ご紹介をいただきました猪股でございます。本日は、本当に田中教授が来ることになっておったのですが、手術が非常に上手な先生でございまして、残念ながら手術を取って代わる者がなかなかおりませんので、本日は、どうしても田中教授自らが執刀しなければならないという状況に立ち入ったために、急遽、私が代理で参ることになりました。非常に役不足ということになるかもしれませんが、逆に、第一線という意味では、もう少し教授より近い立場にいるということもございますので、そういうことがお話の中に生かされればと思います。
本日は、私たちが移植医療の前線でやっていることを申し上げて、その中にはいいことも、非常に悩ましいことも沢山ございますので、そのことも含めてお話していきたいと思います。医者の常でして、話すときはスライドがないと話せないという癖のようなものがありまして......。スライドを使わしていただきます。
▼臓器移植の歴史
まず、簡単に、移植医療の歴史をお話したいと思います。そもそも1902年という百年近く昔に、血管をつなぐという外科の技術が確立しました。移植というのは、突き詰めてみますと、臓器を体の外にいったん摘り出して、その臓器に血管をつないで血を通わせるということ。移植という手術は、簡単に言えば、まぁ、そういうことです。その基本である血管縫合が約百年ほど前に確立されております。
その次に大きなトピックといいますのは、移植というのは、つまり他人の臓器を別の人の体の中に入れるということですが、普通は、ただ他人の血液を流しただけで、必ず「拒絶」という現象が起こってしまい、その組織は腐ってしまう。それに対してなんらかの対策をしないと移植は成り立たない。ただし、その例外としては、遺伝的に全く同じ一卵性双生児の場合にはうまくいくんだということが判って来て、1954年に初めて、一卵性双生児の間で腎臓移植が成功しております。これは、アメリカですけれども。その後、腎移植に励まされまして、臨床的にいろんな臓器の移植が、肺、心臓、肝臓と始まってきましたが、やっぱり只今申し上げました、拒絶反応という問題が大きく立ちはだかって、なかなか進みませんでした。
1970年頃がその試練の時代といわれる時期で、やっては駄目(死ぬ)、やっては駄目ということが繰り返されてきたわけですけれども、1979年になって、サイコスポリンという非常にいい免疫抑制剤――つまり、臓器を他の人の体の中に移植をしても、そういうお薬を使うと、その臓器がちゃんと着床する――ができまして、これが臓器移植という医療を非常に飛躍させる基礎になりました。その後、タクロリムスというもうひとつ新しいそれと同じような免疫抑制剤――これは、日本の会社が開発したお薬なんですが――、より強い免疫抑制剤として紹介し始められて、1990年になって、臓器移植が爆発的に世界に広がってきたということであります。
これは、1954年にアメリカで行われた最初の腎臓移植の風景なんです。かなり古めかしい写真です。ただ、そのあと1970年頃、これは1971年の雑誌『ライフ』の表紙なんですけれども、アメリカで心臓移植が著名な人たちに行われたんですが、バッタ、バッタとみんな死んでいくわけなんですね。ここに書いてありますが、「カルディオルディスト(心臓移植医)たちは、次々と移植をしていくけれども、その患者さんを紹介する心臓内科医は、もう、ちょっと悲惨なことは止めてくれ」というようなニュアンスの記事が載っていたと......。
▼肝移植の手順
そういう苦難の時代を経て、免疫抑制剤が開発されてきて、今、現在は一般的な医療として、もちろん欧米でも、また、移植の方法は別として、日本でも移植医療が確立されるに至ってきていますけれども、実際にその移植の医療がどういうふうに進むかをご説明したいと思います。
肝臓移植を例にとってここに絵で書いてありますが、まず、基本的に植える臓器を摘り出さないといけません。これは、脳死の肝移植ですと、脳死になった方から、その臓器を摘出して、まず、一旦保存いたします。この保存という技術も移植医療には重要なステップでして、保存している間に細胞が壊れないようにする。ある程度は壊れるんですけれども、なるべく壊れないようにする。例えば、肝臓ですと、まず半日、12時間は保存していても大丈夫ということになっておりますが、そういう保存液という特殊な液がございまして、その液の開発の進歩も移植医療の進歩には重要なトピックだったわけですが、そういうステップを踏みまして、次に移植になるんですね。
