才脇直樹先生
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▼神職にして科学者
ただ今、ご紹介に与(あずか)りました才脇直樹と申します。本日は宗教界の諸先輩方、友人の先生方がたくさん居られるような場で、私のような若手の人間がお話しさせていただくのは非常に恐縮でございますが、専門分野ということでお許しいただければと思います。まず、本日頂戴した講題『AI、ロボット、IoTの過去・現在・未来と私たちの暮らし』についてですけれども、人工知能(AI)などは今、世間を騒がしているテーマで「最先端」と言われていますが、その開発の真っただ中で仕事をしておりますと、最先端と申しましても、古い部分、見えてない部分、あるいは問題を孕んでいる部分など、いろいろございます。そういったところで、技術の実情もできるだけ解りやすくお話しさせていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
私は国立大学でこういう情報系の研究をしておりますけれども、実は、私は神職の資格も持っております。本日会場にいらっしゃる懸野先生の野宮神社様がお祭をされる時に助勤に上がらせていただいたこともございますし、地元の茨木で神社のお手伝いをさせていただくこともございます。懸野先生は奥様が奈良女子大学のご出身でいらっしゃいまして、先々代の学長先生の下で研究室を卒業されたということで、いろいろ思いあたるところがお互いにございます。また、三宅善信先生にも長く懇意にしていただきましたことが、今日こういう場に繋がっていると思います。という訳で、現在は私自身、仕事として全面的に宗教に関わっている訳ではございませんが、宗教家の皆様方の末弟に当たる、そういう志を持っている人間だということも、予めご了解いただけたらと思います。
先ほど私の経歴について、いろいろご紹介いただきました。細かい文字で見にくくて申し訳ありませんが、大阪大学の大学院基礎工学研究科で学んだ後、ロンドン大学、スタンフォード大学を経まして、奈良女子大学で教授をさせていただいております。今年から学長補佐の仕事にも取り組んでおりまして、自分の研究だけではなく、今後大学をどのように運営していくのかといったことも、文科省といろいろ協議を重ねているところです。そういったところで、実は、大学院生に宗教家の方々との対話も必要ではないかという話も上がっております。これについても最後に触れさせていただこうと思っております。
経歴の末尾に平成22年度および平成26年度に日本学術振興会から科学研究助成事業(科研費)の優秀審査員表彰等を受賞したと書かせていただいていますが、こうやって自己宣伝するのはちょっと格好悪いなと思いましたが、大学の教授はこういうのが実績だということになっております。実は、これに関連して今日はさらに嬉しいことがありました。本日泉尾教会様に到着し、そろそろ会場に向かおうとしていた時に、突然大学から電話があったのですが、その内容が「今年度も受賞が決まった」ということで、思いがけず三度目の受賞となりました。大学が調査した中では、過去にこの賞を3回受賞した人は居らず、初めてのことだと言われております。いろんなご縁があり、本日この場でこのことを発表させていただけることを本当に嬉しく思っております。
▼ヒューマン・インタフェースとは何か
最初の在外研究はロンドン大学だったのですが、「その脳認知発達研究所で何をしていたのか?」とよく聞かれます。本日は切り口として、この辺りから入らせていただきます。脳認知発達研究所を英語で表記しますと「The Centre for Brain and Cognitive Development」となり、正式な略称は頭文字を取った「CBCD」なのですが、一般にはこの呼びにくい名前ではなく「ベビー・ラボ(赤ちゃん研究所)」と呼ばれています。この写真の頭にいっぱい電極を付けた赤ちゃんはいったい何をしているところかといいますと、西洋人の女性の顔とお猿さんの顔を見せて、果たして見分けられるのか。西洋人の女性の顔を「自分の仲間」と思うか、それとも「これは猿だから自分の仲間ではない」と思うのか、そういうことを調べている研究所に招聘(しょうへい)されて行ってまいりました。
当時は大阪大学で講師をしていた若手の頃でしたが、何故私のような情報工学系の人間が、脳科学あるいは心理学の研究分野に呼ばれたかと申しますと、このロンドン大学の研究所長さんが、世界で初めて「人間は生まれた時から目が見えている」ことを発見された方だったんです。それ以前は、お母さんのお腹の中は真っ暗ですから「視覚があって目が見えていても意味がない。だから、生まれた時は目が見えていないはずだ」という先入観が、当たり前のように語られていました。ところが、この先生は自分の子供が生まれたばかりの時に、自分の顔を見てくれたような気がするという、ちょっとした気付きをきっかけに、「できれば、それが本当なのかどうかを確かめたい」ということで、人間の顔ぐらいのしゃもじを作り、目と口にあたる部分に黒い点を3つ書いて、まれたばかりの赤ちゃんを捜し求めて、ロンドン市内のあちこちの病院を回られたそうです。予めお医者さんとお母さんから許可はもらっている訳ですが、生まれたばかりの赤ちゃんの眼前でそのしゃもじを動かしてみたところ、確かに赤ちゃんは目で追っている…。ということは、生まれたばかりの子でも目が見えるDNAを持って生まれてきているということが初めて明らかになりました。
では、何故生まれたばかりの赤ちゃんが人間の顔を目で追うのかというと、それはおそらくお母さんに愛情を訴えているのだろうという話でした。生まれたばかりの子どもは、誰かの助けなしには絶対生きていくことはできません。だから、生まれた瞬間からお母さんに愛想をして、自分を保護してくれるように一生懸命愛情を求めている訳です。人間は生まれた時からそういうコミュニケーションをするための機能を備えているという話でした。しかしその先生はその発見に留まらず、もっと詳しく調べていきたいという思いがあったようです。
