宗教界の動き |
★過去の記事
役員名簿や財産目録などの提出を義務づけた改正宗教法人法をめぐり、「信教の自由の侵害だ」として提出を拒否しているPL(パーフェクト・リバティー)教団(御木貴日止教主・本部大阪府富田林市)に対して、文化庁が罰則適用の手続きを取っていることが、10月28日に判明した。 改正宗教法人法では、決算後4カ月以内に「書類」を提出しない場合の罰則として「1万円以下の過料」を定めている。PL教団は、4月末の期限に書類を提出しなかったため、所轄の文化庁(2府県以上に拠点を置いて活動を行っている約900の「大教団」は文部大臣、その他の約18万の中小法人は各都道府県知事の所轄)が、督促状を郵送。電話でも数回催促したが、PL教団は9月中旬の理事会で「政府などによる宗教団体への干渉を是認することになる」と、提出拒否を決めた。 このため、文化庁は管轄の大阪地裁堺支部に「過料事件通知書」を送り、罰則適用の手続きを進めた。今後は、裁判所が過料の是非を決定し、当事者に通知する。文部大臣所轄の法人の内、これまでに「書類」を提出しているのは8割程度に留まっている。今年が改正法実施第1年目ということで、多少の「提出の遅れ」は是認している模様であるが、今回のPL教団のように「確信犯的に提出拒否」をしている教団には、次々と「過料事件」として告発してゆく予定である。 これに対し、PL教団側では、「改正法は、信教の自由や会員のプライバシーの観点から重大な疑念を抱くため、規定された提出書類の提出をしないことにしました」と、9月21日付の機関誌『芸生新聞』で表明している。同教団の前身「ひとのみち教団」が、戦前、国家から弾圧を受けたことも、提出拒否の背景にある。 PL教団と同様に、「種類提出拒否」を明らかにしているのは、善隣教(力久隆久教主・本部福岡県筑紫野市)や京都仏教会加盟の寺院などがある。レルネットでは、社会的に関心の高いこの問題を「宗教法人と税金」のコーナーで、今後ともレポートしてゆく予定である。
10月28日
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9月20日に、近畿地方を直撃した台風7号は、国宝室生寺五重塔(奈良県)をはじめ、国宝・重文を含む各地の神社・仏閣に甚大な被害をもたらせた。 奈良県では、強風と倒木によって国宝室生寺五重塔、法隆寺西院回廊や三経院(国宝)、金峯山寺蔵王堂(国宝)、当麻寺東塔(国宝)、宇太水配神社神社本殿(国宝)、春日大社回廊(重文)他、大社神社、石上神宮、吉野神宮、橿原神宮、談山神社などが甚大な被害を受けた。 和歌山県では、特に高野山の被害が大きく、奥之院御供所に倒木が直撃し使用不能、山王院鐘楼の屋根や四社明神の塀が破損した。 滋賀県では、比叡山延暦寺の釈迦堂(重文)の屋根が大破、周囲から一段低く凹型になっている内陣が水浸しになった。その他、相輪堂(重文)も倒壊。天台宗常楽寺本堂の檜皮葺き屋根(国宝)が一部破損した。また、真宗木邊派の本山錦織寺に隣接する木部神社の倒木で、同寺の鐘楼堂が破損した。 京都府では、醍醐寺の開山堂(重文)のこけらが破損。東西本願寺や興正派、仏光寺派といった真宗各派の本山の屋根瓦が一部破損、雨漏りした。 |
9月2日、大本(出口聖子教主)では、出口王仁三郎聖師の生誕と高熊山入山修業百周年を祝う瑞祥大祭を京都府亀岡市の本部万祥殿で執行、今年の教団施策のひとつ「生命倫理問題運動」の推進委員約400名を任命し、当問題を教団としてより積極的に展開して行く方針を発表した。 「脳死・臓器移植」問題に反対する同教団は、推進派の政府系ドナーカードに対抗して、100万枚の「ノン・ドナーカード(移植拒否の意思表明)」を市民に配布する他、臓器移植法施行1年にあたる10月16日に、全国の主要都市で街頭活動を展開する。 同教団は、「大本の御教えを世に問う」として、生命倫理問題に対する運動を教団施策の大きな柱としている。中でも、「脳死」に基づく臓器移植の問題と、遺伝子組み替え食品の問題に積極的に取り組み、信者だけでなく、他宗派や一般市民に向けてもキャンペーンを繰り広げ、内外からの注目を集めている。 |
