大阪国際宗教同志会平成11年度第1回例会講演
『移植医療の現場は、今…』

京都大学大学院医学研究科 移植免疫学講座
助教授 猪股裕紀洋

6月11日、大阪国際宗教同志会(会長津江孝夫今宮戎神社宮司)の平11年度第1回例会が金光教泉尾教会の神徳館国際会議場で開催された。「臓器移植法」制定以後、脳死者からの臓器移植が実際に行われ、国民的な関心が高まったが、宗教界もこの問題について勉強するため、今回の大阪国宗は、わが国臓器移植医療の第一人者を招いて、移植医療の現場で発生するさまざまな問題について、宗教界と医療関係者の意見の交換の場にする目的で開催された。本サイトでは、数回に分けて本講演の内容を紹介して行く。

ご紹介をいただきました猪股でございます。本日は、本当に田中教授が来ることになっておったのですが、手術が非常に上手な先生でございまして、残念ながら手術を取って代わる者がなかなかおりませんので、本日は、どうしても田中教授自らが執刀しなければならないという状況に立ち入ったために、急遽、私が代理で参ることになりました。非常に役不足ということになるかもしれませんが、逆に、第一線という意味では、もう少し教授より近い立場にいるということもございますので、そういうことがお話の中に生かされればと思います。

本日は、私たちが移植医療の前線でやっていることを申し上げて、その中にはいいことも、非常に悩ましいことも沢山ございますので、そのことも含めてお話していきたいと思います。医者の常でして、話すときはスライドがないと話せないという癖のようなものがありまして......。スライドを使わしていただきます。


▼臓器移植の歴史

まず、簡単に、移植医療の歴史をお話したいと思います。そもそも1902年という百年近く昔に、血管をつなぐという外科の技術が確立しました。移植というのは、突き詰めてみますと、臓器を体の外にいったん摘り出して、その臓器に血管をつないで血を通わせるということ。移植という手術は、簡単に言えば、まぁ、そういうことです。その基本である血管縫合が約百年ほど前に確立されております。

その次に大きなトピックといいますのは、移植というのは、つまり他人の臓器を別の人の体の中に入れるということですが、普通は、ただ他人の血液を流しただけで、必ず「拒絶」という現象が起こってしまい、その組織は腐ってしまう。それに対してなんらかの対策をしないと移植は成り立たない。ただし、その例外としては、遺伝的に全く同じ一卵性双生児の場合にはうまくいくんだということが判って来て、1954年に初めて、一卵性双生児の間で腎臓移植が成功しております。これは、アメリカですけれども。その後、腎移植に励まされまして、臨床的にいろんな臓器の移植が、肺、心臓、肝臓と始まってきましたが、やっぱり只今申し上げました、拒絶反応という問題が大きく立ちはだかって、なかなか進みませんでした。

1970年頃がその試練の時代といわれる時期で、やっては駄目(死ぬ)、やっては駄目ということが繰り返されてきたわけですけれども、1979年になって、サイコスポリンという非常にいい免疫抑制剤――つまり、臓器を他の人の体の中に移植をしても、そういうお薬を使うと、その臓器がちゃんと着床する――ができまして、これが臓器移植という医療を非常に飛躍させる基礎になりました。その後、タクロリムスというもうひとつ新しいそれと同じような免疫抑制剤――これは、日本の会社が開発したお薬なんですが――、より強い免疫抑制剤として紹介し始められて、1990年になって、臓器移植が爆発的に世界に広がってきたということであります。

これは、1954年にアメリカで行われた最初の腎臓移植の風景なんです。かなり古めかしい写真です。ただ、そのあと1970年頃、これは1971年の雑誌『ライフ』の表紙なんですけれども、アメリカで心臓移植が著名な人たちに行われたんですが、バッタ、バッタとみんな死んでいくわけなんですね。ここに書いてありますが、「カルディオルディスト(心臓移植医)たちは、次々と移植をしていくけれども、その患者さんを紹介する心臓内科医は、もう、ちょっと悲惨なことは止めてくれ」というようなニュアンスの記事が載っていたと......。


▼肝移植の手順

そういう苦難の時代を経て、免疫抑制剤が開発されてきて、今、現在は一般的な医療として、もちろん欧米でも、また、移植の方法は別として、日本でも移植医療が確立されるに至ってきていますけれども、実際にその移植の医療がどういうふうに進むかをご説明したいと思います。

肝臓移植を例にとってここに絵で書いてありますが、まず、基本的に植える臓器を摘り出さないといけません。これは、脳死の肝移植ですと、脳死になった方から、その臓器を摘出して、まず、一旦保存いたします。この保存という技術も移植医療には重要なステップでして、保存している間に細胞が壊れないようにする。ある程度は壊れるんですけれども、なるべく壊れないようにする。例えば、肝臓ですと、まず半日、12時間は保存していても大丈夫ということになっておりますが、そういう保存液という特殊な液がございまして、その液の開発の進歩も移植医療の進歩には重要なトピックだったわけですが、そういうステップを踏みまして、次に移植になるんですね。

脳死の場合にはこの保存された臓器が移植をされます。移植というのはさっき言いましたように、血管をつなぐ――自分の悪い臓器を摘り出した後に、移植される新しい臓器のそれぞれに相当する血管をつないでやる――ということが移植の手術というわけです。

現在、日本で行われている生体肝移植は、この保存というステップがスキップされまして――もちろん、短時間の保存はされるんですけれども、現実には――隣り合わせの手術室で、片方の手術室では――臓器を提供する人をドナーといいますけれども――そのドナーから臓器を頂く手術を始める。隣の手術室では、肝臓を植えられる人――植えられる人をレシピエントといいますが――レシピエントの手術を隣り合わせの部屋で始めるわけです。それで、ドナーの臓器が摘り出されましたならば、レシピエントの悪い臓器を摘り出されるのを待って、隣の部屋に運ばれて、血管をつなぐ手術をして、また血液を通わせて、臓器を蘇えらせるということになります。

移植はそれで終わるわけではございませんで、かなり大きな手術でありますので、その手術からきちんと回復するかどうか、その回復過程が非常に重要ですし、それから、長期的には、最初に申しました免疫抑制剤をずっと使って、せっかく植えられた臓器が、レシピエントの体から拒絶されないように管理していくというステップを踏みます。これらが移植医療を成功させるためのステップです。

どういう方に移植をするか?肝臓移植を例に取りますと、どういう人に肝臓が必要かということになります。胆道閉鎖症――子供の肝臓の病気で代表格の病気があるんですが――胆汁という黄色い便の色の元になる消化酵素を肝臓の中から集めて、腸に流してやる胆管というのが、胆道閉鎖症の子供は生まれつき持っていないのですが、その子に対して、生まれて一カ月、二カ月ぐらいに、葛西手術という――通常の外科手術なんで、移植手術ではないのですが――手術をしてうまく治る患者さんもおられます。

ただその割合は、よくて半分ぐらいの確率で、残り半分の患者さんはそういう手術をしてもうまくいかない。放置すると、一年、二年経つうちに、これぐらいの赤ちゃん(写真)はもう大きくならず、栄養分の吸収が悪く、お腹には水が貯まって腫れてくる。いわゆる肝硬変の症状が出てくるわけです。逆に、うまくいくと、この子(写真)のように葛西手術だけで、移植を受けなくっても、すくすくと大きくなる子もいらっしゃる。こういう患者さんはもちろん移植手術を受ける必要はないんですが、このような患者さんは、この段階でなんとか肝臓を入れ替えてあげない限り、この子は、一年、二年の間にすぐ亡くなってしまうんですね。胆道閉鎖症が、そもそも日本で生体肝移植が行なわれてきた動機になっているわけですけれども、こういう患者さんが現実であります。