子どもは生まれた直後から顔を目で追うことは判りましたが、では、自分のお母さんの顔とお猿さんの顔の見分けはつくのか? しゃもじに3つの点を描くだけでも目で追ったのですから、目鼻立ちだけでいえば、母親とサルはどちらも同じ特徴を備えています。われわれからすれば全く異なるものだと思うかもしれませんが、そういうことは学習していかなければ判らないことです。ということで、西洋人の女性の顔の画像を百人分ぐらい赤ちゃんに見せ、その合間にお猿さんの顔を混ぜて見せました。西洋人の女性の顔と、お猿さんの顔を見た時の赤ちゃんの目の動きや脳波の動きに違いがあるかを調べるには、コンピュータを使わなければ映像を連続的に見せることができませんし、見ている時の頭の機能の分析もできません。そこで、コンピュータを使って実験するためのシステムを構築し分析をすることが、私に与えられた課題でした。
最新の技術について解りやすく講演する才脇直樹教授
「情報技術」といいますと、ロボットやAI、IoTといった、何か人間とは違う、われわれとは関係ないところで動くシステムのようなもの、無機質なもののイメージがありますが、情報技術は、このように人間の脳の機能を調べたりする時にも使えるのです。つまり、使い方次第でいかようにも使えるものだということです。私自身の専門は脳科学ではなくヒューマン・インタフェースですが、そう言うと学生さんからも「ヒューマン・インタフェースとは、いったい何ですか?」と、よく質問されます。そういう時は一番解りやすい例としてスマートフォンを例に挙げますが、そう言うと大抵の方はお判りいただけるようです。
もともと携帯電話の機能にタッチパネルなどは含まれていませんでしたが、インターネットなどさまざまな機能が使えるようになってきますと、誰もが使えるようなハードウェア(機械)を作らないと駄目だということで、人間がどのように機械と接するのかを調べる研究が進んでいます。例えば、スマートフォン―あるいは、普通の携帯電話でも良いのですが―ですと、「あそこのスマホは使いにくい」とか「このメーカーのものが使いやすいから、ずっと同じメーカーのものを利用している」といった会話をよく耳にされると思います。また、家にあるビデオレコーダーやテレビなども、リモコンのスイッチがたくさんあるけれど、ほとんど使ったことがないという方も少なからず居られると思います。そういうのは、あまり良いインタフェースとは言えません。
インタフェースとは、すなわち「境界面(人間と機械を繋ぐもの)」という意味ですが、誰もが使いやすいものにするためには、まず人間のことを知らなければ良い機械設計はできません。ということで、機械を作ることとは別に、人間がどうやって装置を使いたいのか? 人間は何に興味を持っているのか? そういったこともちゃんと見当を付けておかないと、良いシステムは作れません。それは、ここに挙げたAIもIoTも同じことです。皆が使いたいと思わないもの、あるいは使えないものは、いくらあっても結局役に立たない訳です。そういう部分を研究してゆくのがインタフェースです。
この写真はスタンフォード大学ですが、昔のスペイン風コロニアル建築と言われる、いわゆる植民地でよく建てられた形式の建物です。非常に雰囲気があり、地理的にもアメリカ西海岸ですから、ほとんど雨も降らず、気候の良い所でした。私は音楽音響研究所に所属していたのですが、さすがに作曲するところまではやっていません。そこで私がやっていたことは、音や音楽を聴かせた時に脳がどのように働いているのか。そういったことをロンドン大学の時と同様に研究させていただきました。
▼リケ女の養成機関として
帰国後は奈良女子大で仕事をさせていただいておりますけれども、平成28年度、東京のお茶の水女子大と奈良女子大の共同運営による大学院講座として「生活工学共同専攻」を新たに立ち上げることになりました。昨年に設置されたばかりなんですが、お茶の水女子大と奈良女子大は、いずれも2つしかない国立の女子大学で、大学が設立された当時は、女性は帝国大学に行けなかったため、帝国大学と対になる女性が入れる大学として、東京には明治天皇のお后(きさき)である昭憲皇后様がお声がけなさって、東京女子高等師範学校(現 お茶の水女子大学)が設立され、関西では奈良に大正天皇のお后である貞明皇后様がお声がけなさって、奈良女子高等師範学校(現 奈良女子大学)が設立されました。ですので、それぞれの学校の校歌は、お2人の皇后から下賜された和歌が元になっています。戦前、この学校を首席で卒業する学生は、首席卒業の証を授与される際にチラッと真筆の和歌を拝見できることが最上の名誉だったそうです。お茶の水女子大学は、新たに理系女性を教育していくための高等教育プログラムに国から助成金を貰っておられますけれども、そのプロジェクトの名前である「みがかずば」は、「もっと人間の能力を磨きなさい、人格を磨きなさい」という、昭憲皇后様の和歌の最初の部分です。
優秀な男性が学ぶ帝国大学をはじめとする総合大学に実学を譲りなさいということで、女子大学は「男性が実学を担当しているから、それを家庭で支える良妻賢母を養成するための学校」という位置付けで設立されたため、経済学部、法学部、工学部、薬学部といったような実学がすべてありませんでした。そして、理学部、文学部、家政学部の三つを主として設立されました。それでも設立された当時は、高等教育が受けられるということで、全国各地から優秀な女性がたくさん来てくださったのですが、さすがに現代となると、実学がないと大学運営が難しくなってまいります。そして、理系女性をもっと養成して、女性の視点でものづくりをしたり研究をしていこうとなると、やはり実学をなんとかしなければならないということで、旧家政学部を生活環境学部に改め、工学系、理学系の研究を進めることになりました。さらに、女子大で初めて法学系の修士・博士を出せるように、大学院として共同専攻を設立したという経緯です。「伝統的な古都奈良と、時代の先端のをいく東京から、未来の暮らしを見てみよう、創っていこう」ということで、過去、現在そして未来について女子大で考えていこうと考えています。本日は、そういう所で取り組んでいる新しい技術ということで『AI、ロボット、IoTの過去・現在・未来と私たちの暮らし』という講題を付けさせていただきました。
