旧正月でインフルエンザを撃退  
 1999.2.16


レルネット主幹 三宅善信


旧暦を棄てて文明開化?

2月16日は、旧暦の正月朔日(今年の場合)である。つまり「元日」ということである。今年は、テポドンの発射も予想された金正日総書記の誕生日とたまたま重なってしまったので、めでたさも半減であるが、ともかく、東アジア各国では「おめでとう」である。

明治維新以後、日本では、「欧米化することがなんでも文明開化(近代化)」ということで、「武士の魂」のはずであった刀をあっさりと棄て、丁髷を切り、肉食の禁を破り、胴長短足の日本人の体系に似合うとも思えない「洋服」を天皇から庶民に至るまで着用するようになった。すなわち、文明開化=旧陋(アンシャン・レジーム)打破=伝統文化破壊であった。

そんな「上からの改革」のなかで、つい忘れられがちであるが極めて重要な変革のひとつに、旧暦(太陽太陰暦=貞享暦)から新暦(太陽暦=グレゴリオ暦)への変更がある。欧米列強との外交交渉や通商の必要性から生じたのであろうが、明治新政府は、突如「旧暦の明治5年12月3日をもって、新暦の明治6年1月1日とする」という太政官布達を発した。それまで、千年以上にわたって日本人が慣れ親しんできた太陽太陰暦(月の満ち欠けに合わせて、毎月必ず、朔日が新月で十五日が満月になり、季節とのズレを防ぐため約3年に1度の割合で「閏(うるう)月」を挿入するというとてもよくできた暦=詳しくは、萬遜樹氏の論文『正月とは何か――暦の観点から』)を参考されたい)を弊履のごとく捨て去った。

農業や漁業(当時は、国民の大多数は第一次産業に携わっていた)の仕事は、旧暦に基づいて行われたいたし、寺社の祭事はいうまでもなく、庶民の諸行事はすべて旧暦に基づいて実施されていたので、突然の暦の切り替えは、国民生活に大変な混乱が生じさせた。旧暦では、「小の月(29日間)」と「大の月(30日間)」はあるものの、毎月3日は必ず「三日月」、15日には必ず満月(十五夜)が拝め、年末は「大晦日=大三十日(おおみそか)」であった。これだと、女性の生理(月経)ともピッタリ相応し、婦人体温計などでいちいち基礎体温表をつけなくても、毎月の「危険日」は固定されているので、セックスもし易いではないか…。

この旧暦から新暦への突然の切り替えには、先に述べた「表向きの理由」の他に、明治新政府の「特別の事情」もあった。王政復古・廃藩置県・秩禄奉還・富国強兵等々の諸改革にいっぺんに手をつけたが、弱体な新政府はたちまち財政逼迫(ひっぱく)となった。そこで、明治5年の12月を「なかったことにする」ことによって、公務員の月給の支払いをまるまる1ヶ月分飛ばし、年間財政支出を「12分の1浮かす」起死回生の策が取られた。現在でも、国家や地方財政は超逼迫しているのだから、暦を切り替えて、数百万人もいる公務員と特殊法人職員の給与(ボーナスや退職金も)を数ヶ月分吹っ飛ばせば、かなり効果が上がると思うのだが…。公務員は、民間のようにリストラされる不安もないし、勤務先が倒産する心配もないのだから、それくらいのリスクを分かち合うべきだと思う。

とにかく、そういう訳で、日本式の旧暦(太陽太陰暦)は廃止され、「世界共通である」と考えられていた新暦(太陽暦)が採用されたのであった。しかし、ここに大きな落とし穴があったのだ。日本人はどうも、明治以来このかた「欧米基準=グローバルスタンダード」と思い込んでいるようである。最近のTVコマーシャルでも「英語は地球語」などという暴論が平気で流されている。とんでもない。話している人間の数からいったら、一番多いのはいうまでもなく中国語だ。中南米ではスペイン語が、イスラム圏ではアラビア語が共通語だ。

