国際宗教同志会70周年記念総会  記念講演
『トランプ政権下のアメリカと世界』

同志社大学法学部 教授
村田晃嗣

2017年7月22日、リーガロイヤルホテルにおいて、国際宗教同志会70周年記念総会が、国際宗教同志会の会員諸師と各宗派・団体から多数の来賓参集の下開催され、同志社大学法学部教授の村田晃嗣先生をお招きして、『トランプ政権下のアメリカと世界』という講題でお話しいただいた。本サイトでは、その内容を数回に分けて掲載する


村田晃嗣
奥野卓司先生

▼人口減少という要因

皆様、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました村田晃嗣でございます。本日は70周年を記念する集まりということで、大変おめでとうございます。今、三宅善信先生からご説明がありましたが、国際宗教同志会は、牧野虎次、湯浅八郎といった私共同志社大学の大先輩が中心となって設立された団体ということですが、そのような集まりにお呼びいただき、大変光栄に存じます。今からまず1時間お話をさせていただき、その後に質疑応答に移らせていただきたいと存じます。

1月20日にドナルド・ジョン・トランプがアメリカ合衆国の第45代大統領に就任してから、すでに5カ月以上が経ちました。トランプ氏については当初からいろいろと言われてきた訳ですが、5カ月経ってみますと、トランプ政権の問題や課題というものが、かなり具体的に見えてきたのではないかと感じます。限られた時間でいろいろなことを申し上げますので、基本的に3つのパートに分けてお話ししようと思います。1つ目は、そもそもトランプのような人物が大統領選挙に当選するに至ったアメリカの社会の変化。仮にトランプが当選していなかったとしても、今から申し上げるような社会の変化はずっと続いてきましたし、これからもずっと続いていきます。そういった、アメリカの社会的変化。そして、2番目はアメリカ国内政治のお話です。3番目は日本を取り巻く東アジアの国際環境のお話です。

リーガロイヤルホテルで開催された国宗70周年記念総会の記念講演

まず、1つ目の「アメリカの社会の変化」ですが、例えば日本の将来を議論する時に「少子高齢化」というファクターを抜きにしては議論ができません。今、日本の人口は1億2,700万人ですが、ご存知のように今世紀の半ばには1億人になると言われています。つまり、あと33年間でこの国は2,700万人の人口が失われるということです。日本のことですから、向こう33年の間におそらく戦争はないだろうと思います。大規模な伝染病・疫病が流行ることもない。飢餓になることもない。つまり、平和のうちに、たった33年間に人口二千数百万人を失う訳です。こんな経験をした国は、人類の歴史において、未だかつてありません。われわれは、人類史上、いかなる国も経験したことのない人口減少に直面しています。このような人口減少問題に直面しているのは、日本とロシアだけです。

2,700万人というと数が大きくて抽象的ですからイメージしにくいかもしれませんが、四国四県の人口の合計が450万人ですから、例えばこれから33年の間に四国が6回無くなることを意味します。途方もないことです。また、今日は京都からお見えの方もいらっしゃるようですが、幕末明治維新の時、京の都から天皇が江戸に下られた。京都の人々は一時的な下向だと思っていたら、天皇はそのまま江戸に定住されて、江戸がそのまま東京になるということで、京都は千年の都であることをやめた訳です。幕末明治維新の時、京都の人口は36万人でしたが、御一新の結果、京都の人口が24万人に減ります。つまり、街の人口が3分の1減った訳です。これは大変なできごとだったんです。

もし、奈良の関係者の方が居られたらお叱りを受けるかもしれませんが、明治維新について、当時の京都の経済人や行政が言ったことは「第2の奈良になるな」でした。首都でなくなったからといって、急速に没落して一地方都市になってしまってはいけない…。「京都を第2の奈良にしてはいけない」ということで、京都は全国に先駆けて小学校を作り、新しい産業を興して、なんとか生き延びた。ですので、幕末維新時に京都が3分の1の人口を失ったということ…。それを、こんどは日本国全体で追体験する訳です。日本についてもそうですが、今日お話しするアメリカについても、あるいは世界についても、この人口の変化が、非常に客観的で重要なファクターになると思います。

今日はヨーロッパの話を申し上げる時間的余裕はないのですが、例えば去年のブリグジット(註:英国のEUからの離脱を決めた国民投票)や、今年の10月にはドイツで総選挙が行われますけれども、これからヨーロッパは何処へ向かっていくのか…。ヨーロッパの将来を考える時、今世紀の半ば、2050年までに、アフリカの人口が2倍に増えます。このことを抜きにして、ヨーロッパの将来を議論することはできません。アフリカは自ら自分たちを養っていけるか? おそらくその答えは「ノー」です。そうすると、食べられないアフリカの人たちは、移民か難民になってヨーロッパへ流れていきます。ですから、アフリカの人口増大を無視してヨーロッパの将来を語ることはできません。

また、現在のアメリカの人口は3億1,000万人超です。いつも大統領選挙の時に、大変ホットな焦点になる州としてフロリダ州が挙げられます。フロリダは、人口ではカリフォルニア州、テキサス州に続いて、アメリカで3番目に人口の多い州なんですが、フロリダの有権者の実に2割が「ラティーノ」と呼ばれるラテン系の人たちです。昔は「ヒスパニック」と申しましたから、ヒスパニックのほうが分かりやすいのであればそう呼べば良いのかもしれませんが、最近は学者はあまり「ヒスパニック」とは申さず、「ラティーノ」と申します。何故かというと「ヒスパニック」ですと言葉からもお判りいただけるように、スペイン語を話す人を指します。しかし、彼らを「スペイン系」という言葉で括ると、ポルトガル語を話すブラジルが漏れてしまいます。

