続ガメラ3:怪獣は地球環境維持装置だったのか?     
             
1999.4. 15

レルネット主幹 三宅善信

2週間のお待たせである。ニューヨークとバンクーバーを大急ぎで廻ってきた。帰国後も超多忙な日程が重なり、途中切れになっていたお約束の『ガメラ3』の後半を認ためることにする。


▼わたしはガメラを許さない!

前回は、「ガメラ映画」の歴史的背景などを述べているうちに時間切れとなったので、『ガメラ3:邪神(イリス)覚醒』の主なストーリーのうち、@1999年、地球規模の異常気象によって世界各地で人間を喰う怪鳥ギャオスが大量発生する。までしか解説できなかった。

今回は、前回の分類に従って、A深海調査船「かいこう」が日本海溝の深海底で「ガメラの墓場」が発見される。B数年前、ガメラが東京に出現した時の都市破壊で両親が死亡した少女比良坂綾奈が、奈良県の山村に住む親戚に引き取られている。C古代以来の災い「柳星張(=南斗七宿のうち、「柳」は頭、「星」は赤い南斗の守護神、「張」は翼を広げた姿を意味することから、「四神獣」のうち「朱雀」を意味すると考えられる)」を封印してきた「玄武(亀型の石=北斗七宿の守護神)」を祀る洞穴が少女たちによって荒らされる。D渋谷上空にギャオスとガメラが飛来し、激闘を展開。街が大破壊される。E日本政府部内に巨大生物(ガメラ・ギャオス)対策審議会が設置される。F少女綾奈は、洞穴で封印を解かれた卵から孵化した生物(ギャオスの変異体?)に「イリス」と命名し、これを飼育し始める。G内閣安全調査室に所属する妖艶な美女朝倉美都が、推測統計学者でゲームソフト作家の倉田真也と共に、なぜガメラが日本にばかり来襲するのか?ギャオスとガメラの関係は?等の謎解きを始める。H急激に成長したイリスは、「ガメラ憎し」の感情で凝り固まる少女綾奈の意識と同化し、強大な怪 獣となる。I怪獣イリスの出現によって、自衛隊の攻撃目標がガメラだけでなくイリスも含まれることになる。J公安関係者に連れ去られた綾奈を追いかけてイリスが京都に出現、これを追いかけてガメラも京都に飛来。K巨大な新京都駅ビルを舞台にガメラとイリスが激闘の末、朝倉と倉田はバトルに巻き込まれて死亡。Lガメラによって助けられた綾奈はガメラの行動(破壊と殺戮)の真意を知る。という、この映画全般の解釈に挑みたい。

Aの深海調査船「かいこう」が日本海溝の深海底で「ガメラの墓場」が発見したことの意味については、映画の最後の部分で真相が明かされるので、ここでは解説は差し控えたい。ただ、深海底に整然と並んだガメラの甲良は、なんとも不気味な存在で、映画の伏線としては結構いけている。


日本海溝にあるガメラ墓場
さて、Bは地球環境問題と並ぶこの映画のもうひとつのモチーフだ。今回の作品では、予告のコマーシャルでも、主役の少女比良坂綾奈が「わたしはガメラを許さない!」と絶叫していた。この台詞に、私も含めて多くの観客が映画館に足を運んだのだ。この惹句(じゃっく)は、30年間にわたるガメラシリーズの前提、「ガメラは人間(特に子供)の味方である」という大原則をぶち破っているのである。私も、そして同年代の脚本の伊藤和典氏や金子修介監督も抱き続けていたであろう怪獣映画の根本に関わる疑問。すなわち、たとえガメラが「正義(人間の側の論理であるが)の味方」であったとしても、巨大な怪獣同士が大都市で闘えば、大惨事になるということである。「畜生の怪獣」でなくとも、人間以上の知恵を持つと考えられるウルトラマンですら、怪獣と闘う際には、たとえそれが彼の本意でなかったとしても建造物をぶっ壊してしまう。そうすると、その建物の中にいた人は、結果的には、正義の味方であったはずのウルトラマンやガメラに「殺された」ということになってしまう。たとえ、その行為が「人類全体を助けるための止む終えない小さな犠牲」であったとしても、その闘いで大切な家 族を失った人から見れば、ウルトラマンやガメラは「憎むべき宿敵」ということになってしまう。この辺の構造は、NATO軍のセルビア空爆と論理構造が似ている。

