JLC会議第200回記念シンポジウム
『ボーダーをなくそう~日本における難民の実情を通して~』
2016年10月9日、一燈園の総寮において、IARF日本連絡協議会(JLC)第200回記念シンポジウム『ボーダーをなくそう~日本における難民の実情を通して~』が93名の参加者を集めて開催された。
午後2時、総合司会のむつみ会宗務長・滝澤俊文師により開会が告げられ、2016年JLC当番事務局を務める一燈園当番・西田多戈止師より開会の挨拶がなされた。西田師は、歓迎の辞を述べ、IARFとJLCについての簡単な説明の後、このシンポジウムが実り多きものとなることを願い挨拶を締めくくった。
引き続き、IALRW国際副会長である金田ペギー氏の先導で、「このシンポジウムが成功するよう、また戦争や内戦、暴力、その他社会的抑圧を受けている方々、特に難民となった方々に平和で基本的な人権の守られた日々が戻るよう」に祈りが捧げられた
第1部 日本国内における難民の現状
第1部では、日本国内における難民の現状を知ることを目的とし、NPO法人難民支援協会(JAR)の石井宏明常任理事、難民としてネパールから来日したK.C.ディパック氏、アフガニスタンから来日したイーダック・モハマド・レザ氏の3名からのプレゼンテーションが行われた。
1)石井宏明氏のプレゼン(要旨):
司会の滝澤師によるプロフィールの紹介の後、パワーポイントで映像資料なども交えながら、日本に来た難民がどのような手続きを求められるか、どのような支援が求められているか、そして難民支援協会(JAR)による支援の内容など、日本における難民の具体的な概要が話された。また、「難民」という言葉が、現在の日本では「避難の必要な人」という意味よりも、単純に「困難を抱えている人」や「難しい状態にある人」という意味で使われることが多く、そのことが「難民」に対する理解を難しくしていることもあるとの懸念が示された。
2)K.C.ディパック氏のプレゼン(要旨):
ディパック氏は、豊富な写真資料を見せながら、日本に来てから覚えたという日本語でプレゼンテーションを行った。 王政時代のネパールで国王の近くで働いていたことから、ネパールの武装勢力から、ついに政権を掌握したマオイスト(毛沢東主義者)からの迫害を受けて2006年に日本へ逃れてきたこと。また日本に来てからも、難民認定を受ける迄の4年の期間は住む場所や食べることにも苦労した他、今でもマオイストの拷問による怪我の後遺症が残っているが、当初は日本の健康保険がないため病院にかかることもできなかったことなどが語られた。
難民認定を受けた後は、仕事も始めることができ、健康保険にも入れたので病院にも行けた。また2015年のネパールの震災時の募金活動をきっかけに、同じ地域に住むネパール人らとコミュニティを作り、82人のメンバーが地域の清掃活動や災害時の支援など、積極的にボランティア活動をしている。
3)イーダック・モハマド・レザ氏のプレゼン(要旨):
3人目に登壇したレザ氏は、石井氏の通訳を介して英語でのプレゼンテーションとなった。
イランの難民キャンプで生まれ、10歳でアフガニスタンに帰ることができたが、15歳で両親を失い、その後は妹3人と共に生きてきた。ラーラ(LALA)会という孤児を支援するNPO法人でスタッフとして働いてきたが、タリバーン派に異教徒であることを疑われ、襲撃されて投獄された。タリバーンはアフガニスタンにはムスリム以外が存在すべきでなく、ムスリムでない者を助けるのは異教徒と同じだという考えである。自分はムスリムである。私の信条として、諸宗教には各々の教えがあるが、あらゆる宗教が同じであると考えている。しかし、それが理由で襲撃され、逃亡せざるをえなかった。
来日当初は先行きが見通せなかった。日本では難民認定を受けるのが難しいとの周囲のアドバイスもあったが、他に選択肢もなく難民申請をした。今までに2回却下されたが、今も申請を続けている。言葉の壁、仕事や住居の問題など、困難は多いが、自分は周囲の支えも得て幸運だった。今は同志社大学4回生に在籍し学んでおり、大学院進学のために準備中。
信じていただきたいが、難民になりたくてなった訳ではない。難民認定を申請しているが、難民になることで幸せになれるとは思っていない。日本は平和で住みやすいが母国ではない。私が世話をすべき家族も日本にいない。難民となろうとしているのは、他に選択肢がないからで、いつかはその状況から脱し、国に帰って家族と暮らせる道を求めたい。
第2部 パネルディスカッション『ボーダーをなくそう~日本における難民の実情を通して~』
20分間の休憩をはさみ、第2部のパネルディスカッションへと移った。モデレーターは金光教泉尾教会総長・三宅善信師、パネリストは第1部でプレゼンテーションを行った石井氏、ディパック氏、レザ氏に加え、長年、難民支援活動の現場に身を置いておられる立正佼成会宗教協力特任主席の根本昌廣師の4名が務めた。
