第1回JLCオンライン学習会 報告書
── 〝Withコロナの時代〟を学ぶ
- 開催日時
- 2020年10月9日(金)13:00~15:00
- 開催方法
- Zoomウェビナーによるオンライン開催
- 開催の経緯
- 新型コロナウイルス感染症の世界的パンデミックに伴い、感染拡大を防ぐため、日本を含め世界各地で社会活動の自粛や制限が行われている。JLCも2020年2月13日に開催された第215回JLC会議以降、定例会議はZoomを利用しオンラインで開催している。また、6月に予定されていた宗教的ニューカマーに関する学習会も中止を余儀なくされた。そのような状況下ではあるが、JLCとして出来ることを模索した結果、オンラインでの学習会を開催し、コロナ禍の現在の社会問題を学ぶ機会を設けることが決定された。
- 内容
- 当学習会は2部構成とし、金光教泉尾教会の三宅善信師がモデレーターを務めて、第1部では玉光神社の本山一博師が「自粛か?自衛か?」と題して、過剰に自粛し社会を萎縮させないための感染予防についての講演を行った。第2部は、外部講師として長年ハンセン病に関する取材を続けている三重テレビ放送の小川秀幸氏を迎え、ハンセン病の実例を示して感染性の疾病に関する差別や偏見について学んだ。
当日のプログラムは以下の通り
- 12:50〜
- 聴講者入室可 / モデレーター:三宅善信師
- 13:00
- 第1部 開始
開会あいさつ 柳田 季巳江 師
開会の祈り 滝澤 俊文 師 - 13:10
- 講演Ⅰ「自粛か?自衛か?」 本山 一博 師
質疑応答(代表質問者:水野 友晴 氏) - 13:55
- 休憩 (5分間)
- 14:00
- 第2部 開始
講演Ⅱ「今こそ問われる〝ハンセン病〟の教訓
〜コロナ禍で考える差別〜」 小川 秀幸 氏
質疑応答 (代表質問者:岩渕 美智子 氏) - 14:45
- 総括 三宅 善信 師
閉会の祈り 芝 幸介 師
閉会あいさつ 西田 多戈止 師 - 15:00
- 閉会
- 参加者数
- (前日までの申込登録者数):講師他登壇者含む 計123名
内訳:立正佼成会 21名、金光教泉尾教会 2名、一燈園 7名、むつみ会 1名、玉光神社 1名、日本チャプター 85名、IALRW 5名、三重テレビ放送 1名
動画公開
本学習会終了後、期間を限った限定公開の形でYouTubeでの動画配信を行った。
第1部は10月15日より、第2部は10月19日より、共に11月1日までの約2週間を公開期間とし、メールやウェブサイトでリンク先を知る人のみの限定公開で配信した。
動画視聴回数は第1部 238回、第2部 117回を数えた。
また三重県在住の講師・小川秀幸氏の中継地として、立正佼成会津教会のご協力をいただいた。
学習会詳細
紀伊半島付近への台風14号の接近が伝えられる10月9日(金)午後、JLCとして初の試みとなるオンライン学習会が開催された。モデレーターを務める三宅善信師は大阪の金光教泉尾教会から、第1部の講師である本山一博師は東京の玉光神社から、第2部講師の小川秀幸氏は三重県の立正佼成会津教会から、またご挨拶や祈りの先導などを務める諸師もそれぞれ別の場所からリモートでの参加となった。
定刻通り13:00より第1部を開始した。三宅師により開会が宣言され、視聴者への歓迎の辞や本会の趣旨、諸注意などが伝えられた。続いて立正佼成会総務部次長柳田季巳江師が紹介され、IARFやJLCの活動について、そして今回の学習会が行われる経緯を紹介し、「本日は120名を超える皆様に参加いただきありがとうございます。実践的な対策と共に、本日はコロナ禍での差別を学ぶ機会となり、宗教的少数派の擁護をテーマとするJLCのメンバーにとっても、本日はとても有益な内容になるかと思う。講師をお務め下さる お二方に感謝し、皆様と共にしっかりと学ばせていただきたい」との開会の挨拶が述べられた。続いてむつみ会の滝澤俊文師が登場され、「祈りはもともと時空を超えたもの。今回のZoomウェビナーも、ばらばらの場所ではあるが、時空を超えて祈りをひとつにしたい。本日の学習会が実り多いものとなりますよう、そしてこのコロナ禍が早く収まり平和な日常が戻りますよう、皆様方の健康とご多幸、世界の平和を、それぞれの場所で祈りましょう」との言葉で開会の祈りが捧げられた。
