大阪国際宗教同志会平成11年度第2回例会 記念講演

『イスラム原理主義の挑戦を受けるロシア』


大阪学院大学教授
前ロシア連邦在大阪総領事
G・コマロフスキー



10月6日、神徳館国際会議場において、大阪国際宗教同志会の平成11年度第2回例会が、前大阪ロシア連邦総領事で大阪学院大学教授のコマロフスキー博士を講師に招いて開催され、『イスラム原理主義の挑戦を受けるロシア』と題して記念講演が行われ、神仏基新宗教各派から約60名の宗教者が参加した。

▼爆弾テロ事件と過剰なマスコミ報道
  
 ご紹介に預かりました大阪学院大学で教授をしていますコマロフスキーです。率直に言いまして、8月の終わり頃、モスクワで三宅善信先生から講演の依頼を受けた時には、今日と全く違う講演の内容を考えていました。
 私は大阪学院大学で比較宗教論を教えていますが、日本の学生たちは宗教問題をどのように受け止めているか、あるいは宗教についてどのような知識を持っているか、そういうことについて私の意見を申し上げようと思いました。そして、それに関連して、日本の宗教者の責任と課題について申し上げようと思いました。けれども、今日の状況を見ますと、イスラム原理主義はロシアにとってばかりではなく、世界にとってあまりにも重要な問題ですから、今日は主にこの話題についてお話するつもりです。

まず初めに、ロシアの現在の国内状況について、簡単にお話したいと思います。この夏、モスクワで相次いで爆弾テロ事件があった時、私はスペインにいました。スペインのテレビを通して初めてこの事件について知りました。それから毎日毎日、スペインのテレビ番組や新聞から情報を得ました。スペインばかりではなく他の国々の報道も同じだと思いますが、「ロシアは、特にモスクワは大変だ。パニックに陥っている」という印象を受けました。
しかし、8月18日にモスクワに戻ってみると、全く反対でした。非常に静かで、安定的な雰囲気でした。やはり人生は続いていまして、皆、自分の人生がある。店に入ると、食料品や生活必需品が一杯でした。ソビエト時代に長年、経験してきた物不足も全くなく、非常にポジティブな徴候が現れていました。例えば、半年前でも食料品の70パーセントが外国産でしたが、今では70から80パーセントが国内産です。やはり、その間に食料品の生産高がだいぶ高くなったんです。食料品の生産だけではなくて、1月から8月の8ヶ月を去年の同時期と比べると、工業生産も5から6パーセントほど上がりました。為替相場を見ると、爆弾テロ事件の前後でもルーブルと米ドルの為替レートはあまり変りませんでした。逆に私がモスクワを出たあと3日ほどはドル相場は少しずつ少しずつ下がっておりましたし、インフレもそれほどではありませんでした。

率直に言って、私はマスコミに対して憤りを感じております。マスコミは、日本でもロシアやヨーロッパでもどこでも同じですが、パニックの雰囲気を煽り立てて、一般の市民に事実と違うことを伝えています。これはマスコミの性格・性質ですから、ある程度しかたないことですが…。このテロ事件のあと、モスクワ市民の中でひとつの不安が広がっています。幸いなことに、16日の事件を最後に、その後は何事もありませんが、しかし、これは大いにモスクワ市当局、内務省、軍がとった処置のお陰だったんです。非常に厳しい処置を取りました。そのひとつの成果として、モスクワでは犯罪率が半分以下になったんです。なかなかいいことですが、私が非常に心配しているのは、この爆弾テロ事件の関係で、ロシア軍・内務省、その他の治安権力機関の影響力がだんだん強くなることです。われわれ民主主義的社会の中では、これはあまりいいことではありません。しかし、この事情は自発的なものではなくて、あの爆弾テロ事件がもたらしたということを理解しなければなりません。