文部省は、9月29日付、大臣官房高為重総務審議官名で、文部大臣所轄の各宗教法人代表役員宛に「コンピュータ西暦2000年問題への対応について」と題する依頼文を発した。 本件は、コンピュータのいわゆる「西暦2000年問題」への対処であるが、政府の「高度情報通信社会推進本部(本部長:内閣総理大臣)」において、9月11日付で決定された「コンピュータ西暦2000年問題に関する行動計画」に基づく処置であり、所管の宗教法人にも、適切な対応を依頼したものである。 なお、本件に関する質問は、文部省大臣官房政策課情報処理室(e-mail:jyoho@monbu.go.jp)まで。 |
カトリック系の聖エジディオ共同体が主催する第12回「世界宗教者平和のための祈りの集い」が、世界50カ国から約600人が参加して、8月30日から9月1日の日程で、ルーマニアの首都ブカレストで開催された。 日本からは、神社本庁・高野山真言宗・天台宗・臨済宗・曹洞宗・真宗大谷派・大本・天理教・立正佼成会の教団関係者約100名が参加した。 日本の「比叡山宗教サミット」にも影響を与えた12年前のイタリア・アッシジにおける「世界平和祈願の日」式典の精神を継承するこの大会には、バチカン代表をはじめ世界の主な宗教から代表者が派遣されてきた。 今年のテーマは「神の名は平和:神・人間・民族」で、同国の国会議事堂を会場に、コンスタンチネス大統領が開会の挨拶を行うなど、ルーマニアを挙げての歓迎であった。 |
8月4日、比叡山延暦寺「一隅を照らす会館」前広場(根本中堂前)で行われた比叡山宗教サミット11周年「世界平和祈りの集い」が、神・仏・基・新宗教の代表者650名が参加して開催された。 「祈りの集い」の開会に当たり、藤光賢天台宗宗務総長は、「インド・パキスタンの地下核実験など世界は混沌とした状況にあり、21世紀は、正義と愛、慈悲、寛容の時代となるよう、一歩づつ前進し、平和の実現のため祈りを続けてゆきたい」と述べた。 青少年によって根本中堂から運ばれた「不滅の法燈」が特設ステージ中央の金燈籠に点火され、青少年たちが「平和の合い言葉」を唱和した。引き続き、渡邊惠進天台座主を導師に般若心経が奉唱され、渡邊座主が「平和祈願文」を奏上した。 各宗教代表が登壇し、3時30分に全山の梵鐘が鳴らされ、平和の祈りの黙祷が捧げられた。続いて、世界連邦日本宗教委員会の池田瑩輝委員長(真言宗中山寺派元管長)とチェコ共和国クリスチャンアカデミー総長のT・ハリーク神父らの挨拶。ローマ教皇庁(バチカン)諸宗教対話評議会長官のF・アリンゼ枢機卿からの祝電が披露され、清原惠光比叡山延暦寺執行の閉会の挨拶で閉幕した。 山頂での「祈りの集会」に続いて、大津市内のプリンスホテルでレセプションが開催された *「世界平和祈りの集い」は、1987年に、当時の天台座主山田惠諦師の提唱により、日本宗教代表者会議が組織され、洛北宝が池の国立京都国際会館を会場に内外の宗教代表が集って「宗教サミット」が開催され、引き続き、比叡山頂で「祈りの集い」が開催されたことを記念して、毎年この日(8月4日)に開催されているものである。 |
真宗大谷派(東本願寺)の元宗務総長訓覇信雄(くるべしんゆう)氏が、7月26日、心不全のため、入院中の自坊(金蔵寺)近くの病院(三重県菰野町)で死去した。享年91。 訓覇信雄氏は、1906年生まれ。1950年から10期約40年にわたり同派の宗議会議員を務め、なかでも、1961年から70年の間に2度、7年間にわたって宗務総長を勤めた。その間、1961年には、「家の宗教から個の自覚の宗教へ」をスローガンに「同朋会運動」を提唱した。 また、2度目の総長期間中の1969年、大谷家と歴代改革派内局とのいわゆる「お東さん30年紛争」に発展する原因となった「開申事件」が発生。その後の宗派分裂や各種法廷闘争(地位保全・財産保全等)の一方の旗頭的人物として、宗門内外の耳目を集めた。 *レルネットの業務は、宗教情報提供サービスなので、特定の宗派内の争いの一方に荷担するするようなことはないが、一般読者の便宜のために、いわゆる「お東さん30年紛争」について、略記する。