三宅善信師より本山一博師のプロフィールが紹介され、「自粛か?自衛か?」と題した第1部の講演が開始した。パワーポイントスライドや動画を示されながら、新型コロナウイルスについて現在わかっている情報と、それを踏まえた有効な予防策などについて話が進められた。
講演1 「自粛か? 自衛か?」
私は感染病の専門家ではないので、専門的な話や病気についての話はできないということはご承知おきいただきたい。講演テーマの「自粛か?自衛か?」については、自粛して社会活動を全く止めてしまうのか、感染症の対策をとりながら自衛をすることで社会活動を続けるか、どちらでいくかを皆さん一人一人で考えてほしい、という願いをこめて付けたもの。
まず、この病気の感染リスクがどの程度のものか。日本で一番感染者の多い東京では今までの累計では 1000人に2.8人程度。そして9割程度が回復している。全国に広げると10月現在の感染者数は約1万人に2名程度。PCR検査は基本的には感染している疑いの強い人が受けるが、その中での陽性率も4%以下。死亡率は年齢との相関関係が高く、50代以下は1%以下、60代で2%以下、70代で5%程度、80代で11%程度と報告されている。この数字をどう捉えるかは人によって感じ方が違うかもしれないが、自分の頭でどう考えるかが重要。
感染するリスクが高い状況とは「濃厚接触」がある場合。現在の定義での濃厚接触者とされているのは、医療者や同居家族以外では、マスクなしで1m以内かつ15分以上の接触があった場合。(マスクをしている場合は濃厚接触者ではない)。咳やくしゃみの症状が無い場合、基本的には飛沫が飛ぶのは会話の時。基本的に避けるべき状況は、「マスクをせずに、1m以内で対面での対話を15分以上すること」と考えられる。これを避けることで感染のリスクは減少させられる。ウイルスというものの特徴を考えると、どう行動すればよいかが見えてくる。
ウイルスは生物の細胞の中で増殖し、それ以外の環境では、ただ空気中を舞うホコリのようなもの。ただ、その中には感染力を持っているものと持たないものがあるし、より多くのウイルスに曝露することで感染する可能性が高くなる。またウイルスは主に気道で感染する。ポイントは「感染力をもった多数のウイルスを気道に入れない」ということ。
また推奨されている感染対策の理由を知ることも重要。形だけの対策で無意味なことをする人も多い。理由を知らないとイメージや感情で行動し、無意味な行動や危険な行動をすることになる。例えば屋外で黙って歩く時にマスクはあまり意味がないのに着けている人が、屋内で人と会って話す時にマスクを外している姿を見かけることも。
基本的に大切なことは、ウイルスを含んだ飛沫を気道に入れないこと、つまり「ソーシャルディスタンス」を保つこと。そして「話すなら離れる、近づくなら黙る」。これは人間の自然の行動と反対のことなので、かなり意識的に行い訓練する必要がある。
その習慣を身につけるために考案した4つのことがある。
- 「ソーシャルディスタンス標語」:「話すなら離れる、近づくなら黙る」
- 距離感を身に着けるための「ソーシャルディスタンス体操」
(両手を広げて当たらない距離を保つ) - 話すなら離れる:ソーシャルディスタンスロールプレイ学習①
(話そうと思って近づくが、その時には発話せず、一旦離れて手を伸ばしても届かない距離に離れてから発話する) - 近づくなら黙る:ソーシャルディスタンスロールプレイ学習②
(書類を黙って渡し、手を伸ばしても届かない距離まで離れたところで発話する)
玉光神社では、毎朝これを練習している。
また、以下のような感染予防のポイントが示された。
ポイント1:飛沫感染を防ぐ