脳死の場合にはこの保存された臓器が移植をされます。移植というのはさっき言いましたように、血管をつなぐ――自分の悪い臓器を摘り出した後に、移植される新しい臓器のそれぞれに相当する血管をつないでやる――ということが移植の手術というわけです。
現在、日本で行われている生体肝移植は、この保存というステップがスキップされまして――もちろん、短時間の保存はされるんですけれども、現実には――隣り合わせの手術室で、片方の手術室では――臓器を提供する人をドナーといいますけれども――そのドナーから臓器を頂く手術を始める。隣の手術室では、肝臓を植えられる人――植えられる人をレシピエントといいますが――レシピエントの手術を隣り合わせの部屋で始めるわけです。それで、ドナーの臓器が摘り出されましたならば、レシピエントの悪い臓器を摘り出されるのを待って、隣の部屋に運ばれて、血管をつなぐ手術をして、また血液を通わせて、臓器を蘇えらせるということになります。
移植はそれで終わるわけではございませんで、かなり大きな手術でありますので、その手術からきちんと回復するかどうか、その回復過程が非常に重要ですし、それから、長期的には、最初に申しました免疫抑制剤をずっと使って、せっかく植えられた臓器が、レシピエントの体から拒絶されないように管理していくというステップを踏みます。これらが移植医療を成功させるためのステップです。
どういう方に移植をするか?肝臓移植を例に取りますと、どういう人に肝臓が必要かということになります。胆道閉鎖症――子供の肝臓の病気で代表格の病気があるんですが――胆汁という黄色い便の色の元になる消化酵素を肝臓の中から集めて、腸に流してやる胆管というのが、胆道閉鎖症の子供は生まれつき持っていないのですが、その子に対して、生まれて一カ月、二カ月ぐらいに、葛西手術という――通常の外科手術なんで、移植手術ではないのですが――手術をしてうまく治る患者さんもおられます。
ただその割合は、よくて半分ぐらいの確率で、残り半分の患者さんはそういう手術をしてもうまくいかない。放置すると、一年、二年経つうちに、これぐらいの赤ちゃん(写真)はもう大きくならず、栄養分の吸収が悪く、お腹には水が貯まって腫れてくる。いわゆる肝硬変の症状が出てくるわけです。逆に、うまくいくと、この子(写真)のように葛西手術だけで、移植を受けなくっても、すくすくと大きくなる子もいらっしゃる。こういう患者さんはもちろん移植手術を受ける必要はないんですが、このような患者さんは、この段階でなんとか肝臓を入れ替えてあげない限り、この子は、一年、二年の間にすぐ亡くなってしまうんですね。胆道閉鎖症が、そもそも日本で生体肝移植が行なわれてきた動機になっているわけですけれども、こういう患者さんが現実であります。
1989年に島根医大で初めて生体肝移植が行われましたけれども、それまで日本では、現実的には生体肝移植の道はございませんで、ある患者さんは、やっぱり機会を求めて、小児外科医が紹介をして、アメリカやヨーロッパで移植手術を受けてもらっていました。この患者(写真)さんは、私自身が治療をして、まだ日本で移植を始める前ですが、ドイツへ移植をお願いして、ドイツで肝臓移植を受けた患者さんです。
これはお母さんの日記なんですけれども、その移植手術は、残念ながら上手くいきませんで、手術の後、不幸にも亡くなった子供のことを、その後手記をまとめてお母さんが本として刊行されたものの抜粋なのですが、本の名前は『ともやの飛行機曇』といいます。「あれほど望んでいた移植手術。お母さんは移植をしてくれと非常に望んでいたんですけれども......。成功に終わり、後は回復するのを待つだけと、嬉しさの余り心が震えてしまうほどだったのに......。まさか、こんなにも次々と合併症が起こるとは夢にも思わなかったこと.....。今、気力だけで生きているというともや......、一生懸命生きようと、苦しみと闘っている毎日。疲れたりしないで、なんとしてもこの大きな山を越えてしまおうね。そうしたらきっと元気になれるから......」こういうふうに、なんとか子供を励まして、移植後、たいへんな時期を励ます気持ちで書かれた日記なのですが、残念ながら亡くなってしまいました。こういう患者さんが京都大学にも沢山いらっしゃいまして、そういう人たちを診るということが、生体肝移植を開発してきた大きな動機になっております。