詳しくは、対立する両派のホームページや、田原由紀雄著『祖師に背いた教団』(1997年白馬社刊)などを読んで、それぞれで判断していただきたい。 「お東さん30年紛争」とは、宗祖親鸞聖人以来の「血脈法脈」として宗門に君臨してきた第24世大谷派法主大谷光暢師が、1969年、その三位一体の権能であった法主・真宗大谷派管長・(東)本願寺住職のうち、管長職(宗派の代表役員)を、時の内局に相談なく、長男の大谷光紹師に譲位すると発表した「開申事件」に端を発する大谷家側と改革派内局側との一連の紛争である。改革派との争いに敗れて宗派を去り、別派(浄土真宗東本願寺派)を立てた「宗門の皇太子」光紹師はいうまでもなく、本願寺維持財団理事長として今でも内局と対決している次男の大谷暢順師、ひとり宗派に残り、第25世大谷派門首(全権者の「法主」とは異なり、単に儀式を執行するだけの象徴的な立場として「1981年に制定された「門首」)を継承した三男の大谷暢顕師らはみな、現天皇の従兄弟に当たるというまさに「20世紀の貴族」700万門徒を抱える巨大教団真宗大谷派の信仰の象徴ともいえる一族を巻き込んでの争いであった。 もっとも、歴代「改革派」内局側も、教団の近代化・民主化を主張し、大谷家の「専制支配」を否定しながら、全国9000末寺のほとんどは、住職が「世襲」されているという実態、さらには、「家の宗教から個の自覚の宗教へ」という目標にはほど遠く、単に葬儀や法事を行うだけの「檀家仏教」に終始している実態に手が着けられていないことも、併せて指摘しておきたい。 |
カトリック教会の横浜教区長であった濱尾文郎司教は、6月15日付で、教皇ヨハネ・パウロ2世から、教皇庁移住・移動者司牧評議会議長に任命(大司教に昇任)された。移住・移動者司牧評議会とは、名実ともに「世界宗教」であるローマ・カトリック教会の、移住者・難民・旅行者などを管轄する部署であり、バチカンに12ある評議会(省庁)のひとつで、各評議会の議長は、日本国で言えば「閣僚(国務大臣)」に当たる重職である。この重職に日本人(東アジアも含めて)が就くのは初めてのケースであり、大抜擢と言える。 なお、今回の濱尾大司教の教皇庁移住・移動者司牧評議会議長転出に伴い、同師が横浜教区長(司教)と兼任していた「日本カトリック中央協議会」の議長職には、島本要長崎大司教が就任した。日本カトリック中央協議会とは、全世界の各司教区が主権国家の壁を超えてローマ教皇に直属(任免権を有)するというカトリック教会独自のシステムを補完する(制度上では、大阪大司教と京都司教とニューヨーク大司教の相互関係は等距離)ため、多くの場合、国別に「○○国司教会議」とか「協議会」という組織が形成されていることが多い。日本の場合、16司教区で構成されている。 また、日本カトリック中央協議会では、これに併せて、6月20日付で、各司教の担当部門の大幅な変更を発表した。WCRP(世界宗教者平和会議)や比叡山宗教サミットへの対応など、キリスト教が圧倒的な少数派であるというわが国の特殊な事情から、重要なポストと見なされる「諸宗教対話部門」担当司教は、これまで長年、伝統仏教各本山の集中する京都司教が兼ねていたが、今回、平山高明大分司教が。「正義と平和協議会」担当司教には、大塚喜直京都司教が。「被差別部落問題」担当司教には、島本要長崎大司教が、それぞれ就任した。 濱尾大司教は、1930年、東京生まれ。ローマのウルバノ大学・グレゴリアン大学に学び、1970年に横浜教区司教となった。濱尾師のバチカン赴任で、カトリック世界における日本の重要]性が増すものと考えられる。 |