飛沫感染を防ぐために重要なのは、まずはマスクを着用すること。これは基本的には自分の飛沫を飛ばさない、つまり相手に感染させないためのものだが、最近の研究では効果は限定的であるものの、感染予防にも有用であるらしいことが分かってきた。また正しい着用方法が重要である。特にソーシャルディスタンスを保てない対面の会話では必ず着用すること。つまりそれ以外の場面では特に必要がないとも言える。
ポイント2:接触感染を防ぐ
接触感染を防ぐための方策。感染力を有したウイルスが付着した手で鼻や口を触ることで、気道にウイルスを吸い込み感染する。目の粘膜からの侵入の可能性も指摘されている。有効な対策としては、不特定多数の人が触ったであろう個所に触れた後は、顔を触らないこと。そして手洗いと消毒が重要である。石鹸や消毒液は手についたウイルスの感染力を失わせる効果があるし、流水15秒以上の手洗いでも手に付着したウイルスの数を減少させる効果がある。
消毒液を使用する場合は、アルコールならペットボトルのふた半分くらい、次亜塩素酸水なら1杯分くらいを目安にたっぷり使うことで効果が期待できる。
ポイント3:「三密」を避ける
感染しない、させないためには「三密(密集・密接・密閉)」を避けることは重要。
濃厚接触者以外の感染リスクはかなり少ない。また感染予防のための行動で感染リスクが更に減る。
また自粛による社会活動の収縮で追いつめられる人は、主に貯金と収入の少ない人である。緊急事態宣言中にパチンコ屋が話題となったが、ここでクラスターが発生していないのには合理的な理由がある。合理的な理由を考えずにイメージと感情で判断をすることのないように。
これらを踏まえた上で、皆さんは自粛をするのか、自衛しながら社会活動を続けるのか、ひとりひとり自分なりに考えていただきたい。
講演後の質疑応答では、まずは聴講者を代表し関西大学文学部准教授の水野友晴氏が登場した。有益な講演への謝意が述べられたあと、関西大学では秋学期からは対面授業が再開され、大きな教室に少人数の学生を入れるなど、「三密」の状態にならないように考えているというような現在の対応方法などが紹介された。また水野氏は、ソーシャルディスタンス体操は具体的で実行しやすいのではないか。YouTubeなどに挙げていただけたら、学生にも紹介したい。ここで頂いた知恵を日常生活にも生かしてゆきたい。正しく恐れることの大切さを感じたと述べ、本山先生への質問として、ここに付け加えることや、何か他に普段から実践されていることで、今日のお話にはなかったことがあればご教示願いたい、と尋ねた。本山師からは、消毒液を常に持ち歩いていること、マスクは常にポケットに入れて、必要な場合にはすぐに装着できるように、そして必要のない時には外すといったメリハリをつけることを意識している、と回答された。
引き続き聴講者からZoomウェビナー上の〝Q&A〟を通して寄せられた質問がモデレーターの三宅善信師から紹介され、本山師から回答された。
[質問1] アルコール等で消毒した後に手を洗ってもよいのか?
[回答1] 特に問題ない。
[質問2] くしゃみによって飛ぶ飛沫はどれくらい?
[回答2] 咳で2m、くしゃみで3mくらいか。
[質問3] 国によって感染状況が違うが、その要因をどう考えるか?病理学的な差、行動学的な差、言語学的な差のどのあたりが大きいと考えているか?
[回答3] 専門家でないので何とも言えないが、今日は日本における一般市民のレベルで出来る合理的な予防策を取り上げた。
[質問4] 高齢者の死亡率にコロナの影響はどのくらい?
[回答4] 今は専門家でも意見が分かれているようだ。この感染症に関してはまだわからないことも多い。
ここで、本山師より三宅師の新型コロナウイルスに関する見解が尋ねられた。三宅師は、日本ではあまり重篤化しない傾向があるという感覚があるので、自分自身としては、あまり深刻に考える必要がないのではないかと考えている、と回答した。
[質問5] GoToイートが始まったが大丈夫か?