まず根本師は、長年難民支援に携わり感じたことは、私たちにとって彼らは“refugee(難民)”ではなく”family(家族)”と同じ存在。一緒に生きている家族として受け入れながら、いつか彼らが祖国へ帰るまでに必要な手助けを、「私たち(組織)」そして「私(個人)」が何ができるか。今日ここで学んだことを、参加者の皆様にも持ち帰って考えを拡げていってほしい。
続いて、石井氏は、難民問題を語られる時にテロリストが混じっているのではないか、との漠然とした懸念が示されることについて、テロリストが日本に入国しようと思えば、わざわざ難民として来るよりも観光客として来るほうがよほど簡単であり、また、欧州各地では、外国から入ってくるよりもその地域で生まれ育った人(ホームグロウン)たちが引き起こすテロが問題となっている。日本では危険との懸念が少しでも示されると、指導者たちもそれに逆らった決断を下しにくいという空気がある、ということを指摘した。一方で、日本は平和で安全で人にも優しいことが評価されているので、そこを活かしていきたいとの期待も示した。
モデレーターの三宅師より、日本国内のネパール人コミュニティの状況の質問があり、ディパック氏は、これまで既存のコミュニティがあったかどうかは知らないが、現在は居住している豊川市でコミュニティを作り始め、ボランティア活動をしていることを紹介した。また、日本の難民受け入れルールによると、当該国の政府によって弾圧された人々は難民として受け入れることができるが、武装組織や反政府ゲリラに迫害を避けて自主避難してきた人は、最初は難民とみなされない問題点が指摘され、アフガニスタンの現状に関する質問がなされた。
これに対し、レザ氏から、この数年の間にあらゆる暴力、衝突、事故が起こり、今日まで増え続けていること。そして、過去に抑圧された人々の殺害が起きていることは一切責任を問わないまま、現在、現政権と前タリバーン政権の間で和平交渉が進んでいることが複雑な状況を生み出しているとの説明がなされた。
これらのコメントを受けて、パネリスト間で、怒りや憎しみの連鎖を断ち切るためにはどうすれば良いか。また、将来どのような教育が必要なのかといった問題について話し合われ、いくつかのフロアからの質問を加えて話し合われた。
質疑応答の締めくくりに、石井氏からは、まずは、約40年前インドシナ難民の受け入れに宗教団体が大きな支援をしてくれたという事実に感謝が述べられると共に、民間でできることをやっていくためには、世間がこの問題を認知し、「負担」ではなく「責任」と考えることで難民へのネガティブな空気を解消することが大切であり、宗教界にはそのような空気の醸成にも期待したい、と述べられた。また、レザ氏より、日本に暮らしていて一部「難民」を下に見る人があるように感じることは悲しい、人種や言葉の違いはあっても同じ人間で、やむを得ずこのような状況にある人がいるということを理解してほしい、との願いが示された。
パネルディスカッションが盛大な拍手で締めくくられると、IARF日本チャプターの椿大神社禰宜・芝幸介師の先導で閉会の祈り(この秋祭りの季節に改めて国家の安泰ということが「有難い」ことであることに思いを致し、日本の国だけではなく、やむを得ず母国を離れた方々が一日も早く母国に戻れること、そしてその国々の安泰を祈りたい)が捧げられた。
シンポジウムの最後に、IARF前会長の三宅光雄金光教泉尾教会教会長より閉会の挨拶がなされた。三宅師は「IARFには先々代・三宅歳雄師の時代より関わってきて、今年JLC会議が200回の節目を迎えたことは感無量である。教育の機会を得ることや身の安全を確保するというわれわれにとっては当たり前のことが出来ない人がいるという世界の現状を痛切に感じる。このような勉強の機会を頂き感謝するとともに、今後もわれわれJLC加盟諸団体の各メンバーが世の中のためにお役に立つ存在となることを誓いたい。また、このシンポジウム開催の準備等に尽力した関係各位に感謝の意を表したい」と述べ、当シンポジウムは盛況裡に閉会した。
なお、本件に関する英文による報告については、以下のURLで
→ https://iarf.net/memorial-symposium-200th-jlc-meeting/
聴講者数 | 93 名 |
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金光教泉尾教会 | 20 名 |
立正佼成会 | 24 名 |
日本チャプター | 12 名 |
むつみ会 | 7 名 |
一燈園 | 26 名 |
IALRW | 1 名 |
報道関係 | 3 名 |