実は私の研究室では、AI、ロボット、IoTだけでなく、この「五感インタフェース」という、触り心地を発生させたり、分析したりするようなこともやっています。例えば、インターネットでタオルや服を購入した時、「実際に手元に届いてみたものを見ると、画面で見た時と比べて質が悪く残念だった」という声をよく耳にします。なんとか、見た時に品質を判断する方法がないか。画面にタッチした時に触れたら良いのにという話も聞きます。それから、これは後ほどお話ししますが、アンドロイド(人型ロボット)を作っていたりもします。その他、ロンドン大学以来脳計測もやっておりますし、これはちょっと判りにくいかもしれませんが、身体に装着できるウェアラブル、IoT、スマートテキスタイルといったものもやっております。こういったさまざまな研究をしていますが、AIやIoTといったものは、こういった研究の背後に存在していて、いずれの研究とも関連があり、裏で仕切っているような技術になるかと思います。
(さまざまな研究を裏で仕切っているようなAIやIoTという技術の)いったい何処にAIがあるのか、あるいはIoTの名前が上がってはいるけれども、それが実際どのように使われているのかは、ヒューマンインタフェースの設計・開発の具体例を一瞥(いちべつ)しただけでは見えないと思いますが、実はいろいろなところで関連があります。というのも、こういったことを研究されている方は日本に大勢居られて、さまざまな取り組みがなされているからです。ですので、新聞や雑誌で取り上げられるものは、非常に限られています。逆に言えば、その限られた情報から、その技術が良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかを判断してしまうことが怖いところでもあります。その辺りを話の出発点にできるかと思います。
▼プロ棋士をも凌駕するようになったAI
例えば、将棋の電王戦で、プロ棋士と人工知能が対戦するという企画がありました。佐藤天彦名人と対峙しているのがデンソーさんのロボットです。このロボットは、将棋の駒を器用につまみ上げて盤上の必要な箇所に打つことができます。デンソーさんとは共同研究させていただきましたが、佐藤名人との対局後に「うちのロボットが勝ちました」と、プラモデルを持ってきてくださいました。この対局ロボット自身も凄いといえば凄いのですが、実はこのロボットよりも、バックで「次の一手」を考えて動いているコンピュータの中身『ポナンザ』のという将棋ソフトのほうがもっと凄いので、本来こちらのほうが目立たないといけないのですが、テレビで見ますと、実際に将棋の駒を動かしているロボットのほうが凄い存在に見えてしまうところもいかがかなと思います。
「歴史を変えた」と言われるこの2017年4月1日の対局が衝撃的だったと言われるのは、名人相手にポナンザが指した初手が3八金だったことです。将棋を指されない方には何のことやらサッパリ判らないと思いますが、プロ棋士じゃなくても、アマチュアの有段者でも、そんな手から入ることは絶対にありません。将棋を全く知らない素人の悪手としか思えないような手をコンピュータが堂々とやってきた。佐藤名人はこれですっかりペースを狂わされてしまい、しかも、その時には影響のなかったその初手が、何十手か先で効いてくることが判りました。わずか71手で現役の名人が敗れました。これは大騒ぎになりましたし、プロ棋士にも衝撃を与えたと言われています。その時から遡ること1年、2016年にグーグルというインターネットの大企業が開発した「アルファ碁」という名前のAIが、韓国碁界トップ棋士であるイ・セドル九段を破ったということで話題になりました。「まさかトッププロが敗れるなんて…」と、その時の解説会場はお通夜のような雰囲気が漂っていたそうです。
その結果どうなったかと申しますと、ついにコンピュータがプロの資格を取得したということで、韓国棋院はソフトウェアの「アルファ碁」に対して、名誉九段位を授与しました。これはアマチュアではなく、プロの名誉段位です。それから今年(2017年)5月には、韓国に続いて中国のプロも破り、中国囲棋協会もプロの名誉九段を授与しました。これで「人間で破る相手は居なくなった」ということで、このソフトウェアは引退してさらなる開発を止めてしまったというオマケ話も付いています(会場笑い)。何か証明書のようなものはないかとインターネットで探しましたら、韓国棋院が発行した免状がありました。「第001号 名誉九段 ALPHAGO」と書かれています。半分洒落も入っていると思いますが、洒落にしておかなければ済まないほど、囲碁・将棋界に与えたインパクトは大きかったのだと思います。韓国と中国、いずれの方だったか忘れましたが、この対局後、引退を表明されたプロ棋士が居られたほどです。
そういう意味で、近年AIが注目されてきていますけれども、何故注目されるようになったかと申しますと、将棋や囲碁に代表されるように、一般の人から見ても身近な世界で脚光を浴びるように仕掛けられてきた側面も大きいと思います。この手の話で一番古いのが、1997年に遡ります。この時初めて、IBMというコンピュータの会社が作っているディープ・ブルーというコンピュータが、チェスの世界チャンピオンであるガルリ・カスパロフに勝利しました。そこからトントン拍子でやってきまして、2016年にはアルファ碁が囲碁のプロ棋士を破り、今年(2017年)は、ポナンザが将棋の佐藤天彦名人を破ることになりました。こんなことから、世間では「AIが大幅に普及して世の中がどんどん変わっていくのではないか」、「人間の仕事もAIに奪われていくんじゃないか」、あるいは「人間の存亡の危機だ」とおっしゃる方も居られます。
しかし実は、AIはそんなに良い側面ばかりではなく、たまたまこの数年間攻め手に回っていますが、一方で負け続けてきたAIの歴史もございます。第1次ブームが1960年頃にあり、それから20年後の1980年頃に第2次ブームが起こりました。いずれも、その時その時の新しい技術のトピックスと絡めて「AIはこんなに役に立つんですよ」、「AIはこんなに凄いんですよ」と訴えてきている訳です。例えば、この第2次ブームの「エキスパートシステム」は、「人工知能は何らかの役に立たないと皆に認めてもらえない。何か役に立つ専門家(エキスパート)システムを作ろう」ということで生まれたものですが、例えば風邪を引いて病院に行くと「風邪の諸症状を組み合わせると、こんなお薬が効きます」といった診断をしてくれるといった感じです。さまざまな「こんなことをしてくれたら役に立つんじゃないか」という世間の声にAIがすり寄る形で研究が盛んに行われた時期が第2次ブームです。それに比べると第3次ブームは、第2次ブームとは少し異なり、目の付け所が専門家仕様というよりも、一般の人が判るところに見せているプログラムです。
