国際宗教同志会 令和2年度第2回例会 記念講演

コロナ禍中/後の日本の宗教はどうなる

東京工業大学教授
弓山達也

2020年6月3日、神徳館国際会議場において、国際宗教同志会(芳村正德会長)の2020年度第2回例会が、ソーシャル・ディスタンスを十分確保するため、各宗派教団から代表者のみを招いて開催された。記念講演では、東京工業大学教授の弓山達也先生を招き、『コロナ渦中/後の日本の宗教はどうなる』と題する講演と質疑応答を行った。本サイトでは、この内容を数回に分けて紹介する。

宗教との出会い

弓山達也氏
弓山達也 氏

ただ今、ご紹介にあずかりました弓山達也と申します。県境をまたいだのは3月半ば以来ですから、2カ月半ぶりでしょうか…。今日は新幹線の自由席を利用しましたが、一車両にわずか7人…。東京から新横浜に向かいながら「多摩川を越えるんだな」などと思いました(会場笑い)。

三宅善信先生からお声をかけていただいた時は、まだ新型コロナの感染拡大もそれほどではなかったため、その話には触れず「歴史的に宗教がさまざまな形に変わってきた」という話を考えていたのですが、今回のコロナ騒動の拡大を受けて「だったら、このようなタイトルが良いんじゃないか」という、私の手には負いかねるような大きなお題を頂戴しました。あらためて勉強する機会を得ましたこと、またこの機会に先生方からご教示を賜りますようお願いしまして、始めさせていただこうと思います。

大学で普段の講義をする時、私はどちらかというと学生たちの間に入って行って「君はどう思うか?」と尋ねながら講義を進めるタイプの人間なのですが、今日は皆様と距離(ディスタンス)を保つよう意識しながらお話しさせていただこうと思います。現在私は東京工業大学で宗教学を教えているのですが、何故そのようなことになったのかについて、まずお話しさせていただきます。続いて、感染症と宗教との関わりと、幕末のコレラ、大正期のスペイン風邪と宗教との関わりについて述べさせていただきます。その後、東日本大震災の後に震災後の新しい生活や価値観が大きくクローズアップされましたが、今回のコロナ禍でも、再び、同じように新しい生活様式が提唱されています。この「新しい生活様式」は上から降ってきた訳ですが、降ってきたものを私たちがどのように捉え直すのか。むしろ、私たち宗教に関わる人間が、上からではなく下から「新しい生活様式」を提唱することが求められているのではないか。今日はそういうことを先生方と一緒に考えてみたいと思います。

先ほど「弓山とは変わった名字ですね」と言われましたが、「弓山」は愛媛県新居浜市にしかない名字だそうです。東京には4軒ありますが、いずれも私の親戚です。父親は愛媛県出身で、祖父の代から理科の先生をやっておりました。母親は大阪市阿倍野区阪南町の町工場の娘として生まれました。どちらかというと宗教には縁のない生活を送っておりました。父親が転勤族だったため、私は奈良で生まれたのですが、奈良県出身だと申しますと「やっぱり宗教といえば奈良ですよね」と言われることがあります。けれども、実際は奈良には縁もゆかりもなく、その頃父親が鶴橋の工場で働いていたため、ベッドタウンだった菖蒲池あやめいけの公団住宅で生まれた次第です。

座席間隔を十分確保して開催された国際宗教同志会講演会の様子
座席間隔を十分確保して開催された国際宗教同志会講演会の様子

ただ、宗教とのご縁はいろいろといただきました。当時、私は今で言うところの多動症(ADHD)で落ち着きがなく、教室でも常に立ち歩いているような子供でした。そんな私を不憫ふびんに思った近所のおばさんが「こういう時は良い先生が居るよ」と言って、いくつかの宗教団体に連れて行ってくれました。覚えている限りですと、金光教の赤羽教会にはずいぶん長く通いました。それからPL教団から分かれた実践倫理宏正会──「朝起き会」で有名かもしれません──にも、朝早く起きて参加し、公園の掃除などやっていました。小学校の高学年から中学校にかけて、そういう宗教のご縁をいただきました。

