日本における宗教の概要


○● 皆布教師型宗教:天理教・真如苑… ●○



このページは、「わが国における主な宗教団体名」に挙げた教団の中から、教師1人あたりの信者数(信者数を教師数で割ったもの)および布教施設1カ所あたりの教師数(団体数を教師数で割ったもの)の分析を試みるものである。もちろん、この分析は、各教団が文化庁に届け出た統計的数字を基に、レルネットが推察した数字であり、各宗派に取材したものではないので、研究者ならびに各宗派当局からの積極的な反論を待って修正すべき解釈は修正してゆきたい。





これまで、日本の2大宗教潮流ともいえる神社神道と伝統仏教の各宗派の教師(神職・僧侶)数と法人施設(神社・寺院)および信者(氏子・檀家)との相関関係をもとに、宗教家1人当たりの収入等について解説を加えてきたが、一般の人々が関心を抱いているのはむしろ、このような宗教(伝統宗教)よりは、いわゆる「新宗教」と呼ばれるグループに属する宗教団体のほうであろう。事実、熱心な布教活動をし、社会に対して大きな影響を与えているのは「新宗教」諸教団のほうであるからである。したがって、本欄では、新宗教諸教団のうち「皆布教師型宗教」と分類される天理教や真如苑等にスポットを当てて解説を加えたい。

最初に断っておくが、わが国では一般に、あまりにも長期にわたって「本流」ともいえる仏教諸派(江戸時代の国民総檀家制度)や神社神道(明治以後の国家神道政策)が、単なる「儀礼(葬儀・お祓い等)」の執行機関となって、宗教本来の活動である(民衆への)「布教・救済」活動をほとんど行わなくなってしまったので、そちらが一般化してしまい、逆に、熱心に布教活動を行っている「新宗教」教団に対して、ともすれば「奇異なもの」という目を向けがちであるが、諸外国の例と比べるまでもなくそれらの見方は間違いで、私は、むしろ、「布教・救済」活動を熱心に行う集団こそが、本来の意味での宗教団体であるという立場に立って評価していることを明らかにしておきたい。

さて、問題の天理教や真如苑について分析する前に、宗教家1人当たりの、あるいは宗教施設1カ所当たりの信者数についての分析をおさらいすると、神道や伝統仏教のところで既に述べているように、神職1人当たりの氏子の数は4,450人、神社1社あたりの神職の数は0.27人(神社本庁管内)。僧侶1人当たりの檀家の人数は240人、寺院1カ寺あたりの僧侶の数は2.53人(全仏教平均)。また、日本の全宗教団体の平均である教師1人当たりの信者の数313人、布教施設1カ所当たりの教師の数2.97人というデータと比較してみても、天理教の教師1人あたりの信者数9.65人および真如苑の25.0人は極端に少ないと思われる。

数字の上からだけ見た「皆布教師型教団」は他にも神社神道系の木曽御嶽本教の17.5人、教派神道系の大本の20.0人、浄土系の真宗興正派の27.4人、キリスト教系のモルモン教会の21.2人、天理系のほんみちの22.5人というところが、天理教・真如苑とならんで教師1人あたりの信者数が極端に少ない教団であるが、いずれも総信者数や教師数があまり大きくないので、数字としては変動(誤差)する可能性が高いが、天理教の1,910,000人や真如苑の743,000人は、数字としてはかなり大きいので、それだけデータとしての安定性は大きいと考えられる。しかも、データ上での数字の信憑性という点においても、普通、宗教教団が信者数を過大報告をすることはあっても過小報告をすることは考えられにくく(全教団から提出された日本の総宗教人口が2億人を超えていることからも明らかである)、その意味では、この数値(信者数÷教師数)が過大になることはあっても過小になることは考えられにくく、それだけ天理教の9.65人と真如苑の25.0人という数字は信憑性が高いと言える。

