レルネット主幹 三宅善信 ▼朝(あした)に紅顔ありて、夕(ゆうべ)に白骨となす 本日、私の祖父(三宅歳雄)が、満96歳の誕生日を迎えた。8回目の年男にあたる。その上、まだ「現役」で毎日の勤めを果たしている。驚異という他はない。昨年7月27日の私の満40歳の誕生日に上梓した『四十にして惑わず?』で展開した説によると、多少の個人差はあるにしても「人間の総合力のピークは40歳前後である」ということになっている。今でも、基本的にその考えには変わりがない。その際、日本人の平均寿命が80歳前後ということであるので、80歳以上の高齢者のことをあまり積極的に問題にしなかった。というより、プラスの能力という点でのみ評価を考えたので、そういう結論になってしまった。 もちろん、70歳で既に惚(ぼ)けている人もあれば、90歳でなお矍鑠(かくしゃく)とされている人もいるほど、個人差が大きい世界であることは言うまでもない。私がよく存じ上げている人でも、昨年まで皇學館大学の理事長をされていた櫻井勝之進先生(91歳)や、今も大妻女子大の学長をされている中川秀恭先生(91歳)などは、新幹線にもお一人で乗られるし、文部省の役人相手に交渉をされたり、私がいろんな質問をお尋ねしても、ほとんど即座にご回答くださる。先日も、当ホームページのデータについて、新幹線で乗り合わせた時に、方法論的な問題点を指摘してくださったばかりである。これらの先生方は、特別、優れておられることは言うまでもないことであるが、たとえそうでないとしても「老い」の問題というのは、結構、興味深いテーマである。 ヒトが「老い」の問題を積極的に意味づけするようになったのは、いったいいつ頃からのことであったのであろうか? 現代人のわれわれは、「老い」の問題と「死」の問題をほぼ同一延長線上で考えているが、古代・中世はいうまでもなく、わが国においても、つい百年くらい前までは、一番たくさん死んだのは新生児から幼児の時期であたので、「老い→死」という図式は、必ずしも成り立たなかったと思われる。有名な蓮如上人の『御文章』に「朝(あした)に紅顔ありて、夕(ゆうべ)に白骨となす」とあるのは、文字通り、さっきまで元気に走り回っていた子供がコロッと死ぬことの描写である。もし、年寄りが死んだのなら、「朝に紅顔」とは言わないであろう。 各種の予防接種もなく、栄養状態に恵まれなかった昔は、いったん、麻疹(はしか)や疱瘡(ほうそう)や赤痢・コレラのごとき伝染病が流行すると、その地域の子供たちの20〜30%が亡くなったものと思われる。ただし、逆に捉えると、成人(生殖能力を獲得するという意味。昔は十代の中頃で結婚した)年齢にまで達した人は、幼少期の何度かの伝染病の流行から「生き残った」人たちであるので、大抵の伝染病の免疫を備えていたものと思われる。この人たちは、生物学的には結構強そうなので、戦乱などがなく社会が安定していた江戸時代には、現在ほどの長命ではないにしろ、「孫の顔を見る」くらい(50〜60歳代くらい)までは生き延びることはできたものと思われる。さすがに70歳までとなると、「古来稀なり」ということだったのだろうが…。 すると、やはり「老い」の問題が重要な課題となったに違いない。生物学的な生殖可能限度年齢を著しく超えて「長生き」する動物であるヒトにとって、「老い」は深刻な問題である。その昔、釈尊が「人生における四つの苦とは、生・老・病・死である」と言ったそうだが、これらの苦の規定の仕方そのものが、極めて「人間的な苦」認識であることは間違いない。なんでも、今年は、国連提唱の「国際高齢者年」だそうである。正月らしく、「老い」について考えてみよう。「老い」という表現をするからネガティブな印象が強いが、この言葉は、「長寿」とほぼ同じ意味である。こちらは、やけにポジティブな感じがする。この問題は、実は、「捉え方の問題」なのである。そこで、キリスト教と仏教における「老い」の問題を比較しつつ、「老い」の本質に迫りたいと思う。 ▼キリスト教における「老い」の問題 まず、キリスト教のおける「老い」の問題であるが、当エッセイ愛読者の皆さんのご想像通り、そもそもキリスト教において「老い」が問題にされているケースはほとんどない。考えられる理由は「教祖」であるイエスは、天寿を全うするのではなく、伝道生活を始めてからわずか二・三年の三十代前半という年齢で、十字架刑死しているので、イエスには「老い」という問題がほとんどリアリティをもって感じられなかったからであろう。その点、釈迦は80歳まで生きたと言われているので、当然、嫌がおうにも、本人(釈迦)自身の加齢も含めて「老い」の問題がテーマになりえたことであろう。 歴史上の人物としてのイエス(これについては『ウルトラシリーズと共観福音書』で詳細に分析している)は、宗教家として、三十代前半という男盛りの年齢で、政治犯(宗教犯)として捉えられ、十字架刑という「非業の死」を遂げた。そのため、キリスト教では「死」についての神学(思想)が発達してきた。教義としての「贖罪死(罪のない「神の子」イエスが、罪多き人間の身代わりに殺されることの「余徳」によって、罪多き人間が救われるという思想)」や「復活」の思想である。後の時代に、キリスト教のシンボルが十字架で表されるようになった程である。キリスト教の教義についてほとんど何も知らない一般の日本人でも、イエスが十字架刑で死んだということだけは知っている。 したがって、キリスト教ではほとんど「老い」は問題にされなかった。ただし、イエスが生まれる何百年も前に成立した(キリスト教とは直接関係のない)旧約聖書の『創世記』には、次のような「神話」が記載されている。読者の皆さん。最初の人であったアダムは何歳まで生きたかご存じか? なんと930歳まで生きたことになっている。しかも、子供のセツを生んだ(正しくは「産ませた」)ときは既に130歳!という超高齢だ。アダムの息子セツも父親譲りの長寿で912歳まで生き、その子エノスは905歳、以下、カイナン910歳、マハレル895歳、ヤレド962歳、エノク365歳(若死?)、レメク777歳とことごとく超長寿を誇った。しかもみんな百歳を超えてから子をなしている。バイアグラなんて全く不要なのだ。奥さんたちは若かったに違いない。「畑」が若くなければ…。そして、レメクの息子が、あの有名なノアである。ノアが後に世界の諸民族の先祖になるセム・ハム・ヤペテの3人の息子を成したのが500歳の時、そして、あの有名な「大洪水」が起きたのが600歳の時だったそうである。そして、ノアは950歳まで長生きしたそうである。 この神話を、単なる「お伽話」と見るか、あるいは、ひょっとして当時のイスラエルの暦はわれわれの馴染んでいる1年=365日の暦とは異なったものと見るのか(それにしても、「エノクは365歳で死んだ」とあるから、たぶん365という数字に何らかの意味があったと推察できる)、この問題に詳しい人があれば教えていただきたいのであるが、ともかく、神話の時代はみな長生きだった。というより、無限のいのちを神より授けられていたみたいだ。それを、何らかの理由によって人間は失うことになるのだ。いわく、アダムの「エデンの追放」であったり、スサオヲノミコトの「高天原の追放」であったり…。ともかく、「失楽園」した結果、人間は(今日の非神話化された)人間になったのだ。 旧約聖書の話は、荒唐無稽な神話あるいはお伽話であるにしても、新約聖書の話(「(歴史的な人物であった)イエスをキリスト(神の子=メシア)である」と信じるものの集団である初代キリスト教会によって創られた話)は、現代人の目から見ると、もう少し「まともな話」である。一般に、キリスト教の教会で説教に使われる「タネ本」としては、新約聖書の話が圧倒的に多い。ところが、『聖書語句大辞典』で調べてみても、新約聖書には、「老い」や「老いる」という項目が見つからない。