数年前、ガメラが東京に出現した時(平成のガメラ第1作『大怪獣空中決戦』95年)のギャオスとの闘いによる都市破壊で両親を一度に失った綾奈(当時は小学生)は、弟と一緒に奈良県の山村に住む親戚に引き取られ、肩身の狭い思いをして暮らしている。当然のことながら、綾奈はガメラを憎んでいる。そう。これがこの作品の怪獣映画に対するひとつの答えであり、作品のリアリティの源泉でもある。


▼「玄武」と「朱雀」

Cさて、ここで物語の舞台は奈良県の山村に移る。多感な思春期を迎えてもどこかに陰があり、田舎での生活に馴染みきれない綾奈は、同級生たちのいじめに遭う。そこで、肝試しをさせられ、その村に古くより伝わる「社の沢」の禁断の洞窟に入り、中にある「甲羅」状の石を持ってくるように命令される。いじめによる綾奈の危機は、彼女に思いを寄せる同級生守部龍成(小山優)によって助けられる。しかし、この守部少年こそ、この村で数十代にわたって洞窟の祠を守っていた(守部という姓が端的に表している)一族の子孫であった。

心の許せる友達のいない綾奈は毎日その洞窟に通い、洞窟内で孵化した謎の生物を「イリス(ガメラに両親もろとも踏み殺された飼い猫と同じ名前)」と名付け、これに餌を与え、これと心を通わせるようになる。Fこのことに不安を感じた守部少年は、村の長老である祖母に洞窟の祠の由来を聴き、同時に、守部の家の継承者として将来を託される。少年の祖母によると、その洞窟は、古(いにしえ)より、大きな災いをもたらすものと恐れられてきた「柳星張(=南斗七宿のうち、「柳」は頭、「星」は赤い南斗の守護神、「張」は翼を広げた姿を意味することから、「四神獣」のうち「朱雀」を意味すると考えられる)」の力を「玄武(亀甲状の石=北斗七宿の守護神)」の力によって封印してきたのだと知らされる。綾奈が心を通わせている生物が恐しい柳星張(イリス)だと知った守部龍成(名前からして、東方の四神獣「青龍」と何らかの関係があるのかもしれない)は、慌てて「社の沢」の洞窟へと向かうが、既にイリスの姿も綾奈の姿も無くなっていた。

平成のガメラ第1作では、少女草薙浅黄(これも皇位の象徴「三種の神器」のひとつである「草薙の剣」が名前に入っている)が「勾玉(まがたま)」を使ってガメラと心を通わせた。また、第2作『レギオン襲来』(96年)では、ガメラは宇宙怪獣レギオンを倒すために、地球全体から生命エネルギー「マナ(オセアニアに伝わる万物に宿る超自然的な力)」を集めて巨大なプラズマ火球とし、決戦地であった仙台を都市ごと吹き飛ばした。このように、平成のガメラシリーズでは、アニミズム的世界がひとつの重要な背景となっているのである。観客は、古代中国において東西南北の四方を守る「四神獣(明日香村の高松塚古墳の壁画にも描かれていた)」を想起し、南方の朱雀をギャオスに、北方の玄武をガメラに、と勝手に感情移入をさせるのである。なにしろ、昨今の「風水」ブームも手伝って、多くの人が「二十八宿」や「四神獣」についての知識を持っているから…。しかも、ガメラを憎む綾奈とイリス(ギャオスの変異体と考えられる)が一体化する(遺伝子交換を行う)という、これまた流行(『パラサイト・イヴ』や『X-ファイル』などでお馴染み)の遺伝子工学の知識も織り交ぜて、見応えのあるものにし ている。
 