1989年に島根医大で初めて生体肝移植が行われましたけれども、それまで日本では、現実的には生体肝移植の道はございませんで、ある患者さんは、やっぱり機会を求めて、小児外科医が紹介をして、アメリカやヨーロッパで移植手術を受けてもらっていました。この患者(写真)さんは、私自身が治療をして、まだ日本で移植を始める前ですが、ドイツへ移植をお願いして、ドイツで肝臓移植を受けた患者さんです。

これはお母さんの日記なんですけれども、その移植手術は、残念ながら上手くいきませんで、手術の後、不幸にも亡くなった子供のことを、その後手記をまとめてお母さんが本として刊行されたものの抜粋なのですが、本の名前は『ともやの飛行機曇』といいます。「あれほど望んでいた移植手術。お母さんは移植をしてくれと非常に望んでいたんですけれども......。成功に終わり、後は回復するのを待つだけと、嬉しさの余り心が震えてしまうほどだったのに......。まさか、こんなにも次々と合併症が起こるとは夢にも思わなかったこと.....。今、気力だけで生きているというともや......、一生懸命生きようと、苦しみと闘っている毎日。疲れたりしないで、なんとしてもこの大きな山を越えてしまおうね。そうしたらきっと元気になれるから......」こういうふうに、なんとか子供を励まして、移植後、たいへんな時期を励ます気持ちで書かれた日記なのですが、残念ながら亡くなってしまいました。こういう患者さんが京都大学にも沢山いらっしゃいまして、そういう人たちを診るということが、生体肝移植を開発してきた大きな動機になっております。

その着想を元に、田中教授が1986年に初めて、ピッツバーグで脳死の肝移植を見学されて、その後、1987年に、豚を使った動物実験で生体肝移植を始められました。1990年に実際に臨床で初めて――これ(写真)は、日本の第2例目になりますが――開始して現在に至っております。今日のケース(註=この日も京大病院では手術が行われていた)も含めて475例の生体肝移植を積み重ねてきております。


▼肝臓という臓器

技術的なことを簡単に申し上げますが、人間の肝臓は右の方が大きくって左の方が小さい三角形の形をしております。当然ですが、子供さんには小さな肝臓で十分足りるわけですね。大人の肝臓の一部分があれば十分なんですね。ですので、ご覧になったら判りますように、左の方の約4分の1ぐらいを切除して、この部分をお子さんの悪い肝臓を全部摘った後に、移植してやるのが生体肝移植です。


肝臓というのは、二種類の血管が入ってまして、一種類は、腸からいろんな栄養を運んでくる門脈という太い血管と、もうひとつ、酸素を主に運んでくる動脈という――ここには書いてありませんが――直径2.3ミリの血管が入って来ています。一方、出て行く血管は肝静脈といって、これは肝臓から出てきたいろんなものを心臓に戻していって、心臓がまた全身に運んでやるというほうになっております。

肝臓は、こういう血管の枝別れに沿って幾つかの部分に別れることができて、それぞれの部分がミニチュアの肝臓として働くことができるわけです。ですから、肝臓の一部分を切り摘ってポンと入れてやるだけではもちろん働かないわけで、そのミニチュアとして働くひとつの単位を切り摘ってそれを移植するということになります。

もうひとつ肝臓が不思議な性質を持っているのは、その切り摘られた後、残った肝臓がググーッと膨れて来て、二、三カ月経ちますと、ある程度また同じ大きさに戻ってくれるのです。これは、部分肝移植ということにとっては、好都合な性質なわけです。これは、移植された方も同じことで、小さな肝臓を移植してやっても子供が大きくなっていくにつれて、一緒に肝臓も大きくなっていく。逆に、非常に小さな赤ちゃんにある程度大きな肝臓を入れますと、その赤ちゃんに合ったぐらいの肝臓に縮んでくれるという、非常に不思議な性質をもっております。

これは移植される方の絵ですけれども、先ほど申しました、左側の約4分の1ぐらいの大人の肝臓が、それぞれに相当する部分の血管をつないで、最後に胆管といいまして、この肝臓から黄色い胆汁を出してくる管を腸に直接つないでやるというのがレシピエントの手術です。この血管をつなぐのが移植手術のメインイベントなのですが、この動脈が、さっき申しましたように非常に細くてつなぐのがなかなか難しい。これ(写真)は、京都大学で開発して導入してきたのですが、顕微鏡を使いまして、ここに大きなレンズが付いてまして、ここで手術しているところが見えるわけです。それを目で見て――これが手術する人、これが助手ですけれども――手術するわけです。顕微鏡だと大体20倍ぐらい大きくすることができます。直径2.3ミリの血管を、髪の毛よりも細いような糸でつなぐわけです。

もうひとつ京都大学でやってきた移植の実例として、小腸移植があります。これも日本では脳死移植ができませんでしたので、お母さんから小腸を頂きまして、病気の赤ちゃんに移植をした。この子(写真)は、赤ちゃんのように見えますけれども、実は4歳の女の子です。4歳の女の子で体重がまだ6キロしかない。6キロというと生後数カ月の赤ちゃんに相当するんですけれども、この赤ちゃんは、産まれた直後に小腸が腐ってしまう状況に陥って小腸がほとんどないという状態で、ずっと点滴だけで栄養を摂ってきた方です。

四歳になってとうとう点滴を入れる血管もないという状況に至りまして、ご両親が移植をすることを決意され、移植になったというケースです。この方は、お母さんから約一メートルの小腸を頂きまして、もともとの自分の腸の間に移植の腸を挟んで、やっぱり血管を繋ぐ手術をして、移植をしております。手術の後、移植された腸の途中をお腹の壁の外に出して――これを人工肛門といいますけれども――そこからファイバースコープを入れて、一日おきぐらいに拒絶反応が起こっていないかどうかをチェックされているところです。この子は身体は小さいですが、非常にしっかりしていて、ちゃんと先生の言うことも聞いて、麻酔もかけないできちんとこのような検査をこなしております。これ(内視鏡写真)が、拒絶のないきれいな小腸の内腔(内側の壁)ですね。さっきの赤ちゃんのように小さかった子が、この様に元気になって病棟をスタスタと歩くようになってきた。これはドナーのお母さんです。1メートルぐらいの小腸をこの子に上げて、下痢が半年ぐらいお母さんのほうにもありましたが、今はすっかり元気になって暮らしておられます。


▼難しい免疫抑制剤の匙加減

移植の後の医療の山場としましては、第1番目は、重要臓器――その移植された臓器だけではなく他の臓器――の回復。それから2番目には、移植に伴ういろんな合併症があるんですが、例えば、さっき言いました血管を繋ぐ手術の後に、繋いだ血管が詰まってしまったりすることがあるんですが、そういう合併症をなんとか予防したり、もし起こった場合は、適切に治療をすること。それから3番目は、免疫抑制剤――これが非常に難しいのですが、免疫抑制剤を使いすぎずに、かつ充分使うという薬の量――の調節があります。それから四番目には、免疫抑制剤を使うことによって、レシピエント――移植をされた患者さん――の自分の免疫力を落としてしまうことにもなりますので、それに乗じて起こってきます感染症――カビとかウィルスとかバイ菌とかの感染――をなんとか克服していくというこういうような山場があります。

要するに、一番難しいのは免疫抑制剤の使い方でして、使い過ぎると感染が起こる。かといって、それを怖がってあんまり使わないと拒絶が起こる。手術の後、こういうジレンマを感じながらケアをしていかないといけないのです。これが、移植医療の手術の後の一番の難しい点、管理の中心になることになります。免疫抑制剤というのは、理想的には、拒絶反応は起こらないけれども、自分がもともと持っているカビやウィルスやそういう抵抗はきちんと保ってくれるような、そういう免疫抑制剤があればいいんですけれども......。今、使われている免疫抑制剤は、残念ながらそういういいものではございませんで、拒絶も抑えるけれども、もともと自分が持っている抵抗力も抑える。それで感染のリスクが増えてしまうという状況にあります。

