信していくことが、本当の意味でのクールなジャパンだと私は考えています。
まさに今日はインターネット、スマホの時代で、さらにSNSの時代となり、人工知能というビッグデータとして、日々バックアップされていく。つまり、スマホで誰もが何でも発信できる時代になった。そうすると、今度はもう神様仏様なんて要らなくなってしまい、居なくなってしまうんじゃないかと危惧される方も出てくるかもしれません。裏返せば、機械がすべてを支配して機械が神になってしまうかもしれない…。実はそうではなくて、私はこれを「テクノ・アニミズム」と呼んでいるのですが、何故、日本人はロボットが好きなんでしょう? 西洋ではロボットは人間が排斥される恐れのあるものであり、トランプさんのああいった発言の中にもきっと「労働者が仕事を奪われる」といったようなロボットに対する先入観があると思うんです。けれども日本の労働者はロボットが会社に導入されると喜ぶじゃないですか。つまり、ロボットはペットや動物と同じように自分と一体のものとして、あるい仲間として感じ、心を通わせるところがあるからです。そうすると、このテクノアニミズムによって信仰は再び深まっていく可能性もあるのではないかと思います。
これまでの時代は情報を広く発信しようと思うと大規模な組織を必要としましたが、今やSNSを通じて個人が発信できる訳ですから、規模や組織と無関係に世界中に発信し影響を与えることができます。現に、ベネディクト16世が教皇に選出された2005年のコンクラーベでは、このように非常に精神的な人々が集まってきた訳ですが、わずか8年後に、フランシスコ教皇が選出された2013年のコンクラーベでは、これだけ多くの人々が教皇の登場をスマホで一斉に捉え、報道機関を介してニュースになる前に世界中に発信された訳です。
グーテンベルグの印刷技術で作られた最初のメディアが聖書で、これによって世界中にキリスト教が広まりましたが、最後に行き着く所と言われている2045年、AIの時代はどうなっているのか…。ひょっとすると、聖地はネットの中のバーチャルな世界になっているかもしれませんし、一方で、それはローマでなくとも、大阪や京都であっても構わないということになっていくのではないかと思います。雑駁なお話になってしまいましたが、これで私の話を終わらせていただきます。有り難うございました。
(連載おわり 文責編集部)