▼イスラム教原理主義とは何か

 外国の人は、場合によって今のロシアの事情、特にカフカス(コーカサス地方)の事情を考える時に大きな誤解をなさっています。タゲスタン共和国やチェチェン共和国の事情を「民族解放運動の現われ」であると考えています。やはり、「チェチェン人はどうしても独立したいから、ロシア政府に反抗している。これはロシア人とチェチェン人の民族的対立である」と考えています。しかし、これは誤解です。私がここで強調したいのは、今、ロシアが国際イスラム教原理主義の攻撃のひとつの対象となったということです。この事実を認識してください。

ところで、このイスラム教原理主義というのはどのようなものか。それを皆さんに理解していただきたい。ある人は、これは何か国際的な団体があると思っています。あるいは、サウジアラビアやヨルダンなど、アラブ諸国の政府によって支持された運動だと思っていますが、必ずしもそうではありません。これは非常に幅が広く、あいまい曖昧な運動です。中には様々なグループが入っておりまして、例えばアフガニスタンで権力を握ったタリバン運動。エジプトの「イスラム教兄弟団」というグループがあります。

彼らは全て共通の目的を持っています。それはまず、現代の西側の自由な文明を完全に破壊するということです。世界支配を樹立するという目的です。全ての人々に初期のイスラム教の政教一致主義的価値観を押し付けるという目的を持っています。そして、このような初期イスラム教の価値観の受け入れを拒否する人を物理的に抹殺するということです。これは大変恐しい運動です。ここに集まっておられる皆さんは私と同年代の方が多いですが、1920年代から30年代のファシズムの運動を覚えてらっしゃるでしょう。ある意味で、このイスラム教原理主義運動はファシズムと比べることができます。目的は同じです。

それでは、なぜ、イスラム教の中でこのような運動が起こったのでしょう。皆さんがよくご存知の歴史的事実を思い出していただきたいと思います。イスラム教は仏教・キリスト教と並ぶ世界宗教のひとつであります。けれども、仏教・キリスト教と大きく違う点があります。お釈迦様は仏教の教えを開いただけです。あくまでも宗教的な指導者であり、政治家でも国家の元首でもなかった。イエスはキリスト教の教えを開いた人です。やはり、あくまで宗教的指導者でした。それに対して、回教を開いたモハメット(ムハンマド)という預言者は、宗教のリーダーであるだけではなくて、国家のリーダーになった。そして、モハメットが死んだ後のカリフ(後継者)―これはアラビア語ですが―たちは皆、宗教の指導者であるだけではなくてアラブ国家の指導者でした。そしてアラビアハリハット(アラブ人によるカリフ制国家)という広大な領土を持った国家を創りました。モハメットも彼の後継者も同じで、宗教の旗を掲げて国家を創った人々でした。仏教とキリスト教と比べると、回教の宗教と政治の結びつきはモハメットの代から存在した。今でも非常に強い権力を持っています。


▼ワッハビズム=イスラム教原理主義の思想的基盤

現代のイスラム教原理主義の思想的な基礎になっているのはワッハビズムです。ちょっと難いしい言葉なので書きましょう。Vahhabismです。18世紀のアラビアにアル・ワッハブというこの運動の創始者がいました。この運動について少し申し上げます。この運動は18世紀の中頃アラビアに発生しました。最初からこの運動は非常に強い政治的色彩を持っていました。ワッハブという人は、何か新しい理論を創ったわけではありませんでした。彼はいつも「初期のマホメットの時代のイスラム教」の重要性を強調しました。

彼の考えでは、イスラム教徒はアラー(神)しか敬ってはいけません。崇拝の対象はアラー(神)だけです。これは重要なことです。イスラム教の歴史の中では、信仰の対象は神ばかりではなくて、マホメットを神の預言者として、あるいはマホメットの後継者たちを信仰したり、彼らのお墓参り(巡礼)が盛んになったりしましたが、ワッハブはこれらを全て否定しました。やはりイスラム教の「元の姿」に戻って、マホメットも普通の人だから、信仰の対象になってはいけません。それは神だけです。それを強調しました。彼は初期のコーランの重要性を強調しました。