浄土真宗本願寺派(豊原大成総長)の本願寺岐阜別院(岡田義純輪番=2日付で辞任)を母体として設立された社会福祉法人「岐阜龍谷会」が、岐阜市内に建設した特別養護老人ホーム「黒野あそか苑」にからみ、国・県などから補助金を不正受給した事件で、名古屋地検特捜部は7月3日、補助金3億8千万円を過大に受け取った疑いで、同法人の前理事長で現在、本願寺富山別院輪番(2日付で辞任)の野田英隆容疑者や工事に関わった建設会社役員など4名が逮捕された。 同教団内では、ここ数年にわたって各地の別院等の直轄寺院を舞台とする墓地造成に関わる業者とのトラブルなどの不祥事が続発(奈良教堂の冥加債権事件・築地別院の西多摩霊園問題・富山別院の財テク損失事件・西山別院の「違法」墓地造成事件・北山別院の「違法」債権保証事件当)しているが、これら従来型の不祥事は、杜撰な墓地造成計画等に起因する開発業者等とのトラブルが中心のいわば「民事上」の事件であった。 しかし、今回の補助金不正受給事件は、逮捕者まで出た刑事事件に発展し、本願寺派はいうまでもなく、宗教法人に対する社会全体の信用を失墜させる大事件であり、国家権力による公益法人(なかでも狙いが、これまでタブーであった宗教法人への課税であることは明らか)への課税強化策に絶好の口実を与える出来事として、全宗教法人を挙げてこの問題の本質を解明する必要がある。従来の「葬儀・墓地型」仏教から、現代世相を反映した「社会福祉型」仏教へと転換を計る試みの中で今回の事件が発生したことは、寺院(宗教法人)経営のあり方を巡って、新たな問題点を浮上させた。 |
3月13日、東京都杉並区の立正佼成会本部において、内外各界の代表を招き、同会の創立六十周年記念式典が開催された。 午後六時から、同会「大聖堂」において記念式典が挙行された。昭和三十九年に竣工した立正佼成会の根本道場「大聖堂」には、各宗派の代表や政界・国際機関の代表などの 招待客約六百名が参列。まず、庭野日鑛会長の先導でご本尊に「題目三唱」。続いて、記念ビデオ『おかげさまで六十年』が放映された。最後に、庭野会長が挨拶を行って、記念式典が終了した。 続いて、会場を同会の迎賓館である「法輪閣」に移し、記念祝宴が行われた。祝宴では、同会の酒井教雄理事長の歓迎の言葉に始まって、中曽根康弘元首相とWCRP日本委員会理事長の 白柳誠一枢機卿(カトリック東京大司教)が祝辞を述べ、日本宗教連盟理事長の廣瀬靜水人類愛善会会長の発声で乾杯が行われた。 |
本願寺第八世の蓮如は、宗祖親鸞以後、一時衰退していた本願寺を建て直し、親鸞の教えを平易に説いた『御文章』の述作や『正信偈・和讃』を刊行して朝夕の勤行に用いるなど、教線を飛躍的に伸ばした。蓮如が築いた一大勢力は「一向宗」ともいわれ、戦国時代には織田信長と対峙するほどのわが国有数の大教団を形成した。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、3月14日から蓮如上人五百遠忌法要が始まり、合計10期百箇日にわたって厳修される。期間中に「ビッグフェスタ500」と銘打って、数々の関連行事が行われている。 また、真宗大谷派(東本願寺)では、一足遅れて4月1日から蓮如上人五百遠忌法要が始まった。こちらも、今年一年数多くの関連行事が「バラバラで一緒:差異(ちがい)を認める世界の発見(Living Together in Diversity)」を共通テーマに開催される。 |
天理教では、4月18日の教祖誕生祭から26日の月次祭までを「教祖様(おやさま)御誕生200年慶祝旬間」として、奈良県天理市の教会本部をはじめ各地で関連行事が行われている。 天理教教祖中山みきは、寛政10年(1798)に北大和の寒村に生を受けた。天保9年(1838)に親神「天理王命(てんりおうのみこと)」より天啓を受けて開教。 その後、数々の弾圧を受けるも、天理教はわが国最大級の宗教教団へと発展した。 天理教では、「教祖様存命の理」と称する独特の教義があり、明治20年(1887)に「現身を隠した後も、因縁のあるやしき(ぢば)に生き続けて働く」ということに なっている。 なお、詳しい解説と諸関連行事の紹介は、天理教のホームページへ。 |
4月26日、天理教教会本部(奈良県天理市)教祖殿において、天理教「真柱(しんばしら=教祖中山みきの血統で信仰の中心者)」の「継承の儀」が執り行われた。 17日に始まる「教祖御誕生二百年」慶祝旬間の最終日、本部月次祭(つきなみさい)を神殿(世界の中心「かんろ台」の鎮座するところ)で終えた後、中山善衛第三代真柱と長男で真柱継承者の中山善司師(39歳)が、教祖殿にて「存命の教祖(天理教の教義によると、教祖は永遠に生き通している)」に、真柱の交代を報告する「継承の儀」を 執り行なった。 新たに第四代真柱に就任した中山善司師は、引き続き、神殿へ移り、真柱として最初の「おつとめ」を行った。夜中にもかかわらず、世紀の慶事に集まった数万人の参拝者に、新真柱と前真柱が共に挨拶を行った。百数十年にわたる天理教の歴史において、真柱が健在のうちに、次代の真柱に交代したのは 初めてのケースである。 |
