レルネット主幹 三宅善信 ▼主権国家は万能? 今回のエッセイのタイトルが『Time Will Tell』だからといって、今、流行の宇多田ヒカルについての話でないことを最初にお断りしておかなければなるまい。私は今、ニューヨークの国連本部正面にあるWCRP(世界宗教者平和会議)の国際事務局の事務総長室で本文を認ためている。WCRPは国連経済社会理事会カテゴリー1のNGO(国連の諮問に答えたり、問題提起をすることの出来る有数の国連公認の国際的非政府機関)である。WCRPは1970年に京都で設立された。現在、世界数十カ国に支部を持ち、バハイ教・仏教・キリスト教・儒教・ヒンズー教・イスラム教・ユダヤ教・シク教・神道・ゾロアスター教(ABC順番)および世界各地の先住民の諸宗教からの代表者によって構成されるユニークな国際機関である。 冷戦終結以後(実は冷戦前も中もそうであったが)の世界秩序にとって最も厄介な問題が、いわゆる民族・宗教紛争であることはいうまでもない。経済的困難は、時期が来れば好転する可能性があるが、いかに日本の若者が髪の毛を茶髪に染めても、十年間毎日ハンバーガーを食べ続けても、目の色も毛髪の色も変わることがないように、民族問題はいわば、われわれの遺伝子に組み込まれた問題であるといっても過言でない。もちろん、民族問題(人類学的見地から見るると)が数万年から数千年というレンジであるのに対して、宗教問題のほうは、数千年から数百年かかって形成されているので、やや根が浅い(変更可能)かもしれないが、これとて信念や生活様式と直結している問題だけに、ちょっとやそっとのことで変えることは難しい。 これらの問題に比べたら、政治や経済の体制は、数十年から百年が限度である。明治維新以後の大日本帝国もロシア革命以後のソビエト社会主義体制も約70年間で崩壊した。その後の両国の政治・経済体制の激変ぶりを見れば、いかにこれらが薄っぺらいものであったかが判ろうというものだ。このことは、すなわち、現在のアメリカによる世界支配体制やグローバルエコノミーといった考え方も、あることをきっかけにあっという間に瓦解する可能性を秘めているということの査証でもある。 以前にも述べたことがあると思うが、国際政治(この言葉自身、以下に述べる前提に依存しているのであるが)の場における基本的な構成単位は、「主権」国家に帰属している。国連においても、トンガのような人口10万そこそこの小国も、中国のような人口10億を超す大国も、議決の際に、1カ国につき1票を投じるシステムになっていることがなによりの証拠だ。国際社会への影響力という観点から評価をするのなら、NTTやトヨタなどの巨大企業のほうが小国よりも遥かに影響力が大きいし、場合によっては、社員数のほうが一国の総人口よりも大きい場合さえ珍しくない。しかしながら、いかに強大な企業といえども、国連で議席を有することは出来ないし、人殺しをすることも許されていない。主権国家であれば、法律に基づいて自国民を自由に処刑することができるし、場合によっては、戦争という手段に訴えて他国の人々の生命・財産を奪うことすら可能である。もちろん、後者の場合はリスクを伴うけれども…。 そこには、正義なんぞこれっぽっちもない(参照『正義という不正義』)。弱肉強食「勝てば官軍」であることは、第二次世界大戦や湾岸戦争の結果を見るまでもないことである。そう、『ドラえもん』におけるのび太とジャイアンの関係と同じだ。ジャイアンがのび太からおもちゃを取り上げることができるのは、ジャイアンが「正しい」からではなく、「強い」からである。しかも、国際社会には、のび太を助けてくれるドラえもんは存在しない。