その着想を元に、田中教授が1986年に初めて、ピッツバーグで脳死の肝移植を見学されて、その後、1987年に、豚を使った動物実験で生体肝移植を始められました。1990年に実際に臨床で初めて――これ(写真)は、日本の第2例目になりますが――開始して現在に至っております。今日のケース(註=この日も京大病院では手術が行われていた)も含めて475例の生体肝移植を積み重ねてきております。
▼肝臓という臓器
技術的なことを簡単に申し上げますが、人間の肝臓は右の方が大きくって左の方が小さい三角形の形をしております。当然ですが、子供さんには小さな肝臓で十分足りるわけですね。大人の肝臓の一部分があれば十分なんですね。ですので、ご覧になったら判りますように、左の方の約4分の1ぐらいを切除して、この部分をお子さんの悪い肝臓を全部摘った後に、移植してやるのが生体肝移植です。
<質疑応答>
司会 猪俣先生のご講演を承りまして、本当に私共が思っていた以上に、臓器移植という問題は、単なる「医療的な技術上の問題」ではなくって、どう申しますか、もっとドロドロしていると言いましょうか、ヒューマンなと申しますか、あるいはわれわれ宗教者が日頃扱っているような問題、「(私の肝臓を)上げたいねんけど、上げられへん」とか、その逆で、「ほんまは兄弟なんかにやりたくないんやけど、世話になっているから義理でやらないかん」とか、そういうようないろんな問題を含んでいることが判りました。現場のお医者様としては、私が一番聞かしていただいて感じた「医療技術の問題以前」つまり、人間としての問題が非常に根深くあるように思うわけでございます。
そういうことで、いろいろと各教団、各宗派の先生方にはお考え、ご意見があると思いますが、まず最初にですね、臓器移植の問題に関しまして、ほとんどの日本の宗教団体は態度を鮮明になさっておられません。そらそうでございますね。「教団としての公式の見解」というのは、教団内には賛成派から反対派までいろんな方がおられますので、非常に難しい。どちらかの意見に集約するのは難しいと思うのですが、その中で数少ない、教団として臓器移植に――特に脳死臓器移植ですが――ご反対なさっておられる「大本」様から本日は先生方がお越しいただいておりますので、ご意見を伺いたいと思います。「大本」本部の教学研鑚所の斎藤先生お願いいたします。
斎藤 ご紹介いただきました、宗教法人「大本」本部教学研鑚所主事をしております斎藤と申します。また、大本本部が対外的な活動をする時に、人類愛善会という名称でさせていただいてますけれども、その、生命倫理問題対策会議の事務局員も務めさせていただいております。
今、三宅善信先生のほうから「口火をきるように」とご指名をいただいたのですけれども、猪股先生のお話を聞きまして、本当にありがたいという気持ちでいっぱいなのですが、私自身、四年ほど前に、京都の第二赤十字病院で胃癌の宣告を受けまして、胃の摘出手術を受けて今日に至っているというわけで、ほんとそれまで、私自身、健康に恵まれて、病院にお世話になることはなかったのですが、約二カ月間の入院手術またその後の施療というんですか、対応の中で、本当に最先端に立たれるお医者さん並びに看護婦さんに対しては、尊敬と感謝の念でいっぱいでございます。本当に何というか言葉は相応しくないかと思いますが、ボランティア的な高い志なしにして最先端の医療というのは進まないし、また多くの患者さんは救われなかっただろうなということを今日の猪股先生のお話を伺うにつれて、一層心強く思った次第でございます。
先ほど、三宅先生の方から、何か宗教界として、鮮明にそういった意思を現しているというような代表として、大本を名指ししていただいたのですが、確かに大本としましては、こういった移植医療については、実際、宗教的――特に霊魂観であるとか死生観であるとかといった宗教的心情の中で、「もう少し慎重にみなさん考えてみたらどうですか?」ということを訴えてきているわけなんです。