そういうお薬を使わなくても、移植された臓器が着生してしまうことを免疫寛容といいますが、そういう状況になることが、一番の夢のような形になるわけですが、まだ、これは現実化していません。ただ、非常に少数ですが、京都大学で400数十例の手術をしておりますが、その中で免疫抑制剤を全く使わなくっても、臓器がきちんと着生しているという例はあることはありますので、一部の患者さんではこういうことも可能ではないか。こういう患者さんは、臓器はちゃんと着生しているし、かつ自分自身の感染に対する抵抗力も保たれているという、移植の中では理想的な形にもっていけたケースはあることにはあるということになります。ただ大部分のケースは、免疫抑制剤でなんとか移植された臓器を繋ぎ留めているという状態のが現状です。

少し古いスライドですけれども、これはみんな赤ちゃんの時に生体肝移植を受けて元気になった――だいたい半年から1年ぐらい経った――子供たちの写真ですが、外来で通って来て、みんな元気です。それが、5、6年経つとこんなふうに「元気に入学しました」と、お手紙が来まして、写真が必ず付いてきます。「こんなお利口さんになった子もいる」と......。このように、一生、免疫抑制剤を飲まないといけないという現実はありますが、それ以外の点では、他の子供たちと全く同じように学校へ行き、あるいは仕事をして普通に暮らせるようになると......。そういう社会復帰が完全に可能になるというのが、移植医療の醍醐味であります。


▼移植医療の問題点

ただ、これから問題点に入りますが、実際には、いろんな問題があります。特に生体肝移植には生体肝移植なりの問題が多数あります。脳死移植が日本ではなかなか進みませんが、その議論は今、私たちが云々できるケースが一例しかありません(この時点で)ので、今、現在携わっているこの生体肝移植に問題点を絞ってお話ししようと思います。

まず、どういう方をドナーつまり肝臓をあげる方として選ぶかという問題があります。医療上の問題として、まず血液型の問題があります。血液型が全く同じでなくてもよろしいのですが、輸血ができる組み合わせ。例えば、O型の方は誰にでも血液をあげることができます。ABの方は誰からでももらうことができます。ですから例えば、A型の患者さんがいたら、A型の方とO型の方から肝臓をあげることはできますが、その他の血液型からは、輸血できない組み合わせになりますから、臓器をあげると強い拒絶反応が起こってきます。ところが、この血液型というのは、例えば、親子であったら必ず輸血できる組み合わせになるかというとそうではなくて、AとBのご両親からO型が生まれることがあるわけで、そうすると、ご両親はいずれも血液型としては適合しないということですね。ドナーは、今現在、ご両親、おじいちゃんおばあちゃん、兄弟、夫婦間、あるいはお子さんという肉親内の選択に限っておりますので、その中で適当なドナーがいないということになると、非常に困難な問題になるということになります。

次の問題として、血液型が適合しても、実際に肝臓が悪いという場合があります。特に中年のお父さんはだいたい、不健康な生活をしてますので、ほとんどの方が脂肪肝であります。そういう方は(子供を助けるために)「絶対ワシの肝臓をやるぞ゜」と言って、その時に急にお酒を止めても間に合わない(会場笑い)わけでして、ひどい脂肪肝でしたら、せっかく移植されても、血管を繋いで血を流しても、血液が充分流れて行かないということが起こって、肝臓が腐ってしまうことがあるんですね。せっかく、(自分の肝臓をあげる)気持ちはあっても、肝臓自体が駄目で、涙を飲まないといけないということもありうるわけです。

それから、日本で、あるいはアジアで特に多いのですが、肝炎ウィルスが感染していることがあります。B型とかC型肝炎を持っている方の肝臓も、手術の後にレシピエントは免疫抑制剤というものを使いますので、そういうウィルスを持った肝臓が入ってしまいますと、このウィルスの発生を助けてしまうことになります。ですから、移植に関しては、こういう方もまずいわけですね。

それから、もうひとつ大きな問題は、肝臓の大きさであります。先ほど言いましたように、ドナー(肝臓をあげる人)の身体が大きくって、貰うほうが小さかったら、あんまり大きな問題にはなりません。ところが、逆の関係がありえるんですね。例えば、夫婦の間で、奥さんからご主人にあげるというような場合、大抵は、小柄な奥さんから大柄なご主人にあげるということになりますと、小柄な奥さんの肝臓の一部分では、ご主人に必要な肝臓の大きさを賄うことができないということになります。だからといって、ドナーに危険なほど大きな肝臓を切り摘ってあげるというようなことは、生体肝移植の基本はドナーの安全性ということになりますので、それでは本末転倒になってしまいますので、ここに大きなジレンマが生じます。これ(写真)は、非常にラッキーなケースで、これは大人の60歳ぐらいの病気のお父さんにお子さんが肝臓を上げたという組み合わせのケースなんですけれども。お子さんが98キロもあったのに、お父さんは70キロほどしかなかったので、お子さんの肝臓の一部分でも十分な大きさがあったわけです。ですから、お父さんは、お子さんの肝臓を自分に貰うために大きく したわけではないと思いますけれども(会場笑い)、たまたま、お子さんが大きく育ってくれますと、非常にラッキーなこともあるということがあります。

ただ原則として、一般的には大人同士の移植になりますと、さっき言っておりましたように、この左側の肝臓の部分では、ちょっと小さ過ぎるということが判ってまいりまして、最近は――昨年ぐらいからですが――右のより大きなほうの肝臓をドナーから切り摘って、肝臓を移植するということを大人の患者さんでは始めてきております。それまでは、小さな肝臓(左葉)が入ったためにうまくいかなかったケースが多くありまして、たくさんの生体肝移植の手術を積んだという経験を生かしてそうなってきているのですが、当然、ドナーから切り摘られる肝臓が大きくなりますので、ドナーにとっての安全性という面では――左を切り摘るよりも危険が大きくなる可能性があるわけですが――その手術が十分安全だという自信を深めた上で、そういう右葉を使うということも昨年から始めました。


▼心のケアが大変

具体的には、いくつかドナーを選ぶ時に問題があったケースをお話しますが、この四十五歳の男性の病気は劇症肝炎です。劇症肝炎というのは、元気だった方の肝臓が急に悪くなられまして、ひどい場合は意識を失ってしまう。体には黄疸が出て真っ黄色になってしまうというような病気で、緊急に手術をしなければ患者さんは亡くなってしまうという恐しい病気です。その患者さんの背景として劇症肝不全というのは、これは劇症肝炎と同じことですが、劇症肝不全のお兄さんに対して、生体肝移植のドナーとして弟さんが肝臓の右葉を切除されました。その後、弟さんはだんだん無口になられまして、医者に対していろんな不満を訴えるようになった。病院に入院してたんですが、手術後10日目に無断外出をしてビールを飲みに行っちゃった。お腹が痛いと言われるので、内視鏡(胃カメラ)を入れてみましたが、特に異常な所見は認めなかった。その後、医者、看護婦さんとも、いろんな弟さんの不満を感じるようになりまして、それにケアをするということを始めて、精神的に安定をして19日目に退院と。

そのドナー(弟)のほうの心の深層は結局どういうことであったかというと、緊急移植のために短時間で家族全体の意見をまとめないといけなかった。結果的に自分自身が「さぁやるぞっ」と言ってみんなの先頭をきってドナーになって、手術をされたわけですけれども、もともと心の中では、非常にその手術は怖かった。これは、後で精神がだいぶん安定してから本人の口から出たことなのですけれども。その間、手術前から手術後にかけて、このレシピエント――兄の患者さん――自身のケアに親族はみんな集中していて、このドナーのことに注意を払ってくれなかった。そういう心の不満がいろんな反応となって、直後に出てきたということが背景です。ですから、どうしても医療側も家族も、患者(レシピエント)さん中心の考え方になっていって、ドナーのことを忘れることがありますが、これが、生体肝移植としてのひとつの注意しないといけない難しい点であろうと思います。