[回答5] 身内で行く場合は問題ないのでは?ただ、年配の人は若い人達との会食は避けた方が無難かも。
[質問6] 布マスクには効果あるか?
[回答6] ある程度の効果は認められる。素材によっても違う。布か不織布のサージカルマスクかよりも、正しい着用方法で利用することが大切。しっかりと、なるべく隙間のないように鼻から顎まで覆う事、そしてプリーツマスクの場合は、ひだを下向きにすることもポイント。
[質問7] 若い人にどのように伝えればコロナに対する理解が深まるか?
[回答7] 若い人に伝えるのは難しい。むしろ高齢者がしっかり自衛することが大切。若い人たちはむしろ積極的に経済を回すという役割を担う。またテレビなどを見ていてもあまり役に立たない情報であふれているが、誰がどのように伝えるのか、ということも考えていくことが大切。
モデレーターの三宅善信師からは、世界各国ではこのような非常事態には宗教者からのコメントがニュースとして報道されることが多いが、日本ではあまり見られない。日本でも宗教者の意見をテレビなどでも紹介してほしい、との期待が示された。
[質問8] ウイルスとお天気には関係があるのか
[回答8] 気温や湿度などとの相関性は指摘されている。
最後に本山師より「この講演で一番言いたかったことは、きちんと合理的に物事を考えるということ。イメージで語るのが一番良くない。理由を知ってそれぞれの頭で考えてほしい」と聴講者に語りかけ、第1部が終了した。
~*~*~(休憩)~*~*~
5分間の休憩をはさみ、第2部が開始した。三宅師より講師の小川秀幸氏の略歴が紹介され、「今こそ問われるハンセン病の教訓~コロナ禍で考える差別~」と題した講演が開始された。
約20年間にわたって元ハンセン病患者の取材を続けている小川氏からは、三重テレビ放送で放送したドキュメンタリー番組の一部を抜粋した映像を交えながら、日本においてかつてハンセン病患者がどのように扱われ、また差別や誹謗中傷を受けてきたかが紹介された。現在の新型コロナウイルスによる差別や誹謗中傷に対しても、病気による無知や思い込みが恐怖を招き、排除の雰囲気が作られること、また報道人の一人として感じる伝え方の難しさなどが語られた。
講演Ⅱ 「今こそ問われる〝ハンセン病〟の教訓~コロナ禍で考える差別~」
ハンセン病問題の取材を始めて19年となる。三重県庁でハンセン病担当官を務めた方や、戦争とハンセン病の関係や、家族の思いなどの取材を続けてきた。新型コロナについては専門に取材をしているわけではないが、いくつかの取材を通じて感じたことなどをお伝えしたい。
ハンセン病療養所に暮らす人々を報道では「元患者」とか「回復者」とか「療養所入居者」という言い方をする。それは彼らが既に病気から回復しているからだが、それにも関わらず療養所で暮らすことを余儀なくされている。かつては強い伝染病で不治の病と考えられていたが、実際のところは感染力も弱く、現在のように衛生状態も良く栄養も行き届いた日本で感染する人は年間で0~数名で、ほとんど感染することはない。1909年に日本で初めて公立の療養所が設立された。そこから全国各地に療養所が作られ、多くの医師や看護師なども患者と接触する機会があったが、その中に感染した人はいない。しかし海外では、いまだ発生する国は多く、年間約20万人が罹患している。ハンセン病は遺伝性ではないが、感染力が弱いとはいえ感染する病気であることは確かだ。特に家族間等の濃厚接触者に感染することが多かった。現在は治療法が確立され不治の病ではなくなっているし、治療法がない時代でも死に至ることは少なかった。ただ、昭和の前半までは後遺症が残る方が多かったのも事実だ。偏見や差別の対象になったり、後遺症が残るために一生治らない病気と考えられ、ホテルでの宿泊拒否事件などもあった。国は患者を隔離するために1953年に「らい予防法」を作り、1996年まで、患者を隔離する法律が残っていた。ハンセン病患者を出さないことが社会の幸せに繋がるという考えだった。また、当時は文明国として恥ずべきことと捉え、戦争に向かう時代に「お国の役に立たない人は排除すべきだ」という考えもあった。戦後においてもこの法律は継続された。お役所の事情もある(法律がないと予算がつかないので法律は残しておいてほしい)とはいえ、差別的な内容も含まれる法律だった。反抗的な態度とみなされた患者に対する懲罰や、断種や堕胎など、優生保護法に基づいて子孫を残すことを禁じられていた。この法律があることで、病気に対する恐れや差別感情が助長されていたという面もある。