「弱い」のび太(小国)ができることは、せいぜい、日頃からスネ夫やしずかちゃんと仲良くしておいて(集団安全保障)、ジャイアンにつけいる隙を与えないことくらいのものだ。今回の場合、のび太がセルビアで、米国がジャイアンであることはいうまでもない。 「主権国民国家が万能である」という考え方は、19世紀の欧州において確立された。隣接する諸国家が数百年間にわたって戦争を繰り返してきたことによって淘汰された列強(英仏独伊西蘭等)の国家間の約束事である。20世紀も終ろうとしている現在においても、国際社会における基本的なルールはこの中にある。そう、文字どおり「Inter-National(国と国の間)」である。しかし、このルールを無制限に信用してよいものだろうか? という疑問が、常に私の頭の中にある。 私は、大学生当時(70年代末)に、当時は揺るぎないものと信じられていたソビエト社会主義共和国連邦体制の今世紀中の崩壊を公言していた。もちろん、社会主義経済体制の非効率を指摘する(西側との競争に負ける)意見は以前から多くあったが、私の主張はこうであった。世界史上最大の版図を誇り、15の構成共和国と100を超す少数民族を抱えた「陽の没することのない帝国」であるが故に、これらの歴史的民族的背景の異なる人々をいかにしてまとめて行くのか? さらには、連邦の盟主であるロシア人(民族的にはスラブ系・宗教的にはギリシャ正教系)の人口がほとんど増えていないのに、中央アジアの諸民族(民族的にはトルコ系・宗教的にはイスラム系)の地域の人口が、文字どおり「産めよ。殖えよ。地に満ちよ」で爆発的に増加しつつあり、三十年も絶たない内に、ソ連内の人口構成が、支配民族であるロシア人(白人・キリスト教系)優位からトルコ人(モンゴロイド・イスラム系)優位に逆転するのが明白であったからである。因みに、私の大学院での研究テーマは『宗教儀礼の機能的研究:ロシア正教の場合」であった。 ▼ギリシャ→ローマ→トルコ→社会主義→? さて、いよいよ本題の「コソボ問題」である。コソボ問題については、連日報じられているので、今更、説明するまでもないが、話の前提として必要最小限の歴史的背景を説明しておこう。第二次大戦後四十数年にわたってチトーという卓越した指導者(独裁者)の統治によって、近世以来「バルカンの火薬庫」と呼ばれ紛争の絶えなかったこの地域(ユーゴスラビア連邦)の平和が保たれてきた。ところが、80年代末に、チトー大統領の死と東欧社会主義体制の玉突き的崩壊という不幸(当時の西側世界の人々は、これを西側の勝利=幸福と考えていた)がこの国を襲った。当時、ユーゴスラビア連邦を構成していた共和国は以下の6カ国である。北西(西欧から距離の近い)から順に、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・セルビア・モンテネグロ・マケドニアの各共和国である。もちろん、連邦の盟主(ソ連におけるロシア共和国の地位)は、首都ベオグラードを擁するセルビアである。セルビアもユーゴスラビアも名前からして「スラブ民族系の国」である。それ故、今回のNATO軍によるコソボ空爆に対して、同じく「スラブ系の国」であるロシアが強硬に反対しているのである。考え様によっては 、社会主義時代の「イデオロギーによる同盟」よりも、米英両国と同様「血の同盟」のほうが結束が固いのかもしれない。