ご存知かもしれませんが、コーランは7世紀ごろ成立しました。その後いろいろな解釈(ハディース)などが付け加えられましたが、ワッハブはこれも否定しました。ワッハビズムの一番重要なことは、戦闘的な非妥協性です。全く非妥協的なものです。特に、イスラム教の敵と戦う時には非妥協的な戦いをしなければならない。最後まで、殺すまで戦わなければなりません。このような極端な考え方です。

たしかにアラビアの近代史の中で、ワッハビズムは一時的にかなりポジティブな肯定的な役割を果たした。ワッハビズムが起こった18世紀にはアラビアは独立国ではなく、オスマントルコ帝国の一部でしかなかったのです。ですから、オスマントルコからの民族解放運動の中でワッハビズムは一定の肯定的な役割を果たしました。そして今では、ワッハビズムはサウジアラビアという国のオフィシャルイデオロジー(国家思想)であります。少し穏健な側面を見せているワッハビズムではありますが…。しかし、イスラム原理主義勢力が自らの基礎として見ているワッハビズムは非常に極端なイデオロギーであります。


▼麻薬密売=イスラム教原理主義の経済的基盤

 さて、この運動の経済的な基盤はどうなっているのでしょう。これは非常に重要な問題です。何故なら、どの運動を見ても、その支援者は膨大な資金を持っています。その資金で最新鋭の武器を買うことができ、多くの人を動員することができるからです。このワッハビズムの経済的な基盤は麻薬の販売です。オサマ・ビン・ラディンというアラビアの億万長者の話をお聞きになったことがあるでしょう。彼は麻薬の販売で財を成しました。しかし、ビン・ラディンはそのような方法で富を作った人の中のほんの一人にしか過ぎません。イスラム教原理主義の攻撃がアフガニスタンから始まったのは偶然ではありません。もちろん、アフガニスタンは内戦やソビエト軍の干渉で弱体化していました。イスラム教原理主義の攻撃対象として好ましい国になってしまっていたのです。しかし、パキスタンやいわゆる「黄金の三角地帯」(麻薬の製造で有名)である東南アジアから、アフガニスタンを通じて中央アジアの諸共和国、ロシア、そしてヨーロッパへ入って行くルートとして都合が良かったのです。

イスラム教の原理主義者が成功を収める場所は、政治的にも経済的にも弱くなった地域だけです。一番初めに原理主義者が成功を収めたのはアフガニスタンです。ちょっと地図を見てください。先ほど申し上げましたように、アフガニスタンは長い内戦で国が分裂して弱体化しておりました。ですからタリバン運動に狙われやすい場所であったのです。それでは「タリバン」とは、いったいどういう意味でしょうか?モハメットの預言者には最初4人の正当な後継者―カリフ―がいました。そしてその4人の中でイスラム教徒が最も尊敬しているのが第4番目のカリフ、タリブでした。そこからタリバン運動と名づけられました。


そして、次にイスラム原理主義者が成功を収めたのは旧ユーゴスラビア連邦のボスニアでした。そして、コソボへ入ってゆきました。ここで特に強調したいのは、アメリカ・ヨーロッパの政治家は、残念なことにコソボ問題を正しく理解していないということです。もし、正しく理解していれば、北大西洋条約機構(NATO)は3月から6月にかけて行われた爆撃をしなかったでしょう。表面的には、コソボの状態は、「コソボに住んでいるアルバニア系住民による独立国を創るための運動」と見えます。しかし、実際は違っています。国際的なイスラム教原理主義の支援なしでは彼らは何もできない。このことは後程詳しく申し上げます。最初はアフガニスタン。その次はユーゴスラビア。そしてその次は、元のソビエト連邦の中央アジア地域にある諸共和国、特に、日本人技師の拉致事件が起こっているキルギスタン。そして今はコーカサス地方、特にチェチェンとダゲスタン。

皆さんご存知のように、チェチェンの領土から原理主義過激派の武装勢力がダゲスタンに入り、最近のコーカサスの状況は非常に悪化しました。何故、今回、原理主義者は自分たちの活動の対象としてダゲスタン共和国を選んだのでしょう。これを理解するために、ダゲスタンの社会・経済状況について、若干申しあげたいと思います。

