東アジアの少数先住民族との交流
台湾原住民(2003年9月)
JLCが台湾の先住少数民族と交流:2003年09月25~28日
2003年9月25日から28日までの4日間、IARF日本連絡協議会(以下、JLCと略す)のメンバー9名は、台湾(中華民国)を訪問し、現地の“原住民”(註:日本では、「先住民」と言っているが、中国語では「死者」を意味する「先住民」は用いず、「原住民」という表記するので、本文では、その慣例に従う)の生活状況や政府の施策の視察、および、IARFのメンバーでもある佛光山の壮大な本部、さらには、最近、活動の発展が著しい佛教慈在功徳会高雄支部などの宗教施設を訪問し、交流を行った。
25日は、台北市内にある伝統仏教や道教の寺院を視察し、一般市民の重層的信仰についてフィールドワークを行い、また、台湾島を現在の状況(註:「台湾は中国の一部である」という文化人類学的にも間違った味方)にすることになった原因を作った国民党の蒋介石(Chiang Kai-shek)総統の記念碑「中正紀念堂」を見学し、同日夜に、南部の高雄市へと空路移動した。
26日の朝から、高雄市郊外に総本山を置く「佛光山」を訪れ、釈心定 (Venerable Hsin Ting)宗長(管長)らと意見交換を行い、同山の施設の見学を行った。今年、創立50周年を迎える佛光山教団は、全世界に活動拠点を持つ台湾の有力教団であり、数年前からはIARFにも国際評議員を派遣している。
この日の午後から、原住民関連施設を次々と訪問した。台湾島に住む原住民族(複数)の起源は古く、人類学的・言語学的には、そのいくつかの部族は、それぞれ、西はアフリカ大陸に近いマダガスカル島、南はニュージーランド、東は南米大陸に近いイースター島に暮らす人々と「共通の先祖」を持つと考えられているほど、人類学的にも謎に満ちた存在である。
17世紀以後、まずオランダが、東アジア進出の拠点として、この島を軍事的に占領し、続いて、中国大陸において新たに満州から勃興した清朝との闘いに敗れた明朝の遺臣鄭成功(Koxinga)らが、大量の漢人移民と共に亡命政府をこの島に築いた。その際、この島の西側(中国大陸側)の平野部にいた原住民たちは、東側(太平洋側)の急峻な山岳地帯へと追いやられた。
皮肉なことに、台湾の原住民が国際社会に紹介されるようになったのは、1895年の大日本帝国による同島の併合によってである。同島に言語や習俗を異にする多数の原住民種族がいることを「発見した」日本は、草創当初の文化人類学者たちを派遣し、この島の原住民の文化を科学的に調査した。また、台湾島の「内地化」によって、日本本土と同じように、原住民にも無料で初等学校教育が施されたので、それまで、独自の文字文化を持たなかった原住民たちは、日本語による読み書きができるようになった。
日本の太平洋戦争敗戦の後、1949年、中国大陸での共産党との内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が台湾を占領し、台北を首都にした。このことが、またまた、原住民の権利を奪うことになった。「大陸奪還」を国是とする国民党は、台湾の独自性を認めることは、すなわち、国民党による中国大陸の支配権を放棄することになり、その点では、「台湾侵攻」まったく立場が反対の政策を国是とする中国共産党と、奇妙に利害が一致していることであった。その後、長年続いた国民党政権の下で、原住民の権利は無視されることになった。
台湾の原住民に転機が訪れたのは、(中国大陸からの)「台湾独立」を公約に掲げる民進党の陳水扁(Chen Shui-pien)氏が、自由選挙によって中華民国の第10代「総統」に選出された2000年5月20日である。従前とはうって変わって「台湾は中国の一部ではない」ということを立証するためにも、遥か古代からこの島に暮らす原住民の存在を中華民国が公認することが必要となった。
現在では、中華民国政府(中央と地方)の中に、原住民を所管する部局が設けられ、手厚い保護施策が行われている。われわれJLCの一行は、26日には、台湾第二の大都市である高雄市の原住民事務委員会(Commission of Indigenous Affairs)を訪れ、主任委員のSasala Taiban氏と意見交換を行い、市場経済社会の下でも原住民の生活が自立できるように作られた職業訓練展示施設の「原住民族文化産業展示中心(Aboriginal Handcraft and Products Exhibition Center)」で、原住民たちと交流を行った。
また、27日には、高雄市から数十キロ離れた山奥にある「原住民族文化園区(Indigenous Peoples Cultural Park)」を視察し、責任者の呉鍾秤(Wu Chun-chen)氏から説明を受けると共に、ビデオによる学習や日本語を流暢に話す、高齢の原住民たちと意見交換を行い、世界各地のマイノリティとの連帯を図るIARFの理念を説明し、今後も交流を続けていくことを誓い合った。
( 文責:三宅善信 )