しかも、話は、キリスト教対イスラム教という二者択一的な要素だけではなかった。イスラム教徒がこの地域に侵入する以前に、ローマ帝国が東西に分裂し、ローマを帝都とする西ローマ(ラテン)帝国と、コンスタンチノープルを帝都とする東ローマ(ビザンチン)帝国が、それぞれ2つの異なったキリスト教を国教として受け入れた。すなわち、ラテン帝国はローマ・カトリック教 会を、ビザンチン帝国はギリシャ正教会をという具合にである。5世紀、ゲルマン民族の大移動によってラテン帝国は崩壊するが、カトリック教会は、「森の野蛮人(ゲルマン)」たちを巧みに改宗させることに成功し、自分たちの影響力の及ぶ地域をヨーロッパの北の果てスカンジナビアまで広げるのである。ゲルマン民族の盟主フランク王国(後の神聖ローマ帝国)との巧みな共生戦略によって、以後、宗教改革期まで一千年間にわたって、カトリック教会の首長は「ローマ教皇」として西欧世界に「唯一至高の権威」として君臨するのである。 一方、東のビザンチン帝国においては、15世紀のオスマン・トルコ帝国の成立までの長きにわたって、皇帝が教会の首長を兼ねるという政教一致体制が採られ、独自のローマ帝国を形成する。その後、徐々に黒海沿岸(現在のウクライナ付近)の「野蛮人」であったスラブ系民族のルーシ(Russiaの語源)たちに、ギリシャ正教会は受け入れられつつあった。当初、ビザンチン帝国の人々が彼らをいかに見下げていたかは、彼らを「スラブ=Slave(奴隷)」と名付けていたことからも明らかである。この辺りの感覚は、自らを世界文明の中心「中華」と考え、周辺の諸民族を「東夷・南蛮・西戎・北狄」と見下げていた漢民族(現在でも、自分たちを「中国」と呼んでいる)のそれとよく似ている。ビザンチン皇帝からいえば、帝国の首長を兼ねないローマ教皇や教会の首長を兼ねない神聖ローマ帝国の皇帝は「格下」の存在であった。 イスラム勢力の侵入によって帝都を奪われた(伝統あるコンスタンチノープルは、イスタンブールと名前を変えさせられた)後は、ビザンチン最後の皇帝の姪を后に迎えていたスラブ系のモスクワ大公が、シーザー(Caesar)以来千数百年続いたローマ帝国の正当な後継者として、モスクワを「第三のローマ」としてロシア皇帝を名乗り、遥か20世紀初めのロシア共産主義革命までこの体制が続く。ロシアの皇帝が自らを「ツアー(=Caesar)」と名乗っていたことからも、ローマ帝国の後継者を自認していたことの査証である(20世紀まで続いたドイツ(神聖ローマ帝国の後継者)の皇帝も自らを「カイザー(Caesar)」と名乗っていた点が興味深い)。 このような二千数百年にわたる民族の興亡が交錯した地域が、20世紀のユーゴスラビア(旧ユーゴ連邦)である。イタリアの隣国である北西のスロベニアとクロアチアは主にカトリック教徒が多く住み、経済生活レベルも高い。中央部のボスニアはイスラム教徒が多く、北東のセルビアと南のモンテネグロ(現在、この両国のみで「新ユーゴスラビア連邦」を構成している)では、セルビア政教徒が多く住む。南東のマケドニアには、ギリシャ正教徒が多い。 ところが、チトーの民族宥和政策によって、ユーゴ連邦の盟主であるセルビア人が数多くこれらの諸構成共和国に移住したことから、旧ユーゴ時代は、各地で支配民族として幅を利かせていたセルビア人たちが、連邦解体に伴って、各共和国において逆に「少数派」の立場に貶められるという事態が生じる。セルビア人以外の諸民族にとっては「積年の恨み」を晴らすチャンスであるが、「少数派」になったセルビア人たちは、すぐ隣にある母国セルビアに「援軍」を求めることになる。当然、旧盟主セルビアの軍事力はこの辺りでは突出しているから、昨日まで「隣人」として平和に暮らしていた人々同士が血で血を洗う「内戦」を展開することになる。この辺りの構造は、スターリンの民族融和政策によってロシア人が旧ソ連邦各地に移住したが、ソ連邦解体に伴い、各地で彼らが「少数派」になったこととよく似ている。 ▼「内戦」には無力な国連 旧ユーゴ連邦の解体(盟主セルビア側からいうと、依然として連邦は維持されている)によって、真っ先にイタリアに隣接したスロベニアが「連邦離脱(独立)」し、続いて、クロアチアが離脱しようとしたときに、これを阻止しようとするユーゴ連邦軍(セルビア軍)とクロアチア共和国軍が戦ったが、こちらは比較的短期間で収束し(クロアチアがカトリック国であったため、西側の支援が大きい)た。しかし、セルビア系・クロアチア系・イスラム系が勢力を三分するボスニアヘルツェゴビナでは、古代中国の『三国志』同様、内戦は泥沼化し、国連事務総長特別代表として明石康氏が赴任しても収束しなかったことは記憶に新しい。 明石氏の当地(アメリカ)での評価は「晴れ(カンボジア)のち雨(旧ユーゴ)」である。異なった価値観を持つもの(ポルポト派VSシアヌーク派VS親ベトナム派)同士の意見の調整を中心に行われたカンボジアでの仕事は、このアジア的曖昧さが功を奏し(初めからポルポト派を「悪者」と決めつけたら、彼らは交渉のテーブルに着かない)したが、欧米的「白か黒か」というスタイルの旧ユーゴにおける対決型交渉では、明石氏の曖昧さ(初めから「セルビアを悪者」と決めつけないで交渉に当たる)に対して、アメリカが痺れを切らして国連本部に圧力をかけ、同氏を「解任」したことからも明らかだ。もちろん、これは「善し悪し」の問題ではなく、「文化の違い」の問題である。 以上のような背景を理解していただいて、いよいよ「コソボ紛争」に話を進める。コソボ自治州は、セルビア共和国の南端(モンテネグロ共和国の東側)に位置し、民族的には、隣国(南側)のアルバニア系住民が大半を占めている。歴史的には、セルビア人の故地であるが、オスマン帝国時代にアルバニア人が多数居住するようになった。アメリカの主張に従うと、この地域において、「支配民族であるセルビア人(少数派)治安部隊が、被支配民族である無垢(innocent)のアルバニア人(多数派)住民を組織的に虐殺している」というのである。そして、その虐殺を止めさせるために、世界の警察であるアメリカを中心としたNATO(北大西洋条約機構=冷戦期、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構に対抗した集団安保体制)が「コソボ内戦」に介入した訳である。 米ソ両超大国という重しが取れた冷戦後の世界は、人々の平和への願いに反して、かえって地域紛争の数が増え、これに伴う非戦闘員の被害者数も急増した。この事態に対して、そもそも、第二次世界大戦当時の日独伊三国同盟に対抗するために米英仏中ソの5カ国連合を中心に結成された国連(200の加盟国を有する現在でも、この5カ国が安保理の常任理事国として強大な特権を有している)は、大きな曲がり角に来ている。主権国家を構成単位とする国連は、主権国家間の戦争(例えば湾岸戦争)には有効な抑止力として存在するが、主権国家内の紛争=「内戦」にはあまりにも無力である。安保理に調停を持ち込む「当事者」が国際法上存在しないからである。当該国政府(少数派住民を弾圧する側)は、これを「当該国の内政上の治安維持問題」と主張し、国際社会がこれに介入することを「内政干渉だ」として拒否する(国内的には多数派であるが、国際的には少数派になることが目に見えている)からである。 現在の国連体制では、たとえ北京政府が台湾(G7はじめほとんどの国は「中華人民共和国を唯一の中国政府」と認め、「中華民国=台湾は中国の一地方」に過ぎないとしている)を武力統一したとしても、国際法上は文句を言えないことになっているからである。いわんやチベットをやである。現実には、全く民族や言語の異なった人々が何千万と暮らしているのに…。こんな理不尽が通用するのも、現存の主権国家を何よりも優先する国際法のシステムだからである。おまけに、中国は国連の常任理事国だ。