猪股先生の生体肝移植の場合はちょっと違うかもしれませんが、「脳死」による臓器移植医療につきましては、宗教的なことを述べる前に、一般的にも特に先ほど保健の問題であるとか、法的、経済的、倫理道徳的な面からも、いろいろな問題を置き去りにしたまま、懸案のままに法制化されて、「人のいのちというのが、移植医療の対象とされる時に限って、死体として認められる」というこういった風潮は、いのちにかかわることを考える宗教者としては、もう少し慎重に考えるべきではないかと......。
特に、移植を推進される先生方の言葉ばかりを伺いますと、本当に薔薇色の先進医療のように伺いますけれども......。一方、例えば、大脳生理学の学者であるとか、脳神経外科医の方であるとか、またそういったことに関わるお医者さんの立場、看護婦さんの立場からも、この移植医療に関しては、懐疑的なというか、否定的なお言葉を伺うにつれて、そういった「宗教的な問題だけではなく、一般的にももう少しいのちに関わる問題として、皆が考えるべきではないか」ということで、いろいろな社会運動を含めてさせていただいているということを、まず申し上げたいと思います。
今日のお話は本当に参考になったのですが、さらに踏み込んで猪股先生のお考えを伺わせていただきたいと思う点が二、三あります。
まず、「移植医療というのは過渡的医療だ」ということをお伺いいたしましたが、猪股先生はその点をどう思われているかということと、今の移植医療というのは、将来的にどのような形に変容していくのが理想だと思われているのかというのが第一点でございます。
また、先ほどの生体肝移植の実例のなかで、「ドナーとレシピエント、両方の方の心のケアというのが大変難しい」と、特に「どうしてもレシピエントの側ばかりに関心が向けられて、ドナーの人のことをちょっとなおざりにされる傾向があることについては、反省も含めていろいろ難しい面がある」ということをおっしゃいましたけれども、脳死移植については、(第一号になった)高知赤十字病院、または慶應大学病院での第二例目も含めまして、痛切に思われるのは、今、猪股先生がおっしゃられましたように、ドナーのいのちとレシピエントのいのちが公平に天秤にかけられているのかどうかをお伺いしたい。
例えば、高知赤十字病院で亡くなったドナーの方ですね。また、慶應大学病院で亡くなったドナーの方のそういったいのちというものが、本当の意味で守られたのかなっと......。場合によっては、「救命医療の方法によっては、結論的に問題はなかった」というような新聞の報告記事を読みましたけれども、「助かった可能性もあったのではないか」と、そのような報道も見られるわけですけれども......。ドナーとレシピエント、そういったいのちの観点から、これは宗教者としても考えなければいけないと思う問題ですけれども、お医者さんの立場から注意点であるとか、もし問題点等などお感じのところがあったらお教えいただきたいと思います。
猪股 まず、第一番目のご質問ですけれども、「移植が過渡的医療」という意味では、確かに長い目でみれば、そういう側面はあると思います。現在、肝移植の対象になっている病気ではaa肝臓はいろんな働きをするのですがaaその肝臓が、生まれつき働きの一部がうまくいかない。例えば酵素が作れないという病気があって、それがために肝臓を移植しないといけないという病気がいくつかあります。そういうものでは、例えば、遺伝子治療なんかが始まりますと、その足りない酵素を、肝臓全部を取り替えなくてもそれだけ補ってやろうというようなことを行なって、それが移植を必要としない医療に結びついていく可能性は充分にあると思います。
ただ、現在、例えば、人工肝臓であるとか、そういうふうに他の人から臓器を移すということなく、悪い臓器の助けをしてあげようという技術は、今のところまだ臨床的には実験段階に止まっていまして、将来的にはそういう方向に行くことが望ましいと思います。そういう研究もどんどん進んでいますけれども、過渡期という意味ではそういうことになりますが、どれぐらいの長さの過渡期といいますと、「かなり長い」と言わざるをえないというふうに考えます。ですから、確かに臓器移植は過渡的な医療で、もしかしたら、百年も経ったら移植医療はなくなっているかもしれませんが、逆にそれぐらいの期間は必要ではないかなと個人的には思いますけれども......。