▼ニューラルネットワークによる「機械学習」という発想
アルファ碁の進化スピードを表にしたものがこちらですが、先ほど申し上げました1980年の第2次ブームの頃は、アマチュア初段にも届かなかったのです。ところがこの20年ほどの間に急速に力を付けて、プロ初段のレベルからトッププロのレベルになり、最後は「碁の神」、「将棋の神」になるのではないかという値域(レンジ)的な書き方をされる批評家の方も居られます。
例えば、第1次ブームが起きた40年前や第2次ブームが起きた20年前の頃とアルファ碁の新しい世代が何が違うかと言いますと、昔の人工知能は囲碁の局面が進んできて「次に何処へ石を置いたら良いのだろう?」という場面で、ここに置いたら相手がどう返してくるか。相手が返してきたら、今度はどう返すかということをしらみつぶしに調べる戦法だったため、自分が打つ手も相手が返してくる手も無限にあるため、―これをわれわれは情報爆発と呼びますが―全部は調べ尽くせません。ですので、実際のところは5手先、10手先のところまで読んだらその辺で考えることをやめて「最善と思える手」を打つ…。当時はこの程度のことしかできなかったのです。
ところが最近の新しいやり方は、過去のプロがどういう手を指したかを学習させて、その学習結果で次の打つ手を確率付きで「ここが一番攻めるのが良さそうだ」ということを計算して出してくるのです。従来の総当たりで調べていたものとは、ちょっと違うことになっています。
その元になっているのが、こちらの「ニューラルネットワークによる機械学習」です。この話を詳しく説明したところで大して意味があると私は思わないのですが、人間の頭の脳の神経は「ニューロン」と呼ばれていますが、それに模倣し学んだということで「ニューラルなネットワーク(脳の神経のネットワークと同じようにやる)」という話ですが、人間の脳ほど高性能なものではなく、とにかくコンピュータのプログラムに学習させて正解が出てくるように、経過する過程をいろいろ調整させる仕組みになっています。
ひとつ巧い仕組みなっているのが、どうやって正解を導くかというところを人間が教えてやらなくても、自動的に学習できるようにしていったことです。例えば、将棋や囲碁のプログラムも、最初から人間に勝てる訳ではないんです。人間や、あるいは同じような人工知能と対戦して、その対戦が100回1,000回から1万回10万回になってきますと、人間が一生かけても対戦しきれない経験の数をこなすことができます。その経験を巧く蓄積していく形で次の手を読むようになってきたところが新しい技術と呼ばれるところです。
しかし、その経験を蓄積するために、このニューラルネットワークを使ったら蓄積できるのだということですが、実はこれ自身も60年も前から提案されている技術で、決して新しくはありません。ですので、AIをやっている先輩方は皆、「世間がAIやロボットを持て囃(はや)してくれるので、自分たちの業界が活気づいて国からの研究予算も付くし、有り難いことだ。しかし、本質的にそんなに進歩しているとは思わない」と言います。もちろん、コンピュータの高速化やさまざまな技術の発達などによって、昔にはできなかったことができるようになったこともあるのですが、アイディア自身が飛躍的に変わった訳ではない。そういう意味で、専門家はわりと冷めた目で見ています。
先ほど申し上げた、ニューラルネットワークの、人間の脳の仕組みに学んで経験を蓄積できるソフトウェアの仕組みを「ディープラーニング(深層学習)」と、今の流行りの言葉で呼んでいます。ニューラルネットワークと基本的に一緒なんだけど…と、皆も言いながら、これを「ディープラーニング」と言いますと、そこで従来のモノとは違う、新しいものに飛躍したかのような印象を与えます。これはアカデミックの世界で時々使う手です。「ちょっと捻って新しいアイディアを出したら、ネーミングを変えることによって新しく進化したように見せよう」というものですが、これはアカデミックな世界の一種の病気なのかなと思います。強迫観念がありますよね。やはり論文を出す以上は、「新しいことをやった」と言わないと、なかなか次へ進むことになりません。あるいは新しいキーワードを出してきて初めて、「業績が上がった」と思ってもらえるところがあります。
例えば、赤ちゃんの看護にしても、うつぶせ寝が良いのか悪いのか、そういうのも年々変わっていきます。最初は仰向けに寝させるのが当たり前だと言っていたのに、ある時から「それは古い考えだ。赤ちゃんはうつぶせ寝で寝させたほうが良い」と言う意見が出てきます。ところが、ひとたび「うつぶせ寝で窒息」という記事が巷に出ると、何が本当に良いのかということになります。アカデミックの世界は、新しいことを次々と言って新陳代謝を図っていきます。それぞれの時点では、誰もがそれなりに信念を持ってやっていると思うのですが、必ずしもそれが常に新しいことなのか、珍しいことなのかは判りません。だからこそ、周りの人がその結果が本当かどうかを検証するためにいろんな研究をして、批判もしつつ進化していく、そういう学問なのではないかと思います。
ディープラーニングとは、先ほど囲碁の話で紹介しましたが、例えば、人工知能にさまざまな猫の写真を見せて、猫の特徴をたくさんの写真から学んで経験を蓄積させ、その人工知能がこれまで一度も見たことのない写真を見せて「これはどうですか?」と尋ねた時に「これは猫ではないでしょう」あるいは「これは猫の特徴を備えています」といった判断ができるような学習の仕組みです。
これが「コンピュータに学習させる」ということなんですが、そういう風に考えていきますと、実はコンピュータが学ぶことは人間ほど深くはないことを解っていただけると思います。人間は、単に耳の形や鼻の形といった猫の身体的な特徴だけでなく、そこに何らかの愛情なり、苦手な人ならば嫌悪感なり、さまざまな感情的な要素や経験や過去のできごとを連想したりと、さまざまな事柄を絡めて複雑に学習していきますけれども、機械はあくまでも、外見上の特徴をパターンとして覚えていくだけですから、「理解している」とは言えない訳です。