綾奈を抱擁する幼体イリス
D渋谷上空にギャオスとガメラが飛来し、激闘を展開。街が大破される。は、怪獣映画としての観客へのサービス。やはり、ミニチュアの大都市を破壊しなければ怪獣じゃない。当然、そのことによって、かつて綾奈の両親が犠牲となった事件が観客に彷彿される。ここで、面白いのが、Eの日本政府部内に巨大生物(ガメラ・ギャオス)対策審議会が設置される。という件である。私は、昨年末、『モスラ3:大量絶滅物語にみる日米格差』におて、「モスラとキングギドラが日本の上空をわが物顔に飛び回って相当な被害が出ているのに、日本政府は全くの無策であるのが不思議だ」と論じたが、『ガメラ3』においては、制作中に「テポドン騒ぎ」(『とんだミサイル威嚇』)などがあったからか、あるいは、この度の「不審船騒動」(『タイミングが良すぎる不審船騒動』)を予期したのか、わが自衛隊は果敢にも、新「ガイドライン(日米安全保障協力の指針)」の運用第1号とでもいうか、航空自衛隊 のF15戦闘機がスクランブル発進し、陸上自衛隊はガメラめがけてパトリオットミサイル(湾岸戦争の時に、イラクのスカッドミサイルを迎え撃って名を馳せた米製の地対空ミサイル)まで実際にぶっ放す(映像は海外で行われた自衛隊の実戦演習時のもの)。数カ月の間に、自自連立の日本政府の方針はえらい右旋回だ。しかしながら、政府部内でこれに当たるのが「巨大生物対策審議会」という当たり、いかにも役所仕事らしくていい。



▼人類・ギャオス・ガメラの三角関係

G内閣安全調査室の朝倉美都と推測統計学者でゲームソフト作家の倉田真也は、この話のいわば「解説役」である。この二人はどちらももうひとつの顔を持っている。どうやら二人とも、守部少年同様、古代から続くカミ(地球の生命力=マナ)を祀る特別の家系の末裔らしい。倉田の主張はハッキリしている。地球全体の生命にとって、人類はいわば「癌細胞」のごとき存在であり、「人類が滅亡することが最善の解決策だ」と信じている。この当たりは、ウルトラマン=ガイアにおける青年藤宮(もうひとりのウルトラマン=アグルに変身する人物。人類を地球の敵だと信じている)と同じ役割だ。温室効果ガスによる異常気象(地球温暖化)と、宇宙怪獣レギオンを倒すためとはいえガメラが地球上のマナを一度に消費っしてしまったことにより、地球の生態系バランスが崩れ、世界各地でギャオスが大量に発生したというのだ。ギャオスはいわば、殖えすぎた人類の数を調節し、地球全体の生態系のバランスを保つために「母なる地球」が生み出した「環境維持装置」だったのだ。天敵ギャオスの襲来の前には、人類の文明はあまりにも無力である。

ならば、なぜ、その「地球の意志」ともいうべきギャオスをやっつけるガメラという怪獣が存在するのか?そもそもガメラとはいったい何者なのか?人類の敵なのか、味方なのか? そこで、最初の日本海溝の深海底に眠る大量の巨大な甲羅(ガメラの墓場)のシーンが思い出されるのである。朱雀に対する玄武のように、ものごとには必ず、相反する作用があるという考え方である。朝倉によると、ガメラは、ギャオスによる殺戮を恐れた古代人たちが創り(祈り)出した「反ギャオスの器」である。アニミズムやシャーマニズムといった素朴な世界に生きていた彼らはまた、マナの力を利用することができたのである。人類の長い歴史の間に、何度もガメラが創り(祈り)出されたのである。それが日本海溝にあるガメラの墓場であり、また、たびたび日本にガメラが来襲する原因でもあったのである。人類・ギャオス・ガメラの相互関係は、地球の生命力マナを中心に回る「三つ巴」の構造だったのである。

それでは、「器=神道でいう依代(よりしろ)」とは何か? アニミズムの世界では、精神(Spirituality =霊性)も物質を離れた抽象的な観念としてではなく、その受け皿としてのモノ=器が必要である(『忍れどいろにいでけり…』参照)。もちろん、人間も器になりうる。古典文学には「もののけ」に憑かれた人物が頻繁に登場する。このモノについて書かれた話が「ものがたり」である。憑依体験を頻繁に有する人物が「恐山のイタコ」のようなシャーマンである。人間という器はすこぶるキャパシティが大きいらしく、動物や死者の霊だけでなく、宇宙の親神のごとき巨大な存在すら一人のひとの体内に入り込みうる。天理教の教祖中山みきなどはその典型例である。天保9(1838)年、親神「天理王命」は、大和の国山辺郡(大和朝廷発祥の地と言われる三輪山麓の石上神宮のあたり)の農家の主婦中山みきの身体を「神のやしろ」として貰い受ける(天理教の立教)のである。そして、中山みきは全人類の「をやさま」となるのである。大本教祖の出口なおも同じようなパターンである。どうやら、卑弥呼以来、女性は「神の器」に適しているらしい。