それから、二番目の脳死のドナーに関することですけれども、生体肝移植の場合は、もちろんドナーは生きているわけですので、その精神的ケアのことは申し上げましたけれども、脳死移植の場合は、亡くなられるか否かという状況にある方たちになるわけですが、そこらへんのいのちの重さということをおっしゃっておられるかと思うのですが、私の立場から言いますと、残念ながらそれに直接タッチする立場にありませんから、少なくとも今までに行なわれた二例の実例に対して何もコメントする立場にありません。
ただ、もし、例えば仮に、自分の家内が「脳死である」と宣告をされると、もちろん私も医者の端くれですので、「ほんまに脳死かいな」ということを一生懸命確かめようとすると思いますが、仮にそうだとすると、時どき家族で話をしますけれども、「死んでからもどこかで(自分の)臓器が生きるのはいいね」という話はしてますので、そういう時は逆に、できたら家内の意思は、「私の臓器が活用できるのなら(それを必要とする誰かに)移植して上げたいな」というふうに思うわけです。そこらへんの、そういう意思も大切にすると――決してそれを強制してはいけないわけで、これは生体肝移植でも同じことですけれども――そういう意思も一面では大事にしてはどうかと思います。
司会 ありがとうございました。生体肝移植はいろいろな問題があるとは思うのですが、今のところ、人工臓器でできるものとできないものとがあるのですが、仮にそうだとしても、人工臓器なら問題はないのか?あるいは、逆にクローンのような技術、遺伝子組み替え技術を使って、私と同じ肝臓をもうひとつ作る。技術的にどこまでできるか判りませんけれども、例えば、今でも糖尿病のインスリンなどは、豚に人間の遺伝子を組み替えてg。そういうことも含めていろんな可能性のある中でのひとつのオプション(選択肢)として、過渡的医療としての臓器移植ということだと思います。本日は、京都国際宗教同志会の事務局長をされていらっしゃる一燈園の西田多戈止先生がお見えでございますが、ご意見よろしくお願いします。
西田 クローンの問題も、今回の臓器移植の問題もありますけども、立場をいろいろ変えてみると、まったく違う答えが出てくると私は思います。「どちらの場合に立つか」というようなことではないかなと思ったりしています。よく「自然との共生」ということを言いますけれども、「自然の側」に立ってみるのと「人間の側」に立ってみるのとでは違ってくるのではないかと......。で、できたら私は自分の生き方を「自然の側に立ってやっていこうかな」と、こう思っています。
で、そういうような目で、新しい医学の問題も、それから技術の問題も見さしてもらっています。ただ「批判をせよ」と言われると、なかなか勉強不足で、うまく質問が出来ないんですけれども......。しかし、その考え方に対して、何かまたコメントでも頂けたらありがたいです。
猪股 その移植を受けるか否かという基本的な問題、例えば僕自身は小児外科医でもありまして、移植の前の段階の胆道閉鎖症の患者さんで、残念ながら葛西手術という普通の手術がうまくいかなかった方を見る機会も多いんですが、そういう方には、移植という治療の可能性をご両親にお話するんですけれども、その中には少数ではありますけれども、やはり、「そういう移植ということを行なってまで子供を救いたくはない」というふうに、「この子自身の臓器での天寿を全うさせたい」というふうなお考えを言われる親御さんというのも実際におられました。ですから、考え方というのは「いのちを助けるためなら、絶対何をしても助ければいいんだ」という考え方ばかりでないのは明らかです。
それは医者をしていても、医者はもちろんいのちを救うのが仕事ですが、そういう考え方はもちろんありまして、そこまでを強制するつもりは全くありませんので、ですから移植医療を行っていく上でも、「移植を絶対受けたくない」という人もいらっしゃるのもはっきり自分自身で認識しておりますし、それが決して間違いであるとかそういうことを言うつもりもありません。そういうことも認識して移植医療というのはやっていかなきゃいけないなと思っていますけど......。