囲碁や将棋にしても、ルールは理解できても、細かな駆け引きの部分を全て理解しているかというと、そういう訳でもない。にもかかわらず、こうやってトップのプロ棋士に至るまで勝てるようになり、「そのうち碁の神ができますよ」などと言われていますが、神様とは早ければ良いものでしょうか? 早さを扱うだけが神ではありませんから「それは違うかもしれない」と誰もが疑問に思うところかもしれません。
そういうことをおっしゃる方々の中には「2045年ぐらいにはシンギュラリティ(特異点:ここでは、ある特定の分野だけではなく、AIが汎用的な問題を解決すること)がやって来て、AIやコンピュータが人間を超えていき、世の中も様変わりしてしまう」と予想される方も居られます。「人類が農耕を始めたのが1.5万年前、文明ができたのが5千年前、そこから急速に発展して、もう数十年で人間が要らない時代が来る」というのですが、本当にそうでしょうか? 先に結論を申し上げるようですが、私どもの業界の人間が標準的に思っていることを申し上げると―面白くないかもしれませんが―「それは杞憂ではないか」という話です。世間ではこういうことを言われる方もいらっしゃいますが、いわば煽っている話のひとつと捉えて、私自身はそこに煽られない信念を以て、仕事に取り組みたいと思っています。
▼人工無脳イライザ
専門家から見れば杞憂にしか過ぎないようなことに、何故、そんなに世間が振り回されるのか…。その理由は、おそらく「コンピュータが人間らしい振る舞いをできるようになってきた」という根本的な誤解があるのではないかと思います。例えば「囲碁や将棋といったものは人間にしか理解できないものだったはずなのに、今やコンピュータがプロ棋士を負かすほどになっている。ということは、コンピュータはすでに人間を超えている」といったように、ちょっと論理が飛躍しているのですが、一般の人々はそのように思考してしまうのではないかと思います。
実は、新しい技術が世に出て来る時には、必ずそういう誤解のようなものが、あるいはその誤解を巧く利用して仕事を創っていく方が出てきます。人工知能の過去の歴史を振り返ってみると、実は第一次ブーム、第二次ブーム、それぞれの時代に合わせて、いろんな人間らしさのようなものを醸し出す怪しげな技術が出てくる度に皆を惑わす訳です。そしてその都度、「もうすぐ人間は要らなくなるだろう」と言われながら今日まで続いています。
例えば、第1次ブームの頃は、コンピュータを人間に例えれば、まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんですから、そんなに複雑なことはできません。その時に、アメリカで最も優秀な方々が集まると言われているMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者であるジョセフ・ワイゼンバウムが、1964年から1966年にかけて、「イライザ(ELIZA)」というプログラムを開発しました。これは人工知能の出発点と位置付けられるソフトなんですが、何をするかというと会話をするんです。これが、イライザと会話している時の画面です。キーボードで「ハロー、今日は調子はどうですか?」と入力すると、イライザが英語で返事をしてくれるのです。それがいかにもコンピュータが人間と会話しているように見えたので、「これ(イライザ)は知性を持っている」と、大騒ぎになったのです。
しかし、よくよく使ってみるとボロが出てきます。予め登録された言葉しか理解していないので、自分が解らない単語を入力されると話題を変える訳です。例えば「あなたは現在の国際情勢をどう思いますか?」などと難しいことを尋ねると、「そんなことよりも脳の研究の話をしませんか?」といった感じです(会場笑い)。それ故に現在は「人工無脳」と言われてる訳ですが、その一方で、これが非常に役に立った方々も居られます。
例えば精神病などで苦しんでいた方々の場合、介護をしてくれる家族やサポーターの方々と、ずっと会話をし続けることはできません。患者が延々と同じことを繰り返し言ってしまったり、あるいはトンチンカンなことばかり言うようになると、周囲の人間も会話をすることに疲れて嫌になってしまいます。けれどもコンピュータならば、どんなにつまらない会話でも延々と答えを返してくれるので、患者からは「このイライザだけは、私の気持ちを理解してくれる」という声もあったのです。
人間にはいろんな側面がありますし、われわれも今は健康でも、年齢を重ねるにつれて病気をしたり身体の調子が悪くなったりして、最後は何かしらの障害を負って苦しみながら逝くことになると思うのですが、そんな状況にある人が求めるものを差し出してくれるならば、それはその人にとって救いになると思います。このイライザは、そういう意味において興味深い研究だったと言われています。人間のある面を見せてくれたということです。実際、技術的にはそれほど大したことではなかったのですが、当時、凄い議論が巻き起こりました。ワイゼンバウムは自らの研究は批判を浴びる一方で、カルトな賞賛を浴びたため、「この研究を行ったことは、果たして良かったのか、悪かったのか?」と、後世に至るまで悩み苦しみ続けたようです。
日本がこういった動きとまったく無縁だったかというと、そうでもありません。日本ではちょうど80年代の頃、「人工感性」がちょっとヒットいたしました。これは日本から初めて世界に発信された情報技術で「感性情報技術」という名前で呼ばれています。ロボット工学と並行して、大阪大学が中心になって研究を進めていきましたが、その時のにNHKで放送されたビデオがありますので、気分転換にご覧いただこうと思います…。ビデオの途中で恐縮ですが、実は私もこのビデオに映っています。この奥に居る方が井口征士教授で、阪大で人工的感性・感覚の研究を始めた際の中心人物でした。そして、この手前に居るお二方が先輩で、現在は奈良先端科学技術大学院大学の教授と、関西学院大学の教授になっています。ここに映っている3人が3人とも教授になったのも、指導してくださった井口教授が新しい分野を切り拓いて後進を育て、日本全国の大学に卒業生を散りばめていったからだと思います。
(ビデオを見終えた後)少し長くなりましたが、最後の井口先生のコメントが、現代でも通用するように思います。この番組が1988年に放送されてから30年以上経っているにもかかわらず、現実はそれほど大きく変化していない。つまり、装置としての性能や多機能性やデザインはどんどん洗練されて向上していても、本質的な部分で人間に近付いているかというと、さあどうかなという気がします。今日の話題に巧くマッチするような話題がありましたので、紹介させていただきました。