わずかに「年老いる」という表現が、『ルカによる福音書』1章7節に「ふたりともすでに年老いていた」と、『ヘブル人への手紙』11章11節に「サラもまた年老いていた」の2カ所だけあり、「年をとる」、「年寄り」、「老人」、「老年」という関連表現を全て併せても、わずか13回しか出てこない。なお、他に「長老」という言葉が58回も使用されているが、これはユダヤ教の職制名であって、直接、老人を意味しないので省く。 逆に、「若い」や「少年」・「少女」、「青年」、「娘」などの若者を指す反対概念の用語は、老人関係の用語の約6倍の頻度でイエスの言葉として新約聖書中に使われている。ここから類推されることは、神学的な内容については何とも言えないが、少なくとも生前イエスの周りにいた信者集団の中には、年寄りはほとんどいなかったことが類推される。若者ばかりということで、教えの内容も勢い(体制側から見て)過激な表現が多かったに違いない。教団には「酸いも甘いも噛み分けた」分別のある大人がいなかった(あるいは排除された)ようだ。なんだかオウム真理教のごとき「危険な狂信的革命集団」みたいな感じで、当時の権力(ローマ帝国の傀儡政権であるヘロデ王)側から見られていたのも納得できる。それ故、政治犯として十字架刑に処せられたのであろう。 イエスの思想は、未来や終末(世界の終わり)ですら、現在進行形で語られ(例えば、『マタイによる福音書』4章17節によると、イエスが宣教の最初に述べた言葉は「悔い改めよ。天国は近づいた」という終末の到来の宣言である)ており、極めて現在的、実在的ないわば実存主義的な思想であり、物理的に何十年か後に訪れるイエスの「老後の問題」などは眼中になかったと考えられる。そして、男盛りの年齢で、非業の死を遂げたことから、教会の関心もまた、「死」の方向へジャンプしてしまい、やはり、「老い」の問題に取り組む余地はなかったのだと思われる。 ▼仏教における「老い」の問題 それでは、仏教における「老い」の問題を考えてみよう。『瑜伽師地論』によると、老いの相には5種あるという。@盛色減退し、A気力衰退し、B眼や耳などの五根(感覚器官)衰退し、C境界衰退(仕事や配偶者の喪失などによる環境の変化)し、D寿量衰退する、の5つの衰退である。ここでは、老いによって生命的にも社会的にも、精神の面からも、自我が崩壊してゆくものととして捉えられている。しかも、単なる自我の崩壊ではなく、精神の混乱とそれによって「愚かさ」がますます増幅するものとして受け止められている。 『法句経』には、「愚かなるものは牛の如く老ゆ。彼の肉は増せども、彼の智は増すことなし」とか、「頭(こうべ)白しとて、このことによりてのみ、彼は長老たらず。彼の齢(よわい)、よし、熟したりとも、これ空(むな)しく老いたるんとのみよばれん」というような表現が目立つ。つまり、「老い」は愚かさ(智慧の欠如)として説かれている。 また、釈迦の中心的な教説である「四苦」(一般に、大層困った状態を「四苦八苦している」というが、これは仏教からきた言葉である)と呼ばれる人間存在の見方のことである。いうまでもなく、「四苦」とは「生・老・病・死」の4つである。何不自由なく育った釈迦族の「若き」王子ゴータマ・シッダータは、ある時、社会勉強のため居城の東西南北の門から外へ出て、地べたに這いずり廻って暮らす庶民の生活――世の中の現実(生・老・病・死)を見てしまう。そして、統治者である国王としてではなく、人間としての智慧を極めるために出家を決意するのだ。いわゆる「四門出遊」と呼ばれるエピソードである。キリスト教とは異なり、仏教では「老い」の問題は、初めから重要なテーマなのである。出家したゴータマは、その後、長年の修行の過程を経て、35歳の時に「悟り」を開き、ブッダ(仏陀=覚者)となり、80歳で入滅する(死ぬ)まで、45年間の長きにわたって多くの人々を教化するのである。 生・老・病・死は、いずれも人間の生命としての存在自体が人間の意志と相反する側面を持っていて、人の意志に逆らうもののである。