それから、また、ドナー選択の難しさの例としましては、やはり劇症肝不全ですけれども、劇症肝不全といいますのは非常に緊急性を要しますので、いろんなことを決める時間が短いという制限があります。その短時間の中でドナーを決めていろんな準備をしなければならないという制限がありまして、特に、「親から子供へ」というような単純なものでない「大人同士」の組み合わせの場合、いろんな問題が起こることがあります。

このケースは、レシピエントとドナーが二人で暮らしているご夫婦だったのですが、お子さんはいらっしゃいませんし、親戚ともあまり疎遠で交流がなかった方ですが、かつ奥さんには、今まで鬱病で精神科への通院歴があるということでした。もちろん、移植の前には奥さんは全く正常だったのですが、夫の病状を目の当たりにして、「これは絶対、私が臓器をあげないといけない」と、強く決意をして医者に申し出られたわけです。ところが、不幸なことにご主人は非常に状況が悪くって、移植をされましたが結局、亡くなられました。そうすると、奥さんには全く他に家族がいない。地元――山口県の方だったのですが――に帰られても、全く他に身寄りもないということで、精神的にガタガタになって、また京都に出てこられまして、京都の病院で入院してまだ静養中です。もう半年ほど経つんですけれども......。しかし、少しずつやっと安定してきて、これから社会復帰をしようかというところまでこぎつけました。

分かり易く説明する講師と真剣に耳を傾ける宗教者たち

こういうケースの場合に、はたして奥さんを実際にドナーをしたことがよかったのか?このケースは、せっかく移植をしてもご主人は亡くなってしまったわけで、手術の前から「ご主人のリスクが非常に高い」ということも予測はされていたんですが、そういう場合でも、こういう精神的に少し奥さんに不安がある場合に、その人をドナーとしてよかったのか......。しかし、奥さん自身は「絶対ドナーになりたい。肝臓をあげたい。私は死んでもいいから肝臓をあげたい」と言われましたし、事実、こういうことをおっしゃる家族はたくさんいらっしゃいます。奥さんのこれからの人生と、患者さん自身のリスクとどういうふうに兼ね合わせて考えていくかという非常に難しい選択を強いられたケースでもありました。


▼ドナーとレシピエント どちらを重視するのか?

移植手術をする場合、インフォームドコンセントという「説明して、納得していただく」ことをやるわけですが、その場合、やはりジレンマがございまして、何のジレンマかといいますと、「レシピエントを重視する」か、それとも、生体肝移植のリスクを重視して「ドナーのリスクを考える」かということになるわけです。レシピエントの利益ということになりますと、とにかく「今やらないと患者さんは死んでしまいます」ということを強く強調すればするほど、ドナーのリスク――これは後で申し上げますが、ドナーは当然、全身麻酔を掛けられて肝臓の大部分を切除するという大きな手術をされるわけですので――そのリスクのケースにつながります。

それから、その家族に「この手術をすれば絶対に助かるんだ」という過大な希望を与えることが、その裏返しとして、上う手まくいかなかった時に、ものすごく強い落胆を起こすということが出てきます。ところが逆に、生体肝移植のリスクを非常に強く説明しますと、「世界的に見ると、逆に、ドナーが亡くなったケースもありますよ」というような話をどんどんしていきますと、家族の方から「そんなことをしても大丈夫か?」と、決断が揺れてきます。そして、それが強くなれば当然ですが「そんな危ないことなら止めておこう」ということになり、「止めておこう」ということは、即、レシピエントの死につながるわけですので、そのレシピエントが生体肝移植によって得るかもしれない「その後の生」の希望を失ないかねないということになるのです。

この二つの相反するようなことをどう調和させて説明していくかということは非常に難しい点であります。先ほど言いましたように、ドナーのリスクというのは確かにございまして、全世界で一二〇〇例ぐらいの生体肝移植が行なわれておりますが、正式に報告があるだけで、二例のドナー側の死亡の報告があります。これは、伝わってくる噂によると、五例ほど亡くなったというケースがありますから、「百パーセント生命にとって安全な手術とは言えない」ということは確かに言えると思います。京都大学でやった生体肝移植でも、ドナーに全く何も起こっていないというわけではございませんで、例えば、肝臓を切った後で胆汁がお腹の中に少し漏れ出して、入院期間が非常に長くなってしまうとか、あるいはドナーの方が十二指腸潰瘍を作ってくるとか、あるいは、肺梗塞だとか腸閉塞だとか合併症をきたしたケースもありうるわけです。

ですから、こういうドナーのリスクというのも、全く無視して説明するわけにはいきませんで、必ず、「極端な場合は亡くなったケースもありますよ」とインフォームド・コンセントの時に申し上げております。ただ、「幸い今のところには、京大では亡くなったケースはひとつもありません」ということも必ず付け加えます。

そいういう患者さんと移植前後にまつわる、いろんな心の機微を埋める作業を専門にやって下さる人が必要になります。どうしても医者は医療だけ、看護婦さんは入院中のケアだけということになってしまうので、その隙間を埋めてくれる職種がどうしても必要なわけです。これは、移植だけではなくて、他の医療にも本来存在するべき職種なのかもしれませんが......。これが、いわゆるコーディネータと呼ばれる職種です。


▼医者と患者の距離を埋める

コーディネータと申しますと、最近、新聞とかによく出てくるコーディネータは、脳死移植の時に臓器の提供を斡あっ旋せん・仲介するような臓器移植ネットワークのコーディネータということがすぐ、皆さんの頭の中には出てくるかもしれませんが、ここでいいますコーディネータは、レシピエントコーディネータという別名がついております。移植を受ける患者さんにまつわるコーディネータとして仕事をするわけで、決して臓器の仲介をしたりというような仕事ではございませんで、医者と患者さんの中間に立つ専門知識を持ったより第三者に近い対応を希望されるものです。現在、京都大学でも、文部省に認められて、看護婦さんの経験者でこういう仕事をしている方がひとりだけいらっしゃいますけれども......。

要するに、例えば、患者さんが医者に何か言いたいけれども、なんとなく距離があって「言いにくいな」という時に、間にこういうコーディネータが立って話をしてくれると、説明の補足といいますか――これは、本来医者が全部やらなければいけないことなのかもしれませんが――こういう方がいると、いろんな細かいことまで手が届くということになります。

それから、京大病院へは、全国各地から来ておられる方が多いので、「京都でどこか泊まるところを紹介してください」とか、あるいは、「空港から京大までどうやって来たらいいのですか?」と、そういう説明をしたり、今の医療ではそういう説明をする人がほとんどいませんから......。さらに、実際、京大病院に来たけれども、どこ(何科)へどうやって行ったらいいのか判らない。これは病院の事務の対応だけでは不完全でして、コーディネータは一緒に歩きながら介助をしてくれるということになりますので、レシピエント(患者さん)特に生体肝移植という医療にとっては、ドナーとレシピエントがひとつ家族、あるいは近親者の中にいることが多いので、そのドナーとレシピエントをひとまとめにして、全部面倒を看る立場として非常に重要な働きをしてくれています。