▼難しい人工感触の開発
そして、いよいよロボットが登場する訳ですが、これがテレビにもよく出ておられる大阪大学の石黒浩先生が造っておられるアンドロイドです。画面には、マツコアンドロイド、桂米朝アンドロイド、最近流行りの女優さんなどのアンドロイドが並んでいますが、実は、石黒先生は僕の先輩にあたります。彼のお嬢さんが小さい時に造られたこのアンドロイドが日本で初めてのアンドロイドになります。石黒先生はご自身のアンドロイドも造っておられるのですが、アンドロイドは齢をとりませんから、齢をとられた石黒先生は「最近は、アンドロイドに合わせて若さを保つのが大変なんだ」と、こぼしておられるそうです(会場笑い)。本当かどうか判りませんが、石黒先生、髪の毛も増量しておられるんじゃないか…という噂もありましたので、直接本人に「整形しておられるという噂もありますが、実際のところはどうなのですか?」と、お尋ねしたところ、「整形はしているけれど、メスは入れていない」と仰ってました。おそらくコラーゲンの皮下注射などの類いだと思いますが…。研究者を続けていくのも大変だと思いました(会場笑い)。
しかし、ひとつの研究に徹するためにそこまでされるのですから、その意味において尊敬する先輩であります。しかし、実はロボットやアンドロイド、先ほど出てきた人工感性や人工知性のあたりから人工知能などには破綻している部分、人間には及ばない部分が見えてきます。例えば最近、介護ロボットが流行っていますが、新聞やテレビの報道を見ていますと、こういったロボットが「寝たきりの人を起こして介護してくれますよ」などと紹介されて、「将来は一家に1台ロボットか」などと思ったりしますが、実際には報道されない部分があります。
何かと申しますと、ロボットの指先には圧力センターといって接触しているかどうかを判断するセンサーがあるのですが、触り心地を判断することができないのです。そうすると寝たきりのおじいさん、おばあさんの背中に優しく手を差し入れて起こすことができません。そうすると結局、寝たきりの方を抱き起こしてお風呂やトイレに連れて行ってあげると言っても、最初にベッドから身体を起こす際には家族の介添えが必要になります。しかし、そこが一番腰を痛めるポイントですから、それができないのであれば「介護で使える」といってもまだまだ実用化はほど遠いということがお判りいただけるかと思います。
石黒先生と一緒にアンドロイドの指先に人間と同じような、触り心地が判るようなセンサーを入れて、本当の意味で家庭で役立つロボットを造ろうというプロジェクトをやってまいりましたが、人間が当たり前にできることを、AIロボットはできません。囲碁や将棋のように限られた条件下で計算をすることは確かに得意ですが、それは電卓も得意なことですから、その意味で、AIロボットは、未だ電子計算機なんです。
一方、人間の持っている豊かな感情や感性、意思や意図や決断には、ある意味矛盾を孕んでいるケースが多いです。何故そう思ったのかと尋ねられても「自分が好きだから」といったように、理屈を抜きにした意思があります。
AIにはそういったものがないので、逆に言えばそういったことを杞憂しても仕方がないと言えますし、また、そういった感情を排して計算が得意な面をどう利用すれば良いかを考えるほうが前向きで良いように思います。論理は計算可能ですが、五感や意図に関しては、まだ仕組みすらよく判っていません。
これは「人工触感」といいまして、人工的に触り心地を発生させる装置を作ったのですが、何故そんなものを作ったかと申しますと、先ほど申し上げたように、おじいちゃん、おばあちゃんを優しく抱き起こすロボットを造ろうとすると、人間の皮膚感覚をよく理解する必要があります。そのために人間はどのように触り心地を感じているのかを調べたのですが、実はそんなことをわれわれはよく解っていません。これは指先に刺激装置を付けて腕を動かすと、振動を感じて凸凹の高さを感じるようになっているのですが、人間が実際に布を触っている時と、そういったコンピュータが作り出したバーチャルの触り心地を比べると、どう違うのか? あるいは同じように感じるのか? そういった実験です。ところがこれを行った時、学生さんが触って指を動かすと、今の技術レベルでは、なかなか違いがはっきり判るような触り心地は出ません。これはボア、これはフリース、これは綿といったように、人間が実物を触ればすぐに判るようなものでも、人工的に発生させようとすると、「これはちょっとモコモコしている感じがするな」といった程度で、細かい差別化はできません。それが今の技術レベルなのです。そうしますと、最初に申し上げたようなタッチパネルを触ると触り心地が判るようなものは、まだしばらくは出てこないと思います。
以前、「任天堂さんがこういった研究をされている」と、フランスの研究者の方が日本に来られた時に教えてくれました。彼は「才脇君、今度は任天堂は3D(立体)映像を用いたゲームを開発しているらしいぞ。何故かと言うと、自分が所属している研究所から立体的に物が見えるコンピュータグラフィックスの研究者を三人も引き抜いたから」と言うので「本当かいな?」と思っていたら、そのうちに「任天堂3DS」というものができて、スマホサイズの立体的に物が見えるゲーム機が実際できたので、なるほどと思いました。それから数年して、その研究者が再びやって来た時に「何か良いネタはありませんか?」と尋ねると、もうひとつ良い話があると教えてくれました。それは「任天堂は触り心地を研究しているから、絶対、今度のゲーム機には触り心地が入るに違いない」というものでしたが、それを聞いてからもう既に10年経ちますが、まだ実現していません。
つまり、こういった人間の感性をマシンに置き換えるのは相当難しいということです。それは、人間の脳は身体に深く関係しているからで、生物としての実体(肉体)を持たないAIやロボットがそこに至るのは、今の方法では相当困難なのではないかと思います。そういったことも調べるためにfMRI(機能核磁気共鳴画像装置)などを使って脳の機能を調べたりしていますが、時間もございませんので割愛させていただきます。
▼スマートテキスタイルについて
