“もの”随想
京都大学大学院人間・環境学研究科
永原 順子 28歳 j54804@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp
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“もの”のつく言葉、例えばもののけ。数年前ならば、この言葉はひっそりと闇の中にその姿を沈めていたであろう。しかし、みなさんもご存知の通り、かの宮崎駿による映画『もののけ姫』によって、一躍闇の世界より光の世界と登場することとなったのである。
先日、宗教学会第57回学術大会が京都の龍谷大学で行われたが、そこで、明治学院大学の谷口先生が“もののけ考 〜『源氏物語』から『もののけ姫』へ〜”というテーマで発表された。
『もののけ姫』のテーマは非常にわかりやすく、つまり、よく話題とされる“人間と自然(森)との共生は可能か”である。しかし、それをアニメーションで大衆に向けて描ききったものはなかなか例を見ない。また、観客層が複雑であった。アニメーションといえば、若者の専売特許で、映画館は若者であふれるかと思いきや(先生も映画館に踏み込むまではかなりの勇気が必要だったらしい)、老若男女あらゆる年齢層の人々が映画館に詰め掛けた。しかも御覧になった方ならばおわかりだと思うが、一度見ただけでは映画の趣意がのみ込めず、くり返し観に行く、つまりリピーターをつくり出した。一般大衆に宮崎氏は先程のテーマをぶつけ、それに日本人が見事に答えた形となったのである。人と自然との共生は人類の永遠のテーマであり、『もののけ姫』を観たとき、卑弥呼の時代からワープした感覚を覚えたと先生はおっしゃる。
また『源氏物語』を授業で扱ったおり、登場人物の人気投票をやると、紫上でも、藤壷でもなく、六条御息所であった。一人の学生に理由を聞くと、紫上やその他の人物は“わかる”が、六条は“わからない”。その辺がとても興味深い、というものだった。古来から人間がつきあってきたもののけは、戦後合理主義のもとですっかりなりを潜めていたと思ったら大間違いで、実は人々の心の中に生き続けていたのである。
以上が谷口先生の発表要旨である。その部会では先生の発表が最後だったので、発表後、2,3人の先生方とお話させて頂いたところ、民博の中牧先生よりもののけともののふについてちょっと書いたことがあるとのお言葉があり、後日光栄にもそのコピーを送って頂いた。“もののけ”を退治するのが“もののふ”。“もの”をよく知っていなければ、ものに対抗することはできないから、そういう輩を“もの”知りと言い、これもまた“もののけ”を退治する祈祷師や修験者をさすのでは、と主張される。居酒屋談義であったご様子で、気持ちが大きくなってつい、と書いておられたが、なかなかどうして鋭いご指摘であると思う。
閑話休題、適度のお酒というものは人を饒舌にする。それによって座に加わっている人々の想像力がかきたてられ、すばらしい学説を産み出す結果に結びつくこともあろう。確か、利根川進先生が、ノーベル賞受賞の際、京大のロケーションについて次のようにおっしゃっていた。いつまで飲んでいても下宿生が大半であるから(自宅生もそのどこかに転がり込む)終電を気にせずとも良い、だから、気の置けない者同士で、心ゆくまで談義ができる。話のほとんどは他愛も無いものであるが、少なくともそういう環境が思考能力を柔軟にしてくれた。と。素面では言えないような大胆な発言をお酒は可能にしてくれる。ただし、再度言わせていただくが、"適度のお酒"である。 随分話がそれてしまった。もののけである。こうしてみると、もの思い、もの寂しいなどにはじまり、“もの”に関する言葉は非常に多く、日本文化に染み込んでいる。“もの”は我々の生活の奥深くひそんでいるのである。
ここで、筆者の研究テーマである能における“もの”を取り上げてみたいと思う。能の主役はシテ、それに対する人間(観客)代表の立場にあるのがワキである。ワキは大抵が旅の僧で、シテの話を聞き、時には彼等から成仏させてくれと頼まれることもある。
「モノは「諸国一見の僧」に託して語る。語りは、巫俗(シャーマニズム)と呼ばれる憑霊信仰を源流とし、民俗の作法に依拠した歴史の叙述であるといえよう。」と主張するのは川村邦光氏である(『幻視する近代空間』)。シテとワキとの対面は、モノが他者として「諸国一見の僧」と向かい合う、ということを意味するのである。
では、モノとシテとの関係はいったいどのようなものなのか。 能はその多くが二部形式で、得体のしれない女、男、翁などが前シテとして登場、その場所に因縁の深い話を語る。あまりの詳しさに、もしやあなたは、と僧(ワキ)が問うと、実は・・・、と正体をあかして、消え失せる。“消え失せる”といっても橋懸りを通って、鏡の間へ戻り、正体らしい(貴公子ならば狩衣、神ならば法被大口など)出で立ちに着替えるのだがこれを中入りという。面もはっきりと個性を持つものになる。そして後シテとして再び舞台へ現れるのであるが、この過程を舞台上でやってしまうこともある。それが物着(ものぎ)である。また、竹に布をはった“作り物”の中で着替えを行う場合もある。この物着について、金井清氏は次のように指摘する。
物とはモノ。それを着る=身につけるということは、そのモノがのりうつることを意味する。物着は中入りの古い形と考えられるので、つまり鏡の間というのは舞台の一部なのである。よって、正常な者が神憑り、クルヒの状態になるには、“モノ”着をすればよいということになる。つまり、面や装束などを身につけることによって、シテにモノ=魂が降りるのである(『能の研究』)。
かつてのモノグルヒとは、現在の狂気とはかなり異なっていたと考えられる。謡曲『百万』や、『桜川』などで、シテである狂女は「おもしろく“狂うて”みせよ」と言われて、その通りもの狂おしい舞を舞うのである。能の物狂いは、本人の意志により狂うことも正常に戻ることも自由自在なのである。
以上をまとめると“クルヒ”の過程によりシテにモノが憑き、この世の人々に“カタリ”をするという図式が浮かび上がってくる。一般に能の構成において、シテには神、鬼、精霊などの魂が降りるという形で説明される。それは、“シテに何らかの魂が憑依する”ととることも可能で、シャーマニズムとの関連性も想定したいところではあるが、現象的に能のシテを勤める演者が激しいトランスになるわけではないから、直接的に結び付けることは無理かもしれない。しかも、演者がトランスに入ってしまうようなことになれば、それは演技、演劇として成り立たなくなる。しかし、能とシャーマニズムは全く無関係なのであろうか。霊媒師の中には、神が降りたときも、自分の意識ははっきりとあり、神懸かっていた時の一部始終を覚えている人が少なからずいるという。そこには、“コントロール可能なトランスの形”が見えてこないだろうか。能においても狂気と正気の狭間にあるぎりぎりの線上で、表現というものの限界を行く鬼気迫る舞台というものがありうるのではないかと、目下模索中である。
最後に御恥ずかしながら、自らの体験談で締めくくらせていただくことにする。今、高校で国語の非常勤講師をしており、古文を教えている。一学期に『伊勢物語』や、『大和物語』など、オーソドックスなところから始めると、生徒が「古文なんてつまらない」という。ある日、彼らの怪談話につきあったら、非常に興味深い眼をしてのってきた。それでは、と「古文=つまらない」という偏見をくずすために、『雨月物語』の一つ、「吉備津の釜」を読んでみた。江戸期のものなので、あまり古文文法の勉強にはならないのであるが、思惑通りなかなか好評で、テストの授業についての感想の欄に、「古文を見直した」という記述がいくつも見られた。今度は、『源氏物語』をとり上げる際、六条御息所にまつわるエピソードの部分を読んでいきたいと思っている。今回の授業での体験は、最近のオカルトブーム、また、様々なゲームにおいて“召喚”や“魔法”などの語句があたりまえに使われて、子供たちもすんなりとこれをうけとめていること(これも非常に興味深い。次回に書いてみたい)と、同列で扱うことができるだろう。光があふれた現代において闇に葬られたかのようなもののけは実はしっ
かりと生きているのである。
日本人の宗教観は非常に複雑で、特に若者の宗教に対する考え方はとらえにくいが、意外とこんなところからそれらをひも解く鍵があるのではないかと期待している。
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