先ほどから出てきています劇症肝不全のケースでちょっと話してみようと思います。二十七歳の女性の患者さんがいました。これは三年ほど前になりますが、十月二十日に風邪ぎみで熱を出して、近くのお医者さんに診てもらいました。二十二日になっても体がだるいので、そのお医者さんで点滴を受けました。血の検査をしたら「肝機能がおかしい」と初めて言われた。二十三日になりますと、顔が黄色くなって黄疸が出てきたんですね。だるさが強くなったので、救急車で大学に紹介されて運ばれて入院した。ところが、救急車に乗る時ははっきり意識があったのですが、大学へ着いた時にはもう意識がなくなっていた。「風邪だ」といってから三日で、意識がなくなるところまで肝不全が進んでしまうんですね。二十四日には、強くひねると顔を顰しかめたりするけれども、昏睡の状態になってしまって、血漿交換といいまして、血液を入れ替えるような治療をしてもまったく効果がない。一週間前には全く元気だった人が、二十六日になってもう意識がないということで、移植の相談が京都大学にあったのです。

こういう患者さんが出現した場合に、どんなことを考えて、どんなことを評価しなくてはいけないかということをまとめますと、患者さんの年齢、患者さんが今どういう状況にあってどういう合併症があるか、それから、今は肝臓が悪いために昏睡に陥っているわけですが、移植によって肝臓を入れ替えることによって、本当に頭が回復するのかどうか?というような評価を下さなければならいのです。それから、ドナーに関しては、まず肝臓を提供できる人がいるのかどうか?という評価をしないといけないですし、そのドナーの年齢はいくつか? ドナーになりうる人の全身状態及び肝臓機能はどうか? それから、先ほどから出てますが、血液型、それから肝臓の大きさはどうか? 最後に、ドナーの精神状態、臓器提供の自発的意思というものが本来はっきりしているものかどうか? とういことを、非常に短期間で、時には一日以内に全部評価しなくてはいけない。

そうでないと、せっかく移植をしても間に合わないことになるんです。年齢というのは、このケースは若い二十代の女性でしたから特に問題になりませんが、最近は、移植医療への関心の高まりから、大学へよくご高齢の方から問い合わせの電話があります。例えば、ごく先日、七〇歳の方から、「家内が『肝臓を上げる』と言っているんだけど、なんとかしてもらわれへんやろか」という電話がありまして、奥さんは六八歳なんですね。五〇歳の人には移植するけれども、どうして七〇歳の人には移植をしないかというと、もちろん医学的にはうまくいかない可能性が非常に高くなるわけです。実際、今、原則的には六五歳程度で、移植を受ける年齢としては区切っているわけですけれども、じゃ「七〇歳では駄目か?」と言われると、「家内は死んでもいい」と言うていると......。そういうふうに奥さん自身が言って来られると、多少でも可能性があるのであれば、七〇歳の人にやってあげていけないわけはないという理屈になるのですが、そこら辺は、皆で考えて、検討が十分ではないところがありますので、今のところは六五歳で区切ってますが、そういうレシピエントの年齢の評価が入ってきます。

それから、もうひとつ大きな問題は、完全昏睡が移植で回復するかどうか? 例えば、お子さんの劇症肝炎の場合は、いのちを助けることができることが多いのですが、それまで全く元気だったお子さんが、もう完全な脳性麻痺のような状態になってしまう。それでも、親としては「生きていたほうがいい」と考える親もありますし、逆に、「そんなん(脳機能に重大な後遺症が出る)だったら、もう亡くなってしまったほうがいい」と考える人もいるわけです。ですから、どういう状況なら的確に「移植すれば、脳の機能も含めて全く正常に戻りますよ」ということを自信を持って言えるかどうか......。これが難しい。ある程度のところまでは言えますが、ある程度のところでは、「もしかしたら後遺症が出るかもしれない。でも、もしかしたら完全に治るかもしれない」というところがあるわけです。そこらへんをどう判断するかというところが難しいところであります。


▼移植医療は大勢の共同作業で

それからドナーの方も考えますと、年齢は、お父さん五七歳、お母さん五五歳、このケースはこのような年齢分布でしたので、年齢としては、ドナーについては現時点では「二〇歳から六〇歳ぐらいまで」に区切っておりますが、それに当てはまるわけです。問題は、サイズマッチということになりまして、これは大人の患者さんですので、さっき言いましたように、肝臓としてはできるだけ大きな肝臓を上げるほがいいと、ですから、お父さんの方を上げたほうがいいのではないかというような情報はご家族に差し上げますが、最終的に決めるのは、ご家族の中で、僕たち医者はこれを決して強制することはできません。

ドナーの精神状態と臓器提供の自発的意思というのは、僕ら自身も考えますが、京大には倫理委員会という第三者機関があって、そこからそれにタッチする方が来られて、僕らが居ない席で、自発的意思を第三者の立場から確認するというシステム(インタービュー)を、緊急の場合でも取っています。

患者さん自身の実際の手順としましては、患者さんを紹介してくださった病院に、その翌日に患者の状態を尋ねて、その日の午後三時には両親とおばさんが相談に来られて、その説明を聞いた上で、午後五時には移植の方法で向こうの病院のお医者さんと情報を交換して、二十八日の朝の八時には昏睡の判定をして「これは元に戻る(回復する)のではないか」と判断をして、その日の内に倫理委員会を開いてもらって、「このケースは移植をしてもいいでしょう」というご判断を頂いたうえで、患者さんに救急車で来てもらって、その日の夜には手術をすると......。ですから、患者さんに最初の症状が出てから、八日目には手術になりました。

この間、病院の中でいろんな機関が動きます。これは決して移植外科というひとつの科だけで処理ができる問題ではありませんで、先ほどいいました倫理委員会というところ、それから医療費などの計算をするセクション等々、病院を挙げて体制を作っていかないと、特に緊急の場合には対応ができないということがあります。これ(写真)がその患者さんですが、来た時には完全に昏睡状態で全く意識がなかったのですが、退院して今は元気に仕事をしておられます。

これらが、日本での移植医療の実態ですけれども、生体肝移植は今年の一月までで、日本で約八〇〇例行われています。現実的な話で恐縮ですが、この生体肝移植が非常に増加した大きな原因としては、昨年(一九九八年)から、生体肝移植が保健診療になったということで、特に小児では、自己負担分についても、公費助成が大きく入ってますので、ほとんどの小児の肝疾患は、自己負担なしできるというようなこともありまして、かなり数が増えております。脳死肝移植に関しては、まだ「高度先進医療」ということで、費用がかかります。

ただ、生体肝移植というのは、成人の病気に関してはごく一部しか保健が認められておりませんで、多くのケースは大人の場合は、大人というのは一六歳以上ですけれども、大人の場合は自己負担がほとんどですから、海外で(移植手術を)やろうとすると、二〇〇〇万から四〇〇〇万ぐらいかかります。日本でやると大体、八〇〇万ぐらいのお金でできます。それでも、これぐらいの費用がかかるということになります。

これ(写真)は、ドナーとレシピエントですけれども、こういう親子間の関係ばっかりですと、生体肝移植も非常に明るい面といいますか、ヒロー、ヒロインがたくさん出て、いい面ばかりがありますが、どんどん適応範囲が大人に広げられてきますと、大人同士の肝臓のやりとりにつきましては、先程来、申し上げておりましたような、いろんなドナーの選択の問題、決断の問題などの難しいことが増えてまいります。

そういうことで、患者さんに説明する時間も増やさないといけないし、回数も増やさないといけないし、十分に説明したつもりでも、まだ、実際患者さんは後から不満を漏らすことも多々あります。特に、生体肝移植の場合、うまくいきませんと、患者さん自身は亡くなってしまいます。かつ、肝臓を上げたほうには傷も残る。いろんな体の不都合もしばらく続く......。と、いいことが何もないというよな状況になりまして、時には医療費の支払いを拒否されるとか、そいうことも現実に起こるわけです。ですから、そこらへんでどうやって患者さん自身、あるいは患者さんの背景にある家族の問題を医者側が拾い上げて、その難しい点を、あるいは疑問点を、手術の前から十分お話して、手術の後も頻繁にお話をして、その理解を得て行くことが、これからますます必要になってくるのではないかと思っております。大体、今日のお話は以上でございます。