NPT(核拡散防止条約)体制でも、この5カ国の核兵器所有は認めながらも、他の諸国は、所有はおろか開発のための核実験すら認めないという極めて不平等な扱いだ。 ▼空爆ほど卑怯な戦法はない 再び「コソボ問題」に話を戻そう。この地で、米国を盟主とするNATO軍は、その圧倒的な軍事力を背景に、2週間以上にわたって巡航ミサイルやステルス爆撃機を使ってセルビア各地を「空爆」している。こちらのテレビを視ていると、24時間ぶっ通しで「コソボ危機(crisis)」特集が組まれ、ペンタゴン(国防総省)やNATO軍のスポークスマンが誇らしげに「昨日のピンポイント攻撃の成果」の映像を紹介しているが、爆音はもちろんのこと、爆撃による灼熱や焼け焦げる臭いも伝わらない「ビデオゲームの画面」のごとき映像をアメリカ人はどういう感覚で楽しんでいるのであろうか? 空爆によって殺された人たちの姿はもちろんのこと、傷ついた人の呻き声や肉親を失った人の泣き声は見事にスポイルされている。死体が映るのは「セルビア人によって虐殺されたアルバニア系住民」というキャプション付きの画ばかりである。明らかに、意図的な映像である。こんなもの誰が殺したのか判りやしない。まさに「死人に口無し」である。NATO軍が殺していないなどと誰が証明できるのか? しかも、NATO側は自分たちの空爆を正当化するために、「攻撃はセルビア軍の軍事施設や通信施設や交通の拠点に限られ、一般市民の住居には決して攻撃を加えていない」と主張しているが、「通信施設や橋の下に民間人がいなかった」と誰が言い切れるのか。セルビア側は、NATOの偽善を逆手にとって、ベオグラード市内の橋の上で「人間の盾」作戦のロックコンサートを開催する。このコンサート(爆撃で命を失うかもしれない)に一般市民が多数参加することからしても、ミロシェビッチ大統領が米国の言うような「独裁者」でないことは明らかだ。これからアメリカに攻撃された国はすべて、CNNの特派員にテレビ中継をさせて「人間の盾」作戦を取ることだろう。もし、これを攻撃すれば、アメリカの偽善の化けの皮が剥がれるからである。 空爆だけでは決定的な成果が得られないことは、イラクで何度も実証されている(依然としてフセイン政権は健在だ)ではないか。本当に戦争を終らせる気があるのなら、第二次大戦の時にそうしたように、地上軍を派遣して相手の首都を制圧するしかない。にもかかわらず、米国が地上軍を派遣しないのは、アメリカ人が傷つくことによる世論の厭戦気分を恐れている(ベトナム戦争の負の遺産)からである。こんなおかしな話はない。ワシントン(合衆国政府)は、アメリカ人の命とセルビア人の命の重さに差があると思っていることは明らかだ。これを人種差別と言わずに、何を人種差別というのだ。本当に、自分たちの信念に自信があるのなら、地上軍を派遣すべきである。傷つき合った敵味方の呻き声の聞こえる場所で、できれば、銃火器などの「飛び道具」は御法度にして、刀剣かなにかで相互に殺し合って、それでもなお「命を懸けても守るべきものだ」という信念のあるときのみ、戦争という行為は許されるべきである。 そもそも、米国は都市への空爆を受けたという経験がない国である。国中焦土と化し、原爆の洗礼まで受けた日本はいうまでもなく、ドイツも徹底的な爆撃(当時の爆撃はもちろん軍事施設へのピンポイント爆撃などではなく、都市を焼き尽くす無差別絨毯爆撃であった)を受けた。戦勝国である英国ですら、開戦当初はドイツ軍機による爆撃ならびにV2ロケットによる攻撃を経験している。それに引き換え、アメリカ人が爆撃らしいものを経験したのは1941年12月 7日の大日本帝国海軍連合艦隊による「真珠湾攻撃(もちろん、これは軍艦や軍事施設のみを狙ったピンポイント攻撃である)」の一回のみである。 