司会 ありがとうございます。日本中のお医者様がすべて猪股先生のようなお考えで、移植医療の現場に臨んで下されば、私どももどんなに安心してお任せできるかと思います。
次に、本日お越しの先生方の中で、オブザーバーの方なんですけれども、皆様は神道のほうですと装束、仏教徒のほうですと法衣という意味で京都の「井筒」という会社をご存知かと思います。その井筒の社長様が、実は京都大学の農学部のご出身で牛のクローニングの研究をご専門をなさった方で、今では、家業の「井筒」をお継ぎになられてますけれども、猪股先生と同い年で京都大学で学究生活を送っておられましたので、少し質問をお願いいたします。
井筒 こんにちは、井筒です。よろしくお願いします。猪股先生のお話をお聞きしていて、淡々としたお話し振りと、それから宗教者的というような立派な感じを受けて、先ほどのコーヒーブレイクの際に「井筒です。同い歳ですね」というお話をした時のかわいらしいお顔との落差にですね…。お医者様として患者の前に立たれたときに多分、今の医療現場で成しうる最良のことをなさっているのではないかなと思います。理屈の世界ではなくて、実際に医療現場に立たれて、つまり、単なる患者Aさん、Bさんではなくて、井筒與兵衛なら井筒與兵衛、妻の井筒好子がいて息子の井筒朗という具体的な人格がいて、何か病気をしたり具合が悪かったときに「どう対処しようか?」というふうに、いろいろ考えて行われているのです。
先ほど猪股先生のお話を聞くまで、私の頭の中で「ああだろうか、こうだろうか」と思っていた話は吹っ飛んでしまいました。先生の前では法律(臓器移植法)はいらないのではないか、いま変な法律を作ることで、その法律ギリギリの悪いことをしようとするお医者さんが現れることもある。「もし、猪股先生だったら、その法律を超えて何かなさってもいいんじゃないか」という気さえしてきます。猪股先生の前では、法律は邪魔になるかもしれない。先ほど大本の方がおっしゃったような法律を決めてしまうことの是非、「早急に決められないこともたくさんあるなぁ」と思います。「判らないことをああだこうだと言い過ぎているな」という気がしました。ご期待のクローンと全然違う話で済みません。
司会 ありがとうございます。猪股先生どうぞ。
猪股 要するに、私も普通の人間ですので、普通の人間が普通に医者をしているということでございます。実際、医者の現場というのは、やはり、僕たちが一般の会社の現場、そしてこういう宗教の方々の現場を知らないのと同じように、医者も外から見ると、今日はマスコミの方も大勢いらっしゃると思いますが、フィルターを通して見られることが多いと思います。現実には「生々しい」というか、「微笑ましい」というか、普通のことが行われていて、逆に普通のことが行われ過ぎていて、なんていいますか、医者が普通のことだと思っていて、外(一般社会)との認識がずれていくところがあるのに注意しなければならないと思います。
逆に僕自身は、あまり特別なことをしていると、移植医療の世界に入ったのも、小児外科医として胆道閉鎖症の子供を治療していて、「これは何とかせないかん」と、そうすると、移植という手段があったということで、移植を始めたという流れがありまして、基本的に移植、移植ということをあまり他の医療と切り離して考えなくていいのではないかなと考えています。
司会 ありがとうございます。私も今までいろいろなところで「死」についてものを書いたりいたしましたが、その「死」というものを捉える時に、「一人称の死」、「二人称の死」、「三人称の死」ということを考えてきました。つまり、「私にとっての私(一人称)」の死、それから「私にとってのごく親しい家族とか惜しむべき人、惜別の念のある人(二人称)」の死、それから「赤の他人(三人称)」の死。世界中で毎日何十万人もの人が死んでいるわけですけれども、その方々の死にまで、宗教者でありながら恥ずかしながら思いが至っていないのです。
つまり、三人称とは、いわば赤の他人だから、逆に客観的な意味を持ちます。そういう意味で、「客観的な死」と「主体的な死」ということを考えていたのですけれど、その時に、お医者様としては、患者さんというのは客観的な観察対象として捉えておられる。毎日何百人という方がお見えになられて、診た方の中でも元気になったり、亡くなったりすることもあるのでしょうけれども、いずれにしても、「患者を客観的な対象として捉えておられる」と、そういうふうに思っておりました。しかし、先ほどの猪股先生のお話を伺いましたら、そういう三人称の人としてお医者様が患者を診ておられない。二人称、私とあなた、I