「宗教団体の量的評価について」のページで論述したごとく、仮に、日本人1人当たりの年間宗教関係支出の平均が5万円(4人家族だと20万円)だとすると、日本全体では185人に1人が宗教家であるから925万円という計算になり、その内、諸経費や法人の取り分が半分としたら、宗教家個人の1人当たりの平均年収は463万円になる。この計算方式を、「皆布教師型」教団の典型である天理教(教師1人当たりの信者数9.65人)に当てはめると、天理教の教師の平均年収は約24万円、また、真如苑(教師1人当たりの信者数25.0人)でも約63万円ということになり、とても現在の日本において、ひとりの宗教家が生活してゆける金額とは思えない。仮に宗教家個人の取り分が100%だとしてもこの倍になるだけだから、やはり生活は困難だと言わねばなるまい。しかも、どうみても天理教や真如苑の教団には巨大な施設が建設されているので、これらの教団は教師の取り分が多い宗教であるとは考えにくい。

そこで考えられるのは、この数値を算出する元になった文化庁へ提出された両教団のデータが、いささか実態から乖離したものであった可能性が高いと言えることである。否、レルネットは、両教団を責めているのではなくて、文化庁宗務課の質問項目の設定の仕方が両教団の実態を計測するのに不十分であった可能性が高いと思っている。おそらく、文化庁の宗教法人に対する質問項目は、伝統仏教各派や神社神道という固定した檀家や氏子システムに支えられてほとんど布教能力を有さない教団のほうを「典型的な宗教法人」として、その実態把握を目的に質問設定がなされているために、布教指向性の高いこれらの教団が、逆に「想定外」ということになってしまっているのだ。さもなくば、年収24万円で生活できる道理もなく、また、もしそれが実態であったとすると、教師の後継希望者もほとんどいなくなってしまう(教団が弱体化する)であろうが、現実に、天理教は140年以上、真如苑でも50年程続いていることからみても、おそらくそれ以外の収入があると考えるのが妥当であろう。

考えられるひとつの理由は、両教団が「教師」のカテゴリーに分類している人の多くが、実はフルタイムのプロ宗教家ではなく、信者とプロの中間的な存在で、他に収入のある定職を持っている(宗教活動をボランティアでしている)という場合である。多分この類型は、先程、挙げた木曽御嶽本教の17.5人や大本の20.0人という数字にも当てはまると考えられる。

もうひとつ考えられる理由は、この両教団の信者が飛び抜けて信仰心が厚く多くの献金をするか、よほど教団の苛斂誅求が厳しいということである。しかし、全財産を寄進しなければ「出家」できないような信者数がたかだか数百人程度の閉鎖的カルト教団ならいざしらず、百万人単位の信者を抱えるこれらの教団が、このようなカルト教団的な運営をしているとは考えにくく、また、日本の全宗教教団の平均値(教師1人当たりの信者数185人で、年収463万円)からみて天理教のそれは19分の1、真如苑でも7.4分の1と極端に低すぎる。つまり、この乖離を宗教家の収入面から補おうとすると、天理教の信者は全宗教平均の19倍すなわち1人あたり年間95万円(4人家族だと380万円)の献金をしなければならない計算になる。真如苑でも7.4倍すなわち1人あたり年間37万円(4人家族だと148万円)の巨額になってしまう。したがって、これらのケースは、より「あり得ない」ことであるので、おそらく結論は、先の段落で考察したように、信者と教師の中間的な層を「教師」としてカウントしているということであろう。

実は、この両教団に典型的に見られる「皆布教師型」教団の布教力の強さは、このセミプロ的ボランティア層に依存していると考えられる。逆をいうと、いくらプロの僧侶や神職が多くいても、それは布教力には繋がらないということである。信者数等の基本データが公表されていないので、本欄では採り上げなかったが、おそらく、創価学会(ボランティアのセミプロ集団)の抜けた(を破門した)日蓮正宗(プロ集団)の場合も、「皆布教師型」から「伝統仏教型」へと変質したはずである。これらの類型は、社会学的な類型であり、該当する教団の教義や歴史の相違とは全く関係なく導き出される判定基準である。

それでは、天理教と真如苑は、教義や歴史的背景がまったく異なるにもかかわらず、社会学的類型が「同じ」パターンの教団であるか? と言えば、答えは「ノー」である。ここで、「教師1人当たりの信者数」という要素に続くもうひとつの大事な要素である「1布教施設当たりの教師数」という指数が問題になってくる。天理教の5.20人に対して、真如苑のそれは163人と、31倍も異なるからである。因みに全宗教の平均値は2.97人であるから、天理教のそれは平均的な教団とあまり異ならないことになる。一方、真如苑のそれはかなり異なっている。

