モスラ3:大量絶滅物語に見る日米格差
 1998.12.31


レルネット主幹 三宅善信


▼ 「空から恐怖の大魔王が降りてくる」

息子と一緒に映画『モスラ3:キングギドラ来襲』を観た。ここ数年、「子供向けの怪獣映画」のラインナップとしては、冬休み「モスラ」、春休み「ガメラ」、夏休み「ゴジラ」というパターンだと思っていたが、今年は、総本家の「怪獣王ゴジラ(1956年、全米で『ゴジラ』が初公開された時の題名が『Godzilla: King of the Monsters!』である)」が、経済不況の日本を逃れてハリウッドに出稼ぎに行ってしまったので、「日本の留守を護る怪獣がいないじゃないか」と心配していたら、果たして、その隙を突いて(?)ゴジラシリーズの中でも最強・最悪の呼び声が高いキングギドラが日本を襲ってきたのである。おいおい、モスラだけで大丈夫かよ…。

私が子供の頃に観た映画では、高度な文明を誇っていた金星人の世界を滅ぼしたキングギドラ(「ザ・ピーナッツ」扮する妖精のコスモス姉妹がそう説明していた)は、次なるターゲットとして、その魔の手を地球に伸ばしてきた。そのキングギドラの来襲から地球の生物界(人類ではない)を守るために、怪獣の本能のままに取っ組み合いをしていたゴジラとラドンの仲裁をモスラ(幼虫)が果たし、地球を代表する3大怪獣が協力して、やっとキングギドラを撃退することができたというストーリーだったと記憶している。それくらいキングギドラという怪獣は強い怪獣なのである。それをあの見るからに弱そうなモスラ一匹で立ち向かうなんて…。どうなることかと思いながら、映画館に入った。

ストーリーを概略すると、南太平洋のインファント島(モスラおよび妖精の生息する原始の島)でのシーンから始まる。古代の神殿蹟と思しき所で、妖精エリアス三姉妹の長女で「力」の象徴である羽野晶演ずるベルベラが、宝の箱のようなものを開け、そこに収めてある日本の古墳から出土する「三角淵神獣鏡」のようなものに記されている古代文字を解読して、未知のパワーを秘めた宝石(エリアストライアングル)を奪おうとしている。そこへ、「智恵」の象徴の次女モルと「愛」の象徴の三女ロラの二人組(これがかつての「コスモス姉妹」に相当する)が、ちびモスラ(フェアリー)に乗って飛んできて、ベルベラとこれを奪い合いする。三つの内のひとつしか奪えなかったベルベラは、謎の言葉を言い残して飛び去った。世紀末の世相を反映してか『ノストラダムスの大予言』よろしく「空から恐怖の大魔王が降りてくる」と、言い残して…。


▼キングギドラの不思議な行動

所変わって、宇宙空間。地球に巨大隕石が接近してくる。この辺のノリは、今年相次いで公開された『ディープインパクト』や『アルマゲドン』と同じである。CG技術はかなり見劣りはするが、低予算の怪獣映画では致し方あるまい。巨大隕石は大気圏にぶつかったショックで幾つかに分裂して、平和な日本に落ちてくる。その内のひとつが富士山の麓、自殺の名所、青木ヶ原の樹海に落下した。予想通り、その中からわれらがヒール(プロレス用語で「悪役」のこと)キングギドラが出現するのである。今回のキングギドラは樹海の上ばかり飛んで、怪獣映画の楽しみのひとつであるミニチュアの街をほとんど壊さない。この当たりにも「低予算」の苦労が滲み出ている。