高田好胤第127代薬師寺管主・法相宗管長は、6月22日午前8時5分、胆嚢癌のため、奈良県橿原市の病院で死去した。享年74。 密葬は6月24日午後3時から薬師寺・慈恩殿で、本葬は本山葬として7月26日午後2時より薬師寺・写経殿で営まれる。喪主は妻の稚子さん。葬儀委員長は阪本道隆南都銀行会長。 高田好胤師は、1924(大正13)年大阪市生まれ。1935年(昭和10)薬師寺に入山。1946年(昭和21)龍谷大学文学部仏教学科卒業。 1967年(昭和42)薬師寺管主、翌年法相宗管長に就任。 高田師は、薬師寺の白鳳伽藍の再建に力を注ぎ、1970年代から国宝・薬師三尊像を安置する金堂をはじめ西塔・回廊などを再建し、同時の最盛期の姿を復興させた功績は大きい。また、同寺を単なる古都の「観光寺」としてでなく、参詣者に『般若心経』を写経してもらう「百万巻写経」を提唱し、難解な仏教用語を使わずに、現代人にも分かり易い言葉を使って、仏教の精神を広めた。 |
3月25日、護王神社会館(京都市上京区)において、神社オンラインネットワーク連盟(熊懐隆三代表)主催の第2回研修会が「宗教とコンピュータ利用」がテーマで開催され、全国から三十数名の神職を集めて開催された。 まず、諸宗教間の対話を目的に、宗派にとらわれないコンピュータ利用を目指し、株式会社レルネットを設立した金光教泉尾教会執行の三宅善信師から、「レルネット事業の経験によって得たメディア論」についての講演が行われた。 続いて、財団法人禅文化研究所研究員五十嵐祖傳師が、「臨済宗におけるコンピュータ利用」と題して、檀家管理・金銭出納・戒名辞典・官庁提出書類の作成がひとつでできる寺院管理統合ソフト「擔雪(たんせつ)」開発に伴う苦労談を語った。 最後に、「神社とインターネット利用」のテーマでパネル討議が行われ、神社でのインターネット利用の実状、氏子からみた神社のホームページなど、始まったばかりのインターネット利用の将来性等について話し合った。 99年3月25日
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3月26日、NCC(日本キリスト教協議会)宗教研究所(京都市上京区・幸日出男所長)において、脳死臓器移植問題をテーマとした生命倫理研究集会が開催され、各宗教から約五十名が参加した。 まず、日本研究家のペンシルベニア大学のウイリアム・ラフルー教授が「脳死と臓器移植をめぐる文化・宗教の比較論」と題して、日米の文化比較を行った。水子供養の研究家として有名なラフルー教授は、欧米のキリスト教は、地動説や進化論を否定するなど、伝統的には「反科学的傾向」が強かったのにもかかわらず、どういう訳か、「脳死臓器移植」問題については、比較的論争もなしに広範囲に受け入れられていること。一方、西洋式の自然科学の受容には寛大であった日本人が、こと臓器移植を前提とした脳死については、否定的である点に注目して論理を展開した。 つづいて、各教団からの参加者たちの意見発表に移り、教団を挙げて脳死臓器移植に反対している大本から廣瀬清水人類愛善会が意見表明を行ったのを皮切りに、立正佼成会から天谷忠央中央学術研究所長、真宗大谷派から加来知之教学研究所員、浄土真宗本願寺派から内藤知康龍谷大学助教授、黄檗宗から田中知誠黄檗文化研究所主任の各教団関係者、奈良大学の大町公教授(倫理学)、京都文教大学の生駒孝彰教授(臨床心理学)、創価学会の友岡雅弥東洋学術研究員、金光教から三宅善信泉尾教会執行(レルネット代表)の各氏が、それぞれの観点から問題提起を行った。 99年3月26日
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