<質疑応答>

司会 猪俣先生のご講演を承りまして、本当に私共が思っていた以上に、臓器移植という問題は、単なる「医療的な技術上の問題」ではなくって、どう申しますか、もっとドロドロしていると言いましょうか、ヒューマンなと申しますか、あるいはわれわれ宗教者が日頃扱っているような問題、「(私の肝臓を)上げたいねんけど、上げられへん」とか、その逆で、「ほんまは兄弟なんかにやりたくないんやけど、世話になっているから義理でやらないかん」とか、そういうようないろんな問題を含んでいることが判りました。現場のお医者様としては、私が一番聞かしていただいて感じた「医療技術の問題以前」つまり、人間としての問題が非常に根深くあるように思うわけでございます。

そういうことで、いろいろと各教団、各宗派の先生方にはお考え、ご意見があると思いますが、まず最初にですね、臓器移植の問題に関しまして、ほとんどの日本の宗教団体は態度を鮮明になさっておられません。そらそうでございますね。「教団としての公式の見解」というのは、教団内には賛成派から反対派までいろんな方がおられますので、非常に難しい。どちらかの意見に集約するのは難しいと思うのですが、その中で数少ない、教団として臓器移植に――特に脳死臓器移植ですが――ご反対なさっておられる「大本」様から本日は先生方がお越しいただいておりますので、ご意見を伺いたいと思います。「大本」本部の教学研鑚所の斎藤先生お願いいたします。

斎藤 ご紹介いただきました、宗教法人「大本」本部教学研鑚所主事をしております斎藤と申します。また、大本本部が対外的な活動をする時に、人類愛善会という名称でさせていただいてますけれども、その、生命倫理問題対策会議の事務局員も務めさせていただいております。

今、三宅善信先生のほうから「口火をきるように」とご指名をいただいたのですけれども、猪股先生のお話を聞きまして、本当にありがたいという気持ちでいっぱいなのですが、私自身、四年ほど前に、京都の第二赤十字病院で胃癌の宣告を受けまして、胃の摘出手術を受けて今日に至っているというわけで、ほんとそれまで、私自身、健康に恵まれて、病院にお世話になることはなかったのですが、約二カ月間の入院手術またその後の施療というんですか、対応の中で、本当に最先端に立たれるお医者さん並びに看護婦さんに対しては、尊敬と感謝の念でいっぱいでございます。本当に何というか言葉は相応しくないかと思いますが、ボランティア的な高い志なしにして最先端の医療というのは進まないし、また多くの患者さんは救われなかっただろうなということを今日の猪股先生のお話を伺うにつれて、一層心強く思った次第でございます。

先ほど、三宅先生の方から、何か宗教界として、鮮明にそういった意思を現しているというような代表として、大本を名指ししていただいたのですが、確かに大本としましては、こういった移植医療については、実際、宗教的――特に霊魂観であるとか死生観であるとかといった宗教的心情の中で、「もう少し慎重にみなさん考えてみたらどうですか?」ということを訴えてきているわけなんです。

猪股先生の生体肝移植の場合はちょっと違うかもしれませんが、「脳死」による臓器移植医療につきましては、宗教的なことを述べる前に、一般的にも特に先ほど保健の問題であるとか、法的、経済的、倫理道徳的な面からも、いろいろな問題を置き去りにしたまま、懸案のままに法制化されて、「人のいのちというのが、移植医療の対象とされる時に限って、死体として認められる」というこういった風潮は、いのちにかかわることを考える宗教者としては、もう少し慎重に考えるべきではないかと......。

特に、移植を推進される先生方の言葉ばかりを伺いますと、本当に薔薇色の先進医療のように伺いますけれども......。一方、例えば、大脳生理学の学者であるとか、脳神経外科医の方であるとか、またそういったことに関わるお医者さんの立場、看護婦さんの立場からも、この移植医療に関しては、懐疑的なというか、否定的なお言葉を伺うにつれて、そういった「宗教的な問題だけではなく、一般的にももう少しいのちに関わる問題として、皆が考えるべきではないか」ということで、いろいろな社会運動を含めてさせていただいているということを、まず申し上げたいと思います。

今日のお話は本当に参考になったのですが、さらに踏み込んで猪股先生のお考えを伺わせていただきたいと思う点が二、三あります。

まず、「移植医療というのは過渡的医療だ」ということをお伺いいたしましたが、猪股先生はその点をどう思われているかということと、今の移植医療というのは、将来的にどのような形に変容していくのが理想だと思われているのかというのが第一点でございます。

また、先ほどの生体肝移植の実例のなかで、「ドナーとレシピエント、両方の方の心のケアというのが大変難しい」と、特に「どうしてもレシピエントの側ばかりに関心が向けられて、ドナーの人のことをちょっとなおざりにされる傾向があることについては、反省も含めていろいろ難しい面がある」ということをおっしゃいましたけれども、脳死移植については、(第一号になった)高知赤十字病院、または慶應大学病院での第二例目も含めまして、痛切に思われるのは、今、猪股先生がおっしゃられましたように、ドナーのいのちとレシピエントのいのちが公平に天秤にかけられているのかどうかをお伺いしたい。

例えば、高知赤十字病院で亡くなったドナーの方ですね。また、慶應大学病院で亡くなったドナーの方のそういったいのちというものが、本当の意味で守られたのかなっと......。場合によっては、「救命医療の方法によっては、結論的に問題はなかった」というような新聞の報告記事を読みましたけれども、「助かった可能性もあったのではないか」と、そのような報道も見られるわけですけれども......。ドナーとレシピエント、そういったいのちの観点から、これは宗教者としても考えなければいけないと思う問題ですけれども、お医者さんの立場から注意点であるとか、もし問題点等などお感じのところがあったらお教えいただきたいと思います。

猪股 まず、第一番目のご質問ですけれども、「移植が過渡的医療」という意味では、確かに長い目でみれば、そういう側面はあると思います。現在、肝移植の対象になっている病気ではaa肝臓はいろんな働きをするのですがaaその肝臓が、生まれつき働きの一部がうまくいかない。例えば酵素が作れないという病気があって、それがために肝臓を移植しないといけないという病気がいくつかあります。そういうものでは、例えば、遺伝子治療なんかが始まりますと、その足りない酵素を、肝臓全部を取り替えなくてもそれだけ補ってやろうというようなことを行なって、それが移植を必要としない医療に結びついていく可能性は充分にあると思います。

ただ、現在、例えば、人工肝臓であるとか、そういうふうに他の人から臓器を移すということなく、悪い臓器の助けをしてあげようという技術は、今のところまだ臨床的には実験段階に止まっていまして、将来的にはそういう方向に行くことが望ましいと思います。そういう研究もどんどん進んでいますけれども、過渡期という意味ではそういうことになりますが、どれぐらいの長さの過渡期といいますと、「かなり長い」と言わざるをえないというふうに考えます。ですから、確かに臓器移植は過渡的な医療で、もしかしたら、百年も経ったら移植医療はなくなっているかもしれませんが、逆にそれぐらいの期間は必要ではないかなと個人的には思いますけれども......。
それから、二番目の脳死のドナーに関することですけれども、生体肝移植の場合は、もちろんドナーは生きているわけですので、その精神的ケアのことは申し上げましたけれども、脳死移植の場合は、亡くなられるか否かという状況にある方たちになるわけですが、そこらへんのいのちの重さということをおっしゃっておられるかと思うのですが、私の立場から言いますと、残念ながらそれに直接タッチする立場にありませんから、少なくとも今までに行なわれた二例の実例に対して何もコメントする立場にありません。

