続「神道と柱」:「ソシモリ」考 1998.06.17 


「レルネット」主幹 三宅善信


5月31日に、京都の八坂神社で開催された平成神道研究会主催の講演・対談「陰陽五行説と神道」に参加した。講師は、陰陽五行説の観点から日本史について著作を発表している元学習院女子短大講師の吉野裕子先生と、八坂神社宮司で皇學館大学名誉教授の真弓常忠先生の両氏であった。 

吉野先生は、代表的著作である『隠された神々』で展開した論説のとおり、律令国家の出発点になった天智・天武朝以来、いかに天皇の即位や遷都をはじめ、朝廷の重要事項ならびに伊勢神宮をはじめとする神社の祭祀が、古代中国の思想である北極星(北辰=太極)陰陽五行説の強い影響下に置かれて形成されたか、また、それらの要素がいかに明治政府の国家神道政策によって意図的に「陋習(ろうしゅう)」として排除されたかを述べた。

続いて、真弓先生は、古来より疫病除災の神として信仰を集めた「祇園の神」の正体が、実は、道教系の牛頭天王(ごずてんのう)とその妃神頗梨采女(はりさいにょ=竜王の第三女)と子供たちである八王子であったのが、江戸時代後期の平田神道(国学)や明治維新の「神仏判然」令によって、記・紀神話に基づいて編成し直され、スサノヲノミコトとクシナダヒメノミコトと八柱の御子神ということに無理やりさせられたと述べた上で、庶民からは、牛頭天王は、武塔天神ともいわれ中国の辟邪神天刑星の属性を持ち、頗梨采女は歳徳神として、八王子は大将軍・歳破神・豹尾神などのいわゆる遊行性の「金神七殺」系の神(「恐ろしい危険な神」であると同時に、「悪方向・災難からわれわれを守ってくれる神」)として、深く信仰されたことを論証した。 

注目すべきは、韓国には、牛頭山という地名があり、皇祖天照大神の弟神ということになっているスサノヲノミコトですら、『日本書紀』の一書第四に「スサノオヲノミコトは新羅の曽戸茂梨(ソシモリ)の処に居て、そこから出雲の島上の峰に渡ってきて八保大蛇を退治した」という所伝があるが、韓国の学者(宗教文化研究院長の崔俊植梨花大学教授)に尋ねたところ、「ソシモリというのは、地名ではなく、「ソシ」は「高い柱」、「モリ」は「頂上・てっぺん」の意味、したがって、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意味だ」また、「牛頭天王の「牛」は「ソ(シ)」という音にあたる漢字(牛)を当てはめただけだ」という説明を受けた。という話を真弓先生から聴いた。

祇園の神(牛頭天王=スサノヲノミコト)が、日本語の字面からイメージした「牛の頭とした神」でなく、「高い柱の頂上に坐す神」だとすると、4月6日付の主幹の主観「神道と柱」で展開した三内丸山遺跡の巨大柱跡の謎への私なりの解釈、すなわち「古代の日本人は立柱そのものに、カミの拠り代としての宗教的意義を見いだした」という見解が、ひとつ裏付けられたと喜んでいる。

また、牛頭天王がスサノヲノミコトであるという説は、『備後国風土記』や『群書類従』に収められている『ホキ内伝』に、「蘇民将来と巨旦将来」の説話(旧約聖書『出エジプト記』の「過ぎ越しの祭り」の話と類似)に紹介されており、現在でも、祇園祭の際に、山鉾から撒かれる「疫病除けの粽(ちまき)」には「われは蘇民将来の子孫の者なり(この粽を所持する者は疫病が除けて通るの意)」と書かれて、庶民の信仰を集めている。

なお、平成神道研究会10周年記念のシンポジウム・シリーズは、6月14日に名古屋の熱田神宮で、「蘇る神々」をテーマに、編集工学研究所長松岡正剛氏をモデレーターとして、作家井沢元彦氏、作家小椋一葉氏、神戸女子大助教授鈴鹿千代乃氏、猿田彦神社宮司宇治土公貞明氏をパネリストに開催された。

また、7月10日には、大阪府神社庁を会場に、「日本人の心」をテーマに、元京都大学人文科学研究所長福永光司氏(道教研究)、大阪大学名誉教授加地伸行氏(儒教研究)、JT生命誌研究館副館長中村桂子氏と私(三宅善信)がパネリストになってシンポジウムが開催されるので、関心のある人は、事務局(大阪06-245-5741 / 名古屋052-400-2402 / 東京03-3209-5265)まで、直接、お問い合わせください。


戻 る