もうひとつIoTに絡んだ話で、最近スマートテキスタイルを用いた身に付ける(ウエアラブル)生体計測が世間を賑わしています。新聞や雑誌を見ますと、こういったキーワードが並んでいます。横文字ばかりで恐縮ですが、「スマートテキスタイル」というと「知的な布」あるいは「情報処理をしてくれる布」というイメージですが、どんなことを会社がやらせているかといいますと、例えばNTTドコモと東レさんは「hitoe」という名前の下着を作っておられますが、これを着用しますと心拍を計測してスマートフォンに(データを)送ってくれるのですが、同じような商品を東洋紡も帝人も開発しておられます。かつて繊維系の企業は船場の名門と言われ、家電企業さんなんか全く顧みられなかったのに、いまや東洋紡や帝人の研究者の方たちは「東レとドコモさんがあのようなことされたので、今や電機屋と一緒にコラボレショーンで新商品を開発するよう、会社の上層部からドンドン圧力をかけられて困っている」と仰ってました。実は、東レでは10年以上前にこういった話がブレイクしていました。(動画を紹介し)時間がありませんので途中で割愛させていただきましたが、ご覧いただいて如何でしょうか? お気付きになられた方も居られると思いますが、この中に出てきた家電ショーは2004年に行われたものです。10年前にこれだけのことができて未来は変わっていくと言っていたにもかかわらず、未だ普及していません。おそらく、まだ何か問題があるから世間に商品として出てきていないのでしょう。
新しいキーワードは次々出てくる訳ですが、実用化にもっていくためには相当な努力が必要です。この写真に映っている方々が、こういった研究を日本でやったメンバーなのですが、中央に居るのが私で、私の右横でヘッドマウントディスプレイを付けているのが神戸大学の塚本昌彦先生で、一番右端に居られるのが奈良先端科学技術大学院大学に居られた山口英先生で、彼は小泉政権の時に当時の内閣官房情報セキュリティ対策推進室において初代の内閣情報セキュリティ補佐官を務め、「インターネットのセキュリティを守る仕事をやってくれ」と頼まれてそちらへ行ってしまったのですが、会う度に「一度、職場を見せてください」とお願いしていたのですが、「申し訳ないけれど、僕の職場は一般の人の立ち入りが禁じられていて、カードを持っている人間しか入れないんだ」と断られました。この山口氏も1年前(2016年)に若くして亡くなったのですが、相当の激務だったのだろうと容易に想像できます。ご冥福をお祈りしたいと思います。
では、日本ではこういったスマートテキスタイルがどのように発展してきたのか。そして、それがIoTと最終的にどのように通じていくのかを判りやすくまとめていこうと思います。実は2007年に後に非常に有名になった不幸な事故が奈良で発生いたしました。夜中に妊婦さんが苦しんで救急車を呼んだものの、救急病院間の連絡不備が原因でたらい回しになって、救急搬送中に胎児が死亡するという痛ましい結果になってしまいました。これについて「奈良の病院はけしからん」という話もありましたが、確かにそういう側面がないとは言えませんが、実情をいろいろ伺うと、やはり各病院には各病院側の事情があり、なかなか容易には救急の患者を受け入れがたい面もあったようです。特に奈良県は南の方に広大な過疎地帯を抱えていますので、近くに病院がない地域の方が夜中に苦しんだりした場合、どうするのかという問題が必ずあります。
この一件が大きな問題になったため、「奈良の近辺にある大学は皆、連携して何とか考えなさい」と予算が下りました。そこで、同志社大学、大阪大学、奈良女子大学、奈良先端科学技術大学院大学といった、いろんな研究機関が一緒になって共同研究に取り組みました。私たちは「胎児と妊婦の健康管理腹帯」というものを作りました。これが先ほどご紹介した企業が作っておられる、服で人間の健康状態を調べる一番最初のモデルケースになったと思います。ここに丸いものがいっぱい付いていますが、これが導電性の布で、人間の身体から出る電気を通します。病院ですと電極のようなものを貼り付けて計測するのですが、24時間装着していると肌を荒らしてしまったり、妊婦さんにいろんなストレスをかけることになるため、そうならないように柔らかい布でお腹の部分にあてて、お母さんと胎児の心拍を計測します。その時に重要なことは、この計測した心拍をどう扱えば良いのか? ということです。お母さんが分かっているだけでは何の意味もないので、インターネットに接続して、病院、かかりつけの医師、あるいはご主人やご家族と情報を共有して初めて役に立つものです。
先ほど三宅善信先生が「モノが情報を発信して何ができるのか?」と仰いましたが、そのひとつの例がここに集約していると思います。個々の情報を皆が共有することによって、何かの時に対応することができる。つまり、情報は自分だけで留めるのではなく、皆で共有することで皆を助けることができる新しいサービスが何か生まれるかもしれない。ここを考えることができなければ、IoTは結局失速してしまうのではないかと思います。これを発表した時に最初に電話がかかってきた企業が、実はアルソックやセコムといったセキュリティ関係の会社でした。妊婦さんが対象ですから、病院などから問い合わせがあると思っていた私は「なんでまた警備保障会社が…」と思いましたが、実は首都圏で独り暮らしのお年寄りが孤独死する割合がもの凄く増えており、将来的にはどの年代でも7割ぐらいが独り暮らしになってしまう可能性があるそうです。そうすると、孤独死で亡くなってしまった時に、後始末というと失礼な言い方になりますが、すべて税金で処理するとなると、それで財政が破綻する可能性もあります。
では、今後、独り暮らしの人々をどうやって守っていくのか。これから認知症の方や後期高齢者の方が爆発的に増えていく一方、そういった人たちをすべて病院には収容しきれません。それを地方に押しつけるといった話が出た時に大問題になりました。ヨーロッパでは街中で共存する方向に進んでいるようですが、その場合、実際問題として、なんでもかんでも街中で自由に過ごしてもらって大丈夫なのか。ご家族の方も心配だろうと思います。これを「サービスサイエンス」と言いますが、社会のサービスの中に技術や情報が入っていくことで、皆が安心・安全に暮らせる社会のあり方を考えられるのではないか。その時に一人ひとり、あるいは一件一件の情報を取る手段として、小型のIoTが役に立つ可能性を秘めていると思います。これはいわゆる「コンピュータ」ではないので、操作は不要で、電源をオンにしたら常に情報を送ってくれるようなシステムがあれば良いんじゃないかという話です。