大学は法政大学哲学科でいくつか挫折を重ねました。当時、80年代半ばで、オウム真理教などさまざまな新しい宗教が出てきた頃ですが、その時に「宗教って凄いんじゃないか」と思いました。というのも、哲学で命を落とした人はあまり居ませんが、宗教では多くの人が命を落としている。きっと宗教のほうが凄いんじゃないか…。そう思った私は宗教にグッと接近しました。その中には、この場では口に出すのがはばかられるような教団にもいくつか接触しましたが、幸か不幸か勇気がなかったために、宗教に入信することができず研究する道を歩みました。

大学院と、その後勤務させていただいたのが、東京で「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨にあります大正大学という、天台宗、真言宗豊山派と智山派、浄土宗の四つの宗派によって創られた総合大学でした。最初、お坊さんになろうかと思ったのですが「師匠が必要だ」と言われ、しかも大抵の場合、師匠は父親だと聞き、それは無理だということでお坊さんになる道は断念し、新しい宗教現象を研究する道を選びました。新宗教、そして舌を噛むような話ですがスピリチュアリティの研究をさせていただいて、この10年ぐらいは宗教が持っている社会的力──例えば、ボランティアや社会貢献、震災後にさまざまな宗教教団が果たした役割──を研究することを専らとしております。

理工系の学生に宗教学を教える意味

では、何故東工大かと申しますと、5年前に大学のほうからお声が掛かりました。当時、東工大は「理系の知識だけでは駄目だ。文系の教養が必要だ」ということで、芥川賞作家など著名な方が多く招かれました。私は別段著名ではありませんでしたが、実務ができるだろうということで招かれました。

当初は理工系のエキスパートに交じって宗教学の授業をやって、本当に人が来るのかと思いましたが、1年生が1,000人ぐらい居る中で私の宗教学の講座を受講している学生が150人居ります。2年生は100人ぐらいで、3、4年生は140人、大学院生は80人から100人ぐらい居ります。驚いたことに、常時、各学年の約1割の学生が私の宗教学を受講している訳です。彼らに「どうして理工系の人間が宗教学の授業を受けるのか?」と尋ねてみると、多くの学生からは「今まで宗教に関わりがなかった。これからも宗教に関わることはないだろう。だからこそ、今この時に宗教のことを学んでみたい」という模範的解答が返ってきますが、その中で5%から10%ぐらいの学生が「神を証明したい」といったような、ビックリするような回答をします。

考えてみれば、ニュートンにせよ、ガリレオにせよ、コペルニクスにせよ、有名な科学者というのは、カトリックの神父だったり、自身が熱心な信徒だったりと、神学の素養があるんです。そういうことを知っている理工系のエリートは「自分も宗教のことを勉強しなければならない。むしろ数学を勉強することによって神を証明できるのではないか」ということを私に言ってくるんです。最初は馬鹿にしているのかと思ったのですが、どうやら本気でそう考えているようです。1,000人のうち5%ぐらいの極端に頭の良い人間は、宗教に強い関心があるという手応えがあります。

弓山教授の講演に真剣に耳を傾ける国宗会員諸師
弓山教授の講演に真剣に耳を傾ける国宗会員諸師

それから、講義だけではなく、少人数のゼミもやっております。ここ数年間は天理教のお正月行事に行ってみたり、高尾山の滝行に行ってみたりもしました。こういったプログラムはお金(実費)もかかる上に、お正月ですから東工大生はそれほど来ないだろうと思ったのですが、20人程の定員に70人の募集があったりして、選抜しなければなりませんでした。そういう学生さんたちが滝行を満行したり、天理教の朝のおつとめに出て、今までの自分にはなかった何かが開かれたような気がするということを言っております。

(連載つづく 文責編集部)