ただ、もし、例えば仮に、自分の家内が「脳死である」と宣告をされると、もちろん私も医者の端くれですので、「ほんまに脳死かいな」ということを一生懸命確かめようとすると思いますが、仮にそうだとすると、時どき家族で話をしますけれども、「死んでからもどこかで(自分の)臓器が生きるのはいいね」という話はしてますので、そういう時は逆に、できたら家内の意思は、「私の臓器が活用できるのなら(それを必要とする誰かに)移植して上げたいな」というふうに思うわけです。そこらへんの、そういう意思も大切にすると――決してそれを強制してはいけないわけで、これは生体肝移植でも同じことですけれども――そういう意思も一面では大事にしてはどうかと思います。

司会 ありがとうございました。生体肝移植はいろいろな問題があるとは思うのですが、今のところ、人工臓器でできるものとできないものとがあるのですが、仮にそうだとしても、人工臓器なら問題はないのか?あるいは、逆にクローンのような技術、遺伝子組み替え技術を使って、私と同じ肝臓をもうひとつ作る。技術的にどこまでできるか判りませんけれども、例えば、今でも糖尿病のインスリンなどは、豚に人間の遺伝子を組み替えてg。そういうことも含めていろんな可能性のある中でのひとつのオプション(選択肢)として、過渡的医療としての臓器移植ということだと思います。本日は、京都国際宗教同志会の事務局長をされていらっしゃる一燈園の西田多戈止先生がお見えでございますが、ご意見よろしくお願いします。

西田 クローンの問題も、今回の臓器移植の問題もありますけども、立場をいろいろ変えてみると、まったく違う答えが出てくると私は思います。「どちらの場合に立つか」というようなことではないかなと思ったりしています。よく「自然との共生」ということを言いますけれども、「自然の側」に立ってみるのと「人間の側」に立ってみるのとでは違ってくるのではないかと......。で、できたら私は自分の生き方を「自然の側に立ってやっていこうかな」と、こう思っています。
で、そういうような目で、新しい医学の問題も、それから技術の問題も見さしてもらっています。ただ「批判をせよ」と言われると、なかなか勉強不足で、うまく質問が出来ないんですけれども......。しかし、その考え方に対して、何かまたコメントでも頂けたらありがたいです。

猪股 その移植を受けるか否かという基本的な問題、例えば僕自身は小児外科医でもありまして、移植の前の段階の胆道閉鎖症の患者さんで、残念ながら葛西手術という普通の手術がうまくいかなかった方を見る機会も多いんですが、そういう方には、移植という治療の可能性をご両親にお話するんですけれども、その中には少数ではありますけれども、やはり、「そういう移植ということを行なってまで子供を救いたくはない」というふうに、「この子自身の臓器での天寿を全うさせたい」というふうなお考えを言われる親御さんというのも実際におられました。ですから、考え方というのは「いのちを助けるためなら、絶対何をしても助ければいいんだ」という考え方ばかりでないのは明らかです。

それは医者をしていても、医者はもちろんいのちを救うのが仕事ですが、そういう考え方はもちろんありまして、そこまでを強制するつもりは全くありませんので、ですから移植医療を行っていく上でも、「移植を絶対受けたくない」という人もいらっしゃるのもはっきり自分自身で認識しておりますし、それが決して間違いであるとかそういうことを言うつもりもありません。そういうことも認識して移植医療というのはやっていかなきゃいけないなと思っていますけど......。

司会 ありがとうございます。日本中のお医者様がすべて猪股先生のようなお考えで、移植医療の現場に臨んで下されば、私どももどんなに安心してお任せできるかと思います。
次に、本日お越しの先生方の中で、オブザーバーの方なんですけれども、皆様は神道のほうですと装束、仏教徒のほうですと法衣という意味で京都の「井筒」という会社をご存知かと思います。その井筒の社長様が、実は京都大学の農学部のご出身で牛のクローニングの研究をご専門をなさった方で、今では、家業の「井筒」をお継ぎになられてますけれども、猪股先生と同い年で京都大学で学究生活を送っておられましたので、少し質問をお願いいたします。


井筒  こんにちは、井筒です。よろしくお願いします。猪股先生のお話をお聞きしていて、淡々としたお話し振りと、それから宗教者的というような立派な感じを受けて、先ほどのコーヒーブレイクの際に「井筒です。同い歳ですね」というお話をした時のかわいらしいお顔との落差にですね…。お医者様として患者の前に立たれたときに多分、今の医療現場で成しうる最良のことをなさっているのではないかなと思います。理屈の世界ではなくて、実際に医療現場に立たれて、つまり、単なる患者Aさん、Bさんではなくて、井筒與兵衛なら井筒與兵衛、妻の井筒好子がいて息子の井筒朗という具体的な人格がいて、何か病気をしたり具合が悪かったときに「どう対処しようか?」というふうに、いろいろ考えて行われているのです。

 先ほど猪股先生のお話を聞くまで、私の頭の中で「ああだろうか、こうだろうか」と思っていた話は吹っ飛んでしまいました。先生の前では法律(臓器移植法)はいらないのではないか、いま変な法律を作ることで、その法律ギリギリの悪いことをしようとするお医者さんが現れることもある。「もし、猪股先生だったら、その法律を超えて何かなさってもいいんじゃないか」という気さえしてきます。猪股先生の前では、法律は邪魔になるかもしれない。先ほど大本の方がおっしゃったような法律を決めてしまうことの是非、「早急に決められないこともたくさんあるなぁ」と思います。「判らないことをああだこうだと言い過ぎているな」という気がしました。ご期待のクローンと全然違う話で済みません。


司会  ありがとうございます。猪股先生どうぞ。

猪股  要するに、私も普通の人間ですので、普通の人間が普通に医者をしているということでございます。実際、医者の現場というのは、やはり、僕たちが一般の会社の現場、そしてこういう宗教の方々の現場を知らないのと同じように、医者も外から見ると、今日はマスコミの方も大勢いらっしゃると思いますが、フィルターを通して見られることが多いと思います。現実には「生々しい」というか、「微笑ましい」というか、普通のことが行われていて、逆に普通のことが行われ過ぎていて、なんていいますか、医者が普通のことだと思っていて、外(一般社会)との認識がずれていくところがあるのに注意しなければならないと思います。

 逆に僕自身は、あまり特別なことをしていると、移植医療の世界に入ったのも、小児外科医として胆道閉鎖症の子供を治療していて、「これは何とかせないかん」と、そうすると、移植という手段があったということで、移植を始めたという流れがありまして、基本的に移植、移植ということをあまり他の医療と切り離して考えなくていいのではないかなと考えています。

司会  ありがとうございます。私も今までいろいろなところで「死」についてものを書いたりいたしましたが、その「死」というものを捉える時に、「一人称の死」、「二人称の死」、「三人称の死」ということを考えてきました。つまり、「私にとっての私(一人称)」の死、それから「私にとってのごく親しい家族とか惜しむべき人、惜別の念のある人(二人称)」の死、それから「赤の他人(三人称)」の死。世界中で毎日何十万人もの人が死んでいるわけですけれども、その方々の死にまで、宗教者でありながら恥ずかしながら思いが至っていないのです。

つまり、三人称とは、いわば赤の他人だから、逆に客観的な意味を持ちます。そういう意味で、「客観的な死」と「主体的な死」ということを考えていたのですけれど、その時に、お医者様としては、患者さんというのは客観的な観察対象として捉えておられる。毎日何百人という方がお見えになられて、診た方の中でも元気になったり、亡くなったりすることもあるのでしょうけれども、いずれにしても、「患者を客観的な対象として捉えておられる」と、そういうふうに思っておりました。しかし、先ほどの猪股先生のお話を伺いましたら、そういう三人称の人としてお医者様が患者を診ておられない。二人称、私とあなた、I and Youとうい関係で患者さんのことを見てくださっているのだなということを、猪股先生のお話を承りまして私自身も非常に心強く思ったわけです。
それでは続きまして、道明寺天満宮宮司の南坊城先生がお見えですけれども、神道の神主様というお立場から、ひとことご意見お伺いします。