元患者の多くはずっと療養所で生活している。入所者の平均年齢は86歳以上。本当は帰りたいが故郷では根強い偏見があり、家族にも連絡が取りづらい状況。療養所には生活に必要なものはほとんどすべて整い、納骨堂まである。「もういいかい?骨になってもまあだだよ」という川柳も残っている。
(ここで、2005年に小川氏が岡山県のハンセン病療養所長島愛生園を取材した際のVTRの一部が流され、療養所に入所されている方々の裁判の供述書の一部や、インタビューした際の様子が紹介された)
このVTRに出演された方の半数以上は、残念ながらもう亡くなっている。
新型コロナウイルスは急性の疾患で感染力が強いが、ハンセン病は慢性で感染力は低い。新型コロナウイルスはまだ治療法が定まっていないが、ハンセン病は治療法が確立している。このような違いはあるが、どちらも隔離という方法を取っているという共通点がある。新型コロナの場合は感染を予防するための措置として、ハンセン病は法律の定めるところによって。そして、感染者本人が差別を受けるということも共通点として挙げられる。
差別をされる理由として、反差別人権センター三重の松村元樹事務局長は、「感染者が増えることで我々の市民生活の自由を圧迫する事態が起こり、人々がその被害者であるという意識が生じるのではないか」と推測していた。感染者が出た家に石が投げ込まれたり、落書きされたりという事件があったり、SNS上で感染者の家族や周囲へ誹謗中傷なども起こっている。住所や勤務先の特定、公表をすべきだという書き込みなども見られる。患者と家族、職場が同一視されて攻撃されている。ハンセン病についても、ハンセン病が出た家は、真っ白になるまで消毒が施され、引っ越しを余儀なくされるということもあった。三重県庁のハンセン病担当官として患者を見つけ出して療養所に送る仕事をしていた高村忠雄さんによると、ハンセン病患者の家族に対する差別や偏見も厳しく、それを理由に縁談が破談になって自殺されるなどの例も後を絶たなかった。
皆、口では「差別はいけない」というが、それが自分の身の回りに起こってしまうと、自分が差別する側になってしまうこともある。自戒の意味も含めてそのように感じている。5年前に三重県のある自治体が行った人権に関する意識調査では、自分の子供の結婚相手がハンセン病元患者の家族であった場合どうするか?という質問があった。「問題にしない」と回答した人も約半数あったが、「考え直すように勧める」という人が44%もあった。らい予防法が廃止されて20年以上経ち、いまだにそのような考え方が40%以上を占めるというのは、自分としては多いように感じている。しかし、自分の身に危険が及びそうになったら必要以上に厳しい反応をしてしまうものだと思う。非常時には差別意識が露呈するものなのかもしれない。ハンセン病でも、三重県では戦前に陸軍の軍事演習の前に患者狩りというようなことも行われた。また、伊勢神宮もあることから、神土浄化ということも言われた。
ハンセン病の元患者から新型コロナウイルスに対してどのような思いをもっているのかを、最後に紹介したい。長島愛生園の山本典良園長は「ハンセン病はかつて文明国にらい病なし、と言われたように、その国の環境や衛生状態に発病の有無が左右されるといわれ、住民全員が発病するというものではなかった。誰もが感染・発病するというものではなかったから、差別を抑制できなかったと思っている。今回、新型コロナのような病気でさえも差別が起こっているという現状は憂うべきもの。誰でも感染・発病する可能性のある新型コロナウイルスに対してさえも差別意識が克服できないという状況では、ハンセン病のような病気が流行した場合には、大変なことになる」と警鐘を鳴らしている。また療養所に住む元患者の女性は、「差別された方の傷はすぐには癒えないのではないか」と心配されていた。ご自身も差別に苦しまれ、この病気による偏見が何年も続かないことを祈っている。ハンセン病の回復者の皆さんは、他の差別に対しても心を痛め、差別がなくなることを強く願っていることを感じている。