当然、暦でも、イスラム圏は「ヒジュラ暦(預言者マホメットのメッカ帰還を元年とする)」を使っているし、東南アジアの上座部仏教諸国では釈尊の生誕に基づく「仏暦」を使っている(この辺の経緯は、『ウルトラシリーズと共観福音書』で論じたとおりである)。したがって、これらの諸国ではいわゆる「コンピュータの2000年問題」も関係ないということになる。なんと北朝鮮では「偉大な領袖」故金日成主席の誕生日を紀元とする「主体(チュチェ)暦」というのを昨年から採用したそうだ。日本だって、戦前には神武天皇の即位を紀元とする「皇紀」を使ったこともある。因みに今年は皇紀2659年に当たる。要は、「西暦は絶対的指標ではない」ということである。

▼三宅式インフルエンザ予防法

さて、ここで、今回のもうひとつのテーマである「インフルエンザ」について論じたい。今年は、昨年に続いて強力なタイプのウイルスである「A香港型」のインフルエンザが大流行し、各地の老人ホームなどでは、毎日十人単位でコロコロとお年寄りが亡くなっているのが連日報道されているので、心を痛めておられる読者も多いことであろう。私が「老人ホームに年老いた親を預ける(棄てる)」という現在の日本の社会福祉システムそのものに反対していることは、先月『老いを生きる』で論じたとおりである。たとえ、そのようなラディカルな意見を抜きにしても、昨今の老人ホームのインフルエンザ流行に対する管理体制の不備は、福祉・医療現場や行政当局の重大な過失である。この冬、日本全国で合計数千人の高齢者や乳幼児(抵抗力が弱い)がインフルエンザで亡くなるという予測もなされている。

インフルエンザの予防法については、ワクチンの接種や外出後の手荒い・うがいの励行、さらには部屋の加湿等さまざまな対応策がメディア等で喧伝され、また、言われなくとも、それぞれに予防措置が講じられていると思われる。最近のバイオテクノロジーの著しい進歩は、分子レベルでのインフルエンザ・ウイルスの感染方法を解明し、次々と対処法を提唱している(薬を作り出している)し、これがまた、メディア等で素人にも分かり易く解説されているので、そのことについて、私がわざわざ論じるまでもない。

そこで、私の提唱するインフルエンザ対処法は全く異なった観点からである。実は、私はほとんど外出しない人である。なにしろ、今年になって家の敷地から外へ出たのはまだ数回しかないくらいだ。人混みはできるだけ避けるようにしている。しかも、薄着で素足だ。聞くところによると、南極観測隊の人たちは「風邪を引かない」そうだ。氷点下数十度の超低温の世界にいるのに、辺り一面、氷に閉ざされていて、インフルエンザのウイルスを伝搬するもの(哺乳類)が何もないからだ。ただ、何ヶ月かに一度、日本の家族からの手紙や食料補給が届けられる時に、一緒にウイルスも来て、隊員一同風邪を引くそうだ。しかし、この風邪も、一旦全員が引いてしまうと、隊員にはそのウイルスに対する抗体が出来てしまい、それ以上感染してゆく人がいないので、自然に消滅してしまうそうである。そう、「なるべく人と合わない」というのがベストな予防法である。

しかしながら、かくいう私にも弱点はある。3人の子供たちが小学校や幼稚園でインフルエンザのウイルスをもらってくるからだ。基礎体力(予備力)が不十分で、あらゆる感染症の抗原に対する抵抗力が弱い子供たちは、高齢者と並んでインフルエンザ・ウイルスの絶好のターゲットである。老人ホーム同様、一旦、学校・幼稚園内でインフルエンザが流行し出すと、瞬く間に集団風邪が蔓延し、いわゆる学級閉鎖や学校閉鎖という事態に陥る。私など、自分ところの子供が風邪を引いたら、他のお子さんたちに感染させてはいけないので、すぐに学校・幼稚園を休ませることにしている(子供の頃、風邪を引いたら、学校を休めるし、親も優しくしてくれるので、何か得をしたような気分になったものだ)が、教育熱心な親御さんたちは「学校を休ませると学習に遅れる」ということで、なかなか子供を休ませないから困ったものだ。インフルエンザの流行のピークは、1月下旬から2月の中旬にかけてである。