南坊城  こういう問題に関しましては、神社界では、一度シンポジウムを神社本庁で開いただけでございまして、その後2・3年、何ら動きはなく、平素、機関誌等は月に一回は出るのですが、そういう中でもあまり取り上げていない問題なのです。

 私はこの前の高知のあの事件(臓器移植法施行後第一例目)をテレビなどで見ておりまして、大変残念に思いますのは、臓器というものは、やはり神道では「精神が宿る」という捉え方をしておりますが、しかし、あの臓器が入れられて運ばれた箱は魚を入れるクーラーボックスであり、無造作に投げ捨てられるようにヘリポートへ運ばれた。「もっと慎重に扱うべきじゃないか」そういう感じを、普通の人間として感じました。神社界としてはなかなか全ての問題に対して答えは出していないという状況でございます。

猪股  確かに臓器移植のニュースになりますと、例えばシミュレーション(予行演習)ということでも必ずクーラーボックスが出てきますね。現実には臓器は摂氏1℃から4℃に冷却して運ばないと移植医療には堪えないものになってしまうんです。形と機能の上で残念ながらクーラーボックスを上回るものがないというのは事実です。

 ただ、報道する側として、どうしてもカメラがあれ(クーラーボックス)に行くということには私も抵抗はあります。実際、例えば先ほども言いましたように、隣の手術室でするとしても臓器は数メートル移動しなければならないわけです。その間はレースンという洗面器の中に袋を入れて、その中に肝臓の一部を入れて台の上に乗せてガラガラッと移動していくんですが、そういう意味で「敬いが足りない」とおっしゃられますと、なんとも難しいものがございます。しかし、決して形に表されているようなことではなくて、心の中では、運んでらっしゃるお医者さんもそうだと思いますが、感謝の心を持って(移植医療を行なって)います。

司会  ありがとうございます。特に神社などでは、餅や野菜といったご神饌でも恭しくお供えしますから、その感覚からみると「人間様の臓器はもっと大事だ」という感覚は、どことなく理解できると思います。

それから、日本の宗教の場合、悪いのか良いのかちょっと申しあげにくいですけれども、「ターミナル(終末)ケアはお医者様がする仕事で、坊さんはアフターケアをやっとるんや(会場笑い)」と…。死んでから後のこと、世間で揶揄される言い方で申しますと、「葬式仏教」言うて、「生きてるときのことは構わんと、死んでから後のことばかりしてるんや」ということもございまして、伝統仏教界というのは案外、今回の臓器移植の問題に関しましても、日ごろのようには問題提起なさっていないように思います。

それぞれにご宗派が大きいですからお答えにくいと思うんですけれども、どなたか伝統仏教の先生方でご意見ひとつ、最後の質問ということでおっしゃっていただける方ございませんでしょうか。「萩の寺」の村山先生は曹洞宗の禅の悟りを開いてらっしゃる先生ですから、どうぞ小事の問題について一言お願いします。

村山  井筒の社長さんがいらっしゃて、井筒さんの所にはお世話になっていますし、また、京都大学は私が命を助けてもらった大学でもありますが、その先生もいらっしゃいます。実は私は高校時代、医者になろうと思いましたが、ご覧のように坊主になってしまいました。私の意思を継ぎまして、次の弟は東大の神経内科の教授をしております。そして娘が今年、念願の医学部に入ってくれました。ですので医療現場のことは良く存じておるつもりです。

私の高校は、天王寺高校という高校なんですが、医者になる人が昔から多かったんですね。軍人か医者になるというのがどうも校風でした。ですので、大阪大学のあの階段教室に高校1年くらいから皆で参観に行ったんです。当時は制服制帽でいないと校門の所で検査をされまして、先生は私よりも10年ほど先輩でしたが、先生がその頃は絶対的に怖い存在でありまして、服装チェックとかをいつもやっていました。実は、大阪大学に初めて解剖を見学に行きます時に、皆、制服制帽をきちっと着て行くものだと思って行ったんですね。教室に入ります時に、説明をしてくださる教授が開口一番大きな声で怒ったんです。何を怒ったと思われますか? われわれが制帽を被っていたのを「脱げ!」と言ったんです。「ここにおられる、いわゆる解剖に付されている方は、あなた達と同じいのちを持った人である。お父さんであるかもしれないし、お母さんであるかもしれない。そんなところに帽子を被って入るやつがあるか!」と怒られたんです。これは今だに私にとって大きな啓示であります。

それから、これは大事なことなんですが、われわれ患者はお医者さんに対して絶対的な信頼を持たなければ治りません。つまり「どうもこの先生は大丈夫なのか?」、何をしてもらっても、注射をしてもらっても「この看護婦は、間違ってるんちがうか?」と思ったら、絶対に点滴もうまく行きません。そこらへんが信仰とよく似ているんですね。ですから「この先生だったら、ちゃんとしていただいたら絶対治るんだ」と信じますと、不思議なことにお互いそういうところに心が通じ合うものでございます。

ですから、例えば、曹洞宗は15,000カ寺、80,000人の僧侶がおりまして、750万世帯の信者のあると公表しております大きな教団ですが、脳死臓器移植問題に対して、実際、宗派としての声明を発表しております。これは「(賛成・反対の)どちらとも言えない」ということなんです。「どちらとも言えない」というのは中途半端じゃなくて、つまり、「文明の進歩において先進医療は必要である。しかし、それを行なうのは人間であって、そこに心が通い合わないようなことであってはいけない」と、こういうことなんですね。

また、これはひとつの例でありますが、若狭に原発がありますが、あの「もんじゅ」「ふげん」という高速増殖炉の名前を付けたのは永平寺の秦慧昭禅師でございます。大変なことになりまして、もうすぐ閉鎖されるようですが、あのときに禅師が申された言葉は、私も命名式に立ち会いましたので、知っておりますが「この最先端の技術であっても、こんな設備であっても、これを動かすのは人間である。この人間が注意を怠ったり、あるいはこの中に慢心を起こしたりしたら、だめだから、お釈迦様の両手両足である文殊菩薩と普賢菩薩の名前を付ける」こういうことでございました。

ですので、大いに私は、医学の進歩というものは人類の福祉と同時に自然界と共生するという生き方の上では非常に大切なところだと思っております。最近、実は私共大阪の宗務所長が、国立大阪病院で膵臓癌で亡くなりました。名前は忘れましたが、その時の主治医の先生と看護婦さんは、本当に亡くなるまでの3カ月間、患者と「共生き」されました。これを見ていて私は「素晴らしいな」と思いました。ただ空理空論で、「(臓器移植に)反対である」やあるいは「反対でない」と言うよりも、現実には「そこにあるいのちの尊厳がどのように輝くか」ということに私どもは注目していきたいと考えております。どうもありがとうございました。

司会  ありがとうございました。猪股先生、一言お願いいたします。

猪股  今おっしゃられましたようなことは、僕ら自身ずっと肝に銘じてやっていることですが、得てして先ほどから「京大は400何十例も(生体肝移植を)やってるぞ」と言うと、聞かれる人によっては「自慢してるぞ。慢心してるぞ」と取られかねないことでありまして、実際、例えばそれだけのたくさんの人を移植のあとをずっとフォローしていかなければならない。そういう時に、数が多くなったということは、逆に「もう慣れているから大丈夫」という医者が出てきてはいけない。そういうことを実際口に出して最近、反省しているところです。そういう気持ちでこれからも頑張ろうと思います。

司会  ありがとうございます。本当にお聞きしたいこと、教えていただきたいことがたくさんございますけれど、時間が参っておりますので、先生へのご質問はこれで終わらせていただいて、猪股先生ほんとうにどうもありがとうございました。