その存在の事実と観念とのギャップから生じる苦痛を「苦」と言っているのである。「老い」はそのような「苦」として捉えられている。人間の在り様が、諸条件によってダイナミックに変化することは、昨日まで大好きであった人が、ちょっとしたことで大嫌いになる(愛憎)ことがままあるように、われわれは日常的に経験している。つまり、自分の精神のあり方次第で、あるいは、自らの精神の束縛によって、愛憎や苦楽は変化しうるものなのである。 ところが、釈迦は「今いのちあるは有り難し」(法句経)というような自己の生存自体の絶対性を主張するものがある。この見地からすると、老いもまた比較を超えた存在の真実だということになる。道元(1200〜53年)の言葉では「生死は仏のおんいのちなり」である。この立場では、老いの惨めさや苦痛や愚かさというあり方よりも、生命の事実の絶対性への目覚めが基本になっている。禅宗では、「老師」という言葉が使われる。「悟りを完成し、人を指導しうる人」への尊称である。もちろん、ここでいう「老」とは、「老若を超越したところで悟りに一致している人」のことである。老人が老人を縁として、生き方を探るとき、老人的あり方よりも、もっと普遍的真理によって自己に答えを得ようとしているのである。 老いを契機として自我への束縛を繰り返し、愚かさに使役されている状態の「老い」は「迷い」として位置づけられていることになる。それに対して、病や老や死をも、存在の事実として見させしめている場合の「老い」は、「仏のいのちを生きるもの」として受け止めていることになる。仏教に老いては、「老い」について相反する2つの視点があるといえよう。仏のいのちとしての存在の事実を生ききるあり方のことを、禅宗では「妙修」といい、念仏宗では「報恩」という。 ▼ 「隠居」の思想 ここまで、世界の代表的な宗教思想であるキリスト教と仏教における「老い」の問題を考察してきたが、ここで少し視点を変えて、日本における「隠居」の制度について取り上げてみたい。イギリスの言語学者チェンバレンは、1873〜1905年にかけて日本に滞在し、日本語の文法を体系づけた国語学の創始者として知られている。彼が英文で刊行した『日本事物誌』において、彼は、欧米人に興味があると思われる日本の風習を選び、批判的に紹介した。 その中のひとつに「退位」がある。いわく「君主の退位はヨーロッパでは例外的なものであるが、日本では永い年月のあいだ通例であった。(中略)しかし、この考えが恥知らずの大臣どもに悪用され、玉座には幼い人形的君主をすえて、成人すると退位させる」と…。欧州では、王は終身制で滅多なことで退位しない。日本の天皇家では、奈良時代の皇極天皇から幕末まで、皇位の継承は生前譲位によるところが多かった。退位した天皇は、天皇と同格の上皇あるいは太上天皇となる「花道」が用意されていた。けれども、チェンバレンが「退位」をわざわざ問題にしたのは、天皇家特有の現象であったからではない。日本では「退位」は君主に限られた制度ではなかった。興味深いのはむしろ後半の叙述である。 「後の時代になると、中流階級や下流階級の人びとは上の人びとの真似を始めた。最近の革命(明治維新)の時代に至るまで、人は中年を過ぎると隠居といわれる境遇に入ることが、ほとんど一般にゆきわたっている習慣であった。隠居とは、文字通り「隠れて住む」である。隠居となれば自分の財産を相続人に譲る。一般的にはすべて官職を辞し、自分の子供たちの世話をうけて生活する。かれらは自由に自分の好きな楽しみや研究にふけるのである。日本では老人は極めて尊敬されているから、隠居たる者はリア王の運命をおそれる必要は少しもない。老人は息子たちがまめまめしく面倒を見てくれることを知っている。日本の新政府は隠居の風習を止めさせようと努力している。それは、ヨーローッパ的でないから野蛮だというのである。(後略)」いかにも、英国人学者らしい観測である。 