ここは非常に貧しい国です。生活水準はロシアの他の地域と比べて、3分の1から4分の1と非常に低いのです。失業率は30パーセントくらいと非常に高いのです。若者たちの間では失業率はもっと高いのです。中学校・高校を卒業した17・8から25歳くらいの若者の間では失業率は80から85パーセント。信じられないような数字ですが事実です。その上、ダゲスタン国内の資産は非常に少数の一族の手に握られているのです。それはだいたい200家族、人数にして6,000から7,000人くらいです。ダゲスタンの人口は100万人以上です。これだけを見てもダゲスタンの社会・経済が最悪の状態だということがすぐに分かります。コーカサスの他の地域も、ダゲスタンよりは少しは良くてもほとんど変りません。ダゲスタンは原理主義の攻撃を受けやすい状況なのです。

私は次のような話を実際に見た人から聞いたことがあります。チェチェンから国境を越えてダゲスタンに入った原理主義武装勢力の兵士たちは、まず最初に若者たちの間で宣伝活動を繰り広げています。「われわれの活動に参加するように」と…。そして、「彼らの部隊に入る」と言う人には、その場で100ドルずつ支給します。日本では100ドルといってもたいした金額ではありませんが、ダゲスタンの貧しい、その上3年も4年も仕事の無い若者たちにとって、これは大金です。このお金を貰って、原理主義者の部隊に入っていくのです。

諸外国では、ダゲスタン人がこのワッハビズムとか原理主義的な思想を支持しているということが言われておりますが、それは真実ではありません。原理主義者はダゲスタンでワッハビズムの宣伝活動を10年から15年ほど続けていますが、それにも関わらず、ダゲスタン人口の3〜4パーセントしかワッハビズムを支持していません。ですから、ダゲスタン人が何か思想的な理由で原理主義者を支持するわけではなくて、純粋に経済的な理由から支持するのです。彼らは生活することができないほど行き詰まっていますから、一部の若者が入っていくのです。

 また、非常に面白い話を聞いたことがあります。この原理主義を抑えるために、何故それほど大量のロシア軍部隊の投入が必要なのでしょうか。理由は二つあります。ひとつには、この武装勢力の兵士は非常に厳しい訓練を受けています。チェチェン共和国の中ばかりではなく、アフガニスタンやパキスタンで訓練を受け、専門的な兵士になっているのです。そして、もうひとつもっと重要なことは、彼らは最新鋭の武器を持っているということです。原理主義者の部隊には選抜狙撃兵が多く、たくさんのロシア兵士を殺しているということを聞いたことがあるでしょう。彼らは最新鋭の狙撃銃を使用しています。この銃がロシアで生産されているにも関わらず、ロシア軍ですら、まだこの銃を使っていません。この銃は製造が始まったばかりで、非常に高額で、1挺5万ドルします。しかし、この武装勢力はイスラム原理主義から膨大な資金援助を受け取っていますから、何でも買えるのです。彼らは、ロシア国内で軍人に賄賂を渡して、ロシア軍すら使わない最新鋭の武器を入手するのです。




▼イスラム原理主義勢力の拡大

 たびたび、外国の方から次のような質問を受けます。「原理主義の思想は、チェチェンやダゲスタンなどのコーカサスの諸共和国にどのように広められていますか?」というものです。確かに、この地域は原理主義の根拠地と直接の関係はない。しかし、原理主義の思想を広めるチャンネルはたくさんあります。まず、麻薬販売です。売人たちはワッハビズムに関する書物を持って、頻繁にその地域に入って来ます。そして、ソビエト連邦が崩壊してから、(旧ソ連邦内に住む)イスラム教徒は誰でもメッカに巡礼することができるようになりましたが、やはりそこからワッハビズムの思想を持って帰ってきます。最近は原理主義の影響を受けた外国人が数多くコーカサスにやってきますが、例えばダゲスタンで戦った部隊の指導者のひとり、ハタップという人はヨルダン人です。今、ヨルダン人、サウジアラビア人、トルコ人、アフガン人、たくさんの人がダゲスタンに入って戦っています。