and Youとうい関係で患者さんのことを見てくださっているのだなということを、猪股先生のお話を承りまして私自身も非常に心強く思ったわけです。
それでは続きまして、道明寺天満宮宮司の南坊城先生がお見えですけれども、神道の神主様というお立場から、ひとことご意見お伺いします。
南坊城 こういう問題に関しましては、神社界では、一度シンポジウムを神社本庁で開いただけでございまして、その後2・3年、何ら動きはなく、平素、機関誌等は月に一回は出るのですが、そういう中でもあまり取り上げていない問題なのです。
私はこの前の高知のあの事件(臓器移植法施行後第一例目)をテレビなどで見ておりまして、大変残念に思いますのは、臓器というものは、やはり神道では「精神が宿る」という捉え方をしておりますが、しかし、あの臓器が入れられて運ばれた箱は魚を入れるクーラーボックスであり、無造作に投げ捨てられるようにヘリポートへ運ばれた。「もっと慎重に扱うべきじゃないか」そういう感じを、普通の人間として感じました。神社界としてはなかなか全ての問題に対して答えは出していないという状況でございます。
猪股 確かに臓器移植のニュースになりますと、例えばシミュレーション(予行演習)ということでも必ずクーラーボックスが出てきますね。現実には臓器は摂氏1℃から4℃に冷却して運ばないと移植医療には堪えないものになってしまうんです。形と機能の上で残念ながらクーラーボックスを上回るものがないというのは事実です。
ただ、報道する側として、どうしてもカメラがあれ(クーラーボックス)に行くということには私も抵抗はあります。実際、例えば先ほども言いましたように、隣の手術室でするとしても臓器は数メートル移動しなければならないわけです。その間はレースンという洗面器の中に袋を入れて、その中に肝臓の一部を入れて台の上に乗せてガラガラッと移動していくんですが、そういう意味で「敬いが足りない」とおっしゃられますと、なんとも難しいものがございます。しかし、決して形に表されているようなことではなくて、心の中では、運んでらっしゃるお医者さんもそうだと思いますが、感謝の心を持って(移植医療を行なって)います。
司会 ありがとうございます。特に神社などでは、餅や野菜といったご神饌でも恭しくお供えしますから、その感覚からみると「人間様の臓器はもっと大事だ」という感覚は、どことなく理解できると思います。
それから、日本の宗教の場合、悪いのか良いのかちょっと申しあげにくいですけれども、「ターミナル(終末)ケアはお医者様がする仕事で、坊さんはアフターケアをやっとるんや(会場笑い)」と…。死んでから後のこと、世間で揶揄される言い方で申しますと、「葬式仏教」言うて、「生きてるときのことは構わんと、死んでから後のことばかりしてるんや」ということもございまして、伝統仏教界というのは案外、今回の臓器移植の問題に関しましても、日ごろのようには問題提起なさっていないように思います。
それぞれにご宗派が大きいですからお答えにくいと思うんですけれども、どなたか伝統仏教の先生方でご意見ひとつ、最後の質問ということでおっしゃっていただける方ございませんでしょうか。「萩の寺」の村山先生は曹洞宗の禅の悟りを開いてらっしゃる先生ですから、どうぞ小事の問題について一言お願いします。
村山 井筒の社長さんがいらっしゃて、井筒さんの所にはお世話になっていますし、また、京都大学は私が命を助けてもらった大学でもありますが、その先生もいらっしゃいます。実は私は高校時代、医者になろうと思いましたが、ご覧のように坊主になってしまいました。私の意思を継ぎまして、次の弟は東大の神経内科の教授をしております。そして娘が今年、念願の医学部に入ってくれました。ですので医療現場のことは良く存じておるつもりです。