▼情報は共有してこそ価値が出る
ウチの学生たちが、これに関連した研究をしてくれていますが、何か面白いモノを作ってみようと言ってみたところ、「紫外線を計測するカチューシャが欲しいです」という子がいました。いかにも女の子らしい発想だと思います。この頭に付けているのが紫外線を計測するカチューシャです。気象庁が紫外線予防を行っていますが、これは個人で紫外線の情報が分かるというのもひとつですが、例えばセキュリティのレベルを調整して、眼鏡やリュックなどに付けている計測器から得られる紫外線の情報を、グーグルマップを通じて情報を共有することができるようになるのです。そうするとリアルタイムで何処の紫外線が強いかということを確認することができます。奈良を例に挙げますと、奈良駅を降りて、東大寺や春日大社まで行こうと思うと、日差しの強い大通り沿いに結構な距離を歩くことになります。そんな時にパッと情報を見てみたら、少し遠回りになったとしても裏道を歩いて行けば、傘を差さずとも木陰を涼しく歩いて向かうことができる。グーグルマップだと目的地へ向かう途中で「こんなお店がありますよ」といった情報も一緒に得ることができます。つまり、「情報は共有してなんぼ」の側面があるということです。
この話をBMWの方にしたところ、「ウチと同じ発想だ」と言われてビックリしたことがあります。BMWは今、ドイツでこういうサービスを実験中だそうです。車のワイパーの動くスピードをインターネットでBMWの安全セキュリティセンターに情報として送ります。そこで集約された情報を運転手に送ることで、注意喚起に役立てているそうです。全国予報でその地方が雨だということは判っていても、どの程度の雨が降っているかはよく判りません。しかし、仮にワイパーが高速で動いているような所があるとしたら、そこは絶対大雨が降っているはずです。そこで運転手は「トンネルを抜けると大雨が降っていますから、スリップ事故に注意してください」といったような注意喚起を予め受け取ることができるという訳です。カチューシャは1人の学生の発想ですが、こういったアイディアをより広く社会に応用して考えてみることができます。こういった新しいアイディアを出すためには、ちょっと固まってしまった発想からはなかなか出てきにくい傾向があります。ですので、これまで研究には関係なかった人たちにも加わっていただいて皆で「こういう技術があったら…」あるいは「こんなことが実現したら…」といった意見を出し合いモノを作っていくことが、今後の商品開発に繋がっていきます。これが「オープンイノベーション」といいまして、広く社会の知恵を集めてものづくりに活かしていこう。それが最終的に社会づくり、社会改革にも繋がっていくだろうという考え方です。
▼倫理的な課題
介護や健康に関して、そういった研究を進めている例もたくさんあります。今後、AIやロボットに関しては、やはり倫理的な問題が一番大きいと思います。と申しますのは、先程も説明しました通り、技術そのものに対して警戒する必要性は今の段階ではそれほどないと思いますが、結局は人間がこれらの技術をどう使うかが最も問われてる部分だと思います。例えば、AIを活用した犯罪や事件、テロの危険性、それからこれは今日でも起こっていますが、個人情報の不正収集。技術が進めば進むほど、こういったリスクも高まります。ですので、使い方を考えなければいけない。そういう意味では、「情報技術も武器と変わらない」と言えます。
それから、例えば現在、厚生労働省は医療企業のIT化や企業の情報化を進めましょうと言ってロードマップを作成していますが、先ほど申し上げたみたいに今後超高齢化が進む社会において、病院ですべての患者を収容するのは無理なので、在宅で見守りの体制を整えることが主流になると思うのですが、ではその時にコンピュータをどう使うのか。病院にはちゃんといろいろな診療装置があって見守りができますが、自宅でも同じようになるのか。できるのであれば、それはどういったやり方になるのか。そういった部分はまだコンセンサスが形成されていないため、考えなければいけない部分です。
そういう意味でまとめますと、現状の技術ベースでは人間を凌ぐAIやロボットの登場は難しく、当面は電子計算機の域を出ないものです。生命、感性、知性の本質はまだ未解明であり、意思や意図や感情を持ち得ないため、むしろ最後に申し上げた倫理の問題にもあるように、システムを暴走させる人間側の悪意や無関心、未対策が問題です。ただし、新しいツール(道具)がドンドン登場してくるので、電卓の登場でソロバンが減って寂しい反面、仕事が楽になったように、仕事の方法論が変わっていく可能性は高いと思われます。そして、最後に申し上げたサービスや社会のあり方、そして倫理といったものこそ、宗教者の観点から問題視して議論してゆける部分があると感じています。これまでもこういった考え方、心のあり方が重要な問題であると取り組んできてこられたからこそ、新しいシステムが出てきた時に、どのように人間を捉えていくかという部分が本質的に重要だという視点を与える役割があると思います。
そして、過去・現在・未来を通じて、人間が存在する限り、そういった普遍的な問題は数限りなくあるはずだと考えます。われわれの大学では生活工学協同専攻というところから、こういった新しい技術をわれわれの生活に取り入れて、少子高齢化が進んで地域が衰退する大変な時代を迎える中、どうやって社会を良くしていくのか。そういった願いを込めて、未来社会の創成に取り組む新たな大学院をということで、日本学術振興会では、卓越大学院文化工学専攻を設置しようという話になっています。これは、近隣の京都大学や大阪大学をはじめ、全国の女子大にも協力してもらいつつ進めていこうと考えています。
最終的には宗教も含め文化が大事だと思っています。そのため、宗教者との対話も真面目に中に取り込んでいこうという話が出ているのですが、そこがちゃんと議論できないと、本当の意味で皆が満足できる社会はあり得ません。この技術だけでは十分じゃないところを補っていこうということで、文化工学専攻の設置に関して文科省と相談しているところです。少し時間がオーバーしましたが、私の講演はこれで終わりにさせていただきます。ご清聴有り難うございました。
(連載おわり 文責編集部)