空を飛ぶイリス

▼「禍津日神」と「直日神」

ここからがこの映画のクライマックスである。H急激に成長したイリスは、「ガメラ憎し」の感情で凝り固まる少女綾奈の意識と同化し、強大な怪獣となる。I怪獣イリスの出現によって、自衛隊の攻撃目標がガメラだけでなくイリスも含まれることになる。J公安関係者に連れ去られた綾奈を追いかけてイリスが京都に出現、これを追いかけてガメラも京都に飛来…。これまでの怪獣映画の常識は、怪獣は大抵、東京その他の近代的な大都市に現れて、人類文明を嘲笑うかのように、超高層ビルやドーム球場などの大規模建造物をぶっ壊すのが常であるが、今回の『ガメラ3』は、こともあろうに、日本の諸都市を焼き尽くした太平洋戦争時の米軍ですら爆撃を躊躇った「世界文化遺産」都市である京都をその闘いの場に選ぶのである。多くの神社仏閣の並ぶ古都京都を破壊して、ガメラに神仏の祟りはないのだろうか?と、思わず心配してしまった。しかしながら、今回の作品が「風水」の説に従って展開しているのなら、歴史においても、奈良の都から平安京へと遷都されたように、北方の守り神「玄武」の象徴であるガメラは京都で闘うことになる。

そういえば、古都京都にも近代文明の象徴があった。「景観論争」を経て、97年秋に完成した巨大な(ガメラとイリスが建物の中で暴れることができるくらいの空間を有している)JR京都駅ビルがあった。人類文明を嘲笑うように破壊する対象物としては絶好のターゲットだ。面白いことに、映画の中では破壊しつくされたはずの京都駅ビルにおいて、洒落っ気満点の『大ガメラ展』が春休み期間中開催されており、もちろん、私も観に行ってきた(ガメラと2ショットのプリクラも撮った)。JRもなかなか商売上手だ。この京都駅でのガメラとイリスが死闘に巻き込まれて朝倉と倉田は死亡する。自ら「地球の意志を体している」と信じていた彼らを「地球の意志」は選ばなかったのである。死ぬ間際に、朝倉美都は「われは禍津日神(まがつひのかみ=災いをもたらすと考えられている神道のカミ)を浄化する直日神(なおびのかみ)の器とならん」と、自らの使命を天に向かって絶叫し、雷に打たれる。
 

京都駅にて筆者が撮影
ガメラはイリスを壮絶なバトルの末、倒した。独り生き残った少年守部が見たものは、ガメラがイリスの体内から吸収同化されかかっていた少女綾奈を抉り出す場面であった。あれだけ天井から雨霰と壊れた鉄骨が降ってきたのに、不思議や守部は無傷。そして、激闘の末、倒されたイリスの体内から出てきたガメラを憎む少女綾奈も無傷。これを「地球の意志」と言わずに、何を地球の意志というだ。人類文明の奢りの象徴である巨大建造物はいうまでもなく、日本文化の集積である京都の神社仏閣さえも、「地球の意志」を体現するガメラの前には、何の価値観も持たないちっぽけな存在であった。したがって、ガメラがギャオス(その他の怪獣)と闘う時には、そこに人間がいようといまいと、また、その人間がガメラのことを好意的に思おうと思おまいと、ガメラにとっては何の意味もないこと(したがって、ガメラを恨むのも、ガメラに期待するのも間違っている)であった。人為を遥かに超えた「地球の意志」を垣間見ることができた少年守部と少女坂綾奈が新しい(地球の意志を体した)人類の「アダムとイブ」になるということを予感させながら、イリスを倒したのも束の間、世界中からギャオスが ガメラのいる日本に向かって襲来してくるというシーンで、「平成のガメラシリーズ」は幕を引いている。
 


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