単細胞と多細胞:「洗脳」されないために 
1998/9/14

レルネット主幹 三宅善信


世間で「洗脳」問題が話題になっており、「主幹の主観」読者からの質問も多いので、前作「論理的にあり得ない予言」の続編を書くことにする。本文中、話を分かり易くするために、「カルト・霊感商法」の概念規定については、日弁連(日本弁護士連合会)の消費者問題委員会「宗教と消費部会」のガイドラインに沿って話を進める。

まず最初に、若者が「なぜ新々宗教(主に1970年以後に発生した宗教)に走るのか?」という理由について、現実社会に生きている喜びを感じられなくなっている→そこから脱出したい願望→超現実・死後・あの世・超越体験→自己変革へ。という構造が考えられる。これらの場合、現実を変える「解体」願望が強くなる。

これらはまた、形式だけの「家庭」がもたらす基本的な人間関係の希薄化が原因のひとつに考えられるのは、横綱貴乃花の問題を見るまでもない。キーワードは、「父親不在」、「母親不在」、「人間関係の希薄化」、「自然関係の低下」などである。順番にみていくと;

「父親不在」は、家庭内での父親的な道徳・権威・タテ・思想性・強さがなくなっている。→非合理への傾斜、知性への嫌悪感が強くなる→オカルト・霊宗教へ近くなる。

「母親不在」は、無条件な愛、相手への共感安心感が家庭から消えている。→相手のことを考える能力が未発達になり、meism(ミーイズム)的な自己中心主義→宗教の仲間に家庭の代理を求めるようになる。

「人間関係の希薄化」は、町で顔見知りに合っても挨拶しない→「社会」という物差しが欠落、相手との関係を創る自己表現能力が未発達→マニュアルによってしか行動できない。マニュアル的な神・宗教への親近感の形成。

「自然関係の低下」は、幼児期の運動不足から、反射神経・体感が未発達。痛みや実感への不感症→映像・イメージ・疑似環境・バーチャルリアリティへの没入→「オタク」化、感覚神、セラピー(治療)宗教、欲望肯定の神への接近。自分の超能力の一部を持ち、神(使徒)になる。→神秘主義宗教への親近感。

これらの要素がある人が、@先祖の因縁や祟り、あるいは病気・健康の不安を極度に煽って精神的混乱をもたらす。A本人の意志に反して、長時間にわたって勧誘する。B多人数により、または、閉鎖された場所で強く勧誘する。C相当の考慮期間を認めず、即断即決を求める。という状況に晒された時、カルト宗教・霊感商法(たとえ「自己啓発セミナー」等呼称はいろいろあっても)の魔の手に陥る可能性が高い。駅前や繁華街でのキャッチセールスの多くは、「カルト宗教」の入り口(別団体名を使って)である場合が多い。電話ボックスや街角での「占い」や「人生相談」のチラシも大抵、これらのカルト宗教の勧誘の入り口であると考えてよい。

これらのカルト宗教に共通する特徴は、多元主義(相対・共生)ではなく、唯一主義(絶対・全能)を主張するところにある。生物学の世界で、単細胞動物と多細胞動物の一番大きな違いは、単細胞動物は「全能性」を持つということである。ひとつの細胞が半分に割れて、2つの自己が増幅されるためには、細胞そのものが生物としての「全能性」を持たねばならない。一方、多細胞動物の細胞は、そういう訳にはゆかない。ヒトを真っ二つに割ったら死んでしまう。これは、それぞれの細胞が、手・肝臓・皮膚など役割分担をして全体としての「生」を保っているからである。ここに、多細胞生物の多様性が生まれるのである。

要するに、ひとりの人に言うことだけを聞くのでなく、より多くの人と接し、多くの価値観から、相対的に判断する人格を身につけれるようにすることが、カルト宗教から身を守る有効な方法なのである。


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