▼「旧正月」復活計画

そこで、ひとつの提案がある。日本も国を挙げて「旧正月」を復活させるのである。どうも地中海地域(ローマ帝国)で成立した現在の太陽暦は、東アジア地域に暮らす日本人の生活実感とはピッタリ来ない。年賀状には決まり文句として「迎春」と書くが、春が来るどころかそれからどんどんと寒くなってゆくし、6月30日に「夏越の大祓」をしても、ちっとも夏を越していないじゃないか…。それに引き替え、中国文化圏(中華人民共和国だけでなく、広い意味で漢字が通じる地域全体)で広く行われている「春節(旧正月)」を採用すれば、もう梅の花は満開だし、プロ野球のキャンプは始まるし、どこから言っても「春」という感じが実感できる。

新暦の1月1日だけは「国民の祝日」として休みにしてもいい(海外では、2日からは学校も会社も通常通り)が、年末年始の連休はなしにするのである。毎年12月には、出版社の都合で「年末進行(「正月休み」を取るための月刊誌等の特別進捗スケジュール。ひと月に2ヶ月分の原稿を書かされる)」に合わさせられて偉い目に遭う私としては、1月1日をNew Year's Dayとすることには不満はないが、社会全体が「正月休み」になることには辟易させられている。「年中無休」の私が「正月休み」を取るサラリーマンの都合のために、忙しい暮れに余分な仕事をさせられるのはまっぴら御免だ。テレビ番組も、取り貯めしたような低レベルの「正月特番」を見せられるのは懲り懲りだ。いつもと同じ時間帯で番組を提供してもらいたいものである。日本以外の世界は動いているのだから…。

その代わり、節分・立春の頃を中心(毎年、日が多少前後する)とした「旧正月」を国民的行事として祝うようにしてはどうだろうか?その方が、東アジア各国との連帯感も生まれるし、一年のうちで最もインフルエンザが流行する時期に、学校は「冬休み」となるので、少なくとも子供たちへの大流行は抑制することができると思う。なにしろ、インフルエンザへの最も有効な対抗措置は、人と人との距離を離すということであるということは、南極観測隊の場合で実証済みだ。冬休みだといっても、旅行だの買い物だのといった外出はなるべく抑制して、子供たちは家で家族と共に暮らす時間を多く取るようにするのである。伝統的な社会がそうしてきたように…。そして、新しい生命が萌え出ずる「春」を迎えるのである。

最後に、近代日本ではすっかり忘れ去られてしまった「旧正月」を、商売のビッグチャンスにしているところを紹介しよう。読者の皆さんは以外に思われるかもしれないが、そこは「日本の中のアメリカ」を目指して15年前に造られた「夢と魔法の国」東京ディズニーランドである。「非日常世界(夢と魔法の国)を演出し、その雰囲気を壊さない(日常を持ち込まない)ため」というコンセプト(大義名分)を立てて、場内への弁当の持ち込み禁止や看板類を全て英語表記にしているというこの巨大遊園地で、2月12〜21日の期間中「Chinese New Year's Greeting(中国式新年=旧正月の祝い)」と呼ばれるイベントが行われているのをご存じであろうか?この期間中限定で、ミッキーマウス等の着ぐるみは、チャイナドレス風の衣装を身につけているのである。

確かに、韓国・台湾・フィリピン・香港などの若者に「行ってみたい外国のスポットは?」と聞くと、たいてい、東京ディズニーランドが人気の上位を占めている。日本の街を歩いていても、白人や黒人のように「一目で外国人」とは判らないが、東アジア各国から観光や就労に来ている外国人は結構いる。大阪の超下町「新世界」にある大規模温泉娯楽施設スパワールドに平日の昼間に行ってみると、広東語やハングルなどが飛び交っている。それらの人々の「あこがれの聖地」東京ディズニーランドが、2月という日本では最も遊園地が暇になる時期を選んで、中国が新年を祝う時期(春節)にイベントを持ってきて、大成功をしているのを見ると、不況風に吹かれる日本の経済状況を大いに考えさせられる。わが国も、なんでもかんでも欧米化一辺倒にそろそろ疑問を感じてもいい頃だと思っているのは、私だけではないだろう。



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