私の高校は、天王寺高校という高校なんですが、医者になる人が昔から多かったんですね。軍人か医者になるというのがどうも校風でした。ですので、大阪大学のあの階段教室に高校1年くらいから皆で参観に行ったんです。当時は制服制帽でいないと校門の所で検査をされまして、先生は私よりも10年ほど先輩でしたが、先生がその頃は絶対的に怖い存在でありまして、服装チェックとかをいつもやっていました。実は、大阪大学に初めて解剖を見学に行きます時に、皆、制服制帽をきちっと着て行くものだと思って行ったんですね。教室に入ります時に、説明をしてくださる教授が開口一番大きな声で怒ったんです。何を怒ったと思われますか? われわれが制帽を被っていたのを「脱げ!」と言ったんです。「ここにおられる、いわゆる解剖に付されている方は、あなた達と同じいのちを持った人である。お父さんであるかもしれないし、お母さんであるかもしれない。そんなところに帽子を被って入るやつがあるか!」と怒られたんです。これは今だに私にとって大きな啓示であります。
それから、これは大事なことなんですが、われわれ患者はお医者さんに対して絶対的な信頼を持たなければ治りません。つまり「どうもこの先生は大丈夫なのか?」、何をしてもらっても、注射をしてもらっても「この看護婦は、間違ってるんちがうか?」と思ったら、絶対に点滴もうまく行きません。そこらへんが信仰とよく似ているんですね。ですから「この先生だったら、ちゃんとしていただいたら絶対治るんだ」と信じますと、不思議なことにお互いそういうところに心が通じ合うものでございます。
ですから、例えば、曹洞宗は15,000カ寺、80,000人の僧侶がおりまして、750万世帯の信者のあると公表しております大きな教団ですが、脳死臓器移植問題に対して、実際、宗派としての声明を発表しております。これは「(賛成・反対の)どちらとも言えない」ということなんです。「どちらとも言えない」というのは中途半端じゃなくて、つまり、「文明の進歩において先進医療は必要である。しかし、それを行なうのは人間であって、そこに心が通い合わないようなことであってはいけない」と、こういうことなんですね。
また、これはひとつの例でありますが、若狭に原発がありますが、あの「もんじゅ」「ふげん」という高速増殖炉の名前を付けたのは永平寺の秦慧昭禅師でございます。大変なことになりまして、もうすぐ閉鎖されるようですが、あのときに禅師が申された言葉は、私も命名式に立ち会いましたので、知っておりますが「この最先端の技術であっても、こんな設備であっても、これを動かすのは人間である。この人間が注意を怠ったり、あるいはこの中に慢心を起こしたりしたら、だめだから、お釈迦様の両手両足である文殊菩薩と普賢菩薩の名前を付ける」こういうことでございました。
ですので、大いに私は、医学の進歩というものは人類の福祉と同時に自然界と共生するという生き方の上では非常に大切なところだと思っております。最近、実は私共大阪の宗務所長が、国立大阪病院で膵臓癌で亡くなりました。名前は忘れましたが、その時の主治医の先生と看護婦さんは、本当に亡くなるまでの3カ月間、患者と「共生き」されました。これを見ていて私は「素晴らしいな」と思いました。ただ空理空論で、「(臓器移植に)反対である」やあるいは「反対でない」と言うよりも、現実には「そこにあるいのちの尊厳がどのように輝くか」ということに私どもは注目していきたいと考えております。どうもありがとうございました。
司会 ありがとうございました。猪股先生、一言お願いいたします。
猪股 今おっしゃられましたようなことは、僕ら自身ずっと肝に銘じてやっていることですが、得てして先ほどから「京大は400何十例も(生体肝移植を)やってるぞ」と言うと、聞かれる人によっては「自慢してるぞ。慢心してるぞ」と取られかねないことでありまして、実際、例えばそれだけのたくさんの人を移植のあとをずっとフォローしていかなければならない。そういう時に、数が多くなったということは、逆に「もう慣れているから大丈夫」という医者が出てきてはいけない。そういうことを実際口に出して最近、反省しているところです。そういう気持ちでこれからも頑張ろうと思います。
司会 ありがとうございます。本当にお聞きしたいこと、教えていただきたいことがたくさんございますけれど、時間が参っておりますので、先生へのご質問はこれで終わらせていただいて、猪股先生ほんとうにどうもありがとうございました。