フロリダの有権者の2割がラティーノですから、彼らが共和党に票を入れるのか、民主党に票を入れるのかが大統領選挙のかなり大きい焦点になっています。今回、フロリダ州はトランプが取りました。フロリダでは2割ですが、アメリカ全体の人口の17%がラティーノです。黒人の人口が14%ですから、黒人よりも大きなマイノリティー集団をラティーノが形成しているということになります。今日は宗教者の集まりですから特にこれは大事な点だと思いますが、ラティーノの人口が増えるということは、かなりの程度これに呼応して、カトリック人口が増えるということになります。ラテン系はカトリック教徒が多いですからね。そうすると、アメリカのキリスト教徒の中で、カトリックとプロテスタントの人口比率が変わってくるということです。


▼キリスト教を凌駕するイスラム教徒

今日はムスリム(イスラム教徒)の方はお見えじゃないと思いますが、皆さんはこの国にどれぐらいイスラム教徒の方が居られると思いますか? 日本人の方はあまり意識されないと思いますが、現在11万人です。この「11万人」という数が多いと感じるか、少ないと感じるかはそれぞれだと思います。ただし、この数字には補足説明(フットノート)が必要で、この11万のうち、日本人でなおかつムスリムの方は1万人だけです。残りの10万人は、この国に住んでおられる外国人のムスリムの方々ということになります。おそらく、この日本人のムスリム1万人の中でには、ムスリムの外国人男性と結婚して仏教やキリスト教からイスラム教に改宗された女性の方々がかなりの割合を占めると思いますが、いずれにしても、合計で11万人のイスラム教徒の方が居られる。日本の人口が約1億2,700万人ですから、11万人ということは、全人口の0.1%以下…。千人に一人も居りません。しかし、例えば日本の場合ですと「家の宗旨は仏教だけれど、個人はキリスト教」といったようなダブルカウントの方が居られますから、宗教の人口統計はかなり難しい面があります。

アメリカにおけるムスリムの人口は、約330万人です。先ほど申し上げたようにアメリカの人口が3億1,000万人ですから、ムスリムの割合は全体の1%強です。「人口の1%強」を、この国(日本)の状況に移し替えて考えると、だいたいキリスト教徒の人口に匹敵します。ですので、アメリカにおけるムスリムは、この国におけるクリスチャンのプレゼンスに相応する存在感を持っていると言えます。ただ大きな違いは、私自身、京都の同志社大学というキリスト教系の大学で教鞭を執っていますが、新島襄先生が約140前に京都の地にキリスト教主義の学校を創建されてから今日に至るまで、日本でキリス教徒の割合が人口の1%を超えたことは一度もありません。

国宗70周年記念総会で熱弁を揮う村田晃嗣同志社大学法学部教授

ずいぶん昔の話になりますが、同志社の京田辺キャンパスができて10周年の時に、もう亡くなられましたが、小説家の司馬遼太郎先生がご講演をしてくださっています。私はその時は聞く機会がなかったのですが、残っている議事録を拝見したところ、司馬先生は「日本人とはなんと薄情な国民だろう。キリスト教にこれだけ学校や病院を作ってもらったにもかかわらず、キリスト教徒は百人に一人も居ない」と仰ってました。日本ではずっと1%…。ところが、アメリカにおけるムスリムの人口は、今現在は1%強ですけれども、今世紀の半ばまでには2倍に増えます。これはアメリカに限ったことではなく、全世界では、今世紀の半ばまでにカトリックとプロテスタントを足したキリスト教全体の人口をイスラム教の人口が上回る。つまり、今世紀半ばには、ムスリムは世界最大の人口を有する宗教になっていくということです。


▼宗教について無知なのと寛容とは違う

最近、日本では誰もが「グローバル化」という言葉を盛んに口にします。「企業はグローバル化しないと生き残れない」、「地方自治体もグローバル化が必要」、あるいは「大学はグローバル人材を育てるところである」といったように…。しかし、日本人が言う「グローバル化」がどれほど薄っぺらいものかというと、ひとつは「グローバル化」とよく口にする人々が「国際化とグローバル化がどう違うのか?」その区別がついていない。というか、国際化とグローバル化は、実は違うものであるはずだということにさえ気がついていない…。仮に「国際化」と「グローバル化」が同じものならば、何もわざわざ「グローバル化」という新しい言葉を使う必要はなく、今までと同じように「国際化」と言っていれば良いのです。しかし、ここ数年、誰もが「国際化」ではなく「グローバル化」という言葉を使うということは、これまでとは異なる社会現象が起こっているから、敢えて「グローバル化」という別の言葉を使っているはずなんです。

しかし、実際には「国際化」と「グローバル化」の区別がついていない…。留学生が増えたとか、英語を話す機会が増えたとか、Eメールで英語の受発信が増えたとか、外国企業との取引が増えたとか、そういったことがグローバル化かと問われると、もちろん「それはグローバル化ではない」とは申しませんが、かなり表層的なレベルの話だと思います。本日は宗教者の方々の集まりですから、それこそ釈迦に説法だとは思いますが、一般にイスラムの話をする際、誰もが「グローバル化」と言いつつ、イスラム教のシーア派とスンニ派の区別がつく人がどれほど居るでしょうか? 「シーア派とスンニ派は、いったい何が違うのか?」と尋ねた時に、ある程度体系立てて説明できる人がどれだけ居るでしょうか? しかし今世紀半ばまでに、世界最大の人口を有する宗教であるイスラム教のシーア派とスンニ派の区別もつかないまま、どうやってこの国がグローバル化していくのか…。


(連載つづく 文責編集部)