ご存知かとは思いますが、ロシア政府はこの原理主義の挑戦を受けて、非常に厳しい処置を取りました。その中にはチェチェン共和国の封鎖があります。なぜかといいますと、もう一度地図を見てください。ここがチェチェンです。隣接するダゲスタン共和国、イングーシ共和国、南にはグルジア共和国。チェチェン共和国は原理主義者の軍隊の根拠地になりました。彼らは自由にダゲスタンの国境を越え、ロシア軍の反撃を受け、そのままロシア軍の知らない山道を利用してチェチェン共和国に戻ってきます。ロシア軍の報道を聞いていると、「○○村を制圧し、100人から200人の武装兵を殺した」ということが言われますが、残念ながらこれは必ずしも真実ではなく、圧倒的多数の兵士はチェチェンに戻っています。

チェチェン政府はこういったグループの活動に「全く関係が無い」と言っています。それは結構なことですが、「チェチェン共和国の国内に根拠地を置いているのだから何とか対応するように」と、ロシア政府はチェチェンのマスカダフ大統領に一度ならず申し入れました。しかし、マスカダフは何もしませんでした。何故かというと、答えは簡単で、彼は無力だからです。彼はチェチェン共和国の20パーセントしかコントロールしていません。あとはイスラム教の原理主義武装勢力やその他の軍事勢力が抑えています。ですから、ロシア政府はやもうえずチェチェン共和国を封鎖せざるをえなかったのです。ロシア軍が全面的な攻撃を開始したとか、一時、チェチェン国内に侵入したと報道されましたが、これは事実ではありません。


▼ロシア政府の対応と今後の見通し

 私の考えでは、今の事情から見ると、他に方法はなく、やむをえないことだと思います。しかし、良く考えてみると、最初からチェチェン共和国に対して適切な政策を進めていれば、今の事情はそれほど酷くなっていなかったと思います。残念なことに、ロシア政府はコーカサス政策において、特にチェチェンに対しては大きな過ちを犯しました。根本的なことは今でもロシア政府のチェチェンに対する立場は非常に曖昧です。チェチェン共和国は独立国家であるのか、ロシア連邦の一部であるのかということに関しても非常に曖昧な態度をとっていて、この国に対する政策が一貫したものではなかったのです。これはもちろん、ロシアの国内事情とも密接な関係があります。私たち(ロシア連邦)は決してチェチェンの独立を認めてはいけません。もしそれを認めるならば、チェチェン共和国は永遠にイスラム教原理主義者の根拠地となってしまいます。

ロシア連邦には様々な構成共和国・自治区がありますが、彼らのロシア連邦の中での地位はそれぞれ違います。ある地域は非常に独立性が高く、またある地域はそれほど自治権がない。この問題についていつでもチェチェン共和国と話し合いをすることはできますが、チェチェン政府はロシア政府の提案をことごとく否定し、あくまで独立を主張してきました。

私の話はだんだん終わりに近づいてきました。後程、何かご質問があればできる限り答えたいと思います。最後にひとつだけお話したいと思います。ロシアのこれからの自助発展の見通しについてです。はっきり申しまして、あまり楽観は許されません。このような問題は一挙には解決しづらい問題です。例えば、プーチン首相は「コーカサス事情の最も重要な問題は社会・経済的な問題だ」と的確におっしゃっています。これを解決してこの地域の住民の生活水準を上げなければなりません。失業率を下げなければなりません。これは正しいことです。しかし、この目的を達成するためにはまず、コーカサスに平和を取り戻さなければなりません。やはり、戦闘を中止させなければなりません。武装闘争が続く限り、社会・経済的問題を解決することはできない。ですから、残念なことですが、今の状況がかなり長く続く可能性があります。

最後にもう一度申し上げたいことがあります。今、ロシアは、国際イスラム教原理主義の挑戦を受けておりますが、しかし、この問題はロシアだけではなく、全世界にとって非常に危険な問題であります。その意味で私たちは国際イスラム教原理主義を1920年代、30年代のファシズムと比較することができます。これで私の話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

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