しかも、不思議なことに、キングギドラともあろうものが各地の小学校を襲い(といっても、校舎も壊さずに)、子供たちを怪光線を使って大量に連れ去るのである。これじゃまるで「ショッカーの怪人」じゃないか! 樹海の中に造られた巨大ドーム(キングギドラの繭?)に子供たちが閉じこめられる。それに対して、日本政府は全くの無策である。現地でマスコミ各社が取材合戦を繰り広げるが、自衛隊の出動はなく、地元の警察が遠巻きにロープを張って、民間人の入場規制をするだけである。その間、キングギドラは自由自在に日本の上空を飛び回って、どんどん子供たちを誘拐してくる。子供が大量に必要なのなら、少子高齢化社会の日本ではなくて、お隣の中国やインドへ行けば、街中に「掃いて捨てるほど(失礼)」うようよ子供たちがたむろしているのに、どうして日本に来るんじゃ? と、思わず、突っ込みを入れたくなってしまう程、奇妙な展開である。

そこへ、ちびモスラに乗った妖精二人組モル・ロラが現れて、惨状を見かねて、島からモスラを呼ぶあの懐かしい歌(「モスラーヤ♪モスラ♪ドンガンカサークヤイドム♪…」)をフルコーラスで歌ってくれるのである。われわれの世代には「感動もの」である。果たして、エリアス姉妹の歌に誘われて日本上空に飛来したモスラはキングギドラと闘いを開始するのである。といっても、モスラにもキングギドラにも「手」がないので、怪獣映画の十八番(おはこ)「取っ組み合い」のしようがないのである。両者とも光線(あの懐かしいキングギドラの「トゥルルルルー」という電話の呼び出し音のような効果音が変わっていたのは残念)を発射しながらの空中戦と、まるで湾岸戦争のごときハイテク戦を展開する。

ここで面白い会話を目撃した。われわれの前の席に途中から入場してきた40歳前後のゲイと思しき怪しげなカップルが「モスラひとりでキングギドラに勝てるはずはないやん(大阪弁で)ねぇ」、「そうよ。キングギドラは一番強いゴジラとラドンとモスラが協力してやっとやっつけることができた超強力な大怪獣やもん。頭が3つもあるしねぇ…」恐ろしい会話であるが、なかなか鋭い指摘だ。果たして、そのとおり、モスラは敢えなくやられてしまった。ちびモスラに乗った妖精たちも、超能力でキングギドラに挑むが、当然のことながら呆気なくやられてしまう。そこで、キングギドラはとどめを刺さずに、また「子供集め」に飛び去ってしまった。実に不思議な映画である。映画館を出た後、小学3年生の息子が言った。「あの変なオッチャンらの話、なかなか鋭かったなぁ…」いい人生教育の機会である。


▼生物界の大量絶滅の原因は隕石の衝突にあらず!

地上に墜ちた智恵の妖精モルは、そこで出会った地元の一少年と会話(聴取向けの解説の意味で)を始める。モルが少年に告げた話によると、「これまでに地球(別の星でも)で数回起きた生物界の大量絶滅は、ほとんどキングギドラの来襲によるもの」だという恐るべき生命史上の秘密が明かされる。『ディープインパクト』や『アルマゲドン』を観たわれわれは、「6500万年前の恐竜の大量絶滅の原因は、巨大隕石の地球への激突であった」と思い込まされているが、新たな「仮説」の登場だ。ここから、この映画は無謀にもその仮説を証明にかかる。一方、キングギドラにマインドコントロールされた愛の妖精ロラと力(悪)の妖精ベルベラは、キングギドラの繭(?)の中で、アリエスの秘宝の奪い合いを始める。展開がややこしくなってきた。

傷ついたモスラとインファント語で会話した妖精モルは、少年に「現在の強力なキングギドラを倒すことは無理でも、1億3000万年前に地球に飛来した若き日のキングギドラだったら倒せるかも知れないので、モスラはいのちを賭けて(タイムワープは片道切符)恐竜時代の地球へ行く」と告げるのである。なんという短絡的な発想! 妖精モルは最後の念力を使って(本人は石になってしまう)モスラの時間旅行を助ける。タイムワープの結果、恐竜時代に到達したモスラは、折から恐竜たちを喰い荒らしまくっているキングギドラを見つけ、果敢に闘いを挑むのである。闘い途中、キングギドラの尻尾はちぎれ(ここから「剣」でも出てくれば、ヤマタノオロチなのだが)、遂に、モスラはキングギドラと共に活火山(富士山?)の噴火口へ突入する。キングギドラの最期である。このことの因果応報によって、現在の日本で暴れているキングギドラも突如消滅する。満身創痍で火口から脱出したモスラ(地べたでもがいている)に対して、岩陰から現れた古代モスラの幼虫3匹が、口から糸を吐き出して、モスラを埋葬するかのごとく糸をかけて行く。