演題に〝ハンセン病の教訓〟と入れたが、この新型コロナの差別や偏見が話題になるときに、ハンセン病の教訓が生かされていないのではないか、との声もある。それも事実であろうが、私はこうも思う。そもそも、ハンセン病の教訓というものが社会に共有されていなかったのではないか?教訓が生かされなかったのではなく、その教訓が社会に浸透していなかったということがあるのではないか?それは報道機関にも責任があると感じている。
約30分の小川氏の講演を受けて、まずは聴講者を代表してIALRWの岩渕美智子氏が質問に立たれた。ハンセン病の患者の方々の苛酷な状況を改めて学び、大変胸が痛む思いである。政府が患者さんに心から謝罪して補償するのがせめてもの償いとなろうかと思う。新型コロナウイルスに関しては、私も明日かかるかもしれないという可能性がある。そのような中で、何故このような差別が起こるのかを考えてみた。昨今は「自己責任論」が流行しており、病気になるのはあなたの自己管理が悪いからだ、という風潮が強い。本来ならいたわるべき病人を責めるようなことが増えてきている。また感染者が世の中に悪い影響を与えるという雰囲気、特に自分にとっての善悪のみで悪と認識した相手を非難し攻撃する風潮がある。こういうことをなくすためにできること、取り組むべきことは何か。感染者が出た場所の名前がメディアに流され、影響やデマが拡散している。こういったことをなくすためにはどうすればよいかとの問いかけがあった。
小川氏は、「まず、三重県でも毎日コロナの感染者数の発表をしていて、今現在は550名。発表の仕方も、○○市の50代女性、△△市の20代男性のような形になっている。数が少ないため目立つということもある。私もそのような報道をする側の立場であるが、報道されるとご本人は辛いのではないかとも思うし、そこは改善しなくてはならないと思う。インターネット、特にSNSでの誹謗中傷についての法規制も検討されているが、その前に、マナーやルール、道徳のようなものを国民の間に広めたい。風評被害については、報道の立場としては、クラスターの発生については報道しているが、その場合、それらの施設がどのような対応をとっているか、県民の皆様に安心していただけるようなフォローアップに努めている」と、報道に携わる側の立場からの見解を交えて回答された。
つづいて、聴講者から〝Q&A〟に寄せられた質問のいくつかが、モデレーターの三宅師より質問された。
[質問1] ハンセン病について取材をしようと思ったきっかけは?
[回答1] 社会的問題を取材したいと考えて三重テレビに入社した。そのいくつかあるテーマのうちのひとつと
して出会ったのがハンセン病問題。取材を進めるうちに、三重県に関連するテーマや戦争との関係性なども出
てきたため、これは自分にしかできない、自分がやるべきテーマなのではないか、と考えるに至った。そのことがずっと取材を続けていくきっかけとなった。また取材を続けていくうちに出会った入所者の方々は魅力的な人が多い。彼らに会いに行くということも取材を続けるひとつの理由にもなっている。
小川氏は、講演中に言い忘れたこととして、「取材された方の多くが既に亡くなられている。過去と同じ過ちを繰り返さないためにも、私たちは報道を続けていく。そして他分野の方、例えば教育、宗教、行政、医療、企業などの分野にいる方々が、それぞれの分野でこの問題を真剣に考えていただけると有難い。かつてハンセン病は「仏罰」と呼ばれたこともあった。国が対策をとる以前に各地に私立の療養所を作り、患者さんたちの居場所を作ったのも、外国人も含めて宗教関係者だった。現在でも多くの入所者の方が信仰を持ち、それぞれの療養所の中には宗教施設もたくさんある。今後は皆様のような宗教関係者の方とも協力し、啓発に力をお貸しいただきたい」と、宗教界への要望を伝えた。
[質問2] 世界と比べて日本の特質的なことはあるのか?