しかも、つい最近植民地にしたばかりのアメリカ本土から遠く離れた太平洋上の小島である。当時のハワイには、白人よりも日本人や中国人それに先住民たちのほうが遥かにたくさん居住していた。ワシントンの政治家にとっては、痛くも痒くもない。日本攻撃のための「絶好の口実ができた」とほくそえんだことだろう。もし、あの時、連合艦隊が、真珠湾のようなけち臭い軍事施設などではなく、アメリカ本土のしかも東海岸のニューヨークやワシントンに一発でも爆撃を加えていれば、たとえ日本の敗戦が変わらない事実であったとしても、アメリカ人の空爆に対する感性は、現在のそれとは異にしていたであろう。「国防総省(ビルの形が5角形のことからペンタゴンを呼ばれている)」などというもっともらしい名前を付けているが、アメリカの戦争はすべて、攻撃のための外地での戦争である。外国の軍隊が米国本土に攻め込んだのは、二百年以上前の「独立戦争」の時だけだ。そんな歴史を持つアメリカ人に、「爆撃されることへの痛みを知れ」ということ自体、どだい無理な注文かもしれない。 来る4月11日は、ギリシャ正教(もちろん、セルビア正教もこの流れに属する)のイースター(復活祭)である。このキリスト教徒にとって最も神聖な宗教行事を前に、ミロシェビッチ政権は「停戦」を提案することであろう。しかしながら、NATOがこの提案を蹴ることは目に見えている。ベトナム戦争当時に、米国は、自分たちのクリスマスには停戦を持ち掛けたのに、ベトナム人最大の宗教・民俗行事であるのテト(旧正月)には逆に攻撃を強めた。ここら辺りの構造は、古代ローマ帝国がイスラエルを侵略するのに、ユダヤ人の安息日(一定以上の距離を歩いてもいけないほどの徹底した戒律がある)を選んで攻撃したのと同じ構造だ。最近では、昨年12月のイラク空爆が、イスラム教徒の聖なる断食月であるラマダン(1ヵ月間、太陽の出ている間は食事はおろか一滴の水を飲むことも許されない)突入直前のタイミングを選んで行われた。これを卑怯と呼ばずに、何を卑怯と呼ぶのか。 ここには、自分たちの信奉する価値観(政治体制でいうならアメリカ型民主主義、宗教でいうならカトリックとそれから派生したプロテスタント)以外の価値観に対して、驚くほど耳を貸そうとしない国家がアメリカである。日米経済摩擦の時でも、彼らが使う用語は「制裁」であった。イラクの核開発疑惑の時も「査察」であった。これらの態度の前提には「常にアメリカは正しい。態度を改めるべきは相手国だ」という姿勢が見え見えである。「交渉する」という姿勢は初めからない。文字どおり「片手にオリーブ、片手に矢(合衆国大統領の紋章は、白頭鷲がオリーブの枝と矢を掴んでいる)」である。言うことを聞かない連中は容赦なく「退治」する。初めから「白黒」がハッキリしているのである。後は、自分たちの主張が「正しい」という適当な理由を付ければいいだけだ。 私は、アメリカ合衆国というとんでもない「Leviathan(怪獣)」が、ソ連のように一刻も早く世界地図から消えてなくなることを望むものである。この「Super Power (超大国)」の存在は、世界中の諸民族にとって迷惑であるだけでなく、地球環境の面からも有害な存在だ。最初に述べたように、国家体制や経済システムの耐用年数はせいぜい百年が限度だ。それに比べて、宗教や民族ははるかに息が長い。現在のユーゴ情勢も、文字どおり「Time Will Tell」である。宇多田ヒカルの歌のように、「time will tell.時間が経てば判る。cry 今の言い訳じゃ自分さえごまかせない。time will tellだからそんな焦らなくたっていい。明日へのずるい近道はないよ」という、彼女の歌詞を最後に、今日のところは筆を置きたい。 |