一方、子供たち同様、キングギドラのドームの中に囚われの身であったベルベラとロラは闘いながら、これまで気づかなかったお互いの長所を自覚し、闘いを止める。と、キングギドラの消滅と同時にドームも消滅し、二人の妖精と子供たちは自由の身になる。この間、終始一貫して日本政府は全くの無策で、子供たちを拐かされた親たちの対応には、小学校の校長先生が当たっている。これじゃまるで、問題校のPTA総会だ。仲直りした二人の妖精は、自分たちを助けるために死んだ(石になった)モルのことを知って悲しむ。


▼モスラ最後の変態

ところが、みんなが喜んだのも束の間、空中からキングギドラが突如、再出現するのである。ここでベルベラが言う。「もし、本当に1億3000万年前にキングギドラが死んでいたのなら、歴史が変わってしまい、今回のキングギドラの来襲もないはずだ」そのとおりである。1億3000万年前のモスラとの闘いでちぎれた尻尾から、クローンのごとくキングギドラは再生していた(それが6500万年前の大量絶滅の原因か?)のである。万策は尽きた。再び暴れ回るキングギドラに人類はなす術もないというのか…。

その時、富士山の麓の崖が崩れ、中から真っ白なモスラが羽化し始める。大きく伸びた羽にはみるみる極彩色が付いてくる。そう、1億3000万年前に傷ついて死んだと思われていたモスラが、古代モスラの幼虫の創り出した繭の中で再生し、進化をし続けていたのである。往きはタイムワープという超特急列車で、帰りは進化という鈍行列車で、モスラは現在に戻ってきたのである。空中高く飛び上がった進化型の「装甲モスラ」には、キングギドラの武器は一切通用しない。あっという間に、装甲モスラはキングギドラをやっつけてしまった。しかも、ギドラをやっつけた後、モスラはまた、元の「優しいモスラ」の姿に戻ってしまう。一方、仲直りしたベルベラとロラの持っていた3つの宝物(エリアストライアングルという短剣=実はここに「剣」があったのだ)を合わせることにより、死んだはずのモルも蘇り、妖精たちもモスラと一緒に故郷のインファント島へと帰って行く。


▼「神によって選ばれた国=アメリカ」

以上が、映画『モスラ3』のストーリーである。ここでは、『ディープインパクト』や『アルマゲドン』と比べて、極めて日本的な特徴が見られる。まず、ハリウッド製の二作品は、突如、地球に迫ってきた巨大隕石という天災(自己の責任ではなく、極めて運の悪かったことを「隕石に当たって死ぬようなもの」と表現する)に対して、人類(というよりもこれを勝手に代表するアメリカ合衆国)は、果敢に立ち向かおうとする。何千万年に一回という確率で地球に激突する小天体(地球にぶつかる時には巨大隕石と呼ばれる)に対して、現在だからこそ、スペースシャトルもあれば核兵器もあるが、もし、この隕石の衝突が百年前の人類に起こっていたら、ロケットはおろか飛行機すらまだ発明されていないのであるからして、それにて「The End」になってしまうのであるが、幸いな(?)ことに、隕石の軌道の予測計算をするスーパーコンピュータもあれば、そこへ行くことのできるロケットもあるこの20世紀末に、小天体が地球に衝突してくれるのである。