現在の日本でも、政治家・実業家・スポーツ選手などの場合、適当な機会に現役から潔く引退することが賞賛の的になっている。「引退の美学」とか「引き際の見事さ」があれこれ取り沙汰されたりもする。逆に、往生際が悪く、周囲の圧力で心ならずも引退に追い込まれた時は「野垂れ死」と悪評されたりもする。とは言っても、「引退の美学」がもてはやされること自体、実際には「野垂れ死」的引退が少なくないことを意味している。しかし、これらは、美しいか醜いは別として、特別な地位や才能のある人の「自主的な引退」であって、まだ救いがある。大多数のサラリーマンは、各個人の能力や精神状態とはなんら関係ない戸籍上の年齢によって「定年退職」へと追い込まれる。「定年」と「諦念」がピッタリ重なればまだ救われるが、なかなかそうもいくまい。それどころか、不況の時代には、リストラに遭って40代50代で職(社会参加の機会)を奪われることすら珍しくない。80歳まで生きるとして、残る半生、何をすべきがが問われるところである。古代インド人のような「学生期・家住期・林住期・遊行期」のごとき 人生設計で、一家の主として社会的責任(家住期)を終えたら、林住期の出家(精神)生活に入ることができればいいのだが、現代日本の現実ではなかなかそうもゆくまい。 老人を「弱者」と決めつけ、保護(保証)する対象として見なしている現在の日本の社会福祉制度が問題だ。年老いた親と一緒に住まないような親不孝者はいうまでもないが、これを助長している社会制度にも大いに問題がある。年寄りを病院や特別養護老人ホーム等の施設に放り込めば、医療費は原則的には無料(つまり、多額の税金が使われている)だし、面倒な手間はかからない。一方、親孝行をして、自宅で老人の世話をしている(多くの場合、直接血の繋がっていない長男の嫁であったりする)人には、何ら税的な優遇措置すら与えられていない。これでは、国が親不孝を奨励しているようなものだ。ますます少子高齢化の進む日本は、これでは経済的にももたないし、倫理的にも堕落する一方である。私の提案は、老人医療を有料化し(将来、納税者となる数少ない子供の医療費こそ無料にすべきである)、これを別居している子供(中年〜熟年世代)たちから徴収する。逆に、自宅で老人の面倒を見ている子供の税金を年額数百万円単位で、その所得から控除すべきである。これなら、住宅の数も少なくて済むし、老人の生きがいや孫の人間教育にもなる。 このことによって、現在は、病院で器械(延命措置のための諸器具)と見知らぬ人(医療従事者)に囲まれて死ぬ機会が圧倒的に多い老人は、住み慣れた自らの家で、家族のものたちと人生最期の日々を送りながら、自然に衰弱して死ぬことができる。その方が老人も幸せであり、残される子供や孫・曾孫たちの霊性(spirituality)の開拓にもつながる。さらには、逼迫しているわが国の国家財政も大いに助かる。全国家予算の3分の1以上は社会福祉に使われているからだ。人々が公的生活を引退してから死ぬまでの長い老後を、弱者として保護の対象にされたり、社会的に疎外されたりするのではなく、社会や家族から敬愛を受けて、精神的に豊かに暮らすシステムを構築するために、江戸時代のごとき「隠居」制度の復活を希望するものである。そういえば、テレビでご存知の『水戸黄門』も、仮の姿も「越後の縮緬問屋の隠居光衛門」であり、本当の姿も「前(さきの)副将軍徳川光圀侯」であるというダブル隠居なのだが、いきいき活躍しているではないか…。 「老い」から目を背けたり、「老い」を憂うのではなくて、「老い」の持つさまざまな否定的な要素と共に生き、むしろ、長寿を言祝ぐ生き方を探ってゆく方が、これからの長寿社会にとって肝要ではないかと思う。 <参考文献> 笠原芳光 「キリスト教のおける老いの思想」 中野東禅 「仏教にみる老いの思想」 鯖田豊之 「隠居の思想」 天理やまと文化会議編 『特集「老い」を考える』 |