全宗教の「1布教施設当たりの教師数」の平均値が約3人であるということは、日本の宗教が、かつての「3ちゃん農業(爺ちゃん・婆ちゃん・カーちゃん)」よろしく、極めて「家族経営的」に営まれているということとの査証である。おそらく、住職と副住職の息子(日頃はサラリーマンをしているが、一応僧籍は持っているので、日曜祝日の法事や葬儀の際には「にわか坊主」になってアルバイト代を稼ぐ)と、それに、超高齢化社会になったので、お爺ちゃんの先代住職がまだ存命している)という様子が想像できる。

天理教の5.20人は、教派神道系教団の平均値6.90人とも近く、教派神道系に共通する「教会長の家族全員(女性も含めて)が教職を持っている」というパターンもしくは、明治期の商家の「丁稚奉公」よろしく各教会に2〜3名の「よふぼく」と呼ばれる「住み込みの弟子」がいる場合が想定される。

一方、真如苑の163人という数字は、もちろん、これが血縁関係でないことは明白である。教団本部の徹底的な管理の下、全国の支部に配属された「通勤の教師(霊能師)」がいるというというパターンである。しかも、宗教の世界で「通勤」ということは、パートタイムのセミプロを意味している場合が多い。伝統仏教各宗派では、ほとんどの僧侶は寺院内の庫裏に居住しているからである。

実は、この真如苑の163人という数字(1宗教施設に所属する教師の数)は、教派神道系の聖正道教団の283人、天台系の孝道教団の260人、日蓮系の妙智会教団の366人、同じく佛所護念会教団の379人、それに諸教の生長の家の132人などと並ぶ数字である。ただし、聖正道教団と孝道教団とは、信者数もかなり少なく、また全国の布教施設の数も4カ所と5カ所というふうに極端に少なく、ほんの2〜3カ所施設の数が増減しただけで数値が大きく変動するので、ここでの考察からはずす。残りの3教団、すなわち、信者数100万人の妙智会教団、180万人の佛所護念会教団、88万人の生長の家教団の場合は、規模も同程度でデータとしても安定しているので、考察の対象にしたい。

これらの諸教団は、それぞれの教義や歴史的背景が異なっていたとしても、数字の上からだけ見ると、典型的な新宗教教団の類型に当てはまる。1布教施設(支部道場)に百人単位の教師がいるということは、いうまでもなく各布教施設毎の「家族的経営」ではなく、教団本部の命令によってセミプロ的指導者が「配置された布陣」である。これらの教団では、カリスマ的な中心人物(会主等)がいて、その人の「指導」の下に、教団運営が一律的に管理(「会社的経営」)されている場合が多いと考えられる。また、極めて効率の良い教団布教が行われているものと考えられる。その典型が、ここで採り上げた真如苑であり、同じ「皆布教師型」宗教といっても、布教の前線が「家族的経営」によって営まれている天理教とは、大いに性格を異にしている。

以上の考察によって、これまでに採り上げた「神社神道型」・「伝統仏教型」・「皆布教師型(新宗教型)」教団の形態や運用(布教)方法の違いが、公開されている文化庁のデータだけからでも明らかになった。この夏、文化庁所轄のほとんどの宗教教団は、去る平成8年9月に施行された「改正」宗教法人法に基づく、「備付書類(法人規則・役員名簿・財産目録・収支報告書等)」を文化庁に提出した(各都道府県知事所轄の法人では7割程度)。これらの日本の宗教教団の実態を総覧するデータは、いずれ公開されるが、その時には、新しい資料に基づいた考察をまた行いたい。なお、本欄で行った考察は、すべて平成7年末の文化庁の資料に基づいて推量したものであって、当該教団の関係者もしくはこの分野の研究者で「実態との著しい差異がある」と思われる方があれば、改めるのに吝かではないので、いつでもご連絡いただきたい。




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