私はかつて『アルマゲドン:神によって選ばれた国』で指摘したごとく、このハリウッド製の二作品には、徹底して、天地自然の脅威に対する人類の挑戦と勝利が表現されている。しかも、それをなすのは、他ならぬ「神によって選ばれた国アメリカ」の責務である。ということになっている。なにしろ、アメリカ人は、自分たちの国が人類の生殺与奪の権の握っていると信じているのであるから、イラクに巡航ミサイルをぶち込もうが(『アメリカに「正義」はあるのか?』)、ヘッジファンドが東南アジア各国の経済を破壊しようが(『テコで地球は持ち上げられるか?』)そんなことお構いなしのアメリカ式「グローバルスタンダード」の押しつけである。アメリカ以外の国々は、せいぜいそれらの「安物の神々」に祈るくらいの努力しか許されないのである。実際に両作品の一シーンでも、イスラム教徒やヒンズー教徒たちは、地球生命存亡の危機に際して、ただ、群れて(安物の神々に)祈るのみであった。しかも、「アメリカはそのことに大きな犠牲を払っている(『ディープインパクト』では多くのアメリカ市民が死に、 『アルマゲドン』でも主役のB・ウイルスは死んだ)」と、言わんばかりである。


▼「もののけの魂幸(たまさき)はう国=日本」

一方、わが東宝の『モスラ3』では、キングギドラの来襲という、これまた地球生命存亡の危機(作品中の説明で「これまで地球で起こった生物の大量絶滅の原因は、その都度、地球に飛来したキングギドラのせいだ」と言っている)に際して、日本国首相の決断はおろか、自衛隊の災害派遣すらない。政府は全くの無策である。国土の上空をキングギドラがわが物顔で飛び回っても全く手をこまねいている。これじゃ、どこかの国が日本の上空に弾道ミサイルを飛ばしても、ノー天気なのは当然である。しかも、人々を拉致してゆくところまでどこかの国の手口と似ているではないか…。ところが、「もののけの魂幸(たまさき)はう国」のありがたさとでもいうか、「天地自然の脅威(キングギドラ)」に対しては、これまた「天地自然の自浄作用」とでもいうか、われわれが頼みもしないのに、生命の星「地球」が生み出したモスラという怪獣が勝手にこれをやっつけてくれるのである。天地自然の脅威の前には、人類の科学技術も全くの無力――というよりは、政治的「無為無策」――である。あれだけ怪獣が大暴れしたのに、奇跡的にも犠牲者は全く出ない(当然、死傷者は出るであろうが、作品中では全く 描かれていない)のである。傷ついたのは、妖精(人間ではない)三姉妹とモスラだけである。ここに、日本文化の特徴がよく出ている。

しかも、三十年程前に作られた映画『大魔神』や現在TV放送中の『ウルトラマンガイア』と同じように、モスラそのものの中に「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」の両方が共存するのである。日頃、穏和な人(神)が、何かの拍子に内在するエネルギーを爆発させて、超人(神)的な力を発揮するのである。ここで大切なことは、決して、その超人(神)は、ユダヤ・キリスト教的な一神教のGodごとき「絶対的超越者」としては、振る舞わないのである。爆発的なエネルギーを放出し終えたら、また元の「柔和な姿」に戻って行くのである。まるで、高天原では「荒ぶるカミ」であったスサノヲノミコトが、怪獣ヤマタノオロチを退治してからは「優しいヒト」になったように…。そこには、人為による自然への挑戦や征服という発想は全く出てこないのである。

地球生命に大量絶滅の危機をもたらすキングギドラの出現に対して、もし「母なる地球」が、モスラを生み出さなかったら、われわれ人類も兄弟姉妹である他の生物たちと一緒に滅びるだけのことである。その後、また新しい生物が出現して、何十億年かかけて新しい人類が生まれる(かもしれない)だけのことである。この日米両国の文化的背景の基本的なスタンスの違いを理解することなしに、いくら政治・経済等の問題を論じたり(交渉したり)しても、ほとんど意味がないことである。というよりかは、正しく理解できないということである。今後とも、「主幹の主観」コーナーにおいて、折に触れて、日米問題について論じてゆきたい。

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