[回答2] 世界の状況についてそれほど詳しくはないが、邑久光明園という療養所の方から聞いた話では、
「日本は島国で外から入ってくるものが少なく、ばい菌等、外部から入ったものに対してかなり神経質になると
いう傾向がある。病気については特に神経質な体質だと思う。それがひどい差別につながることになった。」と
いう意見があった。コロナも病気に対して過剰に神経質になっていることの反作用という傾向も強いのではな
いか。
三宅氏は、また日本人は古来より「清い」「清浄」であることを特に重要視してきたということが言い添えられた。また次から次へと問題が発生し、世間はその時には大騒ぎするがすぐに忘れ去ってしまう。ことさらに問題を大きくして差別を助長するのは論外だが、無関心や見て見ぬふり、あるいは気が付かないということも問題といえるのでは、との見解も示された。
[質問3] 差別に遭われた方に対して、どのような声をかけるのが良いか?
[回答3] コロナに関しても同様かわからないが、ハンセン病療養所の方に対しては、元患者の方という見方
ではなく、単純に三重県出身の○○さんのように、普通に接するということを望まれているように感じている。
三宅氏は本日の講演を通して学んだこと、考えるべきことについていくつかの点を上げ、学習会の総括とした。
「差別というのは人間独特の行動かもしれないが、宗教者としてそれに真正面に向き合う必要がある。幼い頃に見た『ベン・ハー:キリスト物語』という映画で、貴族だったベン・ハーの家族がハンセン病になった途端、死者の谷に放逐されるという描写があったことを思いだした。自分の行動に対する因果関係ではなく、自分に全く責任のないことに対してその人を責めるということは全く論外である。また、ネット世界の匿名性が誹謗中傷を助長させる傾向もある。また、メディアは一つの話題を一過性の流行のように大きく取り上げて騒ぐが、過ぎてしまうと忘れてしまう傾向がある。小川氏のように継続的に一つの問題を追うという報道の仕方で学べることがたくさんあるので、これからも継続的な取材等の取り組みをぜひ続けていただきたい。
そして広く知って、正しく恐れることは大切だが、拡大解釈をしてはいけない、ということを心に留めておきたい。100年前のスペイン風邪の時でも新聞報道は現在と同じようなことを書いている。これからも継続的にこのような問題を追い続け、私たちの意識を高めていきたい」
三宅師の総括のあと、日本チャプターの芝幸介師が紹介された。芝師の「本日は正しい知識や知らなかった事実を教えていただきありがとうございました。本日学んだことを、具体的な行動に変えてゆかなくてはいけないと自覚をもって、ひとりひとり務めてゆきたい。差別なく人と人とが優しい気持ちで接することができる社会となるよう、そしてそれが世界平和に繋がるよう、祈りたい。」との言葉を受け、全員で閉会の祈りを捧げた。
続いて一燈園の西田多戈止師が紹介された。閉会の挨拶として「今日の勉強会では、本山先生、小川先生の有益な話を聞かせていただき、大変力強く感じた。私は、欲望は本能であるが、欲望の裏返しが差別であると思っている。私が10代のころ、祖父の西田天香に随行して長島愛生園に行った時のことを思い出した。祖父は私に患者さんのところのトイレ掃除をして来いと言ったので、特に恐ろしいとも思わずにトイレを掃除して帰ってきたことを思い起こしている。コロナの事で差別をなくそうと思ったら、全員一度コロナに感染してしまった方が良いのではないか?コロナに罹った場合、私は90歳なので死亡率は25%くらいになるかもしれないが、皆がコロナに罹って治った方が差別をすることはなくなるのだろうと感じたりもした。本日はありがとうございました」と、自身の経験談を交えつつ語った。
西田師の閉会の挨拶を受け、三宅師より、学習会の動画公開についてのお知らせのあと、「台風が接近しているので、それぞれの皆様のところでご無事を祈ります。ありがとうございました」との言葉で、JLCとして初めての、Zoomウェビナーを利用したオンライン学習会は閉会した。