● 立正佼成会の場合 ●

「臓器移植に関する法律案」に対する本会の見解書(要旨) 平成6年6月


【はじめに】

私たちの宗教的信念にしたがえば、この世における生命個体は、それぞれが唯一のものであり、固有のものであり、有限のものであり、神仏から所与のものであります。また、生命現象は、瞬間瞬間に生滅を繰り返しつつも根源的には連続しているものであり、その営みを生命と呼ぶのであります。

また、人間は本質的には平等であり、したがって個人の身体的、精神的機能の如何によって左右されてはならないものであります。

また、人間は本質的には尊厳なものであり、死をも含めて互いに尊厳をもって扱われなければならない、と私たちは考えます。

【1.人間の「死」の概念について】

私たちは、生命個体としての人間の「死」は、法律的な「死」の時点も含めて、従来通り自然死(三徴候死)をもって見るのが、社会的には最適であると考えています。全脳の機能死は、その器質死においても同様に、人間の死の過程に過ぎないと考えます。

私たちは、「脳死」状態が限りなく「死」に近い状態であることを認めますが、たとえ人工的操作によるものであっても、他の臓器が機能し、体内に血液が循環して身体が生かされている限り、これを「死体」と見なし、「死体」として扱うことは許されないと考えます。ただ単に医学的知見からのみ人間の「死」を決定し、しかもこれを法律で定めることは、多様な価値の共存を阻害することにもなりかねません。

生物医学的な「死」とともに、宗教的・文化的・社会的な「死」という現実とも向かい合う必要がある、と私たちは考えます。


【2.「脳死」および脳死判定について】

私たちは、医学概念としての「脳死」の存在については、これを否定するものであありません。

しかし、脳死判定は、脳死状態であることを判定する根拠にはなり得ても、人間の「死」を確定する根拠にはなり得ない、と私たちは考えます。

しかも「脳死」の判定基準は、まだ現代における医学の発展段階の仮設にほかならないと思います。

ただし私たちは、「脳死」状態をもってみずからの「死」と受容できる人の意志を、否定するものではありません。したがってその場合にのみ、脳死者を「死体」として扱うことができるものと考えます。


【3.「脳死」を「人の死」と認める社会的合意について】

私たちの経験では、「脳死」を「人の死」とすることの意味(医学的、文化的、社会的な意味を含む)を考え、理解している国民はきわめて少ないと考えます。

社会的合意とは、単に世論調査による多数決で決められるものではなく、社会的な理解の深化を器本意成立するものであります。したがって医学的な概念としての「脳死」および脳死者を「死体」として扱うことの意味について、国は多角的かつ客観的な情報を国民に伝え、十分な議論を尽して社会的合意を図ることを肝要である、と私たちは考えます。「脳死」を「人の死」とする社会的合意がこの国に存在することは、私たちには思われません。


【4.重要臓器の移植術について】


私たちは、脳死・臓器移植が行なわれている諸外国の現状を見るとき、わが国においても、将来とも慢性的な臓器不足が解消される見込みのないことや、公平な臓器の分配がきわめて困難な状況になると予想されることから、移植医療を普遍的な医療とは認めがたいと考えています。

また、生命体のもつ免疫機能を考えるとき、生命固体の保持に必須である免疫機能を人為的に抑制・管理しなければ成立し得ない現代の移植術は、確立した医療とはいえないのではないでしょうか。

その意味で私たちは、現状における重要臓器の移植術は、緊急避難的な過渡期の医療であると考えています。

【5.重要臓器の授受について】

私たちは、「脳死」をみずからの「死」と容認する人で、文書によって臓器提供の意志を表明している場合に限り、その人が臓器提供者(ドナー)になることを否定いたしません。

同様に私たちは、脳死患者から臓器の提供を受け、健康の回復を願う人(レシピエント)の意思を否定するものでもありません。

ドナーの意思表示については、これを確認するための法的要件、およびその制度のあり方を十分に審議・検討する必要があると考えます。


【6.臓器移植にともなう諸条件の整備について】

私たちは、脳死・臓器移植をこの社会に受容することの問題点として、脳死・臓器移植をこの社会に受容するこの問題点として、脳死・臓器移植術の普遍化により、社会的弱者がさらに抑圧され、差別される社会が到来することを最も憂慮しています。

また、人体を医療資源として利用するような非人道的な思想・風潮が広がることを懸念しています。諸外国の例を見ても、人体を医療資源と考え、死体を断片化し、これに対価を表示し、商品とし陳列売買する社会を、私たちは現に目の当たりにしています。

そこで私たちは、脳死・臓器移植が実施されるにしても、医科の諸条件が十分に満たされるべきであると考えます。

@ まず、脳死判定基準についての合意形成と、厳格な脳死判定が実施される必要があります。

A また、臓器の授受・斡施が公正に行なわれるための基準づくりや、移植医療機関から独立した第三者機関としての、移植ネットのシステムの整備とその制度化に向けて、国および医学界が万全の努力を払う必要があると考えます。

B さらに、臓器の斡施が不当に行われたり、臓器の売買が行なわれたりすることのないよう、法律に基づいて公的機関が厳正な指導・監督を徹底する必要があります。


【おわりに】

私たちは、他者の臓器移植によってしか、治療・延命の道がない医療の現実を悲しい現実として直視せざるを得ません。私たちは、レシピエントの苦しみ、ドナーの苦しみ、あるいは家族の苦しみに思いをいたします。

古代より人間は、生・老・病・死の苦悩の克服を願ってきました。私たちは、現代医療がさまざまな病気の治療・延命に成果を上げてきたことを認識しております。

しかしながらそれぞれの民族や国家には、それぞれの思想や文化的・社会的な伝統があります。その意味において私たちは、脳死者からの臓器移植による治療法は、わが国の文化的・社会的伝統とは必ずしもなじまない点があると考えております。

人間の生や死の問題は、医学の問題であると同時に、文化的・社会的な問題であり、ことに優れて人間の根源的かつ究極的な信仰や哲学の問題であることは言を俟つまでもありません。

私たちは、「法律案」の成立によって日本の宗教的・文化的・社会的伝統と価値観が根本的な変容を迫られることを憂い、かつまた、さまざまな社会問題が誘発することを危惧するものであります。

私たちは、国と医学界に対し、本「法律案」の成立に努力を傾注するよりも、臓器移植によらない治療法の一日も早い開発と確立への努力を切望してやみません